第7話 楓
「姉上。少しよろしいでしょうか?」
その日の夜、魁は楓の部屋のドアをノックする。
「え? 何?」
入室を許可されたのか微妙だったが、魁は失礼しますと告げた後にドアを開ける。
楓は製図板のような大きな机に向かって何やら描き物をしていたようだ。
机には布が被せてある。
慌てて隠したようだが、楓は今美術大学に通いながらファッションデザイナーのアルバイトをしている。
まだ見せてはいけない物も持ち帰っているので、勝手に入るなと言われていた。
それでなくとも魁が無断で楓の部屋に入る事はないし、未公開のデザインを見た所で何をするでもない。
魁は真面目に授業を受け、正確に模倣する事はむしろ得意なので美術や音楽の成績も人並み以上には位置しているが、創造などの芸術的なセンスは皆無と言っていい。
「ちょっと今忙しいんだけど……」
では手短かに、と本題を切り出す。
「最近蟇目さんには会いましたか?」
ギクッと音がしたかのように楓の顔が引きつる。
「ななな、なに? それがあなたに関係あるわけ?」
さすがに楓の様子に不審なものを感じて訝し気な表情になる。
「いえ……、ただ私も蟇目さんに聞きたい事があるものですから」
「そ、そう。会ってない……かなぁ?」
すっとぼけるように左上に視線を送る。
その背後にある窓が音も無くスライドした。
ん? と魁が楓ごしに窓の外を見ると、そこから金髪に染めた頭が現れる。
「よぉ、魁。いたのか」
現れた男、蟇目は何でもないように言うが、楓は引きつったように固まり、後ろ、前と視線を交互に動かし続けた。
「まあ、つまり。こういう事だったんだよ」
楓の部屋でどっかと胡座をかいた蟇目は説明を終えた。
「なるほど、分かりました。つまり連日の下着泥棒の黒幕は姉上で、蟇目さんがその手下として動いていたわけですね」
「なに聞いてたのよアンタは!」
楓は屋敷中に聞こえるくらいの大声を上げるが、蟇目は「まあ、大体そんなとこだ」としれっと答える。
楓の勤めるアパレル会社では雑誌に載せる為の新しい企画を模索していた。
そこで今度発表される下着に楓のデザインした物が採用された。
会社的には今時の若い者がデザインした、同世代に向けた軽い企画でしかなかったのだが、会社の専属デザイナー「
楓のデザインは多くのアルバイトから選別しただけに過ぎない。
デザイナーとしてデビューするわけでもないし、大した実績になるわけでもない。
事実上は読者投稿作に毛が生えた程度の物だ。
だが我が儘な事でも定評のあるミハルは、自分よりも若い娘が脚光を浴びるのが気に入らないらしく納得しなかった。
それで仕方なくミソノ・ミハル監修という形で商品を発表する事になった。
見た目はほとんど変わらないが、特徴となるマークが入り、ブランド性も上がった為、一応両者の折り合いが着いた。
ただ元々予算が少ない為、担当者は頭が白くなる思いをしたようだ。
それだけなら会社の上役の仕事に過ぎないのだが、デザインを採用された楓は舞い上がって既に試供品サンプルを大学に撒いてしまっていた。
後で回収しようとはしたが、大半はサイズや趣味の都合で人から人へ渡った為に行方知れず。
会社には全部処分したと伝えたのだが、「ミソノブランドがアルバイトに毛が生えた程度の物だった――という噂が流れたら大変な事になる所だった」と安堵する担当者に楓は目の前が暗くなった。
「んで俺が既に撒かれた物を別のと入れ替えてたんだよ」
蟇目は髪を撫でながら少しバツが悪そうに言う。
本人の趣味嗜好でやっていたわけではないという事のようだ。
魁は、少し顔を赤くしてそっぽを向く楓を見る。
楓は蟇目の正体というか体の事は知らないはずだ。
蟇目は獣の姿に変異して夜の住宅街を飛び回っていたのだが、楓の中ではどういう事になっていたのだろうか。
それを聞いた所で何が分かるものでもない……、と魁は溜め息をつくように力を抜く。
「分かりました。盗んでいたわけではないのなら、それに関しては問いません」
似た形の物と入れ替えているとはいえ別物なので盗まれたと被害が届けられていたのだろう。
「しかし余所の家の洗濯物を物色していた事には違いありませんから、もうしないと約束してくれるのであればこれで終わりにします」
蟇目と楓は一瞬目を合わせるが、楓はそのまま目を泳がせる。
「? まだ何かあるのですか?」
「その……。まだ一枚残ってるのよね」
「そうなのですか? 一枚行方が知れないと」
「いやぁ……、それは分かってるのよ」
相手は分かっている。
楓の友人で下着を分けてあげたらえらく気に入っていつも履いてるそうだ。
即日洗濯で乾燥をかけ、翌日にはもう履いてると言う。
「ならいいじゃないですか。正直に事情を話して返してもらえば」
「バカなの?」
楓は心底呆れた顔で見下ろす。
話はどこから漏れるか分からない。
友人も親友と言えるほどでもない。
それに楓の功績を素直に喜んでくれているのだ。
事情を話して快く応じてくれたとしても、別の所から情報が漏れて拡散しても友人を疑ってしまうかもしれない。
「なるほど。迷惑をかけない為の配慮なら仕方ありません。しかし、どうするつもりなのですか?」
二人はやや弱ったような素振りを見せる。
魁は返答を待ったが、どうやら本当に困っているようだった。
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