10 あと何回するつもりなの?
綾里にキスを迫られて、無理やりに彼女の感情を分からせられてから数日。あれから、私たちの関係はほとんど何も変わることがなかった。
ただ私としては、綾里が私と同じガチの百合の園出身(というよりも、女の子である私を好き)だという事実を知って、少し見る目は変わった。
何か命令やご主人様のお
まあ、だからどうということもないのだが、正直、前よりも心臓の暴れ具合が激しくなった気がする。
平常心。平常心。落ち着け私の全細胞!
「ほーら、わんこ、もぞもぞしないの」
耳元で綾里が囁いて、甘い吐息がかかる。
やっぱりこんなの落ち着けましぇんよお……。
「あのう……ご主人様、ちょっと恥ずかしいです……」
ここは部室。いきなり壁際に追い詰められたかと思うと、両腕ごと身体を抱きしめてきて、さらには何故か首元をクンクンと嗅がれていた。
「ことり、制汗剤変えたでしょ」
綾里のなじるような視線が、私の首元をジロジロ撫でまわす。
「前の匂いの方が好きだなあ」
「うう……戻したほうがいい?」
「うーん、いい。これも嫌いじゃない」
そう言って、綾里は尚も匂いを嗅ぎ続けた。
時折、鼻先が首筋に触れてくすぐったい。その度に私の体が震えて、同時に綾里が抱きしめる力を強めてくる。
不意に、うっとりと細めた綾里の目が見開かれて、周囲をきょろきょろと見回した。
「先輩たち来たかも」
「だったら早く離れてよお……」
「そう言われると、やだなあ。おめめうるうるさせて、ことり可愛すぎ」
この小悪魔め、愉しみやがって!
というか西原部長の元気な声がすぐそこまで聞こえてるんですけど! やばいやばい、スリル満点だあ!
「おはよう諸君!」
入り口が開いて、片手をあげた部長さんと、その後に続いて古水先輩が一緒に入ってきた。
「あ、おはようございます、先輩方」
瞬時に私から距離をとった綾里が、涼しい顔をしてあいさつをした。
すごいなこの人……さすがガチの小悪魔だよ……。
「おはよう……って、夢川さんどうしたの」
古水先輩の視線が、依然として壁にもたれてボケっとする私を捉えていた。
はっ、いかん、いつまでも呆けていていてはいかん。
「いっ、いえ! さっきゴキブリが出てですね! もう綾里が退治してくれたんですけど!」
「なんだって! おい楓ちゃん、ホウ酸団子が足りないぞ! 大量発注しよう!」
「今置いてるので十分だって」
「でも出たって!」
「そんなたくさんあっても仕方ないだろ」
「でも出たって! そうだホイホイも買おう!」
「いらないって」
「でも出たって!」
うわあ、言い訳のチョイス間違えたなあ……。綾里がフォローしてくれないかなあ……。
そんな淡い期待を抱いていると、綾里は私のすぐ隣にきて、肩をコツンとぶつけてきた。
「知―らない」
「えええ、そんなあ……」
「ところで、そのゴキブリって私のこと?」
ひええええ、違います違います! 滅相もございません! どう解釈したらそうなるんですか!
必死に首を横に振ると、綾里はクスクスと笑いをこぼして、「冗談」と言ってまた肩をぶつけてきた。
頭に手を置いて部長さんをなだめる古水先輩が、スマホの画面を見て、
「先生が駐車場で待ってるみたいだから、行こうか」
と、私たちを促した。
「ねえねえ綾里、さっきの部長さんと先輩のやり取り、めっちゃかわいかったね」
「全っ然わかんない、っていうか、この間の罪悪感はどこにいったの」
「綾里が『もしかしたらそういう気持ちもあるかもしれない』って言ってたから、私は自分に正直になろうと。もしかたら先輩たちにはそういう気持ちもあるかもしれない。というか、等身大のかわいさに対してかわいいって思うのは仕方がないと思う。過激な妄想をしなければオーケーだと思っております」
前を歩く二人を眺めながら拳を握り締める。
綾里が呆れたようにため息をついた。
私たちは、皆で植物公園にやってきた。
季節のお花畑や、プロのデザイナーさんがデザインした庭園、バラ園などがあって、広大な敷地に様々な植物の趣向を凝らされた場所だ。
「まずはバラ園だ! レイニーブルーを探せ!」
部長さんが、テンション高めに駆けていく。その後を追って、古水先輩も走っていった。なんとなく、古水先輩もいつもよりワクワクしているように見える。
看板に『バラ園』と書かれた小屋をくぐると、見たことのない色とりどりのバラが眼前いっぱいにひろがった。
「バラ園か……ユリ園はないのでしょうか……そっちの方がいい……」
私の何気ない呟きに、綾里が湿っぽい視線を向けてきた。
「バカじゃないの?」
わーい、ドストレートな罵倒いただきました、ありがとうございます!
