到来は風水鏡の如く

第1話 闇を翔ける影

「いや、わざわざご足労頂いてすみませんでしたね。坊ちゃん」

 坊ちゃんと呼ばれた少年、壬生みぶ かいは「いえ……」と小さく応える。

「謝りついでにコイツの事は無視してください。勝手について来ただけなんで」

 青年は傍らに立つ小さな女の子を投げやりに指差す。

 指された女の子は、大きなキャンディーを舐めながらジロリと青年を睨みつけた。

「あっしもいつまでも坊ちゃんに頼るなというのは賛成ですがね。中には壬生家に対抗心を燃やしている馬鹿な派閥もいるんですよ」

 その連中が寄こした助っ人だというのだが、見た目6、7才の女の子だ。自分で切ったのかというような髪に、簡素なワンピースを着ていた。

 脇が妙に開いた――まるで美容院で髪を切る時のような格好だ。

「いや……頼るだなんて。変異種の情報があれば教えてくださいとお願いしたのは、むしろ私の方ですよ」

 変異種。

 少し前に世間を騒がせた体に異変をきたした人間。

 元は人間だがその風貌はまさに怪物。

 そのほとんどがまともな精神状態にないため、多くの人間を殺やめ、そして駆逐された。

 魁も壬生家に伝えられる剣術、蕪古流の継承者として事態に当たったのだ。

 だが魁は免許皆伝ではない為、仲間の協力による所が大きい。

 魁達が異変の原因だと思われた『冥界の門』を塞いで事態は収集へと向かった。

 今ではすっかり平穏を取り戻している。

 怪物騒ぎはもう過去の都市伝説になりつつあった。

 メディアの情報操作の恐ろしさを実感しつつ、本当は皆早く忘れたいのだろうと魁は思っている。

 それでも既に変異種となった者が元に戻る事はなかった為、たまに騒ぎが起きる事もある。

 魁はこれまで通り蕪古流の剣士として、世の中の平穏と己の技量を磨く為に、父から継いだ剣と鎧を身に夜の街を駆けていた。

 しかし変異種と渡り合ううちに、彼らも人間である事に違いはないと思うようになる。

 人間である以上、ただ殺せばよいと言う考え方に疑問を持ち始めていた。

 何の罪もない人に危害を加えた凶悪な変異種とは言え、既に何体も殺めた後では綺麗事に過ぎないのかもしれないが、少なくとも凶悪だと分からないうちは独断で裁きを下さないようにしていた。

 古来より有事に対応してきた流派といえど、今は警察とは何の繋がりもない。

 かといって当の警察は証拠、実害がなければ中々腰を上げない。

 より狡猾になる変異種に政府は、少なくとも表立っては何もしていないようだった。

 幸い魁もその後幾度となく変異種と渡り合ったものの、殺傷に至る戦いに発展する事はなかった。

 そして戦いになれば変異種も警戒するのか、それ以降は成りを潜める。

 これが今の魁にできる全てだが、最近ではめっきり変異種らしい事件の情報もなくなりつつあった。

 そんな中、魁の前にいる青年が目撃情報を持って来たのである。

「それで……、その下着ドロの話ですけどね」

 青年は軽く咳ばらいの仕草をする。

「それが滅法すばしっこい奴らしくて。まともに姿を見た者はいないって話です。でも変異種なのは間違いありません。暗闇に光る眼に牙らしいものを見たって者もいます。マンションの上階だろうと関係なく、壁もよじ登り、屋根から屋根へ飛んで逃げるそうです」

 実際に下着が盗まれる被害が出ているが、警察は風に飛ばされでもしたんだろうと相手にしていないそうだ。

「確かに、これまでの変異種の事件にしてはあまりにも異質ですね。人が襲われた例がないんでしょう?」

 青年は頷く。

「たぶん変異種の力に目覚めただけの弱っちい奴ですよ。すばしっこい能力しかないからコソドロやってんでしょう。しかも変態だ」

「変態を遂げる変異種は聞いた事はありません。新しい種類でしょうか」

 青年はそれには特に答えず、気を取り直したように地図を取り出す。

「これが今まで被害のあった、または目撃証言のあった場所です。結構広範囲で、同じ場所で複数回被害に遭った例もありません。足を付けさせない知能犯なのか……」

「何かを探しているようですね」

「そうですね。まあ下着ドロの考える事なんて、あっしには分かりやせんが」

 ただ待っていても仕方ない、まずは目撃分布から当たりをつけて、近辺で狙われやすそうな家を見張る事にする。

「あの家はどうでしょう? 下着がたくさん干してありますが」

 魁が指す方を見て、青年は首を傾げる。

「あれは……男物ばっかりですぜ?」

「女性の下着しか狙わないんですか?」

「……そりゃ、普通そうじゃないですか? 男の下着盗んでどうするんです?」

「しかし……、女性の下着も、どうするんです?」

「それは……あっしには、なんとも……」

「犯人は女性とか?」

「いや、百パー男だと思いますぜ」

 そんなやり取りをずっと後ろで眺めていた女の子は、舐めていたキャンディーがなくなった事もあり痺れを切らしたように声を上げる。

「誠司! いつまでだべってんのよ。犯人捕まえるんじゃないの? 逃げちゃうわよ」

「まずは作戦ってのがあるんだよ。見つけなきゃ話にならんだろ。子供は黙って見てるんだ」

「何言ってんの? いるじゃない、さっきから」

 女の子が指す方向に二人とも顔を向ける。

 だがそこには真っ黒な夜空が広がっているだけだ。

「何言って……」

 青年、誠司が言いかけた所で魁が声を上げる。

「何かいます。人じゃない何か」

 遠くに目を凝らした魁に、僅かに何かが屋根を跳ねるのが見えた。

 この闇の中、ノミよりも見えにくいあの影を見つけたというのか? と魁は女の子を見る。

 だが少女はなんでもないように、澄まし顔でその視線を受け止めた。

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