第31話 諸葛の孔明

 晴美は暗い部屋の中で目を覚ました。

 変異した体の下に感じるのは冷たい金属の感触。

 電子危機の明滅のような物も見え、広い部屋のようだが、晴美の周囲にはガッチリした鉄格子が覆っていた。

 順を追って思い出す。

 楓の弟達に頼まれてオフィスビルに侵入し、突然目の前に現れた猫のような変異種が閃光を発して以降の記憶がないのだった。

 確か以前にも似たような事があったような気がする。

 確か子供が変異して……と子供部屋のような部屋だったのを思い出した。

 あのガキ今度あったら……、と思っていると、部屋の扉が開く音がする。

 晴美は反射的に体を周囲の色に溶け込ませた。

 部屋の明かりが点き、晴美は目を細める。

 入って来たのは長身の男。

 やや乱れた髪に眼鏡をかけた、さわやかな印象の青年だ。

 白衣を着ていなければバスケットボール選手に見えるだろう。

 青年は「ん?」と言う顔をするとやれやれというように笑う。

「お前の能力は分かってるんだ。隠れたって無駄だよ」

 とゴチャゴチャと積み上げられたガラクタの中からゴーグルを取り出し、覗き込む。

「ほら、やっぱりいるじゃないか。これはサーモグラフィだ。お前の体から発せられる熱が見えるんだ」

 それでも晴美は動かなかったが、やがて無駄だと悟ったように姿を現す。

 青年は懐っこい笑みを浮かべてゴーグルを下ろす。

「それで侵入がバレたわけ?」

 晴美は吐き捨てるように言う。

「お。可愛い声。女だってのはホントらしいな。今まであのチビガキしか見た事無かったからな」

 その言葉に晴美は鼻にシワを寄せる。

 青年は高らかな笑い声を上げた。

「悪く思うな。アイツは暴れ出すとマホメド様でも手が付けられないんだ。落ち着かせるには一度電撃かましてもらうのが一番なんだよ。そこへ丁度良くお前が来ただけだ」

 オレの機転、と青年は自分を親指で指す。

「ちなみにお前に気づいたのもサーモグラフィじゃない。そんなもんでビルん中監視するかよ」

 青年は普段は警備室でセキュリティ管理をやっている。

 そこへエレベーターに誰もいないのに感圧センサーに反応があった。

 エレベーターは幹部の詰める最上階に通じているので割と厳重に見ている。

 だからエレベーターを緊急停止させた。

 もちろん機械の誤作動の可能性もあったが、ボタンがガチャガチャと押されるのを感知して何かいると確信したと言う。

「これでも僕はハーデス・ゲートの諸葛亮孔明と呼ばれてるんだ」

 晴美にはゲームのキャラクターになぞらえる事にどんな自負があるのか分からなかったが、見た目全く科学者に見えない青年を出し抜くのは難しくないように思った。

 晴美が改めて部屋を見渡すと、自分以外にも閉じ込められている変異種がいるのに気が付いた。

 皆薬で眠らせれているのか床に倒れている。

 中には人間の姿の者もいるようだが変異種だろう。

「なんで変異種を捕まえるワケ?」

 殺すでもなく捕獲する。

 維持にも手間がかかるはずだ。

「ねえ。私どうなるの?」

「マホメド様に引き渡す。不穏分子を始末する餌にするんだと」

 それは魁達の事だろうか、というのが脳裏を過ぎる。それよりも……、

「あんた達の目的ってなんなの?」

 自称ハーデス・ゲートの孔明は面倒くさそうに雑誌から目を離す。

 とても科学者には見えない、今時の若者が見る週刊誌のグラビアページだ。

「また未来へ飛ぶ事だよ」

 未来へ飛ぶ? と訝し気な反応をする晴美に、

「なんだ? 気付いてなかったのか? ホント今時の連中はボーッと生きてやがんな」

 孔明は雑誌を畳む。

「お前も結界の楔に使われただろ。変異種ってのは本来この世にあってはならない歪な存在だ。それを龍脈で繋がれた輪状に配置する事で、その中の重力に歪みを生じさせる。それが結界だ。時間を止めたタイムカプセルに入ってたんだよ俺達は」

 得意気に語る孔明だが、晴美には何を言っているのか分からない。

 だが以前何者かに拉致され、その後助け出された事は朧げに覚えていた。

 今となってはそういう事があったのを覚えているだけだ。

 具体的な記憶は何もない。

 それがこいつらの仕業だったというのか、と晴美の喉が獣の低い唸り声を上げる。

「それが、なんでまた変異種を捕まえるのよ」

「また起こす為に決まってるだろ?」

 孔明は不敵な笑みを浮かべる。

「前の結界は予想より遥かに早く解けたみたいでな。世界の終焉を越えなかった。だからもう一回やるんだよ。今度はもっと長くな」

 もっと先の未来、科学の進んだ世界を見たい、と浸るように語る。

 晴美は呆れたように聞いていたが、自分はゴメンだ。

 そんな先の未来まで自分のブランドが不在のまま続いているとは思えないし、未来的なセンスについて行けるとも思えない。

「それにしても遅いなあの連中。5分前に行動しろと教えられなかったのか」

 孔明は時計を見ながらぼやく。

 晴美は何か思い付いたように目を細めた。

「ねえ。ここにシャネルの香水ないわよね?」

「あん? あるわけねぇだろそんなもん」

「なら良かった。あれ嗅ぐと人間の気持ちが戻るのか、変身が解けちゃうのよねえ」

 晴美は檻の格子にしなやかに寄り掛かる。

 孔明はそれを呆けたように見ていたが、ちょっと急用だ、とざわついたように出て行った。

 その様子に晴美は口の端を歪める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る