第四章(3)


 * * *


 チャーロが牧場を去った後でも、いつもより暖かな気候に、子供のオビス達は元気に牧場を走り回っていた。

「さっきあんなにチャーロに追い回されてたのに、みんな元気ね!」

 ベアタは大人のオビス一頭の毛並みを整えながら笑う。

「ほら、あなたの子もあんなに跳ね回っちゃって」

 一番小さな子供のオビスを見やる。そのオビスは、いまベアタが毛並みを整えているオビスが生んだ子だった。まだ幼いからと、数日前まではルチフが外に出さなかったが、今日は暖かいために外に出したのだ。

 それでもまだ幼いことに変わりなく、ふとその子供のオビスがこちらを見たかと思えば、母親へと寄ってくる。まだまだ甘えたいらしい。子供のオビスはくっついていたいようで、母親の毛に埋まるようにぴたりと身を寄せた。その様子に、ベアタは微笑む。

「――そろそろ日が暮れる。後は俺一人でやる。もう大丈夫だ」

 柵の点検を終えたルチフは、そんなベアタへ声をかけた。風が吹くと、ベアタからもらった長いマフラーがなびく。

「あら、もうそんなこと気にしなくても大丈夫よ?」

 ベアタは首を傾げて微笑む。しかしルチフは、

「チーズ作りもやってるのに、ここまで手伝ってもらって……お前、疲れないのか? チーズの方に集中していいんだぞ、ここにはチャーロもちょくちょく来るし……なんなら、チャーロにそっちに行けって言うぞ」

「ふふ、私、チーズ作りもオビスの世話も好きよ。好きでやってるの……最後まで手伝わせて。後は、子供達を小屋に返して、餌を新しく追加して……それから……?」

 ベアタは子供のオビス達を集め始めた。幼い毛玉達を引き連れて、小屋へと向かっていく。

「……わかった、頼んだ。とりあえずそのまま、子供達を小屋に帰してくれ――」

 ルチフはそう、ベアタに頼んだのだった。

 ……けれども。

 ――……。

 何かを感じた。何かが、聞こえたような気がして、ルチフは反射的に振り返った。

 決して気のせいではなかった。その証拠に、

「……みんな、どうしたの?」

 ベアタの引き連れていた子供のオビス全員が、ぴたりと立ち止まった。子供達だけではなく、大人のオビス達も顔を上げる。全員が、村を見ている。

 と、大人のオビス達は突然慌て出し、皆が牧場の奥へと駆け足で進み始めた。ベアタに引き連れられていた子供達も、その流れに乗るように、牧場の奥へ逃げていく。

「な、何? どうしたの……?」

 ベアタがその流れを見つめる。一方ルチフは、村が見える方へと、考える前に走り出した。

 ――オビス達は、村の方を見て逃げ出した。ならば、村で何かあったに違いない。

 そして、見た。

「――あれ、は?」

 小高い場所にある牧場。ここからならば、村を見下ろすことができた。広場も見える――その広場に、異質なものが雪崩れ込んでいるのが、ルチフには見えた。箱のような何かだ。中からは見知らぬ人々が出てくる。

「……銀髪、だ」

 目を見開く。

 箱から出てきた揃いの服を着た男達は、全員銀髪だった。自分やベアタと同じ、雪の白さとはまた違った輝きの髪。しかし。

「――何をして……!」

 銀髪達は剣を手にしていた。その剣をもって、村人達を捕まえ始めた。抵抗すれば、剣を振り下ろす。悲鳴が冷たい空気を震わせ、牧場まで響いてくる。

 村が荒らされていた。破壊されていた。人々が拘束され、傷つけられていた。

 ――何が起きているのかわからなかった。幻を見ているような気がした。

 やがて、村の一軒から火が上がり、黒い煙が空に昇り始める。

「――王国兵」

 聞き慣れない言葉が聞こえ、ルチフが隣を見れば、ベアタが顔を蒼白にして立っていた。

「そんな……! まさか崖下まで手を伸ばすなんて……!」

 胸の前で握りあわせたベアタの手は、震えていた。

 ――崖下?

 ――崖の上から来た?

