第五章(2)

 * * *


 ――それは、昔の記憶だった。

 オンレフ村の住人が一人死んだ。その年で、初めての死者だった。

 死んだのは村長の娘――ケイの娘だった。

「いいか、お前達……これから私が話すのは、とても、大切なことだ」

 村長の家。家族が亡くなったにもかかわらず、ケイは気丈な顔をしていた。前には今年で六歳を迎える村の子供達が集められている。その黒髪の子供達に混じって、幼いルチフも、ケイの話に耳を傾けていた。

 ふとルチフが隣を見れば、子供の一人が嗚咽を漏らしながら泣いていた。先程からずっと泣いている。だがケイは気にしない。

「これから葬式が始まる……皆、葬式で大人達や年上の子らが、いつもシチューを食べているのは知っているな? 今年で六歳になるお前達も、これからはシチューを食べられるようになる……だが、ただの食事でないことを、皆知ってほしいのだ」

 そうして子供達に語られる――葬式の時、大人達や年上の子供達がいつも食べていたのは、人の肉のシチューであること。共食いは狼でもしない行為であり、他の村からは忌み嫌われている行為であること。それでも魂を受け継ぐために、この村では行っていること。しかし、昨日まで生きていた人間を食べることに抵抗がある場合は、断ってもいいこと――。

「お前達自身で決めるんだ。食べるのか、食べないのか。魂を受け継ぐのか、受け継がないのか。そして考えるんだ……自分が死んだ時、どうしてほしいのか」

 そうしてケイは「話は終わりだ、さあ行け」と子供達を解放した。家の外では、それぞれの親が待っていた。少し話し合うと、皆、煙が上がる広場の奥へと向かっていく。

 子供達が家族と共に去っていく中、ルチフはまるで迷子であるかのように辺りを見回した。銀の髪が透けるように輝く。

「――おっ、ルチフ、ばあさんの話、もう終わってたか」

 広場の奥とは反対の方から、名を呼ばれた。見れば黒髪の男が一人、手を振りながらこちらへとやってきていた。黒い帽子を被っていて、顔を見れば無精ひげがある。

 ネサだった。

「さて……どうする、ルチフ。お前が決めるんだ」

 ネサに言われて、ルチフは少し間をおいて言った。

「……俺も、食べてもいいの?」

「いいに決まってるから、聞いてるんだぞ? ……どうする? 魂を、受け継ぐか?」

 また少し間をおいて、広場の奥へと視線を向ければ、ゆっくりとルチフは頷いた。

「じゃ、行くか」

 ネサは歩き出し、ついてきた幼いルチフに手を差し伸べる。けれどもルチフは、その手を戸惑ったように見るだけで、二人が親子のように手を繋ぐことは叶わなかった。

 それでもネサは、慈愛に満ちた目を、ルチフに向けていた。

 やがて二人はシチューをもらって、広場へ戻ってきた。隅にある丸太に腰を下ろし、そこで並んで食べた。

 最中、ふとルチフが顔を上げると、離れているものの、正面にある丸太にも人影があった。ケイだった。その隣には、ケイが話していた際、ずっと泣いていた子供の姿もあった。

「……あいつはチャーロ。ケイの孫で……あいつの母さんが、亡くなったんだ」

 ルチフが子供を見ていると、ネサが教えてくれた。

 チャーロという子供は、もう泣いてはいなかった。明るい顔で、シチューを食べていた。

 ……それが、ルチフにとって、不思議だった。

「――おーい、ネサ! ケイ!」

 と、広場の奥の方から声がした。

「……何かあったみたいだな、ちょっと行ってくるわ」

 ネサが立ち上がり、駆け足で声のする方へ向かっていった。正面を見れば、ケイも立ち上がり、ネサと共に向かっていった。

 残されたのは子供だけだった。ルチフが正面を見れば、チャーロがこちらをじっと見つめていた。そしてシチューを手にしたまま、チャーロは隣へとやってきた。

「君、オビス牧場の、銀の子だよね? 僕、チャーロ」

「……ルチフ」

 チャーロの顔は、すっかり泣き腫れていた。それでも彼は笑っていた。

「……お前、大丈夫?」

 思わずルチフは尋ねた。ひどく、不思議で。

 ――母親が死んだから、チャーロは泣いていたのだ。それが、いまはにこにことしている。

「大丈夫だよ! ……お母さん死んじゃったのは、悲しいけど」

 チャーロの表情がわずかに陰った。それでもシチューを口にして、

「でもね! 食べれば、魂は一緒にいられるんだって! ばあちゃん、言ってた! 魂の半分はお空の上に、半分は僕達と一緒にって! だから……寂しいけど、寂しくないんだ!」

 何を言っているのか、ルチフにはよくわからなかった。しかし、チャーロは続ける。

「お父さんはねー、僕がまだ赤ちゃんの時に死んじゃったんだって……だからね、ほら、お葬式のシチューは、六歳になる年まで食べちゃいけないでしょ? 僕、お父さんは食べてないの……でもね、お母さんはお父さんを食べたから! お母さんの中に、お父さんの魂があってね、その魂を僕が受け継いだから……僕、いまみんなと一緒なんだ!」

