第五章(4)
* * *
縛られたまま、ルチフは目覚めた部屋へと、カイナに連れ戻された。
「何か温かいものを淹れてくれ……私は彼と話をする」
部屋に戻ってくる際、扉の前にいた女にカイナは言った。
「さて……」
そうして部屋に入り、扉を閉じてカイナはルチフを見下ろした。溜息を吐くと、手を伸ばしてきたものだからルチフは身構えたが、
「……お前にも、村にも手荒なことをしてしまったな。悪かった」
カイナは手の縄を解いてくれた。
ルチフは驚き、思考が一瞬止まってしまった。何故、解いたのか。その上、カイナは「ここに座りなさい」と椅子の一つを引いた。
けれどもルチフはすぐに我に返って扉へと走り出した。しかし扉は開かなかった。押しても引いても、開かない。
ちゃり、と音がしてルチフが振り向くと、座れと言われた席の向かいに腰を下ろしたカイナが、指にひっかけた鍵を、遊ぶようにしてちらつかせていた。
「……縄を解いたとたんに走り出すだろうと思って」
その顔には、少し意地悪そうな笑みがあった。
「ちゃんと私の話を聞いてくれたら、鍵を開けよう……この塔は私の領地区画だから、そこから外に出なければ、好きなように歩いても構わない」
「何なんだお前……」
何を考えているのだろうか、この男は。
そしてここは一体。皆はどこに。何故自分はここに。
牙をむいた狼のような目で、ルチフはカイナを睨んだ。それはまるで、噛みつくかのように、いまにも首を絞めてやろうというような勢いで。
「みんなをどこにやったんだ! 何がどうなってるんだ! ここはどこなんだ――」
と、背後で扉をノックされた。気を張っていたルチフは、突然のことにびくりと震え上がってその場から飛び退いた。それを見ていたカイナが「もう少し力を抜いたらどうだ?」と笑い、立ち上がる。迫ってきたカイナにルチフは距離を保つように部屋の奥へと逃げるが、カイナは扉を開ければ、そこにいた女に「ああ、私がやるから、下がってくれ、ありがとう」と言い、ルチフにとっては初めて見るもの――ワゴンを部屋の中に入れた。そして再び扉に鍵をかける。
ワゴンにはティーポット一つとカップ二つが乗っていて、カイナはテーブルまで運ぶと、カップに茶を注ぎ、自分の正面の席と自分の席に置いた。
「……そんなところにいないで、こっちに来たらどうだ? ディータ」
カイナは再び座り首を傾げた。ルチフは部屋の奥で警戒したままだった。
少しでも心を許すわけにはいかない。そもそも。
「――さっきから俺を誰と勘違いしてるんだ」
ディータ――村で戦った時も、その名を呼んでいた。ルチフは嫌悪に肩を竦める。すると茶を啜っていたカイナが瞬きをして。
「ああ、そうだった……すまない、私は長年……お前を『ディータ』だと思っていてな……確か、いまの名前はルチフ、だったな。ベアタ様から聞いたぞ」
ベアタ――その名を聞いて、ルチフははっとしてカイナを改めて見た。カイナはそれに気付いていた。ルチフが口を開く前に、カイナは手で制す。
「待て……お前が何を聞きたいのかはわかっている。だからゆっくり話させてくれ……まず、ベアタ様や、お前のいた村の住人は、全員無事だ」
「全員、無事……」
それは信じていいのだろうか。けれどもルチフは無意識に一歩前に出ていた。
カイナは頷いた。
「ああ、全員この国にいる……いまは会わせることができないがな……」
「――国?」
聞き慣れない言葉だった。けれども、村にあった本で見たような。いまは会わせることができない、というのも気になるが、全員がいるこの「国」とは。
やっとルチフは落ち着き始めていた。カイナは村を荒らした上に、ベアタを人質にとったような人間だが、いま何が起きているのか、それを話そうとしてくれるのは、彼だけだった。
「そもそも、何で、何のために俺達を連れてきたんだ。何を考えているんだ?」
だが警戒は完全には解かない。
けれどもカイナの声から、危害を加えようとしている様子は感じられなかった。
「――ここはエンパーロ王国。この凍った世界で、人々を集めて未来を築こうとしている国だ」
意味がよくわからなくて、ルチフは眉を顰めた。未来のために、人々を集めているとは。
そのために村を襲ったのか。そしてここに連れてきたのか。
「私達は、人を集めていて……無理矢理連れてきた上に、手荒なことをしたのは、私達に友好的でない村もあるためだ、すまなかった。改めて、謝ろう」
カイナはそう言うが、しかし笑って。
「けれども――オンレフ村の人々は理解してくれた。いま、彼らには新しい住居を手配しているところだ」
「新しい……住居?」
「彼らにはここに、私達と一緒に住んでもらおうと思ってな。だから連れてきたのだ……」
それはつまり、ここに引っ越せ、ということか。
けれども連れてきたと言うよりは、さらった、というのが正しいのではないだろうか。
「待て、何で勝手に決めるんだ、お前達がやっているのは、無理強いじゃないか!」
村で平和に暮らしていたのに。それを荒らして、今日からここに住め、と。
勝手すぎる。オンレフ村の人々は理解してくれたと言ったが、そうなるとは考えられなかった――あんな目にあって、村を捨てろ、だなんて。
「……人類の文明の進化には、皆で集まることが必要だ。私達は、人類のために、どうしても人を集めなくてはいけなくてね」
カイナは申し訳なさそうな顔をしたが、そう言う。
「もちろん、私達が事情を説明しても嫌がる者はいた。けれども……説得をしているところだ」
そうは言われても勝手すぎると思う上に、ルチフは意味が理解できなかった。
「人類の文明の進化って何だ! それで……俺達の村をめちゃくちゃにしたのか!」
「村をめちゃくちゃにしたことは悪かった……が、落ち着きなさい」
語気が強くなると、カイナにそうなだめられた。
気付けばルチフとカイナの距離は縮んでいた。自身でも気付かない間に、ルチフはカイナへと近づいていた。
「……より大きな群れを作りたい、と言えばわかるか?」
カイナは茶を一口啜る。
「オンレフ村の村長の老婆は、私の話を聞いていい具合にまとめて、理解してくれたよ……つまり、大きな群れが作りたいのか、と」
「――ケイか?」
気丈であるものの老婆である村長。カイナがこう話しているということは、ケイはカイナと何か話したのだろうか。と、カイナは続けた。
「あの老婆も、私達が村を破壊し、無理矢理連れてきたことに怒っていた……けれども、大きな群れを作りたいという考えには理解を示してくれた。この世界は命も凍るほど凍てついていて、あまりにも厳しい……けれども大きな群れになれば、何人もが力を合わせれば、一人でできないことが可能になり、どんな困難も乗り越えることができる、と……だからこの国に共に住んでほしいと言ったのだが、完全に納得してくれていない様子だった……が、それでも考えはわかるから、と」
……ケイがそう言ったということは、オンレフ村の住人は、とりあえずここに住むことに決めたのだろうか。そう簡単に決めないと思うけれども。
いや――何か考えがあるのかもしれない。村を捨てるとは思えないし、こんな強引なやり方に、全員納得するとは思えない。
もやもやとした感情が胸につっかえているが、とにかく、そういう理由で連れてこられたらしい。そして村人達も無事だ、と。
「――ベアタは?」
だがベアタは村人達とは、話が少し違うようにルチフは思えた。
カイナ達が村を襲った時、彼らはベアタを知っていた。同じ銀髪の、彼ら。
そこまで鈍いルチフではなかった――ベアタはこの場所からやってきたのだ。
「ベアタ様も、もちろん無事だ」
ルチフがテーブルに両手をついて尋ねると、カイナは微笑んだ。ところで、とルチフは思う。
「……ベアタ様って、何だ?」
「ああ、ベアタ様から聞いた、お前達に正体を明かしていない、と」
雪の中に倒れていたベアタ。自分だけが銀髪に青い目の人間だと思っていたところに現れた少女。過去を話したがらなかった彼女――カイナは教えてくれた。
「ベアタ様は、この国の王女だ」
「王女……?」
国があって。国とは確か王がまとめていて。王女はその娘。
「王女、なのか……あいつは……」
そう尋ねたものの、いまいちぴんとこなくて、ルチフは首を傾げた。カイナは、
「そうだ……だから誰もひどいことができない。彼女も無事だ、私が送り届けた」
と、今度はカイナが首を傾げる番だった。
「ところでルチフ……お前は、村でひどい仕打ちを本当に受けていなかったのか? あの村は黒髪の人間の村だった。そこに銀髪の人間がいるなんて……ベアタ様やあの老婆から話は聞いたが、実際はどうだか」
まるで身内であるかのように心配する。そこでルチフははっとした。
「……まさか、俺が銀髪で目が青い人間だから、村人達と離したのか? ……俺はオンレフ村の人間だ。みんなはどこにいる、みんなのところへ帰してくれ!」
確かに村の出身ではない。この建物内にいた人間のように、自分は銀髪に青い目の人間だ。
だからといって、この国の人間であるとは限らないし、自分は確かにあの村で育ったのだ。
「……それはできない」
しかしカイナは頭を横に振った。まるで塞ぐかのように、ルチフの前に立つ。
反射的にルチフは一歩退いた。
「何でだ……!」
静かに語気を強める。するとカイナは、寂しそうな表情を浮かべたのだ。
「――身分差があるからだ。私なら問題ないが、お前が村人に会いに行くには、許可がいる。国の外の彼ら……下の者達に勝手に会うことは許されない。ベアタ様もそうだ、ベアタ様は王族の方……こちらも勝手に会うことは許されない」
「……身分差って」
国の外の彼ら、とカイナは言った。しかしまるで自分はそこに含まれていないかのような言い方に、ルチフは戸惑った。そして身分差とは。自分と村の皆では、何が違うというのだろうか。
そこで――はっとして、息が詰まった。
……思い出せば。
カイナの腰を見れば剣があった――自分のものと、全く同じ剣。父親のものと、全く同じ剣。
……何故カイナは、自分の父親と全く同じ剣を持っているのだろうか。
――答えが見えてきたような気がして、ルチフの鼓動は速くなった。どんな顔をしてカイナを見たらいいのかわからないまま、けれどもその同じ青色の瞳を見つめる。
……カイナの顔は、どこかで見たような顔だった。
どこで見たか、誰だったかを思い出せば――それは自分の顔だった。
「ルチフ」
カイナの両手が伸びてきた。反射的にルチフは身構えたけれども。
……優しく、けれども強く、そして温かく。
「――よく、無事で……!」
それは、抱擁だった。
カイナは、消え入りそうな声で、ルチフを抱きしめたのだった。
訳がわからなくて、とっさにルチフは突き飛ばそうとしたが。
――とても、温かかったのだ。
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