11 セクシーな大人お姉さんになってやる

 部長さんがスキップをして、声を弾ませる。


「ここ、春はツツジの赤で染まって壮観なんだよなー、今は目に優しい緑だ」

「レンガ、いいな」

「おっ、レンガ敷きにする? レンガっていくらくらい?」

「いや、いいなって思っただけだから」

「いいじゃんいいじゃん、真ん中の花壇をぐるりと周るようにさ」


 前を歩く先輩たちの会話を耳に入れつつ、レンガ造りの小道をゆったり歩きながら両脇にずらりと並ぶツツジを眺める。

 

「こんなにたくさん、管理がたいへんそう」


 なんとなく発した言葉に、綾里が可笑しそうに笑った。


「ほんとにね。学校の花壇と温室だけでもあんなに大変なのに」

「ねー。どうやって表面をこんなになめらかにしてるんだろ」

「ことりのお肌もなめらかだよ」


 繋いだ手を持ち上げて、綾里が私の手に頬ずりをした。

 何を言っているんだねこの子は。


「あ、ことりの白い肌見てたらソフトクリーム食べたくなってきた」


 何を言っているんだねこの子は。


「代わりにことりの腕を舐めてもいい?」


 だから何を言ってるの! 最近、思考が私寄りになってきてないですか? ご主人様大丈夫ですか? 

 たまに『先輩ノート』を参考に命令してくることもあるし、絶対私のせいでしょ、これ。


「だ、駄目です……思いっきり人目があるでしょうが」

「えっ、人目がなかったらいいってこと? やった、言質とった」

「とれてません、人目がなくても駄目です」


 綾里がわざとらしく、「ちっ」と声にして言った。そんなに舐めたかったのか……? 

 いや、本当にしたいなら命令としてやればいいだけだから、たぶん冗談なのだろう。



 ツツジ群を縫うようなレンガ道が終わると、目の前には広大な花畑が広がっていた。月並みな表現で申し訳ないが、まるでピンク色の絨毯だ。

 いつの間にか遠くまで離れた部長さんと古水先輩が、この花畑に埋もれているように見える。地面の起伏のせいだろうか。


「すごいね、これ全部ペチュニアだってさ」


 パンフレットを片手で広げて言うと、綾里がもう一方の端を持って、身体と顔を寄せてきた。


「全部なんだ……あっ、花言葉、『あなたと一緒なら心がやわらぐ』だって。まるで私たちみたいだね」


 綾里が私を見つめて、同意を求めてくる。

 そしてこの、さも「うんって言いなさいよ」とでも言いたげな笑顔。私は自由に発言する権利を所望します!

 綾里から目を逸らしつつ、笑って一蹴する。


「いやいやそんなわけ、むしろ心臓バクバクして緊張しっぱなしー、みたいな」


 圧力に屈しない私、成長した! 

 しかし、そんなささやかな反発とは裏腹に、綾里は無言で笑顔を向け続けてきている。

 すごく居た堪れない。なんだか、嫌な予感がしますよ、コレは。


 腕が引っ張られる感覚がしたのも束の間、綾里が左腕で私の左腕を絡め取り、胸に抱きしめた。ああっ、私の腕が綾里の綾里にうもれて幸せって言ってるよ……!

 さらに、背中からわき腹に右腕が回される。私の身体は、綾里の胸に肩からもたれかかるように、横から抱き留められていた。

 

 側頭部に、綾里の額が押し付けられる。


「んー、それってえ、私にドキドキしてくれてるんでしょ? すっごく嬉しいなあ」


 思わず、全身が震えた。もちろん恐ろしさのためではない。綾里の妙につやめいた声に、体内を巡る血液が熱されていくようだった。

 喉の奥に声を詰まらせる私の頬を、からかうようにツンツンとつついてきた。


「ねえねえ、たまに私がことりに言われる言葉使ってあげよっか。ことり、ちょろすぎ」


 綾里が、ふふん、と得意げな顔をして、私を解放した。

 

「ことりの好きなタイプって無邪気で可愛い感じよりも、妖艶で大人っぽい感じだもんね、はあーあ」


 何が、はあーあ、だ。今のはちょっと腰をすっぱ抜かれたような気分になったぞ。


「私も自然に大人っぽくなりたいなあ」

「いやいや、綾里は一見無邪気可愛いけど腹の中が真っ黒なのがいいんじゃん」

「ことりは私を怒らせたいの?」

「とんでもない! 私、綾里の素の性格好きだよ」


 すると、綾里は後ろ手を組んで、ぷいとそっぽを向いた。頬がほんのりと赤らんでいる。


「ふーん……恋愛対象としての好きがいいんだけどなあ。そうじゃないとイヤなんだけどなあ」


 そう言いつつ、もじもじと気恥ずかしそうにする綾里を目の当たりにして、そのあどけない所作に、私は頬が緩むのを必死に我慢した。

 綾里の背後に手を伸ばして、そこに隠した手をとった。


「ふふ、綾里もちょろいわね」


 冗談めかして笑いかける。

 綾里が眉根を寄せて、唇を尖らせた。


「ふんだ。いつかはことりが卒倒するようなセクシーな大人お姉さんになってやる」

「わあー、がんばってね」

「むっ」


 むって何だ、可愛いな。そういうところだぞ。

 というか、いつも小悪魔モードの綾里は、十分すぎるほどに色っぽいんだよなあ。言ってあげないけど。


 手をしっかりと握りなおして、私たちはまた歩き出した。




 その後、昼食をとって、部長さんが羨むほどの学校の質素な温室とはまるで違うおしゃれなドーム型の温室にお邪魔して、それから中庭のデザインの参考になりそうな庭園を見た。

 そして、相変わらずのテンションの高さで部長さんが声をあげる。


「最後はみんなで観覧車だ! みんなでだぞ、みんなで!」

「いや、二人ずつだな」


 古水先輩が部長さんの肩をポンポンと叩いた。

 なんですか? 二人きりになりたいんですか? どうしてですか? 二人きりで何をするんですか!

