第一章 温もりは天高く
第一章(1)
――死者は燃やして、その魂を天に昇らせなければならない。
――そうしなければ、魂は凍りついて、永久にこの世界に閉じ込められてしまうから。
雪の白に包まれた村。その広場の隅の丸太。
まるで他の村人から離れるようにして、ルチフは座り込んでいた。
天高くに昇っていく煙を見上げていた。昼間、いつもの冷え切った曇り空へと昇っていく煙。手にしたシチューを時折思い出したように口にしながら、ルチフはその煙を見つめていた。
今日、この村、オンレフ村では、葬式が行われていた。
亡くなったのはネサという男。ルチフの育て親だった。
いま、ネサの身体は、広場の奥で燃やされている――。
冷たい風が、黒い帽子から出ているルチフの銀髪を撫でる。ルチフの周りには誰もいなかった。皆、少し離れた場所で、同じくシチューを食べている。
「――ルチフや」
と、呼ばれてルチフが目を向けると、マフラーを巻いた老婆が一人、近くまでやってきていた。年老いてはいるものの、その眼差しは鋭い。
「……ケイさん」
村長のケイだった。その手には皆と同じく、シチューの入った椀がある。
ケイはルチフの隣に腰を下ろした。
「隅にいるから、泣いてるのかと思ってな……」
「……泣き虫だったのは、昔の話ですよ。俺も、十五ですよ」
そう返したものの、ルチフは悲しさを感じていないわけではなかった。俯いてシチューを見つめる。それでも顔を上げると、離れた場所に、村人達が見えた。
どの村人も、黒髪。悲しみや感謝に染まっているそれぞれの瞳は、皆、緑色。
この村で、銀髪であるのはルチフだけだった。目の色も違う、青色だった。
この村の生まれではないから。
……それでもネサは、拾ってここまで育ててくれたのだ。
悲しくないわけがない――シチューの肉をスプーンですくえば、ルチフは口にした。
「……あの人には、本当に感謝してます。俺を、ここまで育ててくれて」
ルチフの声は、決して明るいものではなかった。
「それとケイさん……心配してくれて、ありがとうございます。俺は、大丈夫です……」
そうしてまたシチューを口にする。すでに冷え切っていたが、肉は不思議と柔らかい。
「――一人になってしまいました」
それでも、言わずにはいられなかった。
もうネサはいない。家族はいない。
……そもそも、この村の生まれでない自分は、最初から一人だ。
遠くで笑い合いながらシチューを口にしている一家を、自然とルチフは見据えていた。
「お前は一人じゃない、ルチフ」
ケイが静かに、
「ほら、こんなところで食べてないで、もっと広場の方で食べようじゃないか……髪の色目の色がどうであれ、生まれがどこであっても、お前はこの村で育った。村の一員だ……それに、死んだネサだって……魂はお前と共にある」
だがその言葉にルチフは何も返さなかった。
気付けば、ルチフの手にしていたシチューは、半分もなくなっていた。
「――ありがとうございます」
やがて、時間が動き出したかのように、ルチフは言った。けれども再び俯き、顔は上げない。
ケイも礼を言われてしばらく黙っていた。広場の方から、きゃっきゃと子供の声が聞こえてきていたが、ひどく遠くに聞こえた。
「――そうだ、オビスのこと」
と、ケイはやっと話すことを見つけたように口を開いた。
「仕事の話で悪いがね……ネサが死んでしまっただろう? それで、これからはお前一人でオビスの世話をしなくちゃならない……しかし元々二人でやっていた仕事だ。手が足りなくなるだろうから、うちのチャーロを手伝わせようと思うんだが」
ルチフは、少し考えた末に軽く頭を振った。
「いえ、一人でできます。全部ネサさんに教えてもらってますし、オビスの世話は、危険なこともしなくちゃならない。俺は慣れてるけどチャーロは……。大丈夫です、俺一人でできます」
そうして、ルチフは顔を上げてみせた。ケイは、
「そうかね……だが、無理をするなよ。もし助けが必要になったら、相談しに来るんだ」
わずかに笑うと立ち上がる。その手にしていた椀を見れば、空になっていた。
「それじゃあルチフ……私は火葬場に戻る。後でお前もおいで」
崩れたマフラーを巻きなおし、ケイは来た道を引き返していった。
残されたルチフは、冷え切ったシチューを抱くようにして持ったまま、俯く。
また顔を上げると、先程も見た一家がいた。黒髪の家族。両親に、まだ幼い男の子が一人。
――お前はこの村で育った。村の一員だ。
そうは言われても。そう思ってくれていることは、十分にわかっているけれども。
――嫌でも自分は違うのだと、思ってしまうのだ。
どこの生まれの人間であるのかもわからない。血の繋がった家族もいない。
育ての親も、死んでしまった。
全てを誤魔化すかのように、ルチフはシチューの残りを胃に流し込んだ。
世界の冷たさが、より身に染みる。だから黒い帽子をより深く被った。
* * *
「――じゃあルチフ! これで終わり?」
雪に包まれたオビス牧場。その入り口にあるルチフの家の前。
白い帽子を被った少年が、そう声を上げながら、荷車にもう一つ、大きなタンクを乗せた。タンクの中は、今日絞った乳で満ちている。
「乗せられたのか? 重いのに……悪いな」
後からやってきたルチフは、申し訳なさに眉を寄せた。すると白い帽子を被った黒髪の少年――チャーロは無邪気に笑った。
「気にすんなって! それとも、僕が持ち上げられないって思ったわけ?」
