第4話 桜の花
客人が帰ったあと、魁は気になっていた事を桃子に問う。
「母上、私は夕べどのように帰宅したのでしょうか」
「楓のお友達が気を失ったあなたを送ってくれたのです」
楓――魁の姉の……という事は蟇目が? ……と昨夜の事を思い出す。
「余計な物まで持ってきてくれましたけどね」
余計な物? と問うよりも早くドタドタとした足音と共に、魁を「坊ちゃん」と呼ぶ青年、誠司が道場に入ってくるなり大きく飛んで空中で土下座の姿勢になり、そのまま畳の上に自身を叩きつけた。
痛そうだ、と魁は顔を少し歪める。
青年は桃子に向かって頭を下げたまま声を上げた。
「申し訳ありません。この誠司、坊ちゃんをお守りする事ができませんでした」
桃子はそれを無視するように澄ましたまま花を生ける。
誠司は少し顔を上げ、
「この身に代えても坊ちゃんをお守りすると誓ったのに、面目次第もございません」
そして護身用に携帯している警棒を握り締める。
「これがドスなら、この場で指を詰めてお詫びする所です」
「魁、
ぐ……、と誠司は一瞬顔を強張らせたが、魁に向き直って頭を下げる。
「お願いします」
「あ、いや。私なら大丈夫です」
と魁は困惑するしかない。
この青年なら本当にやりかねない。何より代々伝わる宝刀灰奥をそんな事に使ってほしくない。
「母上も、あまり彼をいじめないでください」
桃子はツンとしたまま見もしない。
この誠司は豊橋組という近辺で幅を利かせている組合の、いわゆる「若いモン」だ。
豊橋組は自称的屋だが、縄張りが広くかなりあやうい事もやっていた。
気を大きくした若い者達が、街中でいざこざを起こす事も珍しくなかったのだが、ある時桃子と楓がそれに巻き込まれた。
誰も止める者のいない中、執拗なハラスメントの度が過ぎようとした時に、父魁一郎がそれをあしらった。
怪我をさせる事はなかったが、大衆の前で面子を潰された彼らは、以降壬生家を目の敵にしてきた。
魁一郎のいない時を狙って執拗な嫌がらせに遭ったが、魁一郎は一切の抵抗も報復もしなかった。
しかし豊橋組が手を緩める事はなく、桃子と楓は精神的に追い詰められ、道場からは生徒も消えた。
魁も例に漏れなかったのだが、正直父のシゴキの方が辛い。
誠司は事の発端になった一件にいた一人だ。
まだ若い為、直接騒動に関わるというほどではないが当事者には違いない。
魁に因縁をつけ殴った事もある。もっともそれは兄貴分の言う事を真面目に実行しただけだ。
そして事態が深刻になろうという時、魁一郎は単身本拠地に乗り込み、そこで自らの首を落とした。
豊橋組は、その時交わした言葉通り嫌がらせの類いを一切止め、以降事を構えるのを禁じ、事態は収束した。
壬生を義兄弟とし、今後どんな協力でも惜しまない、どんな事でも言ってくれと言う組に桃子は一切の関わりを断り、家に近づく事を禁じた。
「近づくなと言われるならそうしましょう。ですがこれはワシらの落し前です。どんなに迷惑がられようと、魁一郎氏の義に反する事だけは絶対にできませんのや」
方々に手を伸ばしては余計な世話を焼いているようで、家は生徒がいなくても存続している。
そんな中で誠司だけはまだ若いせいか、どれだけ嫌悪されようとも贖罪と言わんばかりに魁達の前に現れる。
桃子達はその度に追い払うが、魁はこの実直な青年が嫌いではない。
変異種騒ぎの間はお互いそれ所ではなかったが、事件が収まってからは持ちつ持たれずという感じで付き合いが続いていた。
だが坊ちゃんと呼ばれるのは今後も慣れそうにない。
「さ。そろそろ一人しかいない生徒が見える頃です。出ていけとまでは言いませんが道場は空けてくださいな」
桃子が言うと誠司は短く返事して立ち上がり礼をする。
「私も行きます。あの燐花という女の子がどうなったのか、教えてくれませんか」
では一緒に……と廊下に出た所で、玄関の扉が開く音に続いて「こんにちはー」と黄色い声が響いた。
ほどなくして魁の友人グループの一人、ムードメーカーでありトラブルメーカーの優美が現れた。
誠司は礼をして道を空ける。
優美も会釈して前を通った。
初めて魁と出会った頃と比べると、心なし礼儀正しくなったように思う。
「壬生くん。カノジョも来てるよ。外で待ってる」
優美は手を振ってさっさと道場へ歩いて行く。
「へえ、坊ちゃんに彼女ですか。あ、いや。別に意外ってほどでもないですよね。男前ですし、誠実で心優しいですから。むしろいない方が不自然だ」
いや、彼女というわけでは……と逡巡する魁にまたまた~と冷やかすように言う。
「坊ちゃんの彼女だってんなら、きっと大和撫子のように清楚な人なんでしょうね。家元のお嬢さんとかですかい?」
いや……と魁はぎごちなく応える。
玄関の扉を開けると、そこにいたのはやや高い身長を高いヒールで更に上げた細身の女子。
髪を染め、よく焼けた肌にネイルやアクセサリーで飾った派手な風貌。
そして何より目立つのは、ボタンが全部留まらないほどにまで育った大きな胸。
辛うじて留まっているボタンも激しい動きで簡単に弾け飛びそうだ。
その女子は魁を見つけると屈託のない笑顔を向ける。
だが誠司は顔をしかめてつかつかと女子に詰め寄った。
「なんだお前は。お前みたいな奴がこの家に近づくんじゃねぇ」
しっしっと追い払う動作をすると、女子はたじたじと後退り、助けを求めるように魁を見る。
「あの……、か、魁!?」
ああ? と更に険しい顔をする誠司を魁は制する。
「誠司さん。その人が、私の友達です」
誠司は魁を見、少し考え込んだあと女子を見る。
しばらく眺めたあと魁を見ると、また何やら考え込み、女子に目を移した。
魁が再び同じ言葉を言うまで、誠司はその行動を繰り返した。
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