3 もっと一緒にいよ
「あのう、綾里……これは一体……」
日曜日。
試験勉強を口実に、綾里が“ご主人様の命令”を振りかざして私の家に押しかけてきていた。
先ほどまで普通に勉強をしていたはずなのだが、つい今しがた休憩と称して、私を床に押し倒してきたのだった。
何が休憩だ! そっちはちょっとした息抜き程度のつもりで遊んでるのかもしれないが、こっちは心臓バクバクで疲れることこの上ないんだぞ!
私と綾里の関係がガラリと変わることになったあの出来事から数日。
他人の目があるところでは「ことりー、ことりー」と今までと同じ無邪気な調子で接してくるが、ふたりきりになったり誰もこちらに注意を向けていない時に、綾里の気まぐれでそれが始まる。
目の色を途端に変え、「なあに、わんこ、命令が欲しいの?」と言ってはからかってきたりする。勘弁してほしいが、私は完全に綾里の言いなりなのだ。
拒否したり抵抗したりなんてあり得ない。
「命令が欲しいの?」と言われれば、「うん」と答えるしかないのだ!
命令も命令で、ガチの百合の園出身である私をドギマギさせて愉しむようなことがほとんど。
心臓がいくつあっても足りないよ!
少し言い訳をさせてほしいが、私だって女の子なら誰でもいいという訳ではない。そんな節操なしじゃない。でもでも、綾里が可愛いんだもん!
可愛いってずるいよね。最近ほんとにそう思います。
「わんこちゃん、ノートに書いてたよね。こうやって押し倒されたかったんでしょ? ありがとうは?」
「あ……ありがとう」
垂れる髪を揺らして、綾里が頷く。
「うん。あー、でもわんこは残念だよね、私が古水先輩じゃなくてごめんね」
綾里が口元を緩めて、微塵も悪びれない表情をして言った。
ひいいい、ご主人様が怖いよお。
「ごめんね」という言葉をこんなにも怖いと思える日が来るなんて考えもしませんでした。
四つん這いで私に覆いかぶさったまま、綾里が目をじいっと覗き込んでくる。
綾里の髪の毛先が頬にこすれてくすぐったい。
右手の親指に柔らかい髪を引っかけて持ち上げる。すると、その手首を綾里に掴まれた。
あれ、髪の毛をよけたらマズかったんですかね? くすぐったいのくらい我慢しろと?
いやあ、髪の毛で頬をこちょこちょされる妄想なんてしたことがなかったのだけど……いひひ、悪くない!
なんて、心の中でガッツポーズをしてアホなことを考えていると、ようやく綾里が口を開いた。
「ことり、来週から園芸部に入りなさい。私と一緒に部活するの。わかった?」
唐突な命令に、一瞬思考が停止した。
園芸部……園芸部と言えば、綾里はもちろん、それから……。
思考が追い付いて、私は必死に首を横に振った。
「いやいやいや、それはちょっと!」
「私、これまで何回もことりを誘ったよね。その度にことりは色々言い訳して断ってたけど、本当の理由がわかったよ」
ちょ、この小悪魔怖いんですけど! 私で遊んでそんなに楽しいか!
綾里が不敵に微笑んで、ゆっくりと顔を近づけてくる。
近い、近いよ!
「古水先輩がいるからなんだよね? 近すぎたらバレちゃうかもしれないもんね」
近いのはご主人様のお顔でございます!
うわあ、
混乱した頭で訳の分からないことを考えていると、綾里の右手が私の左手にそっと添えられた。
「私がことりと一緒に部活したいだけなんだよ。普通にしてればことりのヘンタイせーへきがバレることなんてないし、大丈夫だよ」
ヘ、ヘンタイじゃないし! 断じて! ちょっとこじらせちゃってるだけだし!
「わんこには私がついてるでしょ、だいじょうぶ」
幼児に語り掛けるような声音で綾里が言う。
むしろ綾里がついてることが恐ろしいことなのでは?
「先輩は十一月で引退するし、ね?」
では先輩が引退してからでもいいのでは! この小悪魔、何か企んでやがるな!
