13 こんな特別なことり、私だけが見ればいいの


 花火大会の当日。

 部活が終わった後、家でシャワーを浴びてから、私は綾里の家にお邪魔していた。


「ことりー、最高だよー」


 うへへへ、とよだれを垂らしそうな笑いを漏らして、綾里が私にまとわりついてくる。

 なんかこの人、どんどん私寄りに変になってきてるなあ……。


 綾里の部屋で、私は浴衣を着つけてもらった。これは綾里の浴衣らしい。

 そしてこの通り、綾里は私を人形か何かだと思っているのか、ベタベタベタベタ、ジロジロジロジロ、カシャカシャカシャカシャ、触りたい放題、観察したい放題、撮りたい放題、という状況なわけだ。


 私には、これを耐え忍ぶという選択肢以外ないのだ。ご主人様のお気に召すままに。

 うう、これ結構な羞恥プレイですよ。


 足元にしゃがんだ綾里が、すそを指先でつまんで上に持ち上げる。


「すごいね、浴衣がこんなに素晴らしいものだって知らなかったよ」

「下から覗きながらそんなこと言われるといかがわしい意味に聞こえます」

「その通りだもん」


 はああ、綾里ってもしかしたら私よりもアレなのでは。

 女の子座りをして、私の足首からふくらはぎを両手でまさぐる綾里を見下ろしながら、ほとんど確信に近いことを考えた。

 まあ私もかなりこじらせてはいるが、ご主人様も大概ですよ。


「あのう、そんなにさわさわされると脚がくすぐったいのですが」

「なんかさ、浴衣を着てることりにこうしてると、いつもよりもいけないことしてる気分になる」


 聞いちゃいねえな、こいつ!


 頬を緩ませる綾里が、ちょいちょいと手招きをした。


「ことりも座って」

 

 言われたとおりに腰を落とすと、さらに「背中向けて」と言われた。

 座ったまま、黙って綾里に背中を向ける。すると、後ろからお腹に両腕を回された。

 綾里が背中に張り付いたのがわかった。


「うーん、幸せ」


 ほんとに夢見心地な声しやがって、かわいいなあチクショウ。

 しばらくの間、お互いに黙したままで、綾里の身体の熱を背中に感じていた。

 ときおり、綾里がもぞもぞと身じろぎをして、耳元で聞こえる息遣いに衣擦れの音が混じり、それがすごく心地よかった。


 不意に、綾里がスンスンと鼻を鳴らした。そして、「うにゃあ……」とよく分からない猫のような声を発した。


「ことりの匂い好きー」

「そ、そうですか」

「ことりの匂いがする香水とか売ってないの?」

「うわあ、なんかイヤだなあ、それ」

「うん、イヤ」

「ええ……イヤなんだ。そう言われるとそれはそれでちょっとショック」

「だって、売られてるってことは誰か他の人も使えるってことだよ。それを考えると脳みそがドカンと爆発しそうなくらいイライラする。ことりは私のものなんですけど、誰がそんなこと許可したの」


 イライラするってレベルじゃないでしょそれ。怒髪衝天ですよ、血管はちきれてますよ。

 というか、自分で言いだしたんじゃないですか。


 綾里が深い息をついて、抱きしめる腕に力を入れた。


「まあ、実際はこうして私の独り占めだけど。ホンモノの匂い……ナマの匂いが一番だよ」

「ちょっとその言い方やめてくれませんかねえ」

「ことり好き」


 ああもう、マイペースというかなんというか……。


 また少し押し黙ってそうした後、唐突に綾里が私から身体を離し、腰をあげた。


「よし、堪能した。わんこ、たっちして」

「たっちて、幼児か」


 立ち上がりながら言った私の言葉に、綾里が目を妖しく光らせた気がした。

 あちゃー、余計なこと言っちゃったかなあ。


「幼児プレイってやつだ! 今度やろーね、赤ちゃんプレイ」


 ほらみろ言わんこっちゃない! というか赤ちゃんかよ! 


「それは置いといて、浴衣脱ごうね、わんこ。手伝ってあげる」

「えっ、どうして?」

「どうしてって、洋服に着替えるから」


 綾里がきょとんとして小首をかしげる。

 そんな、何を言ってるの、みたいな表情されても困るのですが。


「花火大会にいくから浴衣着せてくれたんじゃないの?」


 私の疑問に、綾里は「まさか」と言って、顔の前で手を振った。


「こんなに可愛いことりを外でお披露目するわけないじゃん。こんな特別なことり、私だけが見ればいいの」

「あはは、意味わかんない、こわーい」


 思わず笑い混じりで出たその声に、綾里がずいと詰め寄ってきた。


「なに?」

「こっ、こんなに愛されて嬉しいでございます……」

「そう。私も嬉しいよ」


 ふっ、背筋がゾクッとしたよ。夏だからね、丁度いいね。

 

 綾里に手伝ってもらいつつ浴衣を脱ぎ、洋服に着替えた。全身を舐めまわすような綾里の視線と終始向けられたスマホのカメラを気にしないようにして。

 

 綾里が畳んだ浴衣を椅子に置いて、机の引き出しから何かを取り出した。トコトコと寄ってくると、


「ことりー、これ買ってきた」


 と嬉しそうな笑顔とともに、両手に乗せたひも状の何かを見せてきた。

 はい、どう見ても首輪につけるリードですね、ありがとうございます。


「人が多いだろうから、人混みに入りそうになったらはぐれないようにつけようね」

「手を繋げばいいんじゃないの」

「もちろん繋ぐよ、何言ってるの。これは万が一のためだよ。リードでしっかり離れないように繋いだうえで、おてても繋ぎます。私が長袖の中に隠すから、他の人にはわからないよ、たぶん」