入り口でもらったパンフレットを広げて、私はとある部分に目を留めた
「ねえねえ、これ見て。バラって本数で花言葉が変わるんだって。百本ちょうだいよ」
そこを指さして言うと、綾里が私の制服の袖をつまんで、手元を覗き込んできた。
「へー、百本のバラは『百パーセントの愛』。……他に一本、三本、五本で変わるんだね。じゃあ合計百九本あげる。『あなたしかいない』『愛しています』『あなたに出会えてよかった』『百パーセントの愛』。どう?」
「うわ、ちょっと重いよ」
「バラが?」
「綾里の愛が」
そう答えた瞬間、綾里の肘が私のわき腹に直撃した。
「いつか本当にあげるから」
と耳打ちされた。そして、私を置いてどこか楽し気な足取りで先に行ってしまった。
今のは冗談なんかじゃないんだろうなあ……受け取り拒否したらその花束で殴られそうだなあ。はー、こわこわ。
綾里と共にバラ園をゆっくりと見て回っていると、どこからか部長さんと古水先輩の声が聞こえてきた。
「えー、じゃあレイニーブルーでぶわっとアーチをつくろう! 四季咲きフォールスタッフでちょこちょことアクセント」
「そんなの、手間も時間もかかりすぎるだろ。来年か、再来年か」
「その時に見に来ればいい! 最低限のことは私たちでやって、あとは緋野ちゃんと夢川ちゃんに託そう!」
綾里の肩をつつくと、私に顔を向けて小首をかしげた。声のする方にちらと目を向け、
「何の話です?」
と訊くと、綾里は眉間にしわを寄せた。
「どう考えても学校の中庭のことでしょ。バラを植えようとしてるんじゃないの?」
「そっか、先輩たち今年で卒業だもんね」
「うん。それにしても部長、ずいぶんレイニーブルーが好きみたい」
「さっき見た紫のやつ? これはもしや、部長さんと古水先輩の強い繋がりに関係が……? 過去にレイニーブルーを交えた出来事が……」
「妄想もほどほどにね」
苦笑して、綾里が私の頬をスリスリと撫でてきた。
あうう……気持ちいいですご主人様……。
いつしか私の方から、撫でて撫でてー、とおねだりしてしまいそうな気持よさだ。それじゃあまるで本当にわんこみたいじゃないか……。
飼い主に撫でられる犬は、いつもこんな気持ちなのでしょうか。
「キタ! ひまわり迷路! 夏の定番! あたしが一番だ!」
「西原、あんまりはしゃいでこけるなよ」
例のごとく、誰よりも先に駆けていく部長さんを古水先輩が追いかけていった。
「あー、癒される」
私が垂れ流す言葉に、綾里は「はいはい、私たちも行こ」と言って、私の背中を優しく押した。
しかし、こう言ってはなんだが、背の高いひまわりの大群にこうも囲まれると、少々恐ろしさを感じてしまう。なんだか今にもひまわりが動き出して、襲われてしまいそうな。
ここが迷路だというせいもあるのだろうか。
「ことり、手繋ご」
綾里の手の甲が、私の手首とそこに巻いた首輪にそっと触れてきた。。
言われるままに手をとると、綾里はにっこりと微笑んで、首を横に振った。
半ば弄ぶように、人差し指から順番に、ゆっくりと指を絡めていく。そうしてすべての指が絡み合うと、綾里は、「んふふ、よくできました」と満足そうに顔をほころばせた。
「私はことりの進む方向についていきます。行き止まりにあたる、または同じ道を通るたびにハグ一回です」
「よし、絶対間違えない」
「わざと間違えてもいいんだよ、むしろわざと間違えなさい」
「私、実は迷路の天才だから」
握った手にぎゅっと力を込めて、私は綾里を連れて歩き出した。
数分後。
三方をひまわりに囲まれた行き止まりで、私の腕に抱かれた綾里が、ふにゃふにゃタイムに突入していた。
「んう……ことりー、もう六回目だよー。あと何回するつもりなの? 私は何十回でもいいよー」
やばい、完全に迷った。というか、この迷路広すぎでしょ。もしくは迷いすぎて広く感じているのか。
「ねえ綾里、もしかして道わかってる?」
「わかんなーい」
こいつ、絶対わかってるだろ! 同じ道を通ったって指摘できてる時点でわかってるだろ!
くそー、私の空間把握能力がこんなにも壊滅的だったなんて。もう絶対に立体迷路なんかに入らないぞ!
「よし、次はいける」
「それさっきも聞いたよ」
「地面に跡でもつけようかな」
「ズルはいけません」
うう、あと何回抱きしめなくちゃいけないんだ。
いつ人に見られるかもわからないスリルは味わいたくないんだよ! なんてひどいアトラクションなんだ!
さらに数分後、私たちはようやく迷路から抜け出せた。
「はあ、ごめんね綾里、めちゃくちゃ時間かかった」
「えへへ、時間かけてくれてありがとう」
ほくほくしてやがる……! ご主人様が存分に楽しめたようで何よりです!
ひまわりが憎らしく思えてきたよ……まあひまわりは何も悪くないけど。
「おー、随分時間かかったな、もう一回入って探しに行こうかと思ったぞ」
出口から少し離れたところで先輩たちが待っていたらしく、部長さんが手を振りながら近づいてきた。
すると、部長さんの視線がある一点に絞られて、ピタリと動きをとめた。
次の瞬間、部長さんが古水先輩を勢いよく振り返った。
「後輩ズ仲良しいいなー! 楓ちゃん、あたしらもおてて繋ごーよ!」
そこでハッとした。
あ、そういえば手を繋いでたんだった、しっかりと恋人繋ぎで。
綾里に顔を向けると、若干ニヤつきながら、
「ね、平然としてればこれくらい何もおかしくないんだよ」
と、握る力を強めてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます