第2話 閃光の小虎
魁達は影の方へ向かって走った。
百式走甲と呼ばれる防具を着込んでいるとはいえ、カーボンファイバー製で走る事に特化した鎧はほとんど音を立てる事もなく軽快に風を切る。
その後ろを誠司が遅れる事なくついて来ていた。
この青年も体つきからかなり鍛えこんでいる事が窺い知れる。
影の姿を捕えられる距離まで近づくと魁は一時足を止めた。
「あれ? あの女の子は?」
「あいつなら放っといても大丈夫ですよ。お守りが必要な助っ人じゃ、意味ないでしょう」
しかし……と逡巡しつつも、変異種も見失う訳にはいかない。
ここで見失っては次も見つけられるか分からない。
魁は目の前の変異種に集中した。
近くの塀に身を隠し、様子を窺う。
視認できるとは言えまだ距離がある。深夜だが人通りもゼロではない為、通行人にも注意を払わなくてはならない。
魁達の行動や扮装も十分に怪しい。ヘタをすると通報されかねない。
影はマンションのベランダに侵入して物色しているようだ。しばらく
時には素通り、時には一瞥するだけ、時には干してあるものを一枚一枚確認する素振りを見せる。
「やはり何か目的があって行動しているようですね」
「もしかしたら幼女の――、小さい下着を狙ってるのかもしれやせん」
誠司は、魁の視線に応えるように表情を硬くした。
「いいですか坊ちゃん。アメリカでは小児性犯罪の罰ってのはすごく重いんです。卑劣で下劣。自分よりも弱い者を欲望を満たす為に踏み躙る。場合によっては人殺しよりも軽蔑されるんです。変異種の力をそれに利用する、言わば今までで最低、最悪なヤローですよ」
下着との関連についてはピンと来なかったが、この真面目な青年がここまで嫌悪感を露わにするのだから、そういう奴なのだろうと身を引き締める。
「あいつは、絶対に逃がしちゃいけねぇ」
拳を握りしめる誠司に、魁も同調した。
「燐花の奴が追いつく前にカタを付けないと。助っ人として押し付けられましたが、さすがに囮として使うのは危険すぎる」
燐花というのがあの子名前か、と魁は頷き、変異種の方に注意を移した。
ひゅっと影が壁から離れ、民家の屋根の上を跳ねる。
数件先という辺りを横切り、魁は全身を毛で覆われた変異種の姿を確認した。
「あれは……」
顔を強張らせる魁を誠司が訝しむ。
「彼……。あれは、殺さなくてはならないようですね。たとえ私が業を背負う事になっても……」
魁は立ち上がると、真っ直ぐに走り出す。
その様子に誠司が慌てて後を追った。
体に巻き付けるような鞄を一つ纏っただけの影は、民家の屋根から屋根へ音もなく飛び移る。
時折動きを止めて何かを探すように周囲を窺った。
そしてまた跳躍。
しかし着地先の足元に向かって何か鋭い物が飛んできた。
影はすんでの所でそれをかわしたが、体勢を崩した為に動きを止める。
何だ? と周囲を見回す影の背後から、重い響きを含んだ声がかかった。
「見損ないましたよ……」
路地の暗闇から魁が姿を現した。
「蟇目さん」
「よお、魁。こんなトコで会うなんて奇遇だな」
青黒い毛に覆われた変異種は調子のいい声を上げる。
魁は一瞬で間を詰め、抜いた刀を閃かせる。
「あなたを見逃したのは私の落ち度です。これ以上穢れる前に私自身の手で冥土へと送ります」
魁が刀を構えると、蟇目の肩に掛かっていた鞄がパックリと割れた。
そこからバラバラと白い布が落ちる。
「お? なんだコレは? なんでこんな物がオレの鞄に!?」
散らばった女性下着を手にぼやく蟇目に白刃が飛ぶ。
「いや……、今のは冗談だ。コレには訳があってな」
蟇目が距離を取り、それを追おうとした魁だったが、その脇を追いついてきた誠司が駆け抜けた。
「坊ちゃんの代わりに手を汚すのは、あっしの役目でさぁ!」
警棒を伸ばし、蟇目の頭に向かって振り下ろしたが、青い獣はあっさりとそれをかわして首に手刀を叩き込む。
声もなく地面に倒れた誠司を見て、魁の眼の色が変った。
「まあ、待て。まずは話を聞いてくれ」
鋭く繰り出される刃をかわしながら弁明するが、魁の瞳は怒りに燃えていた。
「お前との真剣勝負ができるのは正直ありがたいんだが、こんな状況で殺りたくも殺られたくもねぇ」
蟇目は攻撃をかわしながら拾い集めた下着を手に説得を試みる。
「言い訳は男らしくないですよ」
「これはお前の姉ちゃんが関係してるんだよ」
魁は攻撃の手を止める。
刀を蟇目に向けたまま、
「姉の下着が欲しかったのならそう言ってくれれば」
