12 えすってやつなの?


「先輩たち、今ごろ模試中かなあ。頑張ってるかなあ」


 スコップで土をザクザクと耕しながら、何気なく校舎を見遣って言った。

 すると、そばでしゃがみ込んで、軍手をはめた手で土をいじっている綾里が顔をあげた。


「大変そうだよね、部活に受験勉強に」

「私たちは一学期中には引退しようね。先輩たちはとくべつ成績が良いから大丈夫だけど」

「ことり、気が早すぎ」

「いいじゃん、未来の話をするのは楽しいのです」

「未来の話だったら、私とことりが結婚するときの話をしよ」

 

 その突拍子もない話題に、思わず「は……?」と声が漏れた。綾里はそれに構わず話し続ける。


「んー、ことりにはもう、どうしても必要な用事の時以外は外に出ないでもらいます」

「監禁かな?」

「違います、どちらかというと軟禁です。大丈夫、私が責任をもって養います。飼い主として」


 外部接触を禁じられる点ではほとんど変わらないわ! というか、あれ、結婚したらって話じゃなかったっけ? 飼い主って?


 綾里が人差し指を立て、私に言い聞かせるように真面目な表情をする。


「ことりはすーぐ他の女の子に目を奪われてしまうので、このくらい当然の処遇です」


 ひええ、ご主人様マジヤバいですわ。思考が恐ろしくてかないませんわ。

 あと目が怖いなあ、瞳孔開いてない? 私いつか刺されるんじゃないの? もしくは誰か刺されるんじゃないの? 

 

「結婚したら、基本的に目に映していいのは私だけです。本当は今すぐ私のことしか見えないようになるメガネをかけてほしいくらいです」


 なにそのメガネ、ちょっとかけてみたいんだけど。


「もしも、仮に、万が一にも、ことりが私以外の女の子にうつつを抜かした場合には……」


 綾里はそこで言葉を切って、ニコリと微笑んだ。

 場合には、何! 怖いんですけど!

 

 綾里がすっくと腰をあげ、私の方へゆっくりと近づいてきた。

 つま先とつま先がぶつかって、目と鼻の先に綾里の顔が接近した。

 「んー」と、何か考えるような声を出して、首をかしげた。そして、私の瞳の奥を覗き込むようにじいっと凝視してきた。


「いかがわしい目で他の女の子を見たんだから、まずは……わんこの可愛いおめめの消毒が必要だよね」


 その口の端にあてがった指先は何を意味しているんですかね? 消毒の理由は一旦置いておくとして、それって普通の目薬のことですよねえ? ねえ?


「もちろん、私のことしか感じられないように、ね? ヘンタイわんこなら分かるよね?」


 分かりたくないのに、分かってしまう自分が憎い! 

 私がおどおどとして固まっていると、綾里は口を手で覆いかくて可笑しそうに笑いをこぼした。


「冗談だからね」


 そのセリフを聞いて、私は綾里の両肩に手をかけてため息をついた。


「知ってたよ、もちろん」

「うそつき」

「うん、綾里ならやりかねないかもって思った」


 正直に言うと、綾里が私の背中に手を回して、肩に顎を乗っけてきた。


「私ね、ことりのせいで気になって、ちょっとだけ百合の漫画読んでみたの。そしたら、ね、そういう……おめめをペロペロするっていうのがあって、ちょっと笑っちゃった」


 笑うのかよ! というか初手でたまたまそんなマニアックなところにワープするってすごいな! 


「さすがに私がどれほどことりのことを愛していようと、それはできないよねえ。ことりの可愛いおめめにバイ菌が入っちゃう。消毒どころじゃないよ。でも、危険じゃなかったらやってみたいんだけどなあ」

「よかった、ご主人様は多少まともだったんだ」

「多少って何? 私は完全にまともだよ」


 『ふざけたことを言うなバカわんこ』と綾里のにこやかな目が私を責める。 

 完全にまともな人間が目を舐めたいとか言うわけないだろ!


 しかし、改めて思えば、確かに綾里は私に危険なことはやらないしさせない。まあ、別の意味の危険はいっぱいあるけども。

 

 綾里がまた私の肩に顎を乗せ、耳元でささやいた。


「でもね、こっちは別にいいよねえ。他の子の声が入ったら、お耳の消毒」


 よくないよくない全然よくない! 耳弱いから! いっつも綾里の吐息だけで正直いろいろとアレなんだよ!


「わあ、お耳真っ赤になっちゃった。おいしそう、何味かなあ。味見してもいい?」


 私の過剰な反応に気を良くしたのか、わざとらしく息を多めに入れて喋ってくる。


「綾里、こっ、ここはダメだって、中庭だから……」

「端っこの端っこだし、夏休み中だし、見られないよ」

「部活とかで結構生徒来てますけど」

「遠くからだとじゃれ合ってるだけにしか見えないよ。何か言われたら服についてた虫を取ってたって言うし、何か勘違いされたら万々歳」


 そう言って、綾里は私の身体を軽く引き寄せた。耳元で、綾里の口が開かれたのがわかった。


「まずはカミカミしてあげる」

「ちょっ、本当に、いぃっ――」


 耳たぶに軽い刺激が走ったと同時に、何とも言い難い声を発していた。

 せ、せしゅじぞくぞくしましゅ……。

 