確かに、これまでもしょっちゅう誘われてはいた。
正直入部したかったけど……まあ、入らなかった理由は綾里の言ったとおりだ。先輩が近くにいたら、内に隠せる自信がなかったから。
それに、私が恋している先輩は私の作ったフィクションなのだから、近くにいなくても、話せなくても、どうせ関係がないことだった。
綾里は本当に純粋に、私と一緒に部活をしたいだけなのだろうか。
依然として上から覆いかぶさる綾里の目を見つめて考える。
『ねーねー、ことりー。ことりが園芸部に入ってくれたら、放課後も部活で一緒にいられるでしょ? お休みの日も部活で一緒にいられるでしょ? もっと一緒にいようよー』
綾里はいつもこういう風に誘ってきた。あれが嘘だなんて、思いたくない。
そもそも、まだこのおかしな関係にはなっていなかった時なのだから、あれが綾里の本音だと信じるしかない。
どちらにしろ、私は綾里の言いなりなのだから。
「ことり、もっと一緒にいよ、ね?」
「……うん」
その綾里の言葉で、私は素直に返事をしていた。
すると、綾里は満面に喜色を浮かべ、顔をほころばせた。
「えへへ、やった。嬉しい」
邪気の見当たらない、寸分の隙も無い無邪気な笑顔だ。
おかえり、天使な綾里!
「ところで、私はいつまで押し倒されていればいいのでしょうか」
本題が終わったようだし、そろそろ解放してくれるのでは。
そう思ってした私の発言に、綾里が「え?」と言って小首をかしげた。
「嫌じゃ、ないよね? まさか嫌なわけないよね?」
有無を言わさない声音に、私は即座にコクコクと頷いた。嫌だなんて言ったらこのまま首を絞められるぞコレ!
ああ……さようなら、天使な綾里。おかえり、小悪魔な綾里。
「そうだよね、じゃあ、わんこが気にするべきなのは、『いつまで押し倒しててくれるのかな』、だよね?」
ひいいい、ご主人様ああああ!
「ほら、ちゃんと言い直して」
「いっ、いつまで、押し倒しててくれるの?」
私の言葉を聞いた綾里は、上から私にのしかかって、脚から上半身まで身体をべったりとくっつけてきた。
いかんいかんいかん、いかんですよこれは! 今日の綾里はどうして自分からくるの!
いつもこういうことは命令して私の方からやらせるのに!
新たな境地ですか! 攻めでからかって愉しいですか! このガチのサドの国からきた刺客め!
……ああ、綾里の身体ってあったかいなあ……どうしてこんなにいい匂いがするの……。
綾里の両脚が私の右脚を挟み込むのがわかった。ちなみに、今日の綾里はちょうど膝上くらいの丈のスカートで、私は女子力のかけらもない薄手の短パンを履いている。
つまり、つまりである! この小悪魔、理性をぶっ飛ばしにきてやがる!
頬と頬とが触れ合って、綾里が耳元でささやく。
「やめてほしくないんだったら、私が離れられないように、抱きしめてたらいいんじゃないかな」
それはつまり、『抱きしめなさい』ということですね。賢い私はご主人様の言葉が意味することをちゃんと汲み取るのです。えらい!
その通りに、綾里の身体に両腕を回して、抱え込むように優しく抱きしめた。
綾里がふにゃりとした声を漏らして、深く息をついた。耳に熱い吐息がかかって、ドキリとしてしまった。
はわわ、なんか妙に色っぽいでござりまする!
「ことりー、ずーっとこうしていたいよねえ」
綾里が頭をもたげて、また正面から見つめてきた。頬が少し上気している。
「あは、ことりすっごくドキドキしてるー、かわいい」
誰のせいか!
というか、密着した胸に明らかに私のではない激しい鼓動が伝わってくるのは気のせいでしょうか。反撃が怖いので言いませんけどね!
でもこのお互いの鼓動が混ざり合う感じ……なんだか落ち着くかも。
そう思って目を瞑った瞬間、
「はい、休憩おしまい」
無情にもそう言って、腕の力が緩んだ瞬間に綾里が身体を離してしまった。
ううう、私完全に遊ばれてるよ。そういえばこれ、休憩だったなあ……。
「あーあ、わんこがちゃんと捕まえてないから離れちゃったね」
仰向けに寝ころんだまま、綾里の顔を力なく見上げる。
身体を起こした綾里が、口元に手をあててクスリと笑いをこぼした。
「勉強、しなきゃね」
「うん……する」
こうして、小悪魔なご主人様に翻弄されて、日曜日はすぎていった。
期末試験が終われば、いよいよ……。
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