「違う、そうじゃねぇ」
下着を握り締めた拳を魁に突き出した蟇目だが、魁の背後に目をやって言葉を止める。
その様子を不審に思って魁も後ろを振り向いた。
そこには先程までキャンディーを舐めていた小さな女の子、燐花が立っていた。
猛獣、刃物と危険な物を前にしているというのに、平然とキャンディーの棒を名残惜しそうに舐めている。
「あ……」
危ない、逃げて、と言おうとしたが、少女の雰囲気に違和感を覚えて言葉を止める。
メキッと筋肉が軋むような音と共に、少女の髪がザワザワと逆立つ。
違和感の正体は、魁が幾度となく見た、人が変異する時の前兆だ。
少女の体はたちまち三倍ほどに膨れ上がり、全身を長い毛が覆う。
口には牙が並び、鋭く長い爪が伸びた。
形は蟇目に似ているが、全身の毛は白と言うか黄色に近く、柔らかく長い。
手足に丸いポンポンのような毛の球が特徴的だが、蟇目を狼にたとえるなら、燐花は猫のようだ。
トラやライオンよりは愛嬌があって可愛いらしい。
助っ人とはこういう事だっのか、と魁は理解した。
「フシャーッ!」
燐花は着ていた服をマフラーのように首に巻き付け、威嚇音を発する。
ふっと燐花の姿が消えたと思うと、蟇目が変異した燐花の両手を掴んでいた。
魁の目にはその動きが見えなかった。もしかしたら蟇目の動きよりも速いのか? と思いつつも声を上げる。
「蟇目さん! その子は変異種とはいえまだ子供です。手荒な事はしないでください!」
そうは言ってもよぉ、と蟇目も狼狽する。
燐花は牙、足の爪で抵抗し、蟇目もあしらい切れない様子だった。
蟇目は掴んだ両腕に力を込める。
「キシャァ!」
燐花は悲鳴にも似た声を上げた。
その声に一瞬握る力が緩み、その機を逃さず燐花は両足で蟇目の体を蹴る。
掴んでいた手が離れ、燐花の体は大きく跳んだ。
燐花はその勢いのまま壁を蹴り、弾丸のように突進する。
だが蟇目に直撃せず、後ろに回り込むとまた壁を蹴る。
蟇目を中心に黄色い毛玉はピンボールの球のように飛び交った。
蟇目はなるだけ背を向けないように立ち回ったが、変則的な動きに翻弄される。
魁も場合によっては燐花を止めようと動きを見切ろうとするが、白と黄色の毛が街灯の明かりが反射しているのかキラキラと光って見える。
動きの軌跡が光の線のように残り目がチカチカしてきた。
蟇目はというと、目くらましのように動く燐花の動きを目で捉えるのを止めていた。
目を閉じ、閃光のように飛び回る毛玉の中でじっと動かない。
蟇目も空手だけでなく、あらゆる武術に手を染め、変異種との死闘にも生き延びてきた格闘家だが、人を超えた感覚を持ってしても攻撃する瞬間の殺気を読めるほどの達人ではない。
注意を払うのは肌に感じる空気の流れでも殺意の匂いでもない。
集中するのは耳。音だ。
燐花が壁を蹴る音を一つ一つ確実に拾う。
ガッ! とこれまでと異なる音に蟇目は目を開けた。
翻弄する為のスピードを乗せた跳躍ではない、渾身の一撃の為の力を乗せた跳躍の音。
その方向に蟇目は両手を構える。
がしっと重い音と共に、燐花の細いが長く鋭い爪を伸ばした手が収まった。
それを見ていた魁は「凄い」と素直に賞賛する。
跳躍しての攻撃は蟇目の得意技だったはず。
優れた武術家は、技を編み出すと同時に返し技をも編み出している。
魁の父、魁一郎が生前言った言葉だ。
今の対処法をはたして自分にできるかどうか……、と蟇目は真剣勝負をするには手強い相手だと改めて魁は思う。
「フシャーッ!」
燐花は威嚇音を発しながら牙を振り下ろし、足で蹴って抵抗するが、蟇目はそれを難なくあしらう。
見た限りでは、燐花は初期の頃に見た変異種と同じように人としての意識を保っていないようだ。
まだ幼い身で、変異した体を制御できないのだろう。
本能で動く獣と化した燐花は蟇目の敵ではない。同じ逃げ方は蟇目には通用しない。
しかし傷付けずに取り押さえるには相当の実力差がなくてはならない。
戦い方が幼くとも燐花は鋭い爪と牙を持っている。
ここは加勢した方が良いのかと魁が刀をみね打ちに構えて近づいた時。
燐花の光っているように見えた全身の毛がバリバリと逆立ち、パッと激しい光を放つ。
その直前に蟇目が燐花を放したように見えたが、次の瞬間、魁は強い衝撃に見舞われて意識を失った。
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