 綾里が身体を離して、口辺をニヤニヤと緩めながら肩を揺らした。

 私の顔の前に、いつの間にか軍手を外した右手が出された。人差し指と親指の爪で、数回カチカチと音を鳴らし、


「爪でつままれた感想はどう?」


 と、笑いをこらえながら訊いてきた。

 全身の力が抜けて、私はその場にくずおれた。へたり込んだ私を、綾里が上から見下ろす。


「ことりー、震えちゃって可愛すぎ。勘違いしちゃったね」

「し、知ってたし。爪だって知ってたし!」

「うそつき」

「ほ、ほんとだし! これはその、演技だし!」

「ふうん、嘘ついたら今度は本当にやるよ。もちろんここで、堂々と、小一時間くらい」

 

 綾里がペロッと舌を覗かせ、悪戯いたずらっぽく微笑む。


「私は別に誰かに見られても平気だし、むしろ見られて噂でも流されたら嬉しいんだけど。でもことりはそうじゃないし、ことりとは秘密にするって約束したもんね。どうしよっかなあ」


 私は地面に両手をついて、こうべを垂れた。


「ごしゅじんしゃまにかまれたとおもいました……」

「はい、よく言えました。わんこはお利口さんだね」


 綾里がしゃがんで、私の頭を優しく撫でた。

 この構図、私が綾里に屈服してわんこになったあの光景と同じじゃないか!

 またこれを経験する時が来ようとは……。外だと惨めさが一段と増すなあ、ははは。





 昼になり、部室に戻って休憩を始めた。不意に、「ことりって」と綾里が声を出した。


「私に命令されて何かさせられるのと、私に無理やり何かされるの、どっちの方が好きなの?」


 その『どっちも好きだろうけど強いて言えばどっち?』みたいな聞かれ方されるとすごく心外なのですが。

 綾里が「ん?」と言って、返答を催促してくる。


 どうしよう、どっちと答えるのが最良なのだろうか。

 どっちも好きじゃないと答えるのは論外。下手すると色々な意味で恐ろしいお仕置きがある。

 どっちも好きと答えれば、ちょっと照れて嬉しそうにした後に「どっちか言いなさいよ」と怒られる。綾里の照れ顔かわいいんだよなあ。

 させられる方と答えれば、まず間違いなく何か命令がとんでくる。

 される方と答えれば、まず間違いなく攻められる。


 どれも悪くない!


 うう、バカなことを考えても仕方がない、思ったままに答えよう。


「さ、される方が好き、かなあ……」


 綾里の反応を伺いつつ答えると、綾里は「へー」と言って、小首をかしげた。


「えむだから?」

「違います」

「私はねえ、どっちも好きだよ。ことりにされるのすごくドキドキして嬉しいし、私の方から何かすると、ことりが私でドキドキしてるー、って幸せな気持ちになる」

「はあ、そうですか」


 何をそんなに考え深そうにするのだろうか。


「ことりはどえむでしょ?」

「違います」

「だから、命令されるのも、無理やり何かされるのも、どっちも好きなんだろうなあって思うの」

「だから違います」

「逆に考えると、私ってもしかして、えすってやつなの?」

「ちが……いやどう考えてもそうでしょ」

「そうなの? でも、ことりが痛がることとかは絶対したくないよ」


 たまに痛いことしてきますけどね! 手を思いっきり握ってきたり、すねかかとで蹴ってきたり、ほっぺたぐにぐにしてきたり!

 

「まあ、そういうのは極端なやつじゃないの? 私もよく知らないけど。それがどうかしたの?」


 私の問いかけに、綾里は眉間にしわを寄せて難しそうな表情をした。


「もしかして、私とことりって、相性抜群なのでは。やっぱり結婚するしかないね」

「は?」

「は? なに? 文句でもあるの?」

「めめ、滅相もございません!」


 あはああ、怖いなあ、どうやって笑顔をそんなに怖くできるんですか。そろそろやり方を教えてください。


「私は本気でことりを私のものにしたいの。今の関係性だけじゃないよ、ことりの心も私のものにしたいの」


 言いながら、椅子に座る私の太ももに対面でまたがって、身体をぴたりとくっつけてきた。

 おねだりをする子どもような目で見つめてくる。


「ねえ、まだ私のこと好きにならないの? 次にお口同士でちゅーするときはことりと両想いになったときなんだよ、早く早く」


 そんなこと言われましても……。

 そういえば、この前キスしたとき、綾里は「ずっと我慢してた」と言っていたが、そういう考えからだったのだろうか。この小悪魔、意外と乙女な思考してるんだなあ。


「何ニヤついてるの」


 綾里の両手が私の頬を包む。

 「綾里はかわいいなあって思ってた」と答えると、唇をとがらせた。

 

「むう、わんわんって鳴いて」

「わんわん」

「えへへ、かわいいかわいい。わんこはわんこのままでもいっか」

「勘弁してください」

「明後日の花火大会、一緒にいくんだからね。デートだよ、デート」


 唐突に、何の脈略もなく、その決定がくだされた。今の、すごくなめらかでしたね。

 しかし、ふと疑問が沸き上がる。

 

「えっ、花火大会ってどこの? この辺りにそんなのないでしょ」

「私が前に住んでたところの花火大会。電車代は私が出すから」


 こうして、半ば無理やりに決められて、綾里と一緒に花火大会へ行くこととなったのだった。


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