第六章(4)


 * * *


 兵士達に見つからないよう、ベアタは廊下を進んだ。時折部屋に入ったかと思えば、そこを通過してまた別の廊下に出る。そうして地下を目指していく。

 いくつかの階段を下りた先、空気が変わるのをルチフは感じた。まるで建物全体が氷でできているかのように冷え、窓は一切なくなった。優美な廊下は消え去り、そこには質素というには鬱屈として不気味な場所が広がっていた。

「……村の人達、まだいるならここかと思ったんだけど」

 燭台の明かりがぼんやりと照らす開けた場所で、ベアタは足を止めた。

「……この奥は?」

 一体ここが、何をするための場所なのかわからない。それでもルチフは先に扉を見つけると、その錆びたドアノブを掴んだ。

「だめ……!」

 瞬間、まるでこの先が秘密の場所であるかのように、ベアタが走ってきてルチフの手に自身の手を重ねた。制止の声は小さくも甲高かった。

 先に何があるというのだろうか――ベアタの弱々しい手は、強くルチフの手を握っていた。

「……兵士が、いるかもしれないわ。いつもなら一人か二人いるの……気をつけて」

 見つめているとベアタはそう言った。しかし警告するために止めたとは、到底思えなかった。

 ルチフは剣を音もなく抜いて、ベアタに下がっていろ、と手で示した。そしてドアノブをひねった。ぎぃ、とまるで死にゆく獣の声のような音がして、古びた扉は開く。

「……あ? やっときたか――」

 中にいた一人の兵士が、ゆっくりと振り返った。

 その目がこちらを認める前に、ルチフは駆けだした。相手に剣を抜かれる前に、その顔に切っ先を突きつけ、同時に相手の腰にある剣を抜き、傍らへと投げ捨てた。

 どうやら、兵士は彼一人だけだったようだ。彼以外、見あたらなかった。

「おいおいおいおい……なんだよお前……!」

 ルチフが入っていった直後は気の抜けたような顔をしていた兵士だが、突きつけられた剣の鋭い光に、両手を上げ苦笑いを浮かべる。

「……あっ、お前、カイナ様のお気に入りじゃねぇか! 何で剣持ってるんだよ! ていうかほかの兵士は! 上の奴らがここにお前を連れてくるって話は……」

「……ここに俺を?」

 何故ここに連れてくる予定だったのだろうか。村人達も、ここに連れてこられたようだが。

「――ここにも、村のみんなはいない」

 しかしルチフが辺りを改めて見回すと、薄暗い中に人の気配はなかった。

「ベアタ、ほかにみんながいる場所に、心当たりは――」

 その時だった。

 薄暗い部屋の中。そのテーブルの上に、様々な衣類があるのを見つけたのは。

 ――そしてその中に、雪のように白い帽子があるのを見つけたのは。

「……チャーロの帽子だ」

 ルチフは思わず剣を下ろしてしまったが、兵士は糸が切れたようにへなへなと座り込むだけだった。それから兵士は、入ってきたベアタを見てわずかに驚いたものの、ルチフはただ、そこにあった衣類の山を見ていた。白い帽子を手に取る。と、現れたのはこれまた見覚えのあるマフラー――ケイのマフラーだ。

