第二章(3)
* * *
吹雪は数日続いた。一度緩くなり、終わるかと思えばまた激しくなり、そうしてやっと落ち着いた。無音の世界が戻ってくる。
ルチフがベアタに再び会ったのは、吹雪が終わった次の日だった。昼、曇り空の下、ちょうど柵の補修を終わらせたところだった。家の方へ戻っていくと、そこに人影二つが見えた。一方はチャーロだ、恐らく配給の食料を持ってきたのだろう。だがもう一方は。
目を見張ると、長い銀髪が揺れて輝いたのが見えた。
ベアタだ――思わずルチフは足を止めてしまった。ベアタはどうやらここ数日で、すっかり元気になったらしい。
銀髪碧眼の少女。自分以外の、銀髪に青い瞳の人間。会えて嬉しいけれども、ルチフは顔をこわばらせたまま、チャーロとベアタへと歩いていった。雪が冷たかった。
「久しぶり! 今日は手伝いにいけなくてごめんね! 配給回り手伝わなくちゃいけなくて!」
チャーロは数日前と変わらない笑みを浮かべていた。
「いや、吹雪明けだ、どこも忙しいのはわかってる、気にしなくていいし……本来は俺一人でオビスの世話をしなくちゃいけないから」
ルチフは籠を受け取った。すると、チャーロは空いた手で唐突に、
「――じゃーん! すっかり元気になりました! ベアタだよ!」
と、びしりとベアタを示した。辺りを見回していたベアタが、突然のことに身を縮める。
一体チャーロは何をしているのだろうか、と、ルチフも目を丸くしていると、
「いま村のみんなに紹介してきてたんだ! 一応、ルチフにも!」
「……そうか」
少し大袈裟だと思うが。しかし「銀髪碧眼」という点で大袈裟になっても仕方がないかもしれない、と、ルチフは思った。
しかし、チャーロが大袈裟に紹介したのには、ちゃんと理由があった。
「でね! 聞いてよルチフ! なんとベアタ……この村に住むことになったんだ!」
「――何だって?」
ルチフの抱えていた籠が傾いた。野菜のいくつかが転がり出て、雪の中にぼすりと埋まった。
――ベアタが、村に住む?
つまり、同じ銀髪に青い目の人間が、村にもう一人、住む。
ルチフは口を開けてしまった。だが少しして口を閉じると瞬きをした――どういう経緯でそうなったのだろうか。そもそも何故、ベアタはあんな場所に一人倒れていたのだろうか。
……どこから来たのか、どこの生まれなのか。ベアタは、話したのだろうか。
「うーん……どうやら行くあてがないらしいんだよね。それでさまよってたみたい」
チャーロは腕を組んで首を傾げる。
「で、吹雪の間に、それならこの村に住んだらって、ばあちゃんとそういう話になったわけ……みんな同じ人間、命は尊い。困ってるなら、助けないとね」
と、ベアタがゆっくりと屈んだ。先程ルチフが落とした野菜を拾う。
「よ、よろしくお願いします……」
恥ずかしがるかのような声だった。拾った野菜を両手で大事そうに抱え、一度目をそらしたが、改めてルチフに目を向ける。そしてそっと野菜を籠に戻してくれた。
――銀髪に青い目の人間が、村にもう一人。
――自分以外に、もう一人。
「……ああ、よろしく……」
少しだけ、頬が熱を帯びるのをルチフは感じた。
自分以外に同じ見た目の人がいる。夢じゃない。
――一人じゃない。
「――そうだ、ルチフはね、オビスの世話をしてるんだ!」
チャーロの元気なその声に、ルチフは我に返った。チャーロはルチフを見て、牧場を指さす。
「オビスにも、ベアタに会わせてあげようよ! みんながベアタを守ってたんだから!」
「ああ、そうだな……オビスも、ベアタが元気なのを見たら喜ぶかもしれないし、な」
ルチフは家に一度戻ると、籠を置いて外へと出た。そうして、チャーロとベアタを連れて、雪の牧場を進む。
――ベアタが村に住むことになった。
ちらりとルチフが振り返れば、ベアタはチャーロと共にそこにいる。
――銀髪に青い目の人間が、もう一人。
どこから来たのか、わからないけれども。それでも。
実感はあまりなかった。ないけれども、妙な安心感だけは確かにあった。胸の中でふわふわと不安定に浮いていた何かが、すとんと落ちたような。
顔を上げる。白い世界に臨む。
「あそこで固まってる……子供達もいるな」
わずかに上擦りそうになった声を、ルチフは抑えて、見えてきた毛玉の群れを指さした。するとチャーロは笑って駆けだしたかと思えば、
「なーに緊張してんの!」
と小声でルチフを小突いて、そのまま群れへと走っていった。だからルチフは「お、お前、何だよ……!」と声を上げるものの、雪に吸われる。
振り返れば、やはりそこにベアタがいて、少し戸惑っていた。ルチフの隣にベアタは並ぶ。
変な感覚だった。
「あの……ルチフ」
ベアタに名前を呼ばれた。くすぐったくも、背筋に何か走るような感覚があった。
やはり彼女は、自分の生まれについて何か知っているのだろうか――そう思ってしまう。
もし、知っていたのなら。
――知りたい……いや、知りたくない。
いまさら知ったところで――けれども――。
「オビスって……何ですか……?」
と、勝手に心していると、そう質問され、ルチフは拍子抜けて転びそうになった。
――オビスを知らない?
「オビスって……あれだよ、あれ」
まだ離れた場所にいる毛玉達を、ルチフは指さす。だがベアタが首を傾げたものだから、
「お前を助けた家畜だよ……」
と、教えるものの、思い返せば、ベアタはあの時倒れていたのだ。その時にオビスを見ていなかったのかもしれない。
いやそれよりも。まさか彼女は、オビスのいないところから来たとでもいうのだろうか。
「見たこと……ないんだな」
それだけを言って、ルチフは詳しく聞かなかった。
近づくにつれ、毛玉達の姿が輪郭を得てきた。ルチフは進んでいくが、ベアタの足取りは遅くなる。一頭のオビスの前まで来た頃には、ベアタは離れたところで足を止め、巨大な毛の塊にすっかり怯えていた。
「ルチフ……この、この生き物は……」
これほど巨大な生き物を、見たことがないといった様子だった。
「オビスだ……大丈夫、いたずらしなければ、大人しいから……」
ルチフはオビスの鼻を撫でてみせるものの、ベアタはすっかり足がすくんでしまっているらしかった。じっとこちらを見たままで、まるで目をそらすとオビスが突進してくるとでも思っているかのようだ。その様子が何だかおもしろくて、ふとルチフは笑みを浮かべてしまった。初めて見るのだから、仕方がないのだろうけれども。
「この……毛を使って、服を作るの?」
離れていながらも、ベアタが尋ねてくる。だからルチフは、オビスの毛を掴んで、
「そうだ。それだけじゃない、食べるために殺すことはほとんどないけど、乳はいろいろ加工して貴重な食料になるし、大きな物を運ぶときに手伝ってもらえる……」
その時だった。ベアタの背後に、大きなオビスが一頭、近づいてきたのは。雪を踏む足音は静かで、あっという間にすぐ後ろへ。けれどもベアタは気付かない。気付いたのは、
「――うわぁっ!」
背中を鼻で軽くつつかれ、腰が抜けたように倒れた時だった。巨大な獣に見下ろされ、ベアタは目を瞑り身構える。オビスはそんなベアタの頭を嗅ぎ回り、またもう一度軽く鼻でつつく。ベアタの手も「撫でてくれ」とつついたが、怯えたベアタは顔を上げないまま。
やがてオビスは、ベアタから離れていった――怯えさせてしまっていることに気付いたのだ。
「う……」
ゆっくりとベアタが顔を上げると、あのオビスは遠くから彼女を見ていた。
ルチフはベアタに手を差し出した。
「……オビスは大人しいから。噛みついたりはしない」
「……そう、なの?」
ベアタはその手を取り、立ち上がる。
「――ほーら、走れ走れー!」
そこで、チャーロの声が響いてきた。見れば、小さな毛玉達を追い回していた。ルチフは溜息を吐いた。
「あいつ、また子供を追い回して……」
チャーロは子供のオビス達と一緒に、ルチフ達へとやってくる。やってきて、チャーロが不意に立ち止まれば、追い回されていた子供のオビス達はあたかも「もう終わり?」とでも言うように辺りを見回したり、身体を震わせ毛皮についた雪を払ったりする。
と、子供のオビス達は、見知らぬ人間がいると気付いたのだろう、ベアタに集まってきた。
「この子達は……子供?」
まだ少し怖いのか、ベアタは数歩下がるものの、あっという間に取り囲まれる。それでもやがて、ベアタはゆっくりと笑みを浮かべると、一頭を撫でた。ふわふわの身体が揺れ、撫でられた一頭は「めー」と鳴く。つられるようにして、ベアタも声を漏らして微笑む。慣れてきたようだった。
「……ベアタ、まだどこの家に住むかとか、誰が面倒見るとか決まってないけど、もしかしたら、ばあちゃんがオビスの世話の手伝いをさせるかもしれないね。仕事として」
チャーロがルチフの隣に並んだ。ルチフは、子供のオビス達を連れて雪の牧場を楽しそうに進むベアタを眺めていた。チャーロは続ける。
「ベアタ、同じ髪色に同じ目の色のルチフを見て安心したみたいだしね。それに、あの子はオビスに助けられた子だもん。そうするべきかも」
「……オビスにも慣れてきたみたいだしな」
「そうすると、僕はここに来ても、やることがなくなっちゃうわけだ! オビスの子供達を追い回すだけ……あとはみんなの毛を三つ編みするくらい……」
「おい、そんなことしてるから、怒られるんだって……子供をいじめてると思われるし、三つ編みって……くすぐったくてたまんないに決まってるだろ」
二人、笑いあう。
ベアタを見れば、子供だけではなく大人のオビスにも手を伸ばしていた。その鼻に、ちょんと触れてみて、恐る恐る撫でている。
だが、ふと、チャーロの顔から笑みが消えた。
「でもね、ベアタ……村に来る以前のことは、やっぱり話してくれないんだ……」
――彼女は一体、何者なのだろうか。
そしてルチフは、思う。
――彼女は、自分が何者であるか知っているのだろうか。
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