第五章(3)


 * * *


 ――柔らかいベッドの上で、ルチフは寝返りを打った。

 とても温かくて、心地よくて。けれども妙に後頭部が痛くて。うっすらと、目を開ける。

 そして――飛び起きた。

「こ、ここ、は……?」

 そこは見知らぬ部屋だった。

 まず、そこが部屋であると気付くのに時間がかかった。ルチフがいたその部屋は、オンレフ村の家の部屋とは、全く違うものだった。

 ものが多くて、色鮮やかな部屋だった。ベッドから抜け出して辺りを見回す。天井から吊り下がっている照明は美しいガラス細工でできていた。その光に照らされる家具は、細かな装飾が施されている。オンレフ村の家庭にある、木で作ったそのままのものとは全く違う。どれも艶やかで手間のかかっていそうなものだった。壁を見ればそこにも美しい模様があり、どこを見ても派手に感じられた。

「何……何なんだ……?」

 まるで奇妙な夢を見ているようだった。振り返れば、先程まで眠っていたベッドも大きかった。人が作ったとは思えないような部屋で、ルチフは逃げ場を失ったように壁へと退いた。

 けれども、何が起きたのか、ゆっくり思い出していき、深呼吸をして。

 ――ベアタは? チャーロは? 村のみんなは?

 ――あの銀髪達や、カイナとかいう奴は?

 少なくとも、ここは村のどこかではない。そして自分以外、誰もいない。

 ――どこかに連れてこられた?

 だがそのことに困惑している時間はない――皆を助けなければ。

 気を引き締めて、ルチフは腰に手を伸ばした。銀髪達は間違いなく敵だ。村人達を傷つけていたのだから。村をめちゃくちゃにしていたのだから。しかし。

「――ない」

 腰に手を伸ばしたものの、そこに剣はなかった。奪われてしまったらしい。

 それでもルチフは扉へと向かっていった。金色に輝くドアノブに目を細めたものの、握る。

 幸い鍵はかかっていなかった。そっと開くと、先には長い廊下があった。見たことがない場所で辺りを見回す。と。

「目覚められましたか?」

 不意に声をかけられて、そちらを見れば、見知らぬ女が立っていた。

 歳は自分よりも上だろう、見慣れない服を着ている。そして髪は銀色で、目の色は青だった。

 ……オンレフ村では、自分とベアタしかいなかった人間。

 村をめちゃくちゃにした人間――。

「お部屋でお待ちください。ただいま、カイナ様を呼んで――」

 女は深々と頭を下げた。だがルチフはその胸ぐらを怒りのままに掴んだ。

「村のみんなはどこだ! ベアタは! チャーロは!」

 女は「ひっ!」と悲鳴を上げた。

「……お、落ち着いてください!」

 だがいまにも殴りかかりそうな勢いで、ルチフは怒鳴る。誰であろうが関係ない。敵であることに、違いないのだから。

「どこにやったんだ!」

「やめてください……! 兵を呼びますよ! 誰か、誰か!」

 女はすっかり怯えてしまっていた。半ば悲鳴のような声が廊下に響く。

 その声を、聞かれてしまった。

「――何をしている!」

 廊下の向こうから声がした。見れば、村を荒らした銀髪と同じような姿をした銀髪――兵士がこちらへと走ってきていた。その腰には剣がある。

 ――ここはあいつらの場所か?

 兵士は迫ってくる。いま、戦える武器はない――ルチフは女を突き飛ばすように手放すと、すぐに走り出した。このままでは逃げるしかない。

 息を切って廊下を走りながら、ルチフは村人達やベアタの姿を探した。突き当たりを前に、一瞬迷って左へ走る。ここがどこだかは全くわからない。だが考えている暇はない――。

