30 しょうもないすれ違いとか、仲違いイベントが発生してるとこなんだよ


 文化祭から数週間経ったとある日の放課後。

 突として、神妙な表情を浮かべる古水先輩が部室にやってきて、無言のまま椅子に腰を下ろした。テーブルに肘をつき、両手を組んで、ため息をひとつ。


 私と綾里も口を開かずに、静かに先輩の対面の椅子に座った。

 先輩の様子を訝しげに眺めていた綾里が、私に一瞥をくれて、


「……部長に振られたか」


 ととんでもないことをこぼした。

 

「あはは、まさかそんなわけ……そんなわけ……」


 ないですよね先輩! 

 私と綾里の視線に気づいているのかいないのか、古水先輩はまたひとつ、深いため息をついた。

 あわわわわ、動悸がしてきました。先輩がこんな顔をして思い悩む原因なんて部長さん以外にあり得ないじゃないですか! 何があったんですか!


 何か言ってくれないかと、先輩を必死に凝視して念を送る。すると、先輩が「あっ」と声を漏らし、顔をあげた。


「第一志望の大学、花緒と一緒に合格したよ」

「あ……おめでとうございます」


 おめでとうございますなんですが、そんなに微妙な顔をして言われても、少しばかり反応に困ってしまいます。

 

「あのう……何かあったんですか?」


 気後れしつつ尋ねてみると、先輩はガタリと音を立ててテーブルに身を乗りだした。


「聞いてくれるかな」

「き、聞きますよ、もちろん」


 先輩の勢いに戸惑いながらも、私は首を縦に振って返事をした。

 すると、隣の綾里が気だるそうに右手をあげた。


「私はあんまり聞きたくないです」

「どーしてそういうことを言っちゃうかなあ!」

「だって、どうせ部長のことでしょ?」

「だからこそ聞きたいんでしょうが! 先輩たちが部活を引退してからというもの、私は、私は干からびてしまいそうなのよ! すぐそこに部長×先輩があるのに、私からそれを取り上げようとしないで! 綾里にはナマモノの良さが分からないんでしょうけど、私はもう、私はもう……ココから抜け出せないのよ!」


 私の心からの叫びに、綾里は眉根を寄せて押し黙った。しかし私には聞こえる、『気持ち悪い』と、綾里の目は言っている。

 ええい、うるさいうるさい!

 

「さあ先輩、何でも相談に乗りますよ!」


 若干引き気味に苦笑する先輩が、「あ、ありがとう」と言って、言いにくそうに宙に視線を泳がせながら切り出した。


「私と花緒ってさ……」


 先輩がそこで言い淀む。私は固唾をのんで、次の言葉が出てくるのを待った。


「……結局、どういう関係になったのかな」


 私たちを交互に見て、先輩はそう言った。それに対して先に口を開いたのは綾里の方だった。


「先輩って、部長との恋愛絡みのことになると、途端に女々しくなりますよね」

「それがたまらなくいいんじゃないの」


 綾里の肩に手を置いて、自分でうんうんと頷く。すると綾里が私に横目をくれて、冷たい視線が容赦なく突き刺さってきた。

 先輩は申し訳なさそうに肩をすくめ、力ない笑みを浮かべた。


「いや本当に、情けない限りだよ。こういうの全然分からなくてさ。……あと、今はもう緋野さんが部長でしょ」


 先輩に言われ、私と綾里は思わず顔を見合わせた。そして、


「西原部長は西原部長って感じですし」


 と、図らずも声が揃った。

 うむ、部長さんは永遠に私の部長さんなのです。


「ってそんなことより、お二人は両想いだってお互いに分かっているんですから、もはや単なる幼馴染ではないんですよ」

「でも恋人かって言われると……ほら、『付き合う』とか一度も言葉で言ってないし」


 すると、綾里がピクリと反応し、肩眉を下げて苦々しい顔をした。


「じゃあ言えばいいじゃないですか、付き合おうって。いいですか、ちゃんと声に出して言葉を交わさないといけませんよ。いくらお互いをよく知っているからって、すべてを分かり合えるわけじゃないんですからね。言葉にしなくても分かってくれるって思うのは信頼ではなく人間関係の放棄ですよ、甘えですよ。先輩が部長とそうなりたいんだったら、ちゃんと声に出して伝えればいいんです」

