第18話 次元震
夜の街に若い女性の悲鳴が響き渡る。
その元凶である青毛の変異種は、地面を蹴って夜の闇に消えて行った。
そしてまた別の場所で悲鳴が上がる。
それを少し離れた場所で魁と真一は聞いていた。
「下着ドロの件といい、蟇目さんって結構こういうの好きなんじゃないですか?」
次々と上がる悲鳴の後をついて行きながら真一はやや呆れた表情になる。
「それよりも、本当に表れるんでしょうか」
「それは多分。マホメドは変異種を集めているんですからね。こうやって騒ぎを起こせば必ず現れます」
そもそも変異種の目撃情報も減りつつある。
蟇目も通報されているだろうが、大半は逃げ出した猛獣がいる、という通報のはずだ。
「蟇目さんは、比較的フツーに獣ですからねぇ」
真一はやれやれというように眼鏡を上げる。
真一は戦いには自信がない為、前線に赴くのは遠慮したいのだが、先の見解を検証するには実物と会いまみえるのが一番だと駆り出された。
連中は終焉はそう遠くない未来と言っていたので、あまり悠長に待っているのもどうかと言えば確かにそうだ。
無関係な通行人のように通りを歩く二人の横を、男達が叫びながら走り抜ける。
「おい! 変異種が出たんだってよ」
一般人から変異種という言葉を聞くのは久しぶりかもしれない、と魁達は思っていたが、男達の話の続きに驚く。
「稲妻みたいに光ったってよ。警官隊が倒れたって話だ」
魁は真一と顔を見合わせた。
「蟇目さん!」
ミニスカートの女子大生を驚かせていた蟇目を呼び止め、噂をしていた男達の後を追った。
「どういう事だ?」
「分かりません。燐花さんは捕まっていたわけではありませんから、外出した時に何かあって我を忘れたのかもしれません」
燐花が人を傷つけないかも心配だが、警官が被害に遭ったのならそのうち機動隊が出てくるかもしれない。
いくら猛獣よりも素早いとはいえ、中身は少女。
大人達の作戦によっていつかは撃ち殺されるだろう。
魁は走りながらそこかしこで噂される話から目撃現場を特定した。
川沿いに木々が植えられた並木道の、少し開けたような広場らしい。
「罠かもしれんと思ったが、そんなとこに誘き出すとも思えんな」
「ええ。となると燐花さんが心配です」
魁と蟇目は人通りの少ない裏道を疾走する。
蟇目がまんま獣姿な事もあるが、魁の装備もかなり怪しい。
バスならば一駅くらいの距離まで来た時に真一が付いてきていない事に気が付いた。
「ちぃ。罠じゃないかもしれんが、ヤギが来ないとも限らねぇ。オレはあのガキを拾ってくるからお前先に行け」
魁は分かりましたと先を急ぐ。
大通りに近くなると人の姿が増え、ざわつきが大きくなってきた。
皆遠巻きに変異種を見ようとしているらしい。
さすがに間近まで近づく者はいないようで、遠くに確かに何かいる……と確認できる程度の所までしか人はいない。
魁は人の間を抜けて広場に駆け込んだ。
間に警官の服を着た人間が倒れているのを見かけて駆け寄る。
外傷は無い。
電撃にやられたのなら燐花に間違いないだろう。
パン! と発砲らしい音に魁は立ち上がる。
まだ拳銃が使われているようだ。
燐花がケガをしてもいけないし、傷を負った燐花が警官を傷つけるかもしれない。
なにより流れ弾も危険だ。
魁は、飛び跳ねる光に向かって走った。
パッと目の眩む光の後に、警察官らしき人影が倒れる。
「燐花さん!」
魁は叫ぶが、燐花は威嚇音を上げて跳躍する。
その爪を刀の峰で受けていなすが、燐花はすぐに態勢を整えて飛びかかってくる。
魁はそれを無駄のない動きでかわした。
壁を蹴って縦横無尽に飛び回って相手を翻弄するのが燐花の得意技だ。
子供が単純に爪を繰り出すだけの攻撃は、魁にとって脅威ではなかった。
だが次第に燐花の体が光を帯び始める。
燐花は動く事で静電気を溜め、それを放出する事ができる。
受け流すだけではダメだ、と魁は攻勢の構えを取った。
燐花の毛がバチバチと放電するように逆立つと、魁は刀を地面に突き立てた。
パリッと周囲に閃光が迸り、魁の体を衝撃が襲う。
刀をアース代りにして電撃を地面に逃がしたつもりだったが、刀身が短い事もあり、全てを逃がす事は出来なかったようだ。
意識を失う事はなかったが、体が痺れて次の攻撃を避けられなかった。
頭部への直撃は避けたものの、魁は刀を弾き飛ばされて地面に手をつく。