「――何だお前は!」

 と、正面を見れば別の兵士がいた。追ってきている兵士が「そいつを捕まえろ!」と叫べば、その兵士は慌ててルチフの前に立ち塞がる。

 一瞬立ち止まってしまったが、すぐに別の廊下へとルチフは走り出した。そこで先程の女と似たような格好をした別の女とすれ違う。その女はルチフに驚いて運んでいた本を落としてしまった。走っていくルチフと、それを追う兵士へ、長い銀髪を乱しながら視線を向ける。

 ――あいつも銀髪……目も青かった。

 駆け抜けていく際に、ルチフは確かに見た。

 ここにはどうも――自分やベアタのような人間ばかりがいる。

 村人達のような黒髪に緑の目の人間の姿は見つからない。一体皆はどこに。ベアタの姿も見あたらない。

 そして――いつまで廊下は続いているのだろうか。

 角を曲がった先も、廊下は長く続いている――広すぎる。外はどこなのだろうか。

 と、ルチフは一度走り抜けてしまったものの。

 ――外の光!

 引き返して、その廊下をルチフは走った。先に光が見える。間違いなく外の光。近づくにつれ、空気も冷たいものになっていく――。

 そしてルチフは、光の中に飛び込んだ。

 ……けれどもすぐに、欄干にぶつかった。

「――ああくそ!」

 ルチフが飛び出したそこは、広いバルコニーだった。頬を凍てつくような風が撫でていく。

「どうなってるんだここは――」

 冷たい欄干を叩いて顔を上げる。

 ――そこで目にしたものを前に、ルチフは息を呑んだ。

「……ど、どうなってるんだここは……」

 声は未知に震えた。圧倒され腰が抜けそうになり、ルチフは後ずさった。

 バルコニーから見えたもの。それは巨大な建造物だった。人が作ったとは思えないほどの巨大な建物が並んでいた。

 村の家の、何倍もの大きさがあるそれ。白いそれは塔のようだった。いくつもが天を目指して伸びている。よく見ると塔と塔の間には渡り廊下があり、そこを人が歩いていた。歩いているのは、やはり銀髪。下を見れば、全ての塔は一つの大きな建造物から生えているらしかった――つまり、いま目に見えている建造物が、その全てで一つの建造物として完成していた。

 こんなに巨大なものを、ルチフは見たことがなかった。本当に奇妙な夢のようだ。しかし空を仰げばいつもの曇り空があった――夢ではなく、現実。

「なん、何だ……ここは……」

 一体どこへ連れてこられてしまったのだろうか。こんな――恐ろしい場所。

 悪い夢なら覚めてくれ。そう願うものの、

「――大人しくしろ!」

 厳しい声にはっとして振り返ると、兵士達がそこにいた。慌ててルチフは辺りを見回すが、バルコニーは袋小路となっている。欄干から下を覗いても高さがある。逃げ場はもうなかった。

 だからルチフは、目の前に立ち塞がった兵士達を睨み、口を結んだ。

 ……ここで諦めて捕まる気は、さらさらなかった。

「さあ、大人しく――」

 兵士の一人が、繰り返す。

 ――瞬間、ルチフは彼に体当たりをした。そして流れるように、相手の腰にある剣の柄を掴んで、抜いて。

 ぶんと振るえば、剣は凍てついた空気を切り裂いた。兵士達が慌てて距離を取る。

「そこを、どけ!」

 苦い顔をする兵士達を、ルチフは睨んだ――これで武器は手に入った。

 だが相手も剣を持っている。剣を奪われた兵士に下がるよう目で言い、残りの兵士が剣を抜いて構える――突破するには倒すしかない。ルチフも剣を構え、敵を見据えた。敵のその刃の輝きを、目に焼きつけるように、見つめる。

 刹那、その輝きが動いた――ルチフは手にした剣をわずかに倒して、その輝きを受け止める。

 刃と刃の衝突は、全ての温度を奪うような空気を震わせた。と、横からもう一人の兵士が剣を振るうのが見えて、ルチフは受け止めた剣を弾けば、勢いのまま、横からの刃も弾く。先程よりも大きな音がして、剣は兵士の手を離れた。バルコニーから飛び出し、彼方へと消えていく。