「うっ……ごもっともです」


 おお、先輩が綾里にたじたじだ。


「よ、よし、言うか、今日言うか」

「なっ、もしかして今からですか! 動画撮影の許可はいただけますか!」


 私が先輩に尋ねた瞬間、部室のドアが開いて部長さんが姿をみせた。

 綾里が「あっ、きた」と興味がなさそうに漏らす。

 輝かしい笑顔と共に、部長さんが片手をあげる。


「ごきげんよう諸君! おっ、やっぱり楓ちゃんここにいた」


 嬉しそうな部長さんとは対極的に、先輩は気まずそうに身を縮こまらせた。

 明後日の方向を向いて、先輩が小声でささやく。


「今日はやめて明日にしようかな」

「部長、古水先輩から大事な話があるそうです」


 綾里の抑揚のないそのセリフに、先輩がぎょっとした。

 綾里、つよいな! どうしてそんなにどうでもよさそうなのかは分からないけど!

 部長さんが声を弾ませ、「えっ、なになに」と先輩に駆け寄った。えへへ、部長さんかわいいなあ。


「ええと、はい、あの……い、今更になったけど……」


 先輩がしどろもどろに声を震わせ、伏し目がちな目はあちらこちらに泳ぎ回っている。

 声を喉に詰まらせ、下唇を噛んだ。次の瞬間、古水先輩はいつもの先輩の顔に戻り、部長さんの目をまっすぐに見つめていた。


「花緒、私の恋人になってほしい」





 先輩たちが仲良く帰った後、私と綾里はふたりで部活動を始めていた。

 温室の中、地面に転がした小石を指先でいじりながら、綾里がため息をついた。


「はあーあ、私もあんな風にまっすぐに告白されたいなー」


 そう言って、チラリ、というよりもジロリといった具合に、横目で睨んできた。


「あ、あはっ、あははは、部長さんすごく嬉しそうだったなー」

「はあ、どっちでもいいって言ったのは私だけどさ、せめて『一生ご主人様の犬でいさせてくださいお願いします』か『綾里大好きだよ愛してる結婚しよう』のどっちかをはっきりさせてよ」


 え、なにそれ、そのどっちかじゃないといけないんですか?


「あのねえ、いい? そこら辺のラブコメだったら、ことりがそうやってぐずぐずしてる間にどこからともなく後付け設定のライバルか何かがやってきて、私のことをひょいっと連れて行ったり、しょうもないすれ違いとか、仲違いイベントが発生してるとこなんだよ?」


 小石を指先でつまみ、ぽいっと投げ捨てた。そして私に身体を向け、「わかってる?」と距離を詰めた。


「まあ、お生憎あいにく様、私はことりに対してしか興味がないですし、他に構う暇があるくらいならその時間もことりに回しますからそんな面倒なことは一切起こり得ませんし起こさせませんけどね」