「相変わらず甘い奴だな。ガキが心配なのは分かるが、それで自分が死んでちゃ意味ねえぞ」
蟇目が広場に降り立ち、腰を抜かしている真一を投げ捨てるように転がした。
「フシャーッ!」
燐花は魁から蟇目へと攻撃対象を変える。
だが燐花は一気に飛び込んでは来ず、近づこうとしては離れ、を繰り返す。
一見、開けた場所では分が悪いとフェイントを掛けながら隙を窺っているように見えるが、その意図は明らかだ。
「蟇目さん。燐花さんは充電しています」
わーってるよ、と蟇目はボヤくように答え、周囲に注意を向けた。
広い空間では燐花の壁を蹴って飛ぶ戦法は使えないが、それは蟇目にも言える。
同じ条件での瞬発の
力というより、体の柔らかさと軽さによる。
リング際もない平地で捕まえるのは至難の業だが、本来なら攻撃される瞬間を狙って捕まえればいい。
だが燐花には近づく事なく相手を無力化する武器がある。
蟇目は既に燐花の跳躍パターンを見切っていたが、帯電している体に触れていいものかと考えあぐねているようだ。
「静電気による電撃ですね。何をトリガーに放電しているのかは分かりませんが、そういう器官を持っているのかもしれません」
真一が腰を抜かしながらも眼鏡を上げて言う。
遠目ながら先程の電気攻撃は目撃していた。
「もう少し役に立つ事を頼むぜ、魁の相棒」
燐花の体が青白い光を放ち始める。
「普通なら電気が地面に流れて帯電する事はありません。という事は足の裏が絶縁されているはずです。予想ですけれど手足の毛玉。そこから先は電気が流れていないのかも」
蟇目は飛び出し、地面にあった物を拾い上げると、電撃を放つ燐花に詰め寄って足に突き立てた。
「キィィッ!」
電撃は毛玉をかすめるように足に突き立てられた刀を通して、全て地面に流れていった。
「蟇目さん!」
「心配すんな。足をかすめただけだ。ちょっと切ったが変異種は傷の治りも早い」
蟇目は、狼狽する燐花の首に手刀を当てて気絶させた。
「さすがだ。まあそんな簡単にいくとは思ってなかったがね」
闇の中からヤギの頭をしたマホメドが現れる。
「やはり罠でしたか。しかしこの状況。あなたにかなり不利なはず」
魁は刀を拾い、峰に構える。
「試してみたらどうだ?」
魁は言われるまでもなく、峰打ちでマホメドに突進する。
だがその軌道はマホメドに一撃を加える前に逸れる。
自らの意思とは関係なく重力の方向を変えられた魁は、うまく着地できずに地面を転がった。
「そんな。変異種にしか効かないはず……」
魁はすぐさま態勢を立て直すが、次の行動には移れない。
「変異種にしか効かない? 誰がそんな事を言った? と言いたい所だが着眼点は間違っていない。その通り。これは変異種の力を利用したものだ」
やはりあなたは……、と刃を返す魁にマホメドは指を振る。
「だが私は人間だ。変異種とは……ほれ、これだよ」
とマホメドは手に持った盆を見せる。
「アインシュタインの脳!?」
真一の言葉にマホメドは盆に目をやる。
「アインシュタインも、ある意味普通の人間とは『変わった』『種類』だったかもしれんがね。これは違う。更に進化を遂げた『完全なる種』に近づいた者の脳だ」
「あなたにも、愛したい人がいたのなら、こんな事はやめてください」
魁の言葉に皆「ん?」と一瞬固まる。
真一は「アインスタイン」「アインスタイ」「アイーシタイ」と呟いてから「アインシュタインです」と魁に向かって声を上げた。
「これは私の師。愚弄する事は許さんぞ」
ヤギのマスクからは表情は見えないが、本物の怒りを滲ませた声で言う。
「そうか。そう言う事かよ。どうりで嫌な匂いがすると思ったぜ」
蟇目の言葉に魁は記憶を辿る。確か蟇目は前に……、
「まさか……。浦木教授」
浦木は前の変異種事件でその元となった冥界の門を開いた張本人。
「師は人類の進化に新たな公明を見出してくださるはずだった。志半ばで無念にも崩御なされたが……」
だが最後に向かった地で変異種と化した浦木の頭を見つけたと言う。
性格はともかく元々世界的権威を持つ教授。それが更なる進化を遂げたのだ。
解剖、分析する事でそのメカニズムを解明できるかと思ったが、それは簡単ではなかった。
過去にも変異種の死体は解剖、研究されている。
やはり脳という他とは異なる部位とは言え、他の変異種の変化とメカニズムに違いは無いようだった。