 その山は、オンレフ村の住人の持ち物の山だった。

「……村のみんなは、どこに?」

 ルチフは尋ねる。間違いなく彼らはここにいたのだ。けれどもこの部屋にはもう、誰かがいる気配はなく、冷気だけが渦巻いている――冷気と、妙なにおいが。

 ルチフ、とベアタが嘆きの声を発するのが聞こえた。

 その声を、無視した。

「……村のみんなはどこにやった! 言え!」

 必死の形相を浮かべ、ルチフは床に座り込んでいた兵士に再び剣を突きつけた。片手では、チャーロの帽子を握りしめる。兵士は、

「はは……いいぜ、教えてやるよ……あそこだよ、ほら」

 剣を突きつけられているにもかかわらず、何がおもしろいのか、笑っていた。まるでからかうかのように、薄闇の向こうを指さす。

 ルチフ、ともう一度ベアタが名を呼ぶ。

 その声にまた振り返らず、ルチフは兵士が指さす方を見た。暗い中に、何かが輝いている。

 ――大きな瓶がそこにあった。

 中に入っているのは――いくつもの、赤い石。小さな火のように、どれも輝いている。

 ベアタが大切にしていたペンダントと同じ石。カイナが「この国を作るもの」と言った石。

「……ふざけやがって」

 自分をからかっているのだと、ルチフは最初、思った。

「ちゃんと言わないと斬るぞ! 村のみんなはどこだ! この帽子の持ち主やあのマフラーの持ち主を、どこにやったか聞いてるんだ!」

「だからあれだって……昨日ここに来た『薪』は、全員『薪の石』にし終わったんだって……」

 ――『薪』、『薪の石』。

 『薪』とは村人達のことを指しているのだろうか。だが『薪の石』とは。

「ほら、よく見てみろよ、あの瓶一つで、丸々お前の村の人間達さ……」

 兵士は相変わらず笑っている。斬り殺されても、いとわないようだった。

 腹が立って、ルチフは暗闇の向こうにあるその瓶へ歩き出した。

 と、ルチフ、とまたベアタが呼ぶ。

「さっきから何だベアタ――」

 苛立ちながらも、ルチフはやっとその声に返した。だが歩みは止めない。

 ……けれども、妙なにおいに歩みを止めた。先を睨む――大きな何かが、ある。

 ――薄暗い中、燭台の炎が揺れ、目の前にある大きな何かをぼんやりと照らし出した。

 ルチフの目の前にあったのは、奇妙な鍋のようなものだった。人が入れてしまうほど、大きい。それがいくつかあって、すぐ近くにあるものは、蓋が開いていた。中を覗けば、黒い液体で満ちている。

 妙なにおいはこの液体から発せられていた。いままでかいだことのないにおいだ。いいにおいではない。どことなく、何か腐ったような、そして鉄のようなにおいも混じっている――。

 ――その時、座り込んでいた兵士が突然立ち上がった。かと思えば、ルチフへと走り出す。

 ベアタが悲鳴を上げ、ルチフは慌てて振り返ろうとしたものの、すぐそこまで迫ってきた兵士に、背中から押さえ込まれてしまった。兵士はルチフを鍋のようなものに押しつけ、その身体をゆっくりと持ち上げようとしていた。

「ふざけてなんかいないぜ……お前にもわからせてやるよ!」

 浮いたルチフの身体は、鍋の中へと傾く。中に入っている液体に、顔が近づく。

「やめて! やめて……!」

 ベアタが震えながら叫んだ。

 けれどもルチフは焦らなかった。手に握ったままの剣をぶんと振り回す。

「うおっと……」

 刃は兵士をかすることなく、宙を斬った。それでも兵士は怯み、ルチフはその一瞬に抵抗の蹴りを入れる。兵士は吹っ飛ぶように倒れ、ルチフも床に崩れるように座り込んだ。だがすぐさまルチフは立ち上がって、兵士に再び剣を突きつける。

 兵士はそれでもなお、笑っていた。

「ああ、チクショウ……お前も『炉』の中に落ちれば、みんなと仲良く石になれたのになぁ?」

 ――この男は狂っているのかもしれない。嫌悪を通り越して、ルチフは気持ち悪さを覚えていた。一体、何の妄想にとりつかれているのだろうか。

「人間があんな石ころになるわけないだろ……」

 呆れてしまって、全身の力が抜けそうになった。

 ――あの石は、血よりも血の色をしているけれども。

 ……そう思ったとたん、ルチフは口を固く結んだ。

 ――このエンパーロでは、村では考えられなかったものを、たくさん見てきた。

 背筋を、何か気持ちの悪いものが撫でていった。

「……人間が、石になるはずなんてないんだ」

 剣の切っ先が、震えた。

 ……いくらエンパーロ王国でも、そんなことは不可能だ。

 ――けれども、もし本当だとしたら。この国のいたるところで使われているこの石は。

「それがなるんだよ……『炉』に入れて服もまるごと全部溶かして……」

 この兵士が指さした『炉』と言われるらしい鍋のようなものは、確かに大人一人が入れる大きさだ。

「何言ってるんだお前……」

 それでもルチフは否定し続ける。だが声は震え始めていた。

 ……人が石になるなんて、ありえない。

 助けを求めるように、ベアタを見れば。

 ――ベアタは血の気の失せた顔で泣いていた。握り合わせた手は、力んで白くなっていた。

「……嘘だろ?」

 全てを物語るようなベアタの表情を前にしても、ルチフは信じられなかった。

 ……人間が石になるなんて、絶対にありえないことなのだ。

 ましてや、チャーロやケイ、オンレフ村の住人が、なんて。

 ――それは、あってはいけないことなのだ。

「嘘だと言ってくれ……なあ……そうだろ?」

 ルチフはいくつもの赤い石が入った瓶を指さす。

「あれが……村のみんなだって? 人間が、あんな小さな石になるって……?」

 その問いに、ベアタは何も返さなかった。ただ泣きながら耐えていた。それが答えだった。

「――ベアタ様はリルチェ様が石になるところを見たもんなぁ!」

 あざ笑うかのような兵士の声が響く。

「逆らおうとしたらどうなるか……『炉』に入れられて『薪の石』になるまで、国王様に見せてもらって、できあがった石ももらったもんなぁ?」

 その言葉にルチフが思い出したのは、ベアタのペンダントだった。大切にして、他人に触られるのも嫌がった、赤い石のペンダント――。

 兵士は今度はルチフへと、からかうように話し始める。

「その白い帽子のガキ……お喋りでうるさかったからよく憶えてるぜ? そいつは……『炉』に入れる前からうるさかったし『炉』に入れてからもうるさくてな」

 それは愉快な話であるように。

「『炉』に入れる前には、溶けやすいように両手首を切って血を流しておかないといけない……だからまず切ったらぴいぴい騒ぎやがってな。ほんと、耳が痛いくらいにな! それで『炉』にいれたら今度は溺れるだの、全身が痛いだの……」