 剣を失った兵士は、愕然とした顔をして一歩下がった。そこへルチフは切り込みに行く。ここにいる全員が敵だ――だが、残りの一人の兵士が割り込んだ。切っ先を、ルチフに向けて。

 突き出された剣はルチフの肩をかすめた。それでもルチフは怯まなかった。下から上へ刃を滑らし、敵の腕を切りつける。しかし兵士は剣を手放しはしなかった。痛みに顔を歪め、ルチフから距離を取るものの、改めて剣を構えて――。

「待て、下がれ」

 不意に、聞いたことのある声が聞こえた。兵士がちらりと廊下の方を見る。つられるようにして、ルチフも廊下へ視線を向ける。足音が響いてきていた。

「――彼は私が」

 やってきたのは、オンレフ村に銀髪達を率いてきたリーダー――カイナだった。

 鼓動が速くなる――剣を握るルチフの手に、より力が入った。

 カイナの指示に従い、兵士達がそろそろと下がる。そしてカイナはルチフの前に立った。

「……やはり鍵はかけておくべきだったか」

 カイナは静かに剣を抜いた。ルチフの剣と、全く同じもの。

 ――この男が、自分をここに連れてきたというのだろうか。

 ならば、ベアタは。チャーロは。村のみんなは。

「――みんなをどこにやった! ここは一体どこなんだ!」

 怒声を上げて、威嚇するようにルチフは剣を振った。空気が切り裂かれる。けれどもカイナは怯まなかった。剣を手にしているものの、落ち着いた様子で返す。

「まずは落ち着きなさい……そうしたら、話してあげよう」

 まるで舐めているかのような態度に、ルチフは剣を握る手にさらに力を入れた。

 こいつの言うことは、信じられない――力尽くで聞き出すしかない。

 短く息を吸って、ルチフは駆けだした。握った剣が鋭利に輝く。刃に映ったのは、カイナ――敵の顔。しかしそれでもカイナは表情一つ変えないままで。

 ――すっと、カイナが横に動いた。

 だがルチフには見えていた。目でカイナを追い、その手にした剣を見て。

 走り出した勢いは殺せなかった。振るった剣はカイナに避けられた。

 けれどもルチフは振るった剣を宙に滑らし、カイナへと振り返る。そして振り下ろされていたカイナの剣を、受け止めた。

 衝撃に二本の剣が震えた。鍔迫り合いとなり、かたかたと音を立てる。

 カイナの剣を押し返そうにも、押されないのに精一杯で、ルチフは動けなくなってしまった。

 ――こんな奴に……!

 一瞬でも気が緩めば、押し負けてしまう――必死の形相で、ルチフは剣の向こう側にある敵を睨む。しかしそこにあったカイナの表情は、やはり涼しげで。

「――どうやら、動きは見えている、ようだな」

 カイナが薄く笑った。決して嘲笑ではなかった。まるで少し、喜んでいるかのようだった。

「だが経験は足りなさそうだ――」

 と、カイナは瞬きをすると、その青い瞳は鋭くなり、刹那、ルチフは片足に衝撃を感じた。全身の力が抜け、押されるままにバランスを崩し、果てに尻餅をついた。

 足払い――ルチフの手から離れた剣が、虚しい音を立てて落ちた。

 とっさにルチフはそれを目で追ったものの、目前に冷えた輝きを突きつけられ、身を引いた。

 ――カイナの剣の切っ先が、目の前にあった。

「人と剣を交えた経験は、少ないようだな? ディータ」

 カイナは剣を納めれば、ルチフの腕を掴んで立たせた。そのままルチフの両手を背に回し、仲間の銀髪からロープをもらえば縛る。そうしてやっと、安心したように空を仰いだ。

「……私の領地区画内で済んでよかった」

 憎悪に目を光らせるルチフに、カイナは笑いかける。

「外に出ていたら、容赦なく斬り殺されていたぞ?」

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