 ――父と母の魂が共にある。だから、寂しくはない、と。

 ――そこにいないけれども、一緒にいるから、と。

 それでルチフは納得がいった。だからチャーロは、こんなにも幸せそうに笑っているのだと。

 魂を受け継ぐというのは、そういうことなのだ。

 ……そして、しばらくして、ルチフは気付いた。

「……俺」

 食事をする手が止まった。我慢ができなくなって声を漏らした。胸が苦しくて、ぼろぼろと涙が溢れ出てきた。決壊するともう止まらない。声を上げながらルチフは泣き始めた。

 ――寂しかった。

「――ど、どうしたの!」

 慌ててチャーロも手を止めた。ちょうどその時、ネサとケイが帰ってきた。

「……おい、おい、どうしたルチフ」

 泣きじゃくるルチフに、ネサが寄り添った。ケイも駆け足でやってきて「一体どうした?」とチャーロに尋ねる。チャーロは困惑しつつも、

「ぼ、僕が、お母さんが死んでも、魂は一緒だから寂しくないって話をしたら……この子泣いちゃった……」

 ――けれどもルチフは、チャーロのせいで、泣いたわけではなかった。

「なんだ? 何か嫌なことがあったか? ん?」

 あやすようにネサが微笑む。だからルチフは言った。

「お、俺の中に……ないんだ」

「んー?」

「俺の、本当の、父さんと母さん……俺の中に、ないんだ……俺、一人ぼっちなんだ……!」

 ――魂を受け継ぐために死者の肉を食べる話は、以前、ネサから聞いていた。

 ――けれども、それは死者が望んだからこそできることで、望まない死者、あるいは意思の確認ができなかった死者は全て燃やし、魂を天に昇らせるのだと。

 ――だからお前の本当の両親は、遺体の全てを燃やしたために、永遠に凍りつくことなく、天に昇っていった、と。安心しろ、と。

 ……けれどもそれは。

「俺……一人なんだ! 家族もいない! 俺だけ髪や目の色も違う! 俺だけ、一人なんだ!」

 ルチフが叫べば、いつもへらへらとしているネサの表情が、神妙なものに変わった。

 それでもネサは、泣きじゃくるルチフを、抱きしめることしかできなかった。

「よしよし……そうか、それで悲しくなったんだな……」

 と、ケイがルチフに優しく語りかける。

「ルチフや……お前は一人ではないぞ、ネサがいる。私もいる。村の皆が家族だ……お前がこの村の出身ではないこと、一人だけ見た目が違うことを気にする気持ちはわからなくもないが……皆、お前を家族だと思っているぞ」

 だが、そこで悲しげな表情を浮かべたのは――ネサだった。

「……違うよ、ばあさん……俺達がそう思っても、ルチフ自身がそう思っていても、多分、嫌でも『一人だ』って思うんだろうよ、こいつは……」

 ネサはルチフの銀髪を、優しく撫でた。輝く雪のような色をした、髪。

「――こいつは、嫌でも自分が『村の生まれじゃない』ってことを見ちまうから……気にせざるを得ないんだ。両親についても……事実、魂を受け継いでいないしな」

 ネサは、全てを見抜いていた。

「多分、こいつの寂しさは、俺達では埋められない。俺達がどんなにルチフのことを家族だと思っても……血の繋がった温もりは与えられないし、ルチフは村で生まれた子には、なれない」

 冷たい風が吹いて、ルチフの銀髪を揺らした。

 ネサは屈み込むと、目線の高さをルチフに合わせた。ルチフの顔は、真っ赤になっていた。青い瞳も、充血してしまっていた。だがネサはそんな養子に、優しく微笑む。

「ルチフ……もし俺が死んだら、俺のこと、しっかり食べるんだぞ! 完全には、お前を幸せにはできないかもしれないけど、俺が死んでも、俺はお前と一緒だからな!」

 そう言って、ネサはまたルチフを抱き寄せた。ケイも言う。

「私が死んだ時も、食べてくれ」

 その様子を見ていたチャーロも、声を上げた。

「僕のことも食べていいからね! 食べて! ねっ? そしたら、寂しくないでしょ?」

 けれどもルチフは泣き続けたままだった。涙はどんどん出てくる。

 何もなくて、冷たさが苦しかった。

「――よし。よーし。泣け泣け、ちゃんと受け止めるから」

 そこで何を思いついたのか、ネサは自身が被っていた黒い帽子を取れば、泣きじゃくるルチフへと被せた。帽子は、幼いルチフにはまだ大きかったけれども。

「おっ、似合うぜ? いいじゃねぇか! 寒くもないしな! よしよし……」

 ルチフが黒い帽子を被るようになったのは、この日からだった。

 ――そしてチャーロが白い帽子を被るようになったのも、この日からのことだった。

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