5 変なの
「先輩方こんにちは。前からずっと話してた、私の大好きな、友達ですよ」
綾里の無邪気な声に我に返る。
はっ、つい古水先輩に目を奪われてしまった……近くで見る先輩、より一層眩しい! そりゃ光源に近づいたらもっと眩しいに決まってるもんな、うん、当然だ。
というか今の綾里の言葉、『私の大好きな』をかなり強調したなあ、わざとかなあ、怖いなあ。なんのための
つい今まで顔を真っ赤に紅潮させていたはずなのに、一瞬でスイッチを切り替えるのだから、やはりガチの小悪魔の国出身というだけある。盛大な拍手を送りたいぐらいだ。
「おーとうとう来てくれたか、名前なんて言ったっけな……なんか鳥みたいな名前の」
「琴莉ですよ、夢川琴莉」
「ゆめかわいい小鳥か、すこくメルヘンだな。かわ、いい!」
古水先輩じゃない先輩(大変失礼な呼び方で申し訳ない)が、私に向けて親指を立てた。
愛想笑いと会釈をして、「ありがとうございます」とお礼を述べる。
すると、綾里が苦笑を漏らした。
「可愛いのはその通りですけど……それはたぶん違うと思います」
その通りなのか、そうなのか。
綾里と古水先輩じゃない先輩の会話を黙って聞いていると、黙したままの古水先輩が私の対面の椅子に座った。
不意にぱちりと目が合って、見つめ合ってしまう。
先輩の瞳に私の視線が吸い取られるようで、目を逸らすことができなかった。
「……夢川さん、でいいのかな。入部してくれるの? 私たちが引退したら緋野さんひとりになっちゃうから、そうだとありがたいけど」
「は、はい! ずっと興味があったので!」
先輩のスピーカー越しじゃない声、はじめて聞いた! いつも不特定多数に向かっていた声が、私だけに向かってるよ! 幸せすぎてヤバいよ!
両手で口元を覆って喜びの感情を必死に抑える。
突然、
隣の綾里に顔を向けると、それはそれは素敵な微笑みが私に迫っていた。
こいつ、
綾里が微笑んだまま、私に手招きをする。
恐る恐る顔を近づけると、綾里が耳元に口を寄せてきた。
「ちょっと、浮かれすぎ。あとさりげなく興味があったとか嘘つかないでよ」
「興味あったもん」
「古水先輩にでしょ」
「ほら興味あるじゃん」
「むっ」
むっ、ってなんだよ、可愛いな。
古水先輩じゃない先輩が、コソコソと話す私たちを不思議そうに見て、「どしたの?」と訊いた。
「いっ、いえいえ、綾里が食事の続きをしたいって痛っ」
再び、脛に痛みが走る。同じ場所に二回は駄目だよ!
綾里の目が、『ふざけたこと言うなこのバカわんこ』と言っている。ほんと、申し訳ない。
「あははっ、ふたりとも仲良しで羨ましいなあ、あたしも混ぜてよ」
古水先輩じゃない先輩が、古水先輩の隣に腰を下ろしながら冗談めかして言った。
綾里が私の制服の
「部長は古水先輩と仲良しじゃないですか。これでちょうどいいバランスなんです。邪魔をしないでください」
何を言っているんだねこの子は。
というか、この人が部長なんだ。確か入学式であった部活動紹介では、古水先輩しかいなかったはずだから、てっきり古水先輩が部長だと思っていた。
「なんだよー、みんなで仲良しがいいじゃん」
「それはもちろんそうです。でも、そういうことじゃないんです」
どういうことだよ。
「まあいいや、緋野ちゃんお腹すいてるんでしょ、我慢しないで食べなよ」
「私を腹ペコキャラにしないでください」
「だってさっき夢川ちゃんが」
「あれは……」
綾里が口ごもって、私をちらと見遣った。しかしすぐに、部長さんに顔を向け直した。
「ことり、焦るとたまに変なことを口走るんです。だからあれは気にしないでください。口から出まかせです」
私、変なことは考えるけど、変なことを口に出してるかなあ。出してるのかなあ。そうかあ。
部長さんがけらけらと笑って、面白そうに私を見た。
「焦るって、何話してたのかますます気になるなあ」
こっちに来た! やめてください、ほんとにそういうの弱いんです!
