19 独占欲の塊だから


「ゴム手袋を取りに来たついでに盗み聞きしてたの」


 温室に入ってきた綾里が、私と先輩の前に立って堂々と言った。

 こんなに胸を張って盗み聞きしてたと言う人がいるんだなあ、さすがですご主人様。


 私と先輩を交互に見比べて、綾里が困り顔で腕を組んだ。


「話は聞かせてもらいました、が、古水先輩。私とことりはまだ付き合っていません」


 あ、最初に言及するのはそこなのね。

 先輩が私に一瞥を投げて、「そうなの?」と両の眉を下げた。私の代わりに、綾里がコクコクと頷いて口を開く。


「まあ、将来的には恋人になって一緒に暮らしてあれやこれやと事が進んでいるので、そこはちゃんと知っておいてください」


 へーそうなんだ、知らなかったなあ。ちゃんと知っておこう。


「というか、どこから聞いてたの?」

「『私と綾里が……ってなんでですか!』のところから」


 私の問いに、綾里は声を私に似せて答えた。ほとんど最後の方だけなのか……。


「でもまさか、本当に古水先輩が部長のことを好きだったなんて。ことりのヘンタイ百合妄そ――」

「はいストップ! 綾里さん危ない! 漏れてるから!」


 慌てて立ち上がって綾里の口をおさえる。私の手の中で、綾里がもごもごと声を発した。

 唇と息の震えが手のひらに直接伝わって、すごくくすぐったい。


「ヘンタ……さっき夢川さんも言ってたけど、百合って何? 花のことじゃないよね」


 古水先輩が、私と綾里に純真無垢な瞳を向けて訊いた。

 綾里のジト目が私の顔にへばりついてきて居た堪れない。何と答えたものか……。


「あの……清麗で、とても美しい……素晴らしいものです……」


 古水先輩は頭に疑問符を浮かべたまま、「へ、へー、そうなんだ」と抑揚なく言った。

 すると、綾里が私の耳元に顔を寄せて、そっと囁いた。

 

「いまさら隠しても不自然なだけだよ。普通に説明してもいいんじゃない?」

「え、いいの?」

「私にはノートがあるし」


 あはは、そうでしたね。というかこの状況、ますます先輩ノートの存在が恐ろしくなってきたなあ。

 コソコソとやり取りをする私たちを不思議そうに見ていた先輩に、私は百合についてごく簡単に説明した。先輩は「なるほど」と何度も首を縦に振った。


「あの、言いにくいんですけど……そういう訳で、さっきの先輩の質問への答えに補足させていただきますと、実は私、先輩と部長さんをそういう目線で見ているんですね……」


 途端に、先輩は顔を紅潮させ、目を泳がせた。

 か、かわいい……! 先輩ってそんな表情と反応するんですね! かわいい、ただただかわいい! 普段の真面目で方正謹直な先輩とのギャップも相まってかわいい!


 なんてことを思っているところへ、突として左足のくるぶしに鈍い痛みが走った。

 思わず声をあげて綾里を見る。

 綾里は眉間にしわを寄せて、今にも舌打ちの音が聞こえてきそうな顔をしていた。

 

 おおおお、ご主人様がひどくお怒りでございます! せめてもう少しかわいらしく嫉妬してくれませんかねえ、めちゃくちゃおっかないのですが。

 

「よ、容赦なく蹴ったね……」


 苦笑して古水先輩がそう言い、一転して優しく微笑んで言葉を続ける。


「ふたりはいいね、付き合ってないって言っても、ちゃんと恋愛として両想いなんだもんね」


 綾里が表情をガラリと変え、大きく力強く頷いた。


「それはもう相思相愛、ラブラブです! ね、ことり」


 私を見て、綾里がニコリと微笑む。

 うわ、圧がすごい。ここで否定したら私、どうなるんだろう。ちょっとやってみたいけど、恐怖心が勝るのでやめておく。


「は、はい、もちろんです」

「そっか、夢川さんは私と西原をそういう目で見てたから、私たちみたいに緋野さんとなりたいって言ったのか」

「ええっとー……ちょっと違うかもですけど、まあ大体そんな感じです」


 目を丸くする綾里を横目に、なんだかもうどうでもよくなって、先輩の言うことに適当に同意した。


「えっ、なになにことり、そんなこと言ったの? そういうことはちゃんと私に言ってよ、私ずっと待ってるのに。焦らすのはヘンなことするときだけにして」


 おい、先輩の前でそういうことを言うんじゃありません! ほらめっちゃ反応に困ってるじゃないの! 

 あと言わせてもらいたいのだけど、そういう時に焦らしてくるのはいつもあなたの方でしょ!


「まあいいや、私はそろそろ花壇の方に戻ります。先輩、ことりのことが少し分かったと思いますが、もし万が一にもことりが血迷ったことをしようものなら即刻私に連絡くださいね。ことりは私だけのものなので。ことりは私だ・け・の、ものなので」


 笑顔でそう言い置いて、綾里は私たちに背中を向けて温室から走り去っていった。

 先輩が私に顔を向け、可笑しそうに笑う。


「前にもたまにあったけど、夢川さんを独占しようとする緋野さんって面白いね。なんか、纏ったオーラがすごい」

「いい性格してますよね。まあ、そんなところもちょっとクセに……じゃなくて、嫌いじゃないですけど」

「そんなに愛されて、私はやっぱり羨ましいよ」


 そのすさまじい愛の実態は、古水先輩には絶対に秘密なのである。

 現状、私はご主人様の言いなりわんこだなんて、口が裂けても言えません。


「先輩が部長さんとそうなれるよう、応援しますよ!」

「ありがとう。でも今年は受験もあるし、あんまり恋愛にうつつを抜かすわけにもいかないんだよね」


 先輩がため息をついて、


「もっと早くに自分の中で決心できてたらな。それか、もっと早くに夢川さんに出会ってたらよかったのかな」


 と小声をこぼした。

 力なく微笑む先輩は、すごく儚げで、どこか神秘的な美しさをたたえていた。





 部活が終わった後、私は綾里と手を繋いで、彼女の家に連れられた。

 もう何度もお邪魔しているのだが、二人きりになる閉じられた空間に招かれるということは、綾里の意思によってまず間違いなくそういうことが起こるわけで、どことない緊張を抱かないわけにはいかない。

 うう、毎度毎度、鼓動が忙しくて疲れるんだよ……。


 綾里の部屋でひとり、あれやこれやと考えながらおとなしく待っていると、しばらくして部屋のドアが開いた。

 制服姿の綾里が、お盆に乗せた一つのグラスとペットボトルのお茶を持って姿をみせた。


 グラスが一つだけなのは、もはやいつものことだ。『別々にする必要がない』、綾里がそう主張して、私たちの間ではこれが当たり前になってしまった。

 ご主人様のご意向なので、もちろん私は口ごたえなんてしませんよ。


 むしろグラスが二つあったら、一旦ご主人様のお口に含まれたお茶をおおおおお、だなんてことが起こりかねませんから! もう私だけの妄想で済むことじゃないんですよ! この人の思考もあらぬ方向へと進化してるんですよ!


 そういうわけで、グラスの数については、現状維持が一番平和なのです、はい。


「お待たせことり。ちゃんと“待て” ができて偉いね。ごほーびあげる」

 

 お盆をローテーブルに置くやいなや、綾里はさっそく目を妖しく光らせた。

 膝をすべらせて、正座をする私ににじりよると、そのまま私の太ももにまたがって腰をおろした。そして顎を左肩に乗せて私の身体を軽く抱きしめ、横顔に頬ずりをしてきた。

 はやいなあ、近いなあ、いい匂いがする、ご主人様……。


「はあ……ことりぃ、好き、好きだよお……大好き」


 おおおお、どうした、今日ははじめから甘々な日ですか! 声の甘い調子も相まって好きって言葉についドキッとしちゃったよ!


「ねーえ、ことりもぎゅってしてよお」


 言われるまま、綾里の腰に腕を回す。身体がさらに密着するように引き寄せると、綾里は抱きしめる力を強めた。


「えへへ、ことりー、大好きだよ」


 その雰囲気に唆されたのか何なのか、私は思わず『私も――』と声を発しそうになり、すんでのところで言葉を飲み込んだ。

 代わりに、「危なかった……」と漏らしていた。


「んうー、何が危なかったの?」

「もしかたら私は小悪魔に洗脳され始めているのかもしれない」

「小悪魔って、私のこと?」


 わざとらしく息を多めに含んだ声で、綾里が私の耳元で妖艶に囁いた。

 だからスイッチの切り替えのスピードがとんでもないんだよ! びっくりして心臓が大ジャンプだよ!

 子どもっぽくふにゃふにゃと甘えたと思ったら急にこれだもんなあ。逆だったら、『あ、ふにゃふにゃタイムきた、かわいいなあ』ってなるだけなのに。


「まあいいや。ことり、喉乾いたでしょ? お茶飲ませてあげる」


 そう言って、綾里は私の上にまたがった状態で、ローテーブルからグラスとボトルを手に取って、お茶を注ぎ始めた。

 頼むから私の上でこぼさないでちょうだいよ? いや、綾里ならばバシャーっと故意にこぼしておいて『私が着替えさせてあげる』だなんて言い出しかねないな。


 そんなことを考える私を尻目に、綾里は普通にお茶を注ぎ終えた。

 そして、両手で持ったそのグラスを私の口元へと運び、淵を唇に押し当てた。


「はい、わんこ、飲みなさい」


 飲ませてあげるって本当に綾里の手で飲まされるのか。なんかコレすごく恥ずかしいんですけど。


 綾里が有無を言わさずにグラスを傾ける。

 私が飲むスピードなんてお構いなしにどんどんと傾けてくるものだから、口の端からこぼれた冷たい液体が顎を伝い、首筋へと流れ落ちていく。


「もー、ちゃんと飲めないの? 仕方ないわんこだなあ」


 なぜか嬉しそうに言う綾里は、グラスを置いて、そっと顔を寄せてくるのだった。

 私の濡れたあごに唇をつけると、ゆっくりと舌を這わせてきた。綾里の舌と熱い吐息が、次第に首筋へと移動する。

 私はまぶたを強く閉じて、ただ綾里の身体をきつく抱きしめていた。


 綾里が首元でリップ音を鳴らすと同時に、右の手首が引っ張られる感覚がした。

 目を開くと、綾里は右手首の赤い首輪に人差し指をかけ、そのまま頬に首輪を添えてニコリと微笑んだ。


「大好きだよ、わーんこ」

「なっ……」

「な……?」

「なんのつもりか説明してください……」

「うーん、正直、今日のことがちょっと気に食わなかったから、軽くお仕置き?」


 うむ、綾里らしい理由だ。だからってそんなぺろぺろされちゃ私の身がもちませんけどね!


「ことりが古水先輩と楽しそーに話してて、はらわた煮えくりかえる気持ちだったよ。私、独占欲の塊だから。だからね、ちゃんとペットの手綱は握ってなきゃって思ったの」


 だからそのポーズか! 


「私が衝動的になることがあるのは身をもって知ってるよね? 自制が効かなくなって“色々と”、バラされちゃわないように気を付けてね」


 もう先輩と二人きりでそういう秘密の話をするのはやめよう。綾里のプレッシャー満点の微笑を前に、そう心に誓ったのだった。



 古水先輩、これが綾里の愛ですよ。

 私と綾里の本当の関係を知ったら、先輩はまだ羨ましいと言うだろうか。

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