 うわあ愛されてるなあ、嬉しいなあ、怖いなあ、怖いなあ。なぜ敬語になっているのですか。

 綾里が「でもね」と一呼吸おき、私の両肩を掴み、目をぎゅっと瞑って前後に揺さぶってきた。

 そして、


「しょーじき先輩たちがうらやましー! なんなのアレ、めちゃくちゃ幸せそうなんですけど!」


 全力で本音を漏らしたのだった。


「先輩たちは正真正銘の恋人同士になりました。じゃあ私とことりは?」

「えっ……きょ、脅迫者と被脅は――」

「そう! 愛し合うご主人様とわんこだよ!」


 私の回答を遮り、綾里は肩に置いた両手を頬に移動させた。ぐにぐにと私の頬の柔らかさを楽しむように弄んだ後、つまんで横に引っ張った。


「こーんなに愛し合ってるのに」

「あいひあっているのならよいのでは」

「はあああ? ご主人様とわんこは飼い主とペットなの! ことりはそのままでいいの? このまま結婚するの?」


 んー、どうしてそこで先に結婚が出てきちゃったんですかねえ。ご主人様の思考回路が謎すぎますわ。

 口を閉ざして黙りこくっていると、綾里がむくれた表情で、首に腕を回してぶら下がるように抱き着いてきた。


「むー……えへへ、ことりあったかい、好きー」


 すごい、一瞬でふにゃふにゃタイムに突入したぞ。


「はっ、危ない、ことりの体温に脳みそまで溶かされるところだった」


 そして一瞬で元に戻る。


「とにかく、私が言いたいのは、そろそろ覚悟を決めてことりが私とどうなりたいのかはっきりさせなさいってこと」


 綾里の人差し指が、私の鼻先をちょんちょんとつついた。

 

「命令です。来月の私の誕生日、その日までにことりがどうしたいのか絶対に決めること」


 顔の前で人差し指を立て、綾里はそう言った。

 私は口をつぐんでしばし逡巡した。

 というのも、実のところ、綾里に言われずともそのつもりだったのだ。十二月、綾里の誕生日に行動を起こそうと、前々からそう考えていた。


 しかしこうなってしまっては、なんとなく最後まで綾里に手綱を握られっぱなしなようで、それはどうも悔しいような気がする。

 

 よし、だったら今ここで綾里の意表をついてやろう!


 そんな軽い思いつきで、私は行動に踏み切ることにしたのだった。


 黙りこくる私を不思議そうに見つめる綾里の右手を左手で取って、ゆっくりと指を絡める。

 空いた右手を綾里の頬に添えると、綾里は瞳を熱っぽくとろけさせた。


「綾里、好き」


 目を見つめてそれだけを伝え、私は綾里と唇を重ね合わせた。

 触れ合う唇から互いの体温が行き交い、感情が行き交い、熱を帯びた唇からこの人と溶け合ってしまえたらと、そんなことが頭の中を埋め尽くした。


 そっと顔を離すと、綾里はぽわんと呆けたような夢見心地なような表情をして、私の手を強く握った。


「まじか……もっとロマンチックでカタルシス溢れる結末を期待してたのに」

「ふふふ、その乙女心を裏切るためだけにやったのだ」

「ひどーい、もっとご主人様を喜ばせなさいよ」

「それももう終わりだよ」

「なんか釈然としない」


 そう言って、綾里はクスクスと可笑しそうに笑いをこぼした。

 綾里が小首をかしげ、まばたきを繰り返す。そして、私の右手首に手を伸ばし、そこに巻いた赤い首輪に指先で触れた。


「これ、どうしよっか」


 私は、綾里の手と共に、首輪を手のひらで覆い隠した。


「どうしよっかも何も……これは私が綾里にもらったプレゼントだもん、私の勝手にするよ。これからもつけるから」

「ほほう、精神的わんこ宣言か。だから告白できたのか」

「ち、違います」

「ならどうしてちゃんと言ってくれたの? あんなに縛られ続けたがってたわんこなのに。まさかその理由まで、鼻を明かしたかったからなわけないでしょ」


 少しの間押し黙って、私は目の前にあった淡い赤色の撫子の花びらを指先で撫でた。


「それはほら……綾里が私のことを好きになってくれたからだよ」


 私の返答に、綾里はきょとんとして、ほんのりと頬を赤らめた。


「それだけ?」

「それだけ」


 綾里が照れをごまかすように、「なにそれ」と言って肩をぶつけてきた。私も負けじと押し返す。

 しだいに押しも押されもせずに身を寄せ合って、私たちはまた、唇を重ね合わせたのだった。



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