第六章(2)
* * *
壁にある燭台を見ながら、ルチフは廊下を進んでいた。
最近気がついたのだ。この廊下の明かりは、大半が燭台の火によるものだ、だが時折その中に混じって、赤い石の燭台もある――あの赤い石は、気付けばいたるところにあった。
この場所に連れてこられて、しばらくが経った。与えられた服を着ているものの、黒い帽子と長いマフラーは外すことなく、ルチフは慣れた様子でバルコニーへ向かった。
空を見上げればやはり曇っている。今日雪が降ることはなさそうだが、明日にはどうなるかわからない。このまま風が強くなり雪が降り始めれば、吹雪になるかもしれない。その吹雪も、一日で終わるものなのか、数日続くものになるのか、いまの状態だとわからない。
ルチフは寒さに身を震わせ、それからバルコニーのあの赤い石を使った灯りへと近づいた。不思議なことに、この赤い石を使った灯りは、火のように温かいのだ。本当に不思議な石だ。
カイナが言っていた――この赤い石には、エネルギーがある、と。それを、この国は様々なものに役立てているのだという。明かりや暖としてはもちろん、原動力としても。
目を疑うほど巨大な建造物や、魔法のように動いている道具に、ルチフはやっと納得がいった――全てはこの石のおかげなのだという。
「叡智の結晶だ……人が集まれば、文明も生まれる」
カイナはそうも言っていた。大きな群れになることが、国を作っていくことが、どういうことなのか、ルチフは徐々に理解し始めていた。
しかしやはり疑問に思うところはあった。人を集める方法が強引である点はもちろん、そしてそれ以上に――身分差、というのが理解できなかった。
「人が集まると、様々なものが生まれるが……それも自然とできてしまうものなのだよ」
尋ねればカイナはそう答えたが、ルチフは怪訝な顔をするほかなかった。
……その身分差の問題もあり、またまだほかの騎士や貴族からよく思われていないから、と、ルチフはこの塔から出してもらえず、未だに村人達に会えずにいた。ベアタにも会えていない。
――みんな、元気かな。
だからこそ、ルチフはいつもこのバルコニーから、下の村を見つめていた。そこに皆がいると信じて。そして顔を上げれば、王の塔も見える。そのバルコニーにベアタがいて、こちらを見ているような気もするのだ。
ここでの衣食住に満足していないわけではなかった。むしろ、どれもオンレフ村よりもはるかにいいものだった。まさに多くの人がいるからこそ、様々なものが発達している。
けれども。
――またみんなと、前みたいに暮らしたい。
そう思わざるを得なかった。こうも離れ離れにされてしまっては。
だが村での生活を思えば思うほど、胸にちくりとした痛みも、感じるのだ。
それは、罪悪感。
「――やっぱりここにいたか」
声をかけられルチフが振り向けば、カイナがそこにいた。
「カイナ」
やっと出会えた、血の繋がった家族――その笑顔を見て、ルチフも自然と微笑む。
カイナはその手に剣を持っていた。ルチフの隣まで来れば、並んで村を見下ろした。
「村人達が、恋しいか?」
ルチフはその問いに、すぐには答えられなかった。
そうだと素直に答えてしまえば――カイナの存在を、否定してしまうような気がして。
「……やはり、恋しいのだな。お前は彼らと共に育ったのだから」
黙っていると、カイナに見透かされた。
「……自由のないところだな。村よりもここの方が生活は豊かかもしれないけど……息苦しい」
思わずルチフはそう言った。
――あの頃に戻れると言われたら、自分はどうするのだろうか。
「――悪かった、こんなこと言って。カイナでも、どうしようもないことなのに」
少しして、ルチフは我に返った。村人も大切だ。だが――カイナも大切だ。
隣にある温もりを、肌で感じていた。この温もりも、恋しかったのだ。
「いいや……私も、お前に謝らなくては……すまない、無力で」
カイナの声はどこか寂しさを纏っていた――何も悪くないのに、謝らせてしまった。
しばらくの間、ルチフもカイナも一言も話さなかった。冷たい風に、共に吹かれていた。
ルチフがちらりと横を見れば、カイナは確かにそこにいた。去ったわけではなく、ただじっとそこに佇んでいて、白い息を吐いている。温もりは確かにそこにあった。
「……俺はあんたに会えて、嬉しかったよ」
そういえば、ちゃんと言っていなかった気がして、ルチフは口を開いた。
つと、カイナがこちらを見る。とたんにルチフは恥ずかしくなって、口を閉ざしてしまった。バルコニーの外に視線を投げる。それでも、目だけを動かし、叔父を見つめた。
「……ずっと、一人だと思ってたんだ。俺は、一人なんだって。村のみんなは優しくて、俺だけ見た目が違うけど、村の一員、家族だって言ってくれたし、育て親の人にも、ものすごく優しくされた……だからみんな大切で、感謝してる……でも……」
それ以上を、語らなかった。ただカイナへと向き直れば、
「……ありがとう。俺を、見つけてくれて」
