28 私だけのものだぞ、近寄ってくるなよ


 私たちが作った庭園のレイニーブルーの花びらは、つい先ほどまで降っていた雨で艶やかに濡れ、秋の夕日を溶かして柔らかな光を纏っていた。

 涙で頬を濡らす西原部長を、古水先輩が慎重に、まるで壊れでもしないかと恐れているように、ゆっくりと抱き寄せた。

 静かに嗚咽を漏らす部長さんは、先輩の胸に額を押し付け、肩に置いた手は制服をきつく握り締めていた。

 

 秋も深まってきた、文化祭の日のことだった。



*****



「へえー、お二人とも、同じ大学の農学部を推薦で受けるんですね」


 文化祭を明日に控えた放課後、園芸部の四人揃って、庭園に設えたベンチに座って談笑していた。

 庭園の一番奥にレイニーブルーがまさに壁をつくるように咲き乱れ、その足元に花壇が沿って、色彩豊かな季節の花が広がっている。

 花卉かき農家である古水先輩のご実家と花屋を営んでいる西原部長のご実家に、多大なるご助力をいただいたおかげなわけだが。

 しかし残念ながら、部長さんご希望のレイニーブルーのアーチはつくることができなかった。とはいえ部長さんの笑顔を見るに、これで大満足のようだ。


「楓ちゃんは家業を継がなきゃならんからなー大変だ」

「部長さんはお花屋さん継がないんですか?」

「あたしか? あたしはなー……楓ちゃんのところのほうがいい!」


 ほほう、それはつまり、古水家に嫁ぐという認識で間違いないのですかね? ね?


「私は西原のところがいいけどな。花卉農家はしんどいぞ」

「じゃあ交代するか!」

「そうだな」


 なんだろうこの会話、なんか緩いなー。

 ちなみに、体育祭とその翌日のあの日から、先輩たちの関係は特に進展していないらしい。ごくごく普段通りの二人のままだ。

 そんな先輩たちも、園芸部員として活動するのは明日までとなる。

 はあ、寂しいなあ……もっと部長×先輩を観察していたかったよ。


「さて、そろそろ帰ろうか」


 そう言って、先輩がベンチから立ち上がった。部長さんが先輩を見上げ、「えー」と不満を主張する。


「嫌だ、今日はここで寝る」

「あっそ、私は帰る」

「楓ちゃん冷たいぞー!」


 先輩の腰に抱きつこうとした部長さんを、先輩が華麗にかわした。

 一瞬よろけてすぐに体勢を整えた部長さんは、無言のまま、神妙な表情でレイニーブルーを見つめていた。





「おいおいおいおいおい一体全体何だこれはあ!」


 翌日、文化祭当日の朝。

 教室に入った私を待ち受けていたのは、目を疑う光景だった。

 

 私のクラスは、各々自分の撮った好きな写真を持ち寄って展示をするという、言葉の上では少々地味な企画をしていた。

 しかしよく考えてみてほしい。女子高生たちが自らの日常を写した、女子高生の日常がそこにあるのだ。

 これを素晴らしいと言わずしてなにが文化祭か! と、私は主張したい。

 それを綾里に述べた時、どれほど冷たい視線をいただいたか、想像に難くないことだろう。

 

 教室に入った私の目は、展示のとある一角にくぎ付けになった。

 そこは、綾里の写真が展示されている場所だった。

 昨日までは何の変哲もない風景写真があったはずなのに。なのにこれは、この写真は一体なんだ!

 どうして私と綾里が手を繋いだり抱き合ったりイチャコラしている写真が展示されているんだ!