「
静かな声でそう言って、私を守ってくれた(そう思いたい! 思わせて!)のは、古水先輩だった。
部長さんが古水先輩の肩に肘を乗せ、体重をかけてもたれかかった。
「わかってるよ、何でも茶化したいお年頃なの」
「十八年もそんなお年頃が続いてるんだな」
「あははっ、楓ちゃんさすが、よくわかってるね! 性格だからどうにもならんのだ!」
そんなやり取りをする二人は、綾里が言っていた通りに、すごく仲が良さげだった。なんというか、気心が知れている、みたいな。
「早く大人になってくれ」
「お断りする! この方が楽しいよ。それにあたしには楓ちゃんという最強のブレーキがついてるから全く問題ない」
「それが問題だってわからないかな……」
部長さんのセリフに、古水先輩が眉根を寄せてため息をついた。
おお……これはこれは……。
不意に、肘に何かがあたる感覚がした。
横を見ると、口をもぐもぐと動かしている綾里がこちらを凝視していた。あら、いつの間に食事を再開していたの。
綾里の
すると、綾里の左手が私の顔に伸びてきて、手のひらが頬にピトッと触れた。
そのまま綾里のほどよくぷにぷにした手のひらが、ぴとぴと叩いてくる。
何がしたいのかはさっぱりわからないけど……ああ……ひんやりして気持ちいい……。
昼食(それから先輩方との交流)を終えて、私と綾里は校舎内に戻ってきていた。
部長さんから、顧問の先生のところにいって入部届をもらってきなさい、というありがたいお達しをいただいたからだ。
ちなみに、綾里は単なる付き添い。
すぐ隣を歩く綾里が、横目で湿っぽい視線を向けてきた。
「さっきの、何?」
「それはこっちのセリフですが。さっきの、何?」
私が聞き返すと、綾里は眉をひそめて「真似しないで。何が?」と訊いてきた。
「なんか私をジーっと見つめてさ、手のひらぴとぴとしてきたじゃん。気持ちよかった」
「だってことり、先輩たちのこと見つめてたでしょ。古水先輩だけじゃないよ、先輩“たち”だよ」
「えっ、なにそれ怖い」
「なーにーがー」
綾里が私に肩を寄せて、ぐいぐい押してくる。
「いやあ、二人を見てたってよく分かったね」
「うん、なんかね、目の感じが違ったの。最初に古水先輩を見てた時は、恋する乙女の目だった」
ああっ、やめて! はじゅかしい! はじゅかしいから!
「で、二人を見てる時は……なんて言えばいいのかなあ、気持ち悪い? ヘンタイ?」
あっ、やめて! そんないかがわしい想像はしてないから!
「あの視線の意味がなんだったのかなって思ったの」
「そういうことね。あの二人ってさ、仲良いよね」
「幼馴染らしいよ。園芸部を作ったのもあの二人なんだって」
「えっ、何その情報! もっと詳しく!」
思わず、綾里の身体を強めに押し返してしまった。その勢いに、綾里がバランスを崩してよろけた。
咄嗟に腰に手を回して支えようとしたが、結局、二人揃って廊下に倒れた。
私にはその手の才能がなかったからか、よくある創作のように丁度よく押し倒す、なんて素敵な状況にはならなかった。
「いてて、ごめんね綾里」
「むう……いいけど、襲うならもっと上手にやってよ」
ひええ、いきなり何を言っているんですか! 上手にやったらいいんですか!
大慌てで「ちっ、違います!」と否定する。
すると、綾里はクスッと笑いをこぼして立ち上がり、私に両手を差し伸べた。
「冗談だよ。焦りすぎ」
「うう……何の話してたっけ」
綾里の両手をとって、助けてもらいながら私も立ち上がる。
立ち上がった私のスカートを、綾里がはたいてくれた。
「先輩たちの話でしょ」
「ああ、そっか。あの二人、すごく私の好みど真ん中!」
拳を力いっぱいに握り締めて言うと、綾里の手が止まって困惑した目を向けてきた。
伝わりませんか、そうですか。はいはい、どうせ私は百合厨の溶けた脳みそしてますよ。
頭の中でぐちぐち考えつつ、手が止まった綾里の代わりに、今度は私が綾里のスカートをはたいてあげた。
「平たく言うと、先輩たちの関係性が素敵だなあ、ってこと」
「ああ、ことりが好きな女の子同士のね……」
綾里が小声でつぶやいたかと思うと、スカートをはたいていた私の手を掴んだ。そして、潤んだ瞳でまっすぐに目を見つめてきた。
「私たちはどうなのかな、そんな感じじゃないの?」
「わ、私たちは別にそんな……ど、どうなんだろうね」
何その質問、困るんだけど! なんでそんなこと訊くのよ。
ご主人様、またお
私のしどろもどろな返答に、綾里が目を逸らして、私から一歩後ろにひいた。
そして、感情がいまいち読み取れない笑顔を浮かべて口を開く。
「でも、ことりは古水先輩とそういう風になりたいんでしょ?」
「なんかあの二人を見てたらさ、私なんてただの不純物だよ。間に割って入れないわ、おこがましい。あそこは聖域だ!」
綾里が口を手でおさえ、
「あんなに自分で妄想してるくせに……やっぱりことりって変。確かにことりの脳みそは不純物かも」
と馬鹿にする口調で言った。ぐぬぬ、否定できないのが悔しい。
綾里がまた、肩を私の身体に押し付けて、「変なのー」と言いながらぐいと体重をかけてきた。
そうやってクスクスと笑う綾里の顔に、どこか考え深げな色が滲んでいたことに、私は気づかないふりをした。
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