15 心の中ではずっと前からなってたよ


「きれいだねー」

「綾里の方が綺麗だよ」


 特に何も考えずに切り返したその言葉に、綾里は眉をひそめていまいち微妙な表情を見せた。


「私には分かるよ。全然、これっぽっちも愛がこもってない」


 パラパラと音がはじけて、光の玉が落下する。こう色々な種類の花火があるわけだけど、一体どんな風に作られているのだろうか。家に帰ったら調べよう。


「こーとーりー無視しないでー」


 横から綾里がまとわりついてくる。

 駄々っ子作戦ときたか、鬱陶しいけどこれはこれで悪くない、かわいい。少なくとも、小悪魔モードに比べれば心臓に負荷がかからない点でも優秀かもしれない。


「ねーえー、こーとーりー」

「綾里ってさあ、花火みたいだよね」


 絶え間なく打ちあがる花火を見て呟いた。

 私の言葉に、綾里が一瞬動きを止めて、姿勢よくベンチに座り直した。綾里に顔を向けると、首を捻って意味がわからないと言いたげな顔をしていた。


「誉めてる?」

「うん……無邪気な笑顔を見せたと思ったら腹黒小悪魔スマイルでなじってくるし、かと思ったら天使みたいな優しさで私を包み込んでくれるし……かと思ったら、利己的な行動したり、自分の欲望のために命令してくるし」


 夜空に開く大輪を指さす。


「色んな綾里の顔があってさ、私の前でそれを見せてはすぐにまた違う顔を見せて……コロコロコロコロ、不思議だよね、どの顔も綾里らしくて、それが集まった綾里の全体像はもっと魅力的なんだもん」


 ちらと横目で綾里を見ると、顔を俯けて口を真一文字に結び、しきりに目をしばたたいていた。

 そんな反応をされると私の方が恥ずかしくなってくるからやめてください! 急にしおらしくなる綾里もかわいいよ!


「急にしおらしくなる綾里もかわいいよ」


 声に出してみると、綾里は肩をすくめて私に一瞥いちべつを投げ、短く「ばか」と言った。

 身体を傾けて、いつも綾里がそうしてくるように、肩を寄せる。すると、綾里も私に体重をかけてぐいと押し返してきた。

 自分の口辺が、自然とニヤニヤと緩んでいるのがわかる。


「すぐ照れちゃう綾里はかわいいねえ」

「むー、そこまで思ってくれるんなら好きになってよー」


 上目遣いにうるうるとした目を私にくれて、綾里が腕にしがみついた。

 腕を抱きしめたまま、身体を揺らしてくる。あたってるよ、綾里のアレがアレであたってるよ。


 なんとなく心地いい身体の揺れを感じつつ、私は頭の中で考えた。今更ながら、もし仮に、あくまで仮に、私が綾里のことを好きになったとしたら、そしてそれを綾里に伝えたとしたら……私たちの関係は一体どうなるのだろうか、と。

 この奇妙な主従関係には、何らかの変化があるのだろうか。

 そう、例えば、完全に対等になって、ごく普通の恋人関係になる、とか……。

 

 なぜか、私はそれを綾里に直接訊いてしまうことが直感的に怖いと感じた。

 おそらく、私と綾里が結ばれた時の、その時の綾里の行動がわかっているからかもしれない。それを本人の口から聞いてしまうのが怖いのかもしれない。

 もしも両想いになったら、綾里はきっとあのノートを――。

 

 そこまで考えて、私は自分の思考に少々混乱した。なぜそうなることが怖いのか、と。私にとって、それは良いことなのではないか、と。

 そもそもの話が、これは仮の話だ。そんなに深くこの件について取り合う必要もないはずだ。

 うん、やめだやめだ!


 不意に、私の人差し指が何かぬるりとして生温かいものに包まれた。背筋がぞくりとして、一瞬で我に返った。

 いやに艶めかしい視線を私に向けて、綾里が私の指を口に入れていた。私と目が合うと、綾里は顎を動かして甘噛みを始めた。

 反射的に腕を引っ込めた。

 綾里のジト目が私を責める。


「んんっ、なんで抜いたの。私のことを無視したお仕置きなのに。ぼーっとして何考えてたの」

「いやあ、別に……」


 決まる悪く、口ごもる。綾里は「ふーん」と言って、依然湿っぽい目を続けていた。


 やばいやばい、指が綾里の舌の感触覚えちゃってるんですけど! 何コレ、綾里の言ってた通り、指先だけでめちゃくちゃゾクゾクするよ! うううう、もっとやってほしいいい、じゃなくて! どうやったらこの感覚消せるの! 教えて偉い人!


 綾里が唇を尖らせて、不満げに唸り声を漏らした。


「怒った。自分の人差し指くわえなさい。私がなめてたほうね」


 はっ、命令口調のガチなやつがきた! こ、これには絶対に逆らえないぞ……。


 私は恐る恐る、一応周囲をちらちらと確認しつつ指をくわえた。指についた綾里の唾液が私の唇を濡らす。

 うう、何この羞恥プレイ。ものすごく恥ずかしいです……。


「私の味、する?」

「わかるわけないじゃないですか……」


 なんか似たような会話を以前にした気がする。ただそのときは私から言って、綾里は顔を真っ赤に染めあげていたっけ。綾里も成長したんだなあ……待てよ、これは果たして成長なのだろうか。

 

「ご主人様の味くらい分かりなさいよ、バカわんこ」


 うう、理不尽なお叱りだあ、どうして叱られてるんだっけ。


「ご主人様の味が分からなくてごめんなさい。復唱、どうぞ」

「ご主人様の味が分からなくてごめんなさい」

「ご主人様のことを無視してごめんなさい。はい、どうぞ」


 あっ、それだ! ご主人様を放って思案にふけっていたのが悪かったんだ。

 ご主人様の味が分からないのがどうとか、完全にあてつけじゃないか! ほんとこの人、私に謝らせるの好きだよなあ。


「ご主人様のことを無視してごめんなさい」

「なんか違う」


 そう言って、綾里は眉をひそめて首をかしげた。

 しかしすぐに、「そっか」と笑顔をこぼした。


「先だけじゃなくて、もっとちゃんと指くわえて。あっ、待って、その前に……」


 綾里が私の手を取って、また人差し指を口に含んだ。綾里の柔らかい舌が指を這って、意識の外で小声を漏らしてしまう。


「何その声、ことりかわいい……」


 綾里が口を離して、いつもの悪戯っぽい微笑みをくれる。


「じゃあどうぞ、私が食べたところまでくわえてね。ちゃんと私のことを感じながら謝るんだよ」


 言われたとおりに、第二関節の手前まで口に含んで、そのまま口を開いた。


「ご、ごめんにゃしゃい……」


 指が舌の動きを邪魔して、うまくしゃべれなくなった。

 しかし、綾里は私の頭に手を乗せて、優しく撫でてくれた。


「これだよー。わんこは良い子だね、許してあげる」


 これなのかあ、どうやらご主人様の求めていたことができたようでなによりです、はい。

 

 そうこうしている間にも、花火は私たちに関係なく、次々と夜空で開花し続けていたのだった。





 電車で家に帰ろうと、綾里とふたり、手を繋いで駅の構内を歩いている時だった。


「りーちゃんだよね?」


 横を通り過ぎた女の子が足をとめて、私に声をかけてきた。

 その呼び方を聞いた瞬間、私も思わず歩みをやめていた。

 今も昔も、その呼び方をするのはたった一人だけだったから、彼女が誰なのかは声を聞いた時点で考えるよりも先に理解していた。


 綾里が手をきゅっと握り直して、身体をそっと寄せてくる。綾里は、不審者に向けるような目をして声をかけてきた彼女を凝視した。


「やっぱりそうだ、りーちゃんだ。小学校の……いつ以来だっけ」

「五年生、かな」

「そっかー、私が転校してから会ってないもんね。五年ぶり? 全然変わってないね、りーちゃん」

 

 たぶん、今の私はひどく顔をひきつらせているのだと思う。綾里が今度は私のことを、まるで不審者でも見つけたかのように見つめてくる。

 どうして私がそんな目を向けられるんだ! おかしいでしょ!


 彼女が、密着した私と綾里を交互に見て、つながれた手に視線を落とし、束の間、納得の表情を見せてポンと手を打った。


「りーちゃんの彼女さんだ!」


 その瞬間、綾里は満面に笑みを浮かべ、


「はい、そうです!」


 と実に元気よく返答した。

 そうです、じゃないでしょうが!


 彼女はそれを聞いて、「やっぱり」と嬉しそうに微笑んだ。


「そっかー、りーちゃん良かったねえ」

「え、あっ、うん、ありがとう……うん?」


 私が頭に疑問符を浮かべている間に、彼女と綾里が二言三言交わし、彼女は手を振って急ぎ足で去ってしまった。

 機械的に手を振り返していると、綾里の肘が私の腕を小突いた。


「もう子どもの時とは違うんだから、引きずることもないんだよ」

「あれ、あの人が誰か分かってたんだ」

「まあ、ことりの反応が変だったから」


 私は「そう」とだけ呟いて、綾里の腕を小突き返した。


「いつ私の恋人になったんですか」

「んー、心の中ではずっと前からなってたよ」


 ひどい妄想しやがる……ってあれ、これは私が言えたことじゃないな。反省、反省。


「でも、綾里と一緒の時でよかった。ありがとう」

「んふふ、もっと感謝してもっと好きになって」

「そう言われるとイヤだ」

「むっ、生意気な」

 

 綾里の手が私のわき腹をくすぐって、私はつい逃げ出そうと足を前に運んだ。

 しかし、お生憎あいにくさま、私の手首にはリードがつながっていたのだった。

 首輪と同じ色の赤色のリードがピンと張って、私が綾里の元から逃げることを許さなかった。

 綾里がリードを手繰り寄せて、澄ました顔でそれを長袖の中に仕舞った。そして、当たり前のように互いの手を握り合った。


「もう、自分からこれを見せびらかしてどうするの。私は全然気にしないからいいけど」

「だってくすぐったかったんだもん」


 そうして綾里と笑い合っていると、先ほどの彼女とのあっさりし過ぎた再会のことも相まって、目に見えるこの赤い繋がりが、ものすごく大切で愛おしいものに思えてくるのだった。


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