 わか……わからないですかねえ……私にはそれが分かりませんが。

 綾里が「うーん」と言って、私の手首を指さす。


「それとも、今日はその首輪、ちゃんと首につけて、そこにリードつなげようか」

「手でいいです! 手がいいです! 手でお願いします!」


 私が即答すると、「そう? じゃあそうしよっか」と微笑んだ。


 くそー、この小悪魔、さては今日も絶好調だな。こうなったらどこかで反撃して、絶対に照れ顔を拝んでやろうではないか!

 ちょろさでいえば私とそう変わらないから楽勝だ、ははは!




 電車に乗り込んで、私たちは花火大会のある綾里が以前に住んでいたという町へ向かっていた。

 電車の席は埋まっていて立つほかなかったのだが、乗客は思ったより少ないようで、かなり余裕があった。最後尾の端っこで、壁際に立てるくらいには。

 にもかかわらず! 

 私のご主人様とくれば、


「ねえねえ、あれやってよ。壁ドンみたいにして守ってくれるやつ」


 などとぬかしやがったのです。


「いやいや、こんなにすいてるのにそんなことしてたら絵面が面白すぎでしょ。あと絶対目立つから」

「えー、ちょっとだけ」


 綾里が眉を八の字にして、潤んだ瞳を向けてくる。

 ああもう、そんな可愛く言われたって駄目なものは駄目なのよ! 


「ダメだって、絶対同じ高校の人も乗ってるから」

「えー、じゃあせめてもう少し近づいて。これは命令ね」


 ぐぬぬ、無理な命令はしないでくれて優しいなあ……っていやいや、これは小悪魔のそういうやり方だから! 危うく騙されるところだった、危ない危ない。


 頭の中でごちゃごちゃと考えつつ、壁を背にする綾里との距離を詰める。

 綾里が甘えるように、「もう少し」と言う。

 綾里の両足の間に左足を差し込むと、身体がほとんど密着するほどに近くなった。


「ち、ちか……」

「近いね。なんかいつもよりドキドキする」


 確かに、これくらい近づくのはもはやいつものことだが、確実に人目がある場所でやっているとなると話は全くの別だ。

 

「これ大丈夫? おかしく思われないかな?」

「んー、これで変なこと考えちゃうのは、百合脳のことりだけだと思う」

「いやいや、ほぼ密着状態だよ……というか、あれ、もしかして最初の命令の方がましだったのでは……?」


 綾里がクスクスと笑いをこぼして、私の首元に頭を寄せた。


「じゃあそっち、する?」

「し、しません」

「ねえねえ、ぎゅってしたくなってきた」

「うう、それは私も……じゃなくて、それはさすがにダメだからね」


 私は一体何を口走ろうとしたんだ……。この何とも言えない不思議な雰囲気にあてられてしまったか。

 綾里が両手でニヤニヤした口元を覆う。


「『私も』だってー。ことりがそんなこと思ってくれて幸せ」

「い、今のはナシ」

「ナシってなに、ちゃんと言ってたもん、頭の中で録音したよ」

 

 そう言って、したり顔で目を細める。

 その時、電車がガタリと揺れて、綾里が前のめりになった。足を踏ん張って、両腕の中で綾里の身体を支える。

 綾里は突然のことに動揺したのか、目を泳がせて、「ご、ごめんね」と小声を発した。


「うん、大丈夫? 私がいなかったら床にペシーンってなってたね」

「なるわけないでしょ」


 綾里のジト目に、あははと笑いをこぼす。なぜか沈黙が流れて、電車がレールを進む音と、乗客の話し声だけが聞こえる。


 図らずもぎゅってしてしまったあああ! 

 ご主人様がうっとりして胸の中から動きそうにないんですけど! 離すタイミングはどこ! 誰か教えて、そういうのに詳しい人!

 

 平静を装いつつ脳内で叫び声をあげている最中も、顔をほんのりと赤く染めた綾里は、両手を私の肩に添えて目を瞑っていた。

 うっとりしてんじゃないよ、この小悪魔め! はっ、そういえば、ちょっとしたハプニングだったけど綾里の照れ顔を拝めたな。


「あの、綾里、そろそろ……」

「んー、もうちょっと」


 傍からみたらただ抱き合ってるようにしか見えないって!

 ああもう、ふにゃふにゃタイムは可愛いけど今じゃないんだよ! 


「ほら、元に戻りなさい」

 

 無理やりに綾里の身体を引き離し、壁に押し付けた。すると、綾里は目をうるうるとさせ、頬を膨らませた。

 あっ、何それかわいい!


 次の瞬間、今度は私の方がよろけて、綾里のご要望通りの体勢になってしまった。

 途端に、綾里が瞳を煌めかせる。


「私今、ことりに守られてる?」

「さっきも守ったでしょ」

「えへへ、幸せすぎて吐きそう」


 何言ってんだ。

 こうして、花火大会の前から、多大なる精神的疲労が溜まってしまったのでした。


「乙女チック満開サディスティック脅迫小悪魔め」

「首に首輪装着決定ね」

「ごめんなさい」


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