 ……とにかく、村が襲われている。それだけは、確かだった。

「――助けにいかないと!」

 とっさにルチフは村へ向かおうとした。銀髪の人間がたくさん現れた――しかし村が襲われている。となれば彼らは敵、なのだろう。

 新しく作られた皮の鞘に収まった剣は、すでに帯びていた。しかし――人間なんて、斬ったことはない。

 ……けれども、村の皆が危ないのだ。

「――だめよ!」

 と、駆けだした矢先に、ルチフはベアタに腕を掴まれた。

 ――ベアタの、泣き出しそうであるものの、固い意志を持ったような瞳が、向けられていた。

「……だめよ。捕まったら……殺されちゃう……! それにあんな数……!」

 ……ベアタは何を知っているのだろうか。彼らは何者なのだろうか。

「……それなら、なおさら助けに行かないと」

 だがルチフは険しい表情を浮かべた。それでもベアタは、手を放してはくれなかった。

「あなたまで死なせるわけにはいかない。あなたまで、あんな惨いめにあわせるわけには――」

 ――そのベアタの言葉をかき消すような悲鳴が、すぐ近くで聞こえた。

「――ルチフっ! ベアタぁぁぁ!」

 泣き出しそうなその声。人影が、銀髪達に追われつつ、牧場へ走ってくる。

「――チャーロ!」

 ルチフはすぐさまベアタの手を払った。そしてチャーロのもとへ、転がるように走った。ベルトを外し、鞘にはいったままの剣を両手に握る。

 入れ違うかのようにルチフはチャーロを通り過ぎ、追ってきた銀髪二人の前に出る。すでに剣を手にしていた銀髪達は、ルチフに驚いたようだった――ルチフは間髪入れずに鞘にはいったままの剣で銀髪の一人を殴る。その一人は雪の道に倒れた。

 だがチャーロを追ってきた銀髪はもう一人いる。仲間がやられて、また一瞬、彼は驚くものの、すぐさまルチフへと剣を振り下ろしてきた。だがルチフはその刃を鞘に入ったままの剣で受け止め、押し返す。ふらつく銀髪。その隙に、ルチフは牧場へと走り出す。ベアタとチャーロと共に、走り出す。

「何が起きてる! どうなってるんだ!」

 半ば怒鳴るようにルチフが問えば、チャーロは半泣きになっていた。

「わからない! 突然あいつらがやってきて……ばあちゃんもみんなも捕まっちゃった……!」

 と、向かう先から、オビス達の威嚇するような声が聞こえた。一行が足を止めると、正面からも銀髪達が迫ってきていた。

「先回りしてたんだわ……!」

 ベアタが逃げ道を探し、別の方向へと走り出す。だがそこにも、銀髪の姿があった。と。

「――ベアタ様?」

 険しい顔をしていた銀髪の一人が、ベアタを見てそう呼んだ。ベアタは顔をさらに白くさせ、また逃げ道を探して走り出そうとしたものの、

「――嫌! 放して! 放して!」

 背を向けた瞬間、別の銀髪にベアタは腕を掴まれてしまった。すぐさまルチフは一歩踏み込んだものの、

「――うわぁっ!」

 背後でチャーロの悲鳴。チャーロも押し倒されるようにして、銀髪に捕まってしまっていた。

「後はあいつだけだ、捕まえろ! 剣を持っている、気をつけろ!」

 銀髪達の中から、声が上がる。剣を構えた数人が、ルチフに迫り来る。

 しかしルチフは、逃げなかった。

「――ベアタとチャーロを返せ!」

 勢いのままに、向かってきた銀髪の剣を弾いた。敵の剣が宙に舞う。回転しながら雪の上に落ちる前に、その銀髪を剣の柄で突いて倒す。そしてそのまま、流れるような動きで他の銀髪へと向かう。剣を持つ手をベルトへと滑らせると、ぶんと振り回し敵をなぎ倒す。

 取り囲む銀髪達が、ざわめいた。

「さっさと二人を返せ!」

 その騒めきへ、怒りのままにルチフは叫んだ

「――何をしている?」

 その時だった。銀髪達を割いて一人が前に出てきた。同じ銀髪の男だが、服装は他の銀髪達と少し違う。歳は三十代後半くらいだろうか。

 ルチフには、すぐにわかった。

 ――こいつが群れのリーダーか。

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