チャーロは村長ケイの孫で、ルチフと同い年の馴染みの少年だった。ざくざくと積もった雪を踏みしめて、チャーロはルチフの前にやって来る。
――ネサが死んで、数日が経った。
ケイには大丈夫だと伝えたが、あの日から毎日、チャーロはここにやって来ては、オビスの世話を手伝ってくれていた。今日も乳絞りをはじめとした様々な事を手伝ってもらった。一人だったならば、昼前に終わらせられなかっただろう。
「いや……悪かったな、本当に……今日も手伝わせて」
ルチフの吐く息は、寒さに白くなる。チャーロも白い息を吐きながら人懐こい笑みを見せた。
「違うよ! 僕が勝手に手伝いに来てるの! それに……」
と、少し言い淀んで、チャーロは誤魔化すように視線をそらした。
……恐らく、心配しているのだと、言おうとしたのだろう。ネサが死んでしまったこと。オビスの世話を一人でしなくてはいけなくなったこと。そして――自分と付き合いの長いチャーロだ、自分がより一人になったと気にしていることにも、感づいているのだろう。
だがチャーロはそれ以上続けなかった。曇った空を見上げる。厚い雲に覆われた、冷え切った空。
「お昼前に終わってよかったね!」
「……そうだな」
優しい気遣いに、ルチフは微笑んだ――心配していることをチャーロは表に出さない。表に出してしまうと、自分がより気にしてしまうと、わかっているのだろう。
「今日はオビスに突き飛ばされなくてよかったぁ」
チャーロは溜息を吐いて、ルチフの後ろに広がる白い牧場を見つめた。
白い世界の中、遠くには茶色や灰色の影が見える。チャーロはその影の一つを指さした。
「あの年寄りオビスだよ! この前僕を突き飛ばしてきた奴! ……あいつ、今日も僕のことをじっと睨んできたんだ!」
そう言うものだから、ルチフは溜息を吐いて、
「そう見えてるだけだろ、あいつは群れでも優しい奴だし……それに突き飛ばされたのは、お前が子供のオビス達をずっと追い回してたから、いじめてると思ったんだろ」
「えー! いじめてないよ! 追いかけっこしてただけだよ! 全くもう……」
だがそこで、チャーロは我に返って荷車へと向かい始めた。
「おっと、お昼になる前に、これをニヘンさんのとこに持って行かなくちゃね!」
そうチャーロが荷車の持ち手を握ったものだから、ルチフは焦った。
「そこまで手伝ってもらうのは悪い、俺が運んでいくから、お前はもう帰れ」
本来は全て自分の仕事だ。そもそもチャーロにも村での仕事があるのだ。心配してくれるのはありがたいが、これ以上甘えるわけにはいかなかった。
「帰るんだから、持って行くんだよ。ニヘンさん家、途中だし」
だがチャーロは持ち手を放そうとしない。振り返って乳で満ちたタンクを見れば、
「ニヘンさんに、またおいしいチーズ作ってもらえるよう、お願いするんだ!」
「……で? その牧場の荷車は、ニヘンさんの家に置きっ放しにするつもりか?」
「あっ」
その荷車は、何かと入用であるのに。それでもチャーロは、荷車を引いて、雪道を歩き出す。
「じゃあ、終わったら返しに来るよ!」
「ちょっと待てって」
「それじゃあねルチフ! 大丈夫、ちゃんと運ぶから! あ、今日まだ手伝い必要?」
「いや、そうじゃないけど……」
友の姿は遠のいていく。少し先にある、雪に埋もれたような村へと向かって行く。雪の上には轍ができる。白い帽子を被ったその姿は、まるで雪の世界に溶けていくようだった。
「――ありがとう、チャーロ!」
半ば仕方なしに、それでもどこか安心を覚えてルチフは手を振った。離れていくチャーロが振り返す。
「明日も来るよ!」
友の手が白い世界に揺れる。それを少しの間見つめて、ルチフは背を向けた。と。
「――明後日も来るよ!」
「――あ、ありがとう、助かる。でも、俺の仕事だから、無理しなくていいからな」
ルチフは慌てて振り返り、言葉を返した。チャーロの姿はどんどん遠のいていく。だからルチフは、もう一度背を向けて。だが。
「――何かあったら言ってね!」
「――あ、ああ……」
再びチャーロの声が響いてきて、またルチフが振り返れば、チャーロは確かに先へ進んでいた。だから今度こそはと、ルチフは牧場へと歩き出そうとして。けれども。
「――何もなくても、言ってね!」
「――ああ……」
……それ以上、チャーロの声はなかった。チャーロの姿は、もう村へと消えていた。
ひどく、心配してくれているのだろう。
他の村人もそうだ。最近は何かと手伝ってくれたり、ものをわけてくれたり。
……チャーロは言わなかったが、他の村人達は言う。
お前も村の一員だから、と。困ったら助けるのが当たり前だから、と。
――それはとても、嬉しいのだけれども。
溜息を吐けば、息は雪のように白かった。同じく輝く雪のような銀髪を、ルチフは黒い帽子をより目深に被って隠す――そのままの頭で雪の中にいるとわかりにくいから、と皆に話して被っている、黒い帽子。
ざくざくと雪を踏んで、ルチフは家へと戻っていった。この後も仕事はあるのだ。
家の中に入って、扉のすぐ横に自然と目が向いた。
そこには、美しい文様が描かれた鞘に入った、剣があった。
それは次の仕事で、必要になる道具――赤ん坊だった自分に遺された、唯一のもの。
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