カイナは少し驚いたような顔をしていた。やがてその表情が柔らかになると「ルチフ、これを」と手にしていた剣を両手で差し出してきた。
「これはカイナの剣だろ?」
ルチフは首を傾げた。この鞘に入っているのは、カイナの剣で間違いない。
「いいや、私の剣はほら、腰にあるだろう? これはお前の剣だ、ルチフ。……鞘を作り、手入れをするため、しばらくの間、預かっていたんだ」
しかしカイナがそう言ったものだから、ルチフは瞬きをした。そうして、改めて差し出された剣を見る。鞘は汚れ一つなく、まさに真新しさに輝いていた。
受け取れば、身につける。この重さが懐かしく思えた。
――正面を見れば、全く同じ剣を身につけたカイナがそこに立っていた。
……それが、とても嬉しくて、自然とルチフは笑っていた。
カイナも、寒い中でも笑っていた――けれどもふと、彼は視線を落とした。
「……私も、お前に会えて嬉しかった。本当に」
カイナは再びバルコニーの外を見つめた。世界の彼方は、暗くも白に染まっている。
「お前の祖父と祖母……私の父と母は、まだ私と兄が幼い頃に亡くなった。そして兄も……知っての通り、国を出て行った。私も……もう家族は誰もいないと、思っていたのだ――一人だと、思っていた」
カイナは曇った空を見上げる。
「……愛した人もいたが、彼女は別の人と結ばれた。私は……ずっと一人だったんだ」
――だからなのかと、ルチフは気がついた。
自分とカイナの顔が、どこか似ていると思ったのは。
ふと、ルチフはカイナに近寄れば――欄干に置いてあったカイナの手に、自分の手を重ねた。
自分も一人だった――けれどもベアタが現れて、一人でないと思えるようになったのだ。
そう、ベアタの温もりを感じて。
――カイナの手は、ひどく冷たかった。
「……お前はとても優しい子に育ったのだな」
その手を見つめたカイナの声は、消え入りそうだった。
「ありがとう、ルチフ……すまない、妙な話をしてしまって」
「いや……いいんだ」
我に返ってルチフは手を引っ込めた。まるで子供のような行動に、顔が熱くなってしまった。
けれども――幸せだった。
「そうだ、ルチフ。お前を探していたのは、剣を渡したかっただけではないのだ」
と、カイナは目が覚めたような顔をした。それから少し残念そうに笑って、
「……王の命令で、明日、準備が整い次第、国を離れなくてはいけなくなったのだ。数日で帰ってくるものの、その間、私はここを留守にしなくてはならない」
「……人を、連れてくるのか?」
ここで過ごしている間に、ルチフは聞いていた――カイナは、この国に人を連れてくる隊の隊長なのだと。
……怪訝な顔をせざるを得なかった。
「また、どこかから、無理矢理人を連れてくるのか?」
「……命令だからな。けれどもなるべく傷つけないように、努力はしているつもりだ」
とはいえ、やはり間違っていると思うのだ。
ふとルチフは思った。今頃、村はどうなっているのか、と。誰もいない家々は、補修されることなく、吹雪に壊れてしまっているかもしれない。そういえば村が襲われた際、火事が起きている家もあった。急に襲われここに連れてこられたのだ、それぞれ大切なものを置いてきてしまったに違いない。育てていた作物は全てだめになってしまっただろうし……。
――牧場のオビス達は、今頃、何をしてるんだろう。
子供のオビスは、もしかすると寒さで死んでしまったかもしれない。大人のオビスも、食料が間に合っていないかもしれない。もしかすると、狼に襲われているかもしれない――。
きゅっと、何か締めつけられるような感覚があった。オビスだって、家族だったのだ。
「……カイナには悪いけど……俺はこの国のやり方が、好きじゃない」
きっぱりとルチフは言った。
「……でもやりたいことの理由には納得がいくし……俺はカイナのことは、嫌いじゃない」
それでも慕うかのようにカイナを見上げる。身につけた剣の重さを感じていた。
「……いつかカイナの手伝いがしたい。無理矢理なんかじゃない、いまよりずっといい方法を見つけて、みんなが納得できて本当に幸せになるようにしたい」
村に帰りたい気持ちがないわけではない。むしろ強く思うからこそ。そして本当の故郷に戻れたからこそ。家族に会えたからこそ――もっといい方法を。もっと皆が幸せになれる方法を。
「お前は本当に優しい子だな、ルチフ……」
カイナはルチフへと向き直る。
「……その日が待ち遠しいよ。それでは……これから準備をしなくてはいけない、私は行くよ」
「――気をつけて」
カイナは廊下へ去って行ってしまった。その背を、ルチフは見えなくなるまで見つめていた。
――大丈夫、また数日後に会える。
残されたルチフは再びバルコニーから世界を見つめた。やはり風は切るかのように冷たいものの、何か満たされたように胸中は温かかった。
……しかし、気付いた。
王の塔のバルコニー。そこにいつもあったはずの人影が消えていたことに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます