第20話 因幡の白兎

 魁はいつぞやの、マホメドと最後に対峙した広場へと向かう。

 鎧は着けておらず、刀を上着の下に隠しただけの装備だ。

 変異種騒ぎの最中さなかでは魁の装備も自衛手段と言えなくもなかったが、十年経った外の世界ではもう変異種は過去の噂。

 公式に残っている記録もない。

 そして街にいる人間ですら噂をする者もほとんどいない。

 真一の調査では原因不明、不可解な未解決事件もある事から、変異種そのものが全くいなくなったわけではなさそうだという話だが、絶対数としてはほとんどいなくなってしまったようだ。

 そんな中で真一がネットに変異種の目撃情報を流した。

 ハーデス・ゲートの連中が未だ変異種を集めているかは分からないが、何かしらの反応があるのではないかと予想したのだ。

 ちなみに真一は世の中の技術躍進に驚喜したようにネット記事を貪り読む事に勤しんでいる。

 眼の下に隈を作りながらも本人は至って幸せそうだ。

 そればかりもしていられないと、今回新しく覚えたネットの情報拡散を使ってみたと言う。

 過去とは比べ物にならない速度で情報は拡散し、社会に浸透する。

 普段から偽情報も多い為、怪物に変身する人間の噂もそれほど障害無く拡散した。

 マホメドがそれを見るのかどうかは分からないが、彼も一人で活動していたのではない。必ず耳には入るはずだ。

 広場に到着した魁は周囲を窺う。

 深夜に近い時間帯でもある為、ほとんど人はいない。

 真一の話では深夜にあんな適当情報を見にわざわざ足を運ぶ者はいない。わざわざ来る者がいればそれは変異種の実態を知る者だけだ。

 若いカップルや、近道を急ぐ深夜帰りのサラリーマンがちらほらと見える程度の広場を魁は歩く。

 それらの人も段々とその数を減らしていくと、二人の男が目についた。

 二人は魁の視線に気が付くと、そろってやってくる。

「お前。刀を使う小僧か?」

 魁はこの二人に見覚えは無い。

「あなた達は、ハーデス・ゲートの人ですか?」

 男達はそれには答えず自分の質問を続ける。

「あの青い変異種はいるのか?」

 蟇目は今回来てはいない。

 ハーデス・ゲートが未だに変異種を捕獲しているなら、いない方が大事には至らないだろうという配慮からだ。

 本当に来るのかどうか分からなかった事もあるが、本来蟇目は魁の「忍武士シノブシ」に協力してきたわけではない。

 しかし今回された分の仕返しをしてやりたい気持ちは大きいらしく、同行すると言って聞かない蟇目を窘めるのに苦労してきたくらいだ。

「お前だけか。逃亡した変異種を捕まえる雑用かと思ったら、邪魔者であるお前に出くわすとはな。しかも助っ人もいない。もう青いヤツの情報を引き出す用もない。ここで始末していけば、マホメド様もお喜びになるだろう」

「逃亡とは……、燐花さんの事ですか!?」

 魁の問いには答えず、二人はその体を変貌させる。

「変異種!」

 しかも二人共。

 魁は懐から愛刀――灰奥を抜いて構える。

 一人目の爪を刃で受けると同時に、もう一人の爪が閃く。

 魁はそれを重心を軸に体を回転させる事で無駄なくかわしたが、間髪入れず一人目がもう一方の腕を突き出す。

 二人交互に爪を繰り出し、魁は反撃の間を与えられず、防戦を強いられた。

 武術において、複数人で連携を持つ事を前提とする流派は少ない。

 本来武術とは、弱い者が強い者に、武器を持つ相手を素手で、複数を一人でなど、小で大に対応する為に発足したものだからだ。

 戦場戦術における兵法がもっとも近いかもしれないが、蕪古流の原点は護身。

 可能な限り争いを避け、やむにやまない状況に陥った時に最終手段として使用する。

 複数人で個人を攻撃する為の技術が練磨される事はなく、またそういったコンビネーションを駆使する流派を相手にする機会もない。

 二人の敵がバラバラに攻撃してくるのとは違い、完全に息の合ったコンビネーションは二人の個人ではなく、もっと強大な一つの個体としてその戦闘力を数倍に向上させる。

 変異種とは言え、無差別に殺める事に疑問を持っている魁では攻撃を凌ぐのが精一杯だった。

 しかも魁は敵の二倍以上のスタミナを消耗する。

 攻撃の受けが危くなり、あと数激で直撃してしまう、と感じた所で突然相手の攻撃が止んだ。

 息を荒げながら訝しんでいると、二体の変異種は魁の背後を凝視している。

 背後から人の歩いてくる気配と、風鈴の音を思わせるような色を持つ声がした。

「変異種か。もう絶滅したと思っていたがな。久しぶりに、存分にイザナミ・イザナギを振るえそうだ」

 その声の主は細身で長身。

 その全身は街灯の僅かな光を反射して白く浮かび上がる。

 尾の長いタキシードのようだが、その光沢は布というより金属の固い質感を思わせる。

 長い黒髪をポニーテールに結え、頭の後ろに伸びる長い二本の突起はウサギの耳を思わせた。

 年配の男ならバニーガールと称しただろうが魁にその語録はない。

 長身だが声は高く、間違いなく若い女性だ。

 その女性は魁に目もくれずに真っ直ぐに二人の変異種へと歩み寄っていく。

 あまりに自信に満ち、あまりに自然な立ち振る舞いだった為、魁は制止する事もできずに呆然と見送った。

 二人の変異種も同様に呆然としていたが、我に返ったように白い女性に襲い掛かる。

 少なくとも自分達に挑んで来ている事は疑いようもなかった。

 左右から同時に襲い掛かるその爪に怯む事無く、女性は歩調を早めると、頭の後ろに手をやり、掴んだ物を抜き放つ。

 頭の後ろから伸びたウサギの耳に見えた物は、背に刺した二本の小太刀だった。

 女性は体を回転させて両手の小太刀を同時に使い、相手の攻撃をいなす。

 驚いたのか変異種の動きが一瞬止まるが、女性は止まる事無く舞うように回転を続けた。

 変異種の体に添って、撫でる様に刃を這わせながら回転を続ける女性は、羽衣を纏う天女のようにも見えた。

 二体の変異種は、何が起きているのかも分からないように固まったまま動かない。

 そうしていると女性は舞を続けながら変異種の間を通り抜け、ポーズを決めるように静止すると、ゆっくりと小太刀を背に戻した。

 変異種は力が抜けた様にがっくりと膝を着き、口から血の泡をぶくぶくと吹き出すと、糸が切れた様に地面に倒れる。

 そして、そのままこと切れた。

 魁は呆然と長身の女性に目を凝らす。その白いシルエットには返り血一つついていない。

「稲葉流、二刀小太刀……」

 魁の呟きに女性が眉を上げ、魁の持つ刀に目を留めた。

「その刀は……、灰奥? お前……、まさか蕪古流? 壬生 魁か?」

 訝し気に目を細める女性の顔立ちには覚えがあった。

 少し前に華道道場に挨拶に来た美しい女性。その時より遥かに若く見えるがアンチエイジングなどではない。

「稲葉……」

 確かその女性はこう呼んでいた、と記憶の糸を手繰り寄せる。

「白羽さん?」

 その言葉と同時に白羽の持つ小太刀が閃く。

 魁は咄嗟に灰奥で受けたが、その衝撃で刀を放しそうになる。

「気安く名を呼ぶな。今更出てきて何のつもりだ。今は有事に対応するのは稲葉流の役目。蕪古流の出る幕ではない」

 魁は混乱する頭の中を整理する。

 稲葉流は元々離れた地で伝えられたもの。

 それが変異種の噂を聞いて来たという事は、魁がいなかった時間、稲葉流がその役割を継いでいたと言うのだろうか。

 当主は亡くなったと言っていたから、あの少女が文献などから知識を得て?

 いや、生徒はいたというから、技そのものを継いでいた者はいたのかもしれない。

 それが……、魁を追い詰めた変異種二体をアッサリと仕留めるほどの存在に。

「丁度いい。ここで蕪古流との決着を着けようぞ」

 白羽は小太刀を構え、魁に挑みかかる。

「!?」

 心の準備もできないまま、魁は防戦を強いられる。

 ただでさえ相手の刃は二本あるのだ。受けて流そうにも、流し切った所をもう一本の刃が襲う。

 力に逆らわずに流すのが蕪古流の基本だが、力に逆らわなくてはもう一本に対応できない。

 しかも相手の攻撃の軌道は、腕の弱い部分を重点に、筋肉の健を狙っている。

 二体の変異種は攻撃をいなす時に筋を切断されたのだ。

 そのまま攻撃の度に筋を切られ、動こうにも動けなくなった所を、脇から肺を刺されて血の泡を吹いて死んだ。

 そんな惨い殺し方を平然とやってのける少女に、魁は戦慄を覚えていた。

 動きに無理が掛かり、一刀を多少強引に弾き飛ばす。

 そこへもう一方の小太刀が閃き、灰奥を弾き飛ばした。

 正確には手首の筋を切断される前に、魁が灰奥を放したのだ。

 白羽はそのまま魁の首に小太刀の刃を当てる。

「なんだそれは? それが前当主、私の父と互角に渡り合ったという蕪古流の末裔か?」

 それとも殺せないと思って愚弄しているのか、と秀麗な顔を歪めた。

 魁の首に僅かに刃が食い込み、赤い線を引く。

 僅かでも身を引けば、そのまま引き切って首を落とさんと言わんばかりの目に、魁は冷や汗を流した。

 白羽は憎悪にも似た表情で歯を食いしばる。

 このまま動かずにいても、怒りを爆発させて斬られそうだと魁は覚悟を決めた。

「懐かしい鋼の匂いに誘われて来てみたら、なかなかどうして面白そうな事が起きているな。今も普通に決闘は行われているようで安心したぞ」

 場の雰囲気にそぐわない声に、白羽と魁はそのままの姿勢で声のする方を見る。

「これは……紛れもなく灰奥。こんなに早く会えるとは思わなかったぞ。我が愛刀よ」

 その人物、男は灰奥を拾い上げると刃の砥ぎ具合を確かめるように眺める。

 白い軍服のような出で立ちの男を魁は訝し気に見ていたが、やがて信じられない、という様子で呟く。

「父上!?」

 男はその声に魁の方を見、同じように訝し気に目を凝らす。

「魁一郎か? いや、……違うな。おお! そうか、お主は魁一郎の息子か」

 初めて孫を見る好々爺のような笑みを見せる。

 白羽は、能楽のような動きで構えた小太刀を男の方に向ける。

「馬鹿な、魁一郎氏は亡くなられたはず。お前は……何者だ?」

 男はその言葉に少し驚きを見せ、

「そうか。魁一郎は……、しかし立派な息子を残したのだな」

「あなたは……」

 父の兄弟か? と問いたかったが、魁一郎に兄弟はいない。本人も知らなかった可能性はあるが、と魁は状況について行けず言葉に詰まった。

「私は、壬生 弥一郎」

 白羽はかっと目を見開き、弥一郎と名乗った男に斬りかかる。

 男――弥一郎はそれを無駄なくかわした。

「ふざけるな。壬生の狼だと!?」

 なんだねそれは、と男は澄ましているが、魁は愕然とする。

 弥一郎とは魁一郎の父、つまり魁の祖父の名だ。

 闇人やみうどと親交を持ち、過去に世界の危機が訪れた時にその力を借りて冥界の門を塞いだと言う。

 父の書斎からその文献――記録を見つけ、変異種の騒ぎを収めるのに役立った。

 蕪古流が地に潜る前、剣術がまだ残っていた頃の最後の剣士。

 公的機関にも協力し、歴史の影とは言えその名を知る者も多い。その腕から歴史になぞらえて後世の者は「狼」と称した。

 その過去の偉人が、父とさほど変わらない年齢の姿で目の前にいる。

 しかも祖父が門を塞いだのは、自らの命と引き換えてだ。

 もっとも過去の文献の為、どこまで事実か分からない。

 しかし目の前に美しく成長した白羽が現れた後では、その程度の事はもう不思議ではない。

 そんな事より、父の面影を残す人物が現れた事に、魁は遅ればせながら熱いものが込み上げてくるのを感じた。

「今更誰が出てこようと蕪古流は地に落ちた。一刀しか使わぬ剣術が二刀に勝てる道理はないのだ」

 白羽は不遜に言い放つが、弥一郎は落ち着き払った様子で灰奥の刃の紋様を眺めている。

「おや、蕪古流は一刀だけの技ではないぞ。鞘と合わせて一組の技だ」

 白羽は片方の眉を上げる。

「コイツは使わなかったぞ。いとも簡単に刀を落とした」

「はっはっは。まだ若い坊主が、こんな美しいお嬢さんに挑まれたのではな。我が家系の男子は女子を手にかけたりはせぬ」

「くっ。武器を持った者に男も女もない。貴様、女性を差別するつもりか」