「名探偵は知っている、犯人はあなたです」


 隣に立つ綾里を横目で見ると、綾里は明後日の方向を向いて、よく分からない鼻歌交じりに目をしばたたいた。


「展示したのは私じゃないもーん」

「屁理屈だろ! 誰かに差し替え頼んだな!」

「写真撮ったのも私じゃないもーん」

「ツーショットなんだから当たり前だろ! というかこの写真私も持ってるもんね! 部長さんから貰ったもんね!」


 綾里が拳を握り締め、したり顔でガッツポーズをする。


「これを機に、改めて全校生徒に知らしめるの。ことりは私だけのものだぞ、近寄ってくるなよ、ってね」


 ぐぬぬ、なるほどよく見てみれば、綾里の選んだ写真はどれも、綾里の方から私を求め甘えていると捉えられる構図になっている。私たちの関係性と、私のソレを明示する情報などほとんどないのだ。

 この隙のなさ、さすがですご主人様。

 私はこれに、閉口するしかないのか……ガクリ。


 すると、私たちの言い合いを聞いたクラスメイトが周りに集まってきた。


「あっほんとだー写真変わってる」「なになにー? また綾里ちゃんが何かしたの?」「相変わらず琴莉ちゃんラブだねえ、よきよき」「焼き増しいくらですか!」


ああ、はじゅかしい、穴があったら入りたい。


「えへへ、みんなに仲良しなところ見てもらうのー」


 綾里がニコニコしながら言う。クラスメイトが皆一様に、まるで母が我が子を見守るように温かな目を向ける。

 この子、本当恐ろしいわ……。




「へいらっしゃい! 良い種そろってるよ! 今ならタダだよ! 一人二袋までね!」


 中庭の端っこで、庭園の鮮やかさとは全く色の違う声が響く。

 庭園そばのテントの下、西原部長が声を張り上げていた。はて、部長さんのご実家は花屋さんだったような。もしかして八百屋さんとか魚屋さんだっただろうか。


 とは言え、部長さんの声に誘われてこちらに流れてくる人も多いらしく、結構な人が庭園を訪れてお花を眺めては、私たちが用意した花の種をもらっていく。


 部長さんは言っていた。『私たちが精いっぱい愛情をこめてお世話するから、花は見る人に元気を分けてくれるんだ。その元気をひとりでも多くの人に届けたいんだ』、と。


 これはもう、大成功と言っても過言ではないだろう。

 部長さんの気持ちが、今ここにいる人々とお花をつないでいるのだ。

 そしてそんな部長さんを陰ながら支えているのが古水先輩、うふふ。



 午後になり、太陽に雲がかかり始め、しだいにその厚さも増してきた。文化祭も終わりに近づいたころ、ポツリポツリと雨が降り始めた。

 私と綾里は、文化祭の喧騒から離れ、部室でふたりきりで過ごしていた。


「予報通りの雨ですなあ」

「ギリギリまで持ってくれてよかったね。あと三十分くらいで終わりだし、どちらにせよもう人もほとんど出てないけど」

「先輩たちの様子見に行く? 早めに片付け始めるかも」


 私が訊くと、太ももにまたがる綾里が、鎖骨あたりに頬ずりをしながら気だるげに口を開く。


「雨の音に包まれてるとさ、世界にことりと私のふたりしかいないみたい」

「つまり、もう少しこのままでいたいと」

「ご名答。ことりは偉いね」


 ふふん、どんなもんよ。


「ご褒美に首元噛んであげる」


 わ、わーい……ご褒美っていうか、ご主人様がしたいだけですよねソレ。まあ私も嫌いじゃないけど。

 綾里の指先が制服の襟下に滑り込んで、首の付け根を弄ぶように触れてくると、なぜだかより一層、雨音が巨大なうねりを伴って心地よく聞こえてきた。


 三十分後、雨は上がり、太陽が再び顔を覗かせていた。

 放送が流れ、文化祭の終わりと片づけの開始が告げられた。

 

「ぷはあっ、ことり細胞は最高のごちそうだね」

「長い! とにかく長い!」

「そんなこと言って、気持ちよさそうだったじゃん。ことりの可愛い声いっぱい聞けて、幸せだったよ」


 ああああ、そういうことを言わないでおくれ! 身悶えする思いよ!