要は何も分からない。
しかし分析を進めるにつれ、電気刺激に反応する事が分かった。
生き返りはしなかったが、念の力による空間の歪みを発生する事ができると分かった。
そして実験を重ね、電子制御によって自由に念を発動させる事に成功したと言う。
それを応用して、相手の攻撃を曲げたり、物体を遠く離れた所に転送したという事のようだ。
「空間に働きかけるという事は、空間の性質をも分析できる事を意味する。それによって、空間とは常に不安定で、いつ崩壊してもおかしくないという事も分かった」
そして確率計算の結果、近い将来世界は終わると言う。
変異種はその兆候の一つなのだと。
「その終焉を乗り越えるのには、この力といえど容易ではない。だから同じ歪みである変異種を結界の礎としてシェルターを作る」
街を取り囲むような大きな円に添って変異種を配置し、それを龍脈で繋いで結界とする。
その内にいる者は世界の終焉を越え、新しい世界に降り立つ事が出来る。
燐花と、あと一体あれば準備は整うと語る。
「せっかく話したのだ。殺める為ではないという事は分かったろう。世界の終焉を越えるため、人類の存続のために協力してはくれないか」
「断る」
蟇目は即答する。
だがマホメドは予想した答えだと言わんばかりに盆を蟇目に向けた。
蟇目はその射軸線上を避けるように移動する。
「おそらくですが、物質転送には一定時間目標を捉えておく必要があるんじゃないでしょうか。動き回る相手には使えない。動きの方向を変えるのが精一杯なんでしょう?」
「やはり君は見どころがあるな。どうだね。私の元について勉強する気はないか」
遠慮しときます、と呟き、
「同時攻撃です。一度に二人の動きを逸らす事は出来ないはず!」
真一の言葉に、魁と蟇目は同時に動いた。
左右に展開し、息を合わせた様に同時に攻撃を加えた――が、爪と刃が届く直前、二人の軌道は逸れ、鉢合わせする形になった。
「ぐっ!」
蟇目は掴んだ刀ごと魁を跳ねのける。魁はその力に乗ってマホメドと距離を取った。
「話が違うじゃねえか」
注意深く構えるが、それ以上の行動は取れない。
「そんな……。だって彼は、電子制御で脳を操作していると……。盆の下のコントローラーを操作してる風でした。それを二箇所同時に設定するなんて、ゲームの達人でも難しいのに」
夜の平原にマホメドの高笑いが響き渡る。
「大したものだな。だがまだまだ子供。歪めているのは私自身。私には矢も鉄砲も当たらないぞ」
真一は冷や汗を流すように呆然としていたが、何かに気付いたように声を上げる。
「蟇目さん! 逃げましょう! 何かやばいです」
鉄壁の防御。それだけでこの男が姿を現すはずはない。何か攻撃の為の手段を持っている、と察したが、
「遅い」
突然周囲の草むらから炎が上がった。
炎は蟇目を囲うように円状に広がり、魁達と分断した。
「ぐっ!」
炎の壁は高温で幅もあり、生物が通り抜ける事は不可能に思えた。だが円の大きさはプールほどあり、中で蒸し焼きにされる程ではない。
「炎はすぐに消える。死にはしないから安心したまえ」
マホメドは倒れている燐花に向き直る。
「あと一体の変異種を配置したい場所とは、……ここだったのだよ」
燐花の姿が歪むと、中心に吸い込まれるように小さくなって消えた。
「これで結界の条件は揃った。では諸君。世界の終焉の後にまた会おう」
魁はマホメドを止める為に突進するが、届く前にその姿が同じように消えた。
「蟇目さん!」
魁は蟇目に駆け寄ろうとするが、炎の壁に阻まれてそれ以上前に進めなかった。
熱による上昇気流で風が巻き起こる中、後先考えず助走をつけて飛び込もうとしたが、その足が急に地面に着かなくなった。
一瞬ふわりと体が浮いたように感じた魁だったが、周りに見えるものも同じように宙に浮いているように見えた。
地面に転がる石、砂、水滴が地面から僅かに浮き上がっているようだった。
まるで時間が止まったように体も動かせなかったが、思考も止まったように何も考えられなかった。
そして次の瞬間、空気が固まったかのような、大気が一瞬にして固体になってしまったかのような、周り全体から押しつぶされるような重圧を受け、魁の意識は暗い闇に落ちて行った。
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