「……やめろ」

 聞きたくなかった。そんなおぞましい話。

「蓋をして稼働させたらさらに騒ぎやがった……考えられるか? 蓋をしてるのに、めちゃくちゃうるさいんだ。相当な声で叫んでるんだぜ? 痛いだの、助けてだの……それもほかの奴らより長い時間さ!」

「……やめろ」

「驚いたのは足だったか手だったか溶けてもげたって叫んでたことだ、普通そんな状態になるまで叫び続ける奴はいないからなぁ……!」

「やめろ――!」

 高笑いする兵士に、ルチフは剣を突き刺した。白く光る切っ先は、兵士の脇腹に食い込む。

 兵士が苦痛の声を上げた。その制服が血に染まる。それでも兵士は、笑っていたのだ。

「おい! お前、やってみるか? 俺をその『炉』の中に入れて、稼働させてみな! どうやって人が石になるかわかるし……あのガキがどれだけうるさく叫んでたか、まねしてやるよ!」

「黙れ――!」

 兵士の脇腹から剣を抜くと、赤い滴が滴った。痛いほどに握った剣を、今度は兵士の首へ向かって滑らせる――。

 けれども兵士は、笑ったまま、転がるようにして切っ先から逃れた。ルチフの剣は、宙を裂くだけ。怒りのあまりに勢いを殺せず、その大きな隙の間に兵士は立ち上がる。そして情けない声を上げて背を見せ、逃げていく。

 すぐさまルチフは兵士を追おうとしたが、兵士は逃げる先にいたベアタを突き飛ばした。響く悲鳴。冷たい床の上に、彼女は倒れ込む。

 兵士は部屋から出ていく。しかしルチフはもう、兵士を追えなかった。

「ベアタ……!」

 ベアタに駆け寄り、その身体を起こす。ベアタは泣き続けていた。

 そして彼女が見上げたのは、あの赤い石――『薪の石』で満ちた、大きな瓶。

「……あれが、村のみんななわけが、ない」

 ルチフは、繰り返す。

「そうだろ……? だって……俺は、俺はカイナから、そんな話聞いてないぞ……?」

 ……カイナは言っていた。皆で大きな群れになるのだ、と。

 そう、カイナからは一言も、赤い石の正体について、聞いていないのだ。

 国や人類のために、強引にもよその村から人を連れ去るように集めていた、カイナからは。

 ――まさか。

「―――――間に合わなかった……」

 ベアタはそれだけを呟いた。瓶の中の『薪の石』は、健気にもきらきらと輝いている。

 ルチフは唇を震わせたものの、固く閉ざした。

 どうしてもっとはやく『薪の石』について教えてくれなかったのか、なんて、言えなかった。

 ……こんなおぞましいこと。口にするのも、いとわれる。

 その上ベアタは――誰か大切な人を、石にされていたのだ。それも、目の前で。

 ――言えるわけがない。

「……ごめんなさい」

 弱々しく震えた、か細い声。

「ごめんなさい……ルチフ……」

 ルチフは何も言葉を返せなかった。そっと立ち上がる。

 頬を伝う涙を、拭わないまま。

「みんな……」

 ルチフは大きな瓶へと、手を伸ばす。瓶は重かったものの、これがオンレフ村全員の重さだとは、信じられなかった――あまりにも軽く、冷たかった。

「チャーロ! ケイさん! みんな……!」

 ……この国は、こうして人々を犠牲にして、成り立っていたのだ。

 多くが集まり、協力するなんて――それは犠牲の上に立つ者の言葉だった。

 瓶を抱きしめ、嗚咽を漏らしながらルチフは泣き続けた。迷子になり疲れ果てた子供のようにその場に座り込む。

 ……全員、石になってしまった。もう喋らない。温かくもない。

 死んでいるのと、同じだった。

 だが死者であることと違うことは、どれが誰だかわからない上に、

「――石になったら、魂を受け継げられないじゃないか……!」

 ……それが肉ではないことだった。血も、流れていない。

 オンレフ村の多くの人間が望んだ。もし自分が死んだなら、残された者達に魂を受け継いでもらいたい、と。そうして共に生きていきたい、と。力になりたい、と。

 ――全ては、叶わなくなってしまった。

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