「さーてと、ことりとイチャラブできたし、丁度雨もやんだし、そろそろ片付けにいこっか」


 私の上からおりると、綾里はそう言って、満足そうな表情を浮かべて私に手招きをした。



 中庭に向かうと、小さな庭園の真ん中に立って、レイニーブルーを見つめる西原部長の姿が見えた。

 古水先輩はその後ろから、部長さんと同様レイニーブルーか、もしくは部長さんの背中を見つめていた。


 少し離れたところから声をかけようとしたとき、僅かに部長さんの声が耳に届いた。


「――なかったらたぶん、人生に嫌気がさしてたかもな」


 私と綾里は思わず、揃って歩みをやめた。

 部長さんが先輩に背中を向けたまま続ける。


「楓ちゃんがいなかったら、花のこともきっと嫌いになってたよ」


 雨に濡れてオレンジ色のおぼろげな光を揺らす空気はとても幻想的で、私はつい二人の作り出す世界に心を奪われた。


「ここにある、今あたしが見てる景色はさ、全部楓ちゃんがくれたものなんだよ」


 部長さんが軽やかに身を翻し、先輩と向き合う。


「あたしはその全部が好きだ、愛してる。私の目に映るものは全部、満開に咲き誇ってる花みたいに見える」


 部長さんが照れ臭そうに笑い、先輩は肩をすくめた。


「それは、楓ちゃんがそばにいてくれるからだよ。楓ちゃんは私の元気の源だ。あれだな、楓ちゃんは私にとって花じゃなくてだな、栄養満点の土とか、水とか、空気とかなわけだ」


 ふわりと風が横切って、レイニーブルーが揺れ、柔らかく微笑み、まるで二人を見守っているようだった。


「あははっ、何か変なこと言ったなあたし……とにかくさ、楓ちゃんに言われて考えてたんだ。楓ちゃんはさ、私の世界を形作るすべての源なんだよ」


 古水先輩がようやく、何かを決心したように、部長さんに向かって一歩足を踏み出した。

 部長さんが目を細め、古水先輩に微笑みかける。


「楓ちゃん、私のこと好き?」

「西ば――、いや、好きだよ。ずっとずっと、好きだったよ、花緒」


 部長さんが目を丸くして、次の瞬間には、頬に涙が伝っていた。

 部長さんは涙をこぼしながら、白い歯を覗かせて嬉しそうに笑みを浮かべた。


「そっか……あははっ、バカだなあ、あたし。ずっとそれだけを待ってたんだ」


 古水先輩が、そっと部長さんを抱き寄せた。先輩の腕に抱かれ、部長さんが嗚咽を漏らす。


「違うはずなかったんだよ、楓ちゃんの気持ちと違うはずなかった。あたしも好きだよ」




 ふと、手に痛みを感じて我に返った。

 綾里の手が、ぎりぎりと私の手を握りつぶす勢いで締め付けていた。


「はっ、帰ったら文字起こししないと!」

「恥を知れ」

「うわ辛辣! だってこれは世界の宝ですよ!」

「はいはい、先輩方、いいところお邪魔しますよー」


 大きな声でそう宣言し、綾里は私の手をひいて先輩たちの元へ近づいた。

 先輩がぎょっとして、部長さんから距離をとる。部長さんは制服の袖で涙をぬぐうと、ケラケラと可笑しそうに笑った。


「あたしは楓ちゃんを振り返った時には気づいてたぞ」


 あはは、思いっきりこちらを向く格好でしたもんね、それで続けるとかさすが部長さん。そして多大なる感謝を。


「えっと……見てたなら分かると思うけど……色々とありがとう、ふたりとも」


 古水先輩が気恥ずかしそうにお礼を述べる。えっへへ、私は何もしてませんよー。

 次の瞬間、部長さんが私と綾里に飛びついて、ふたり一緒に抱きしめてきた。


「緋野ちゃんと夢川ちゃんも愛してるぞ!」

「あっ、三秒だけですからね! さん、にー、いち、はいことりから離れて! 離れてください! ことりもデレデレしてないで自分から離れなさい! こらっ、まんざらでもなさそうな顔するな!」


 必死に訴える綾里と、問答無用に私たちを抱き寄せる部長さん。それを楽しそうに眺める古水先輩。私は……私のことはどうでもいいんですよ。

 

 こうして文化祭は終わり、同時に先輩たちは園芸部を引退することとなったのだった。

 

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