 

「どうしてだ楓ちゃん!」


 そうです、どうしてですか古水先輩!


 すると、古水先輩は「だって……」と私の方をちらと見た。


「緋野さんの圧が……」


 先輩に言われて、横の綾里に意識を向ける。

 綾里はというと、私の左腕を両腕でがっしりと抱えていた。『私はことりと二人で乗りたいのですが』と主張する素敵な笑顔とともに。


 この子はいつも、こういう"一見すると"無邪気な私への好き好きムーブを、まったく隠そうとしない。何も知らない人からすれば、ただの子どもっぽいわがままに見えているのだろうか。

 しかし少なくとも先輩は、このどす黒いプレッシャーを感じ取っているらしい。さすがです。


 結局、部長さんも折れて、二人ずつ乗ることになった。


「もう、部長さんがみんなでがいいって言ってたのに。可哀想じゃん」

「えー、私何も言わなかったけど」

「先輩に気を遣わせないの」


 綾里の頭を軽く小突くと、不服そうにぷくっと頬を膨らませた。

 

「だって話したいことがあったんだもん」

「今じゃなきゃダメなことなの?」


 綾里は「もちろん」と言って、膝に置いたカバンに手を入れた。

 そうして取り出したのは、もはや懐かしささえ感じるあのピンク色のノートだった。

 おお、久しぶり、我が子よ!


 綾里がパラパラとページを繰って、とあるページを私の顔の前に広げて見せた。


「ここに書いてあるの、この観覧車でしょ」

「えっ、いや、まあ……そうだけど」

「じゃあやるね」


 ひとことそう言って、綾里は私の肩に頭を預けた。

 まだ乗り込んだばかりで、ムードもへったくれもないのですが。


「ことり、言って」


 ノートを両手で持ったまま、綾里が肩に頭をぐりぐりとこすりつけて催促してきた。

 少しためらいつつも、ゆっくりと口を開く。


「私ね、女の子のことを好きになっちゃうんだ」


 すると、綾里は勢いよく音を立ててノートを閉じた。

 いそいそとカバンにノートを仕舞い、私の手を優しく握る。

 

「ふーん、私はね、別に女の子を好きになるってわけじゃないけど」


 そこで言葉を切って、私の横顔を上目遣いに見つめてきた。思わず顔を横に向けて、綾里の目を見つめ返した。

 私の視線が綾里の熱っぽい視線に絡めとられるようで、至近距離で恥ずかしいはずなのに目を逸らすことができなかった。


「ことりのことが好きなの。ことりのことだけが、大好きなの。そのことりはね、たまたま女の子だったんだ」


 綾里が目を細めて、私の頬に手を添えた。


「私、嬉しいよ。私の大好きなことりが、女の子を好きなこと。だって、私にも可能性があるってことだもん」

 

 その綾里の言葉は、いつも綾里と抱き合う時に感じる安心感を伴って、私の心を優しく包んでくれたようだった。

 綾里が明後日の方向に視線をずらしてニヤリとした。


「まあ、ことりの他の可能性は私が潰してあげてるんだけど」


 こいつ……一瞬の微妙な感動を返せ!

 綾里がまた、肩に頭を乗せて静かに話し始める。


「ことりはさ、ずっと小学生の時の経験が忘れられないんだよね。だからノートにも、それを先輩が受け入れてくれる妄想を直接的に、その出来事を否定するように書いたんでしょ?」


 私は何も答えずに口をつぐんだ。代わりに、手をきゅっと握り直した。

 綾里の反対の手が私の肩にそっと触れる。綾里が深い息をついて、どこか寂し気な目をして口を開いた。


「変じゃないよ。ことりは変じゃない」


 綾里が一旦身を引いて、身じろぎをした。次の瞬間には、綾里は私の頬に口づけをしていた。


「私の言葉じゃ全然足りないのかな」


 頬を上気させて、瞳を潤ませる。

 私は、ごちゃごちゃした感情を放り投げて、あははと笑いをこぼした。


「綾里も大概変だよね。綾里にとっては私が過去を引きずったままのほうがありがたいはずなのに、何故か励ましてくれるし」

「むう、ヘンタイに変って言われるとは……。ことりにはフェアな心で私のことを好きになってもらいたいのです。というか、私には必殺『先輩ノート』があるんだよ。だから無敵です」

「なーにがフェアだ! 脅迫ですよ!」

「脅迫じゃないよ、れっきとした愛だよ」

「愛という仮面をかぶった脅迫」


 不意に、綾里が横から私の身体に腕を回して抱き着いてきた。


「ことりー、私ね、ことりのことが大好きなんだー」

「きょ、脅迫だ……」


 そう言って、演技っぽく怯えてみせる。

 いつの間にか、観覧車は頂上近くまで上がっていた。窓外に移した私の視線を綾里が追う。

 同時に、「おー」と、傍から見れば何の感慨も抱いていなさそうな声を重ねた。

 綾里が口に手を当ててクスリと笑う。


「ねえねえ見て、あそこひまわり迷路だよ。抱きしめ合ってる人とかいるかもねー」

「ははは、そんなおバカップルいるもんか」

「わかんないよー、他人の目がないところで色々してるのかもよ」


 うへへへ、と少しアレな笑いを漏らして腰に巻きついてくる綾里を小脇に抱えて、美しい公園の様相を目に焼き付けた。


 ありがとう、綾里。先ほどの温かい声音を思い出して、心の中で純粋にそう述べたのは、秘密のことだ。


 

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