「はて。女子は男子とは別のものではないのか?」

 女性が下だと言われたと思ったのか、白羽は小太刀を向けて鋭く睨みつける。

「刃を持って向かって来られても同じ事が言えるのか。おい、お前。鞘はどうした? このご老人にお貸ししろ」

 いきなり話を振られた魁は懐の鞘に手をやる。

 しかし言われた通りに渡していいものか戸惑う。

「はっはっは。お嬢さんを相手に使うものでもあるまいに」

 見下すでもなく、あくまで好々爺の笑みで言うが、白羽は頭に血が上ったように身をひるがえした。

 蕪古流は流水るすいが基本。相手の攻撃を受け、力に逆らわずに受け流す。

 しかし流した後は無防備になる。

 その為、八の字を描くように刀を戻し、反撃――または次の攻撃を受ける。

 いかにその動きを最小限に、早く行うかが重要だ。

 しかし白羽は二刀を使い、一撃目の後、伏兵のように二撃目を重ねてきた。

 魁は完全な八の字を描く事ができずに強引に刀を戻し、無理な力が掛かった為にその負担で刀を落とした。

 正に対蕪古流の技。

 当然蕪古流にもそれに対応する技はある。

 その一つが弥一郎の言った鞘を使う技であり、実質二刀と変わらない型だ。

 刃で攻撃、鞘で防御と、役割を見切られる欠点はあるが、鞘で攻撃する事も出来るので実際には使う者の腕だ。

 魁一郎も稲葉流との対戦の際には使っていた。

 魁もそれを見ていたので型は知っているものの、教えを受けた事はない。

 魁一郎はまだ早いと思っていたか、あるいは稲葉流と戦わせるつもりはなかったのかもしれない。

 だが白羽の二撃目の攻撃は弥一郎の額を僅かにかすめて逸れた。

 白羽は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに流れるように刃を返す。

 弥一郎はそれも一撃目を受けていなし、二撃目は空を切った。

 魁は魅入られるようにそれを見ていた。

 よく魁一郎が技を見せ、それを見て覚えろと言われたものだ。

 理屈や説明はない。技を見て見切れ。どのような理屈でそれが起きているのか、見て理解する力を養えと。

 それは相手の技を見切るのにも役立つ。

 魁も幼い頃からそう仕込まれているので、弥一郎の技をやや懐かしい感情が込み上げてくるのを感じながら見ていた。

 弥一郎は、白羽の攻撃を灰奥で受けると同時に「押す」。

 それはほんの僅かな動きだが、白羽の重心に向かって真っすぐに押された力は白羽の重心を僅かに崩す。

 白羽を中心として回転する二刀目は、弥一郎の体に到達する頃にはその僅かなズレが大きなものに変わっていた。

 それでもそれはほんの数センチ。その数センチで刃は届かない。

 弥一郎は受け流す動きに支障なく、僅かに押す力を無駄なく加える。

 正に剛柔一体の技。

 魁は知らずのうちに正座をしてそれを見ていた。

 白羽はめげずに再度攻撃を繰り出す。

 だがそれは体重を乗せない、いわゆる「手打ち」。パンチなら形だけのダメージのない攻撃になるが、刃物ならば有効だ。

 刃を当てる事に集中し、手打ちならではの速さで相手に傷を作る。

 深手は追わせられなくとも、僅かな傷は重ねる事でダメージを蓄積する。

 だがその一段速い攻撃も弥一郎は受けた。

 白羽は口の端を僅かに上げる。

 手打ちの利点は早さだけではない。

 弥一郎はこれまでと同様に僅かに「押す」が、手打ちの――芯が乗っていない腕を押された力は白羽の重心に届く事はなかった。

 白羽はズレの発生しない、当たる二撃目を繰り出す。

 このタイミングならば身を引いてかわすのも間に合わない。

 だがその攻撃は、跳ね上げられた足によって阻まれた。

 おそらくは、弥一郎が蹴りを放って白羽の二の腕を蹴った。

 魁の目にもよくは見えなかった。

 そのくらい弥一郎の動きに無駄がなかった。

 重心も変えず、何の予備動作もなく、足だけがいきなり跳ね上がった。

 白羽も信じられないという表情で腕を押さえて後退る。

「蹴りだと!? 蕪古流に蹴りなどなかったはず」

「はて、流派に無い技を使ってはいけない決まりがあったかの」

 白羽はくっと言葉を詰まらせる。

「しかし見事なものだ。女子おなごの身でかような技を身に着けるとは。お主、流派は何と言う?」

 白羽は泣いているともいえるような表情を見せると、そのまま顔を伏せて走り去っていった。

 女子を泣かせてしまうとは……、とぼやくように言うと弥一郎は正座する魁に目を留める。

 魁は深々と頭を下げた。

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