第六章(5)


 * * *


 ――燃やした、と。

 ベアタはあの時、言った。

 彼女の胸元から、大切にしていたあのペンダントが消えていて、どこかに落としたのではないか、とルチフが慌てた時に。

 ……どれくらいの間、瓶を抱えて泣いていたのか、ルチフにはわからなかった。とても長い時間、泣いていたような気もしたが、辺りは相変わらず静かで、短い間だったような気もした。

 ふとルチフは、夢から覚めたように立ち上がった。

「ルチフ……?」

 ベアタが首を傾げるものの、ルチフは黙ったまま、歩き出す。

 向かったのは、村人の衣類が積まれているテーブルだった。その衣類の山をならし、瓶の蓋を開け全ての『薪の石』をそこに出した。オンレフ村の住人の数だけある石。このどれかが、チャーロであったり、ケイであったり、また全て、見知った顔の人間である石。

 ――石になってしまったのなら、食べることはできない。

 そして石になってしまったのなら、何かの原動力として、道具として、使われてしまうのだろう。果てに力つき、凍ったように色を失い、散るのだ。

 そうなったのなら、魂はどこへいくのだろうか。

 ――死体を燃やされなかった魂は、この凍てついた世界に、永遠に閉じこめられる。厚い雲の向こうには、行けない。

 ……だから、できることは、ただ一つ。

 ルチフは帽子を取ると燭台の火に近づけた。育て親のネサからもらった大切な帽子。村の一員であることを示すかのような黒色。やがてその温かい黒色に、火がついた。

 徐々に炎に包まれていく帽子を、村人達の衣類と、村人達そのものである『薪の石』が置いてあるそこへ置いた。しばらくすると衣類に火が広がり、最初は小さかったそれは、やがて部屋全体を昼のように照らし出すほどの大きな炎となった。

 救済の炎だった。赤色の中で、いくつもの赤い石が、燃えていた。

 石になった村人達が、燃えていた。

「――だから、燃やしたんだな」

 炎を前にルチフは呟いた。目が熱気に乾き、顔に痛みを感じた。それでも炎を見据えていた。

 ベアタが隣に並び、頷いた。

「……あの石をどうしたらいいのか、わからなかったの。でも……あなたから死者の思いの話を聞いて、このまま一緒にいても、つらいだけなのかなって思えたの。私と一緒にいるとしても、石になった魂は、まだこの凍てついた世界にあるのだから……だから、本来のようにすることを、思いついたの。姉が何を思っているのかは、わからない。でも、導かないといけないのかもしれないって」

 ベアタは両手を握りあわせていた。祈っているかのようだった。

「あのペンダントの石は、かつて私の姉だった石なの……お姉様は『薪の石』に否定的だった……ほかの村から人をさらってきて、道具のように扱うなんて。そしてこんな非道なことをするなんて。皆同じ人間なのにって」

 炎は嘆くかのように揺れ、踊っていた。

「『薪の石』は百年くらい前に生まれたって聞いてるわ。命の研究をしていたんだって。そこで……生まれてしまった。この国は、たくさんの『薪の石』で、たくさんの人々の命の犠牲でできあがったの……そしてお父様は、これからもそうしていくべきだって言って……お姉様はそれに反対して、国を変えようとした」

 二人の影が、長く床に伸びていた。まるで時が止まったかのように、二人は動かなかった。

「私も少し手伝ったの。でも……だめだった。お姉様は捕まって、それで……私は協力したことが知られてなくて、残されたけれども、いつかお姉様のようになるかもしれない……それに、もうこんな場所にいたくなかったの。こんな……地獄のような場所に」

 だからベアタはオンレフ村の近くまでやってきたのだ。赤いペンダントを身につけて。

 炎を見つめているうちに、身体が重くなってきて、ルチフはゆっくりと座り込んだ。

 いまはただ、炎を見ていたかった。燃える『薪の石』に、亀裂が入るのが見えた。果たしてあれは、誰なのだろうか。

 ――チャーロの帽子が燃えているのが見えた。ケイのマフラーも、炎に包まれている。

「みんな……許してくれ」

 涙が頬を伝った。炎を前に、涙は冷たく感じられた。

「魂を受け継げなかったこと……許してくれ……」

 燃やしたことで、魂はきっと、この凍てついた世界から解放されるのだろう。

 しかし皆はきっと、魂を受け継いでもらうことを望んでいたはずだ。

 無力さに、また涙を流す。

 炎は広がりつつあった。壁を撫で始め、床を舐める。部屋全体が燃え始めていた。

「……ルチフ、行きましょう。ここにいたら、火事に巻き込まれちゃう」

 やがてベアタが囁いた。しかしルチフは目の前の大きな炎を見つめたままだった。

 ……皆、死んでしまったのだ。

「ルチフ……」

 それでもベアタは囁き、そっと抱きしめてくれた。

「まだ死んじゃだめよ……あなたはまだ生きてる。村の人達がいなくなってしまったからこそ、あなたは生きないと。あなたが教えてくれたわ。残されたからこそって……ここであなたが死ぬことを、村の人達は望んでいないわ……」

 ――チャーロの顔が思い出された。ケイの顔が思い出された。

 ――オンレフ村の、優しい皆の顔が、脳裏をよぎる。

 ――そして最後にルチフが思い出したのは、ネサだった。

 すでに亡くなったネサ。自分が死んだ時は、その肉を食ってくれと言った。お前の力になるからと、一緒に生きていくからと。だから言われた通りにした――。

 いま、皆は何を思っているのだろうか。

 ルチフはわずかに顔を上げた。

 隣を見れば、ベアタがいた。

 ……まだ死ぬわけには、いかなかった。

 立ち上がればルチフは涙を拭った。そしてベアタの手を握れば、共に部屋から出た。

 二人が部屋から出た後、燃えさかる『薪の石』の一つが、まるで花が咲くかのように爆発し、砕け散った。細い煙が立ち昇る。それを皮切りに、ほかの『薪の石』も花咲くように爆ぜて砕け散る。そして炎は飛び散り、全てのものを燃やしていく。

 『炉』もあたかも浄化されるように炎に包まれた。中の液体に引火すると、さらに激しく燃え上がり、装置は次々に爆発して壊れ去った。


 * * *


 『雪車』の中でカイナは不安を抱いていた。留守にしている間、何か起きないか心配していたのだ。あの国王なら、何かやるのではないか、と。

 早く命令をこなして急いで王国に帰りたいものの、『雪車』の原動力となる『薪の石』には限りがある。往路は一定の速度で進むのが決まりだった。速度を出すことができるのは、捕まえた人々――『薪』を死なせないようにするため、復路だけ。

 もどかしさにカイナは溜息を吐いた。

 そして、ルチフにオンレフ村の住人のことをどう説明するべきか、悩んでいた。

 ……そもそも最初からわかっていたのだ、オンレフ村の住人は『薪』として捕らえた。だからその先どうなるのか、なんて。

 それでも嘘を吐き続けたのは、彼を守るため。

 否、自分を守るためか――。

 そうカイナが考えていると、唐突に揺れた。

「何だ……?」

 順調に進んでいた『雪車』が急に止まったのだ。続いて扉が開き、この『雪車』の運転を任せていた兵士が現れた。

「カイナ様! あれを……!」

 その顔はひどく焦っていて、何かを指さした。

 言われてカイナは外に出て、それを見た。

「あれは……?」

 青い目には、王国の方から立ち昇る煙が映った。

 この距離からでは、煙は決して大きくは見えなかった。それでも空を割くように、黒色は濃かった――。

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