26 もはや縫い付けてしまいたいくらいに
古水先輩が部長さんに想いを打ち明けた次の日の朝。
私と綾里が仲良く登校しているところに、校門前でばったりと西原部長に出くわした。
今日は体育祭の振替休日で、校門前に私たち以外の人影はない。
部長さんが歩みを止め、私たちをぼんやりと見つめる。
そして数秒後、目の前でがっくりと膝を折り、地面に四つん這いになった。
私が唖然として綾里に目を向けると、綾里は眉間にしわを寄せて小首をかしげた。揃って部長さんに視線を戻す。
それを待っていたかのように、部長さんが声を震わせた。
「後輩ズがそんな関係だったなんて……!」
「いやそこですか!」
はっ、思わず大声を出してしまった。
というか結局部長さんは気づいてなかったのか。昨日の先輩の告白がヒントになってしまったということか。
そういうことならば仕方ない! 先輩の百合のために、私は犠牲になったのよ! ふふふ、そう考えるとむしろ誇らしい。
部長さんがため息をついて顔をあげた。
「二人は知ってたのか? 楓ちゃんのこと」
「はい、知ってました。あ、これ、私たちふたりから誕生日プレゼントです」
「知ってました、お誕生日おめでとうございます!」
綾里が差し出したそれを受け取り、部長さんは「おお、ありがとう」と言いながら立ち上がった。
早速その場で袋を開く。紫色のバラの絵があしらわれたヘアピンが二本。つい先日、綾里とふたりで急いで買っておいたものだ。
それを手にした部長さんは、一瞬目を煌めかせた。しかしすぐに、
「レイニーブルー……楓ちゃん……」
とつぶやいて、物悲しそうな表情を浮かべた。
「部長がメランコリックだ、ちょっとめんどくさい予感」
「頭の中が古水先輩でいっぱいなんだね、いいね、尊いね、最高だね」
「バカじゃないの?」
綾里がジト目で睨んでくる。
ご主人様、相変わらずドストレートでグサッとくるなあ。
でも確かに、悩んでいる部長さんに対しては失礼だったかもしれない。反省します。
「楓ちゃん愛してる楓ちゃん愛してる楓ちゃん愛してる」
おおおおお、何が起こってるんです?
ぶつぶつと小声を漏らす部長さんに目を向けると、ヘアピンをじっと凝視していた。
私と綾里の視線に気づいた部長さんが、勢いよく顔をあげた。
「私昨日、思いっきり叫んだんだが!」
「はい、ばっちり聞かせてもらいましたよ、でへへ」
「でもあたしのは楓ちゃんのとは違って……でも楓ちゃんは……」
そこで言葉を切った部長さんが、私と綾里の肩をがっしりと掴んできた。
「あたし、どうすればいいの!」
「えー、とりあえず部長さんは先輩のことどう思ってるんですか?」
私の問いに、部長さんは「愛してる!」と間髪入れずに答えた。
「あたしの世界で一番大切な人だからな!」
一切の迷いなくそう言い切る部長さん。
はあー、いいですねえ、そうですかそうですか。
「じゃあじゃあ、いつまでも一緒にいたいなあ、とか思いませんか?」
「思わないわけないだろ、楓ちゃんとは死ぬまで一緒だ」
ええはい、当然のことですよねえ。
部長さんの回答に、私は無言でコクコクと頷いた。なんだろうこの満足感。私はどうしてこんなに幸福を感じているのだろう。今日も世界は輝いている。
そんなことを考える私の隣から、綾里が「ハイハイ」と声を発して挙手をした。
「では私から。古水先輩と手を繋ぎたいなーって思う時ありませんか? ちなみに私はことりに対してもはや縫い付けてしまいたいくらいに常々思ってます」
ちなみにからの綾里の個人的な情報は必要だったんですかねえ。狂気を感じますよ、身の危険を感じますよ。
部長さんはというと、綾里の発言を気に留める様子も見せずに腕を組んで口を開いた。
「小さい頃からよくつないでたからなあ、近頃はそんなのも全然なくなって……だってあたしが繋ごうって言っても楓ちゃんが拒否するんだもん!」
部長さんが、まるでわがままな幼い子どものようにむくれた表情をする。
えへえへ、いいですねえ、そういうのもっとください!
部長さんの返答を聞いた綾里は、ガムシロップでも口いっぱいに含んだかのような、いまいち微妙な表情をして部長さんを見ている。
なにその『勝手にのろけ始めないでくれませんか』みたいな顔は。いや、あなたも大概こんなものですからね。むしろ尚ひどいかもわからないですからね!
「それはつまり結論として、繋ぎたいって思ってるということでいいんですか?」
私が問うと、部長さんは力強く「いい!」と答えた。
「じゃあじゃあじゃあ、古水先輩のこと、ふとした瞬間に無性に抱きしめたくなったりしませんか?」
「小さい頃はよく意味もなく抱き合ってたなあ。今となっては抱きしめようとするとすぐ怒るんだもん。なんだよアイツ」
とげのある口調でそう言って、部長さんは口をへの字に曲げた。
うんうん、先輩はきっと、自分の気持ちを悟られまいと必死だったんだろうなあ。
「それはつまり結論として、抱きしめたいと思ってるということでいいんですか?」
「いい!」
部長さんが即答する。
今度はまた、すかさず綾里が手をあげた。
「古水先輩とキスしたいですか! 私はしたいのにことりがさせてくれません!」
おおっと、余計なことを言うんじゃないよ。
それに少し私へのあてつけ入ってますよね? ほんとごめんなさい、優柔不断でごめんなさい。
部長さんが腕を組んだまま天を仰ぐ。
「小さい頃はなあ……」
してたんですか! よくしてたんですか!
「さすがにキスはしてないな」
ふう、びっくりした。というか部長さん、意外と冷静に考えるんですね。
「楓ちゃんと……だめだ、想像力が働かん」
声のトーンを落として部長さんが呟いた。目を伏せ、短いため息をつく。
「楓ちゃんのことは本当に好きなんだよ、愛してるよ、それは断言できる。でも、その意味なんて今まで考えたことがなかったからさ、今更分からないんだよ。小さい頃と成長した今で、楓ちゃんへの思いはちっとも変わってない。でもそれって、しっかり変化を意識してる楓ちゃんとは違うってことだろ」
地面に目を落としたまま、「今更分からないって」と、まるで自分自身を責め立てるようにつぶやいた。
「何も言ってあげられなかった……」
中庭の端っこ。ほとんど構想に近くなった小さな庭園の花壇の前で、私は膝を抱えて屈んだ。
うなだれて呟く私の隣に、綾里もしゃがみ込んだ。
部長さんと先輩は、部室で顔を合わせてもいつも通りだった。というよりも、いつも通りを演じている、と言った方が適切かもしれない。
たぶん、心の中では様々な思いが渦巻いているに違いない。
「人の心は難しい」
私の何気ない呟きに、綾里が「そうだねー」と反応した。
「私、ことりに出会った瞬間からことりのことが好きだったでしょう?」
「え、あ、うん、そう言ってたね」
「それが四歳の時だよ。それから今日の今この瞬間までずっと、その気持ちは全然変わってないと思ってるよ。まあ、その大きさとか重さは変わったけどさ。その点、部長が言ってたこととほとんど差がないんじゃないかなーって」
ゴム手袋をはめた人差し指の先で、綾里がくるくると円を描くように土をいじる。
「『その“好き”は恋ですか?』って訊かれても、『その“好き”はどういう意味ですか』って訊かれても、好きは好きだ! としか答えられないもん。でも私はね、高校生になって、ことりと再会したときに強く思ったよ、『ああ、やっぱり私はこの人が好きだ、恋してたんだ』って」
「なんか改めてそんなこと言われると照れるなあ」
「えへへ。だからね、たぶん部長にもきっかけが必要なんだよ」
「そっか。小さい頃から好きだってはっきり自覚してる部長さんも、急に先輩に恋愛の意味で好きって言われて混乱してるんだね」
「そうそう。好きっていう感情なんて地続きの連続体だと私は思ってるよ。その中で動いて、いつの間にかそこにあるの。だからこそ難しいのかもね」
綾里が膝を抱える腕の中に口元を隠し、上目遣いに私を見る。
「ことりはどう? 私への気持ち、ちゃんと意識したことある?」
その質問に、私は口をつぐんで思考を巡らせた。一呼吸おいて、ゆっくりと口を開く。
「あの日、なのかなあ」
「あの日?」
「綾里にバレた、あの日」
綾里が目を丸くして、首をもたげた。煌めく瞳が、早く続きを話せと急かしてくるようだ。
「あの時は綾里の意図なんて全然分からなかったけど……なんか、本当に見てほしい私自身を受け入れてもらえて、おっきな安心感に包まれたんだよね」
綾里が再び口元を隠し、「ふーん」と相槌を打つ。
「その安心感って、その日からずーっと私の中にあって、綾里と一緒にいてお話ししたり手を繋いだりぎゅってしたりしてるとそれがブワッて大きくなって……この安心感ってやっぱりそうなんだろうなあって、後から少しずつ気づいた」
「きゃっ、告られちゃった」
上気した頬に両手をあて、綾里がニヤニヤと口辺を緩める。よし、無視しよう。
「もしかしたら部長さんも、これからそういう風に少しずつ気づくのかもしれないね」
「はあ、スルーとか、ことりにはがっかりだよ」
綾里がこれ見よがしにため息をついた。
「よし、作業に集中しようか!」
「ことりには失望した! もううんざりだ! 大嫌い!」
二人の間に沈黙が流れる。なんだろうこの空気は。
そう思ったのも束の間、綾里の肩がピクリと跳ね、「うっ」と声を漏らした。
「うっ……?」
「嘘だからね?」
「えっ、あ、はい、分かってます」
なにこの人、かわいいな。
「ねえことり、ほっぺたにちゅーしてよ」
「えーここお外ですよ、拒否権は?」
「ほっぺたにちゅーしなさい」
私の尋ねに答えすらしないでこの言い直し。さすがですご主人様。
綾里ににじり寄り、地面に片手をついて、私はそっと綾里の頬に口づけをした。
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