第27話 緑の騎士

二十七 〈 緑の騎士 〉


 ベリナスが加勢に加わると、城兵の囲みは一気に崩れた。

 「一気に刑場を突破する、行くぞ」

 ベリナスが声をかけた。

 敵兵の薄い南の方角を見定めて、先陣を斬る。

 数人を斬り倒した時、背後で、

 「姐さん、急いで。どうしたんですか?」

 カリの慌てふためく声が聞こえた。

 ベリナスは振り向いて、唖然となった。デリーンがまだ、オヴェウスの所に立っている。

 「デリーン。急げ!」

 声は、届かなかった。

 デリーンはオヴェウスを見降ろしていた。

 ここに、緑の革帯がある。それが、彼女の思考を支配していた。

 この男が緑の騎士だ。こいつが巻いている革帯のせいで、グリンガレットは苦しみ続けている。今が絶好の機会だ。革帯を奪い取り、彼女を救うための。

 デリーンは無意識に、指輪に触れた。

 白銀の筈の指輪が、赤く光っていた。

 革帯を奪うのは、グリンガレットのためだ。

 それは正当な理由だ。私が革帯を手に入れたいと思うのは、私欲ではない。これが出来るのは、私しかいない。これは、私の意志だ。

彼女が欲する自由のために、革帯を手に入れなければならない。

 デリーンは倒れたオヴェウスの肉体に跨り、短剣で上衣を切り裂いた。焦る手つきで胸元を開くと、緑色の皮の表にが目に入った。

 ・・・あった。

 デリーンは笑った。

 あった、緑の革帯だ。私たちの、不死の力だ。

 夢中で指をねじ込み、剥そうとする、だが、オヴェウスの肉体は重く、持ち上がる気配が無い。

 「くそ、面倒だ」

 短剣で、肉を刻もうとした。その手を、誰かが抑えた。

 「何をやってるんだ、デリーン。早く逃げないと、敵が集まってくる!」

 ベリナスだった。

 彼は焦燥に駆られた表情で、彼女を見つめていた。

 デリーンはその手を振り払った。

 「邪魔をするなベリナス」

 鬼気迫る表情だった。彼女がこのような顔をするのを、彼ははじめて見た。彼女を止めた事を咎めるように、彼を睨む。その目の奥に、邪な光が宿っている。

同時に、

 ・・・正気ではない?

 瞬時に悟った。

 「やっと手に入るんだ。緑の革帯なんだぞ」

 怒りが、緑の革帯という言葉を口にした途端に、違う感情へとすり替わった。

 恍惚の笑みを、デリーンは湛えていた。彼女の顔なのに、彼女ではない。直感が、そう叫んでいた。

 僅かの間二人は睨み合った。

 緊張が、オヴェウスから注意を逸らした。倒れた筈の彼の手が、再びカラドボルグの柄を握りしめたのを、二人は気付かなかった。

 そして、飛ばされたはずの首が、いつの間にか。彼の胴体に戻ってきている。

 カラドボルグが、音もなく奔った。

 気付くのが遅れた。

 剣刃は、正確にベリナスとデリーンの首を同時に狙っていた。

 死がそこまで迫った。

 激しい音がした。

 ベリナスとデリーンは誰かに突き飛ばされた。反動で転倒し、頭を打った。

視界を苦痛に歪め、見上げた先で、その男は手にした剣で、オヴェウスの剣を受け止めていた。

 「手前は?」

 オヴェウスが驚愕に震えた。

 オヴェウスの豪剣を、正面から受け止めきれる男がいるとは、彼自身にも信じられない思いだった。

 「殺させるわけにはいかぬ」

 男はくぐもった声で言った。

 「これ以上お前に、罪を重ねさせぬ」

 男はラディナスだった。

 ラディナスは渾身の力でオヴェウスの一撃をはねのけ、剣を正眼にかまえた。

 

 

 広場は、不気味な程に静まり返っていた。

 争っていた騎士達は、敵も味方も無く、茫然と立ち尽くしていた。

興奮が冷めた瞬間の、喪失感と虚無感がその場を支配している。琴の音が生み出していた高揚と自信が失われると、そこに残るのはどうしようもない程の不安と絶望だった。

その中を、グリンガレットとキリアムは愛馬に跨って走り抜けた。

キリアムが手綱をとり、グリンガレットは彼の腰に手を回した。

「我が殿。デリーンと会われたのですね」

キリアムは頷いた。

「では、私の呪いの事はもう」

声が、微かに湿り気を帯びた。キリアムは振り向きもせずに

「知っている。だが、それだけの事だ」

「それだけの?事ですか?」

「ああ、そうだ。私がお前の騎士になったのは、呪いのせいでは無い。お前の美しさに」

少し、言いあぐねた。キリアムは顔が熱くなるのを感じた。

馬首を、刑場の方に向ける。区画を護る城兵が慌てて塞ごうとするのを、一気に突破して。

「お前の美しさに、気高さに惹かれ、私自身が望んだ。それだけの事だ」

キリアムは言った。その不器用な言葉の選び方に、グリンガレットは自然と彼を掴む手に力を込めた。

「オヴェウスが、私の革帯を持っています。今やあの男こそが、緑の騎士になっているのです」

「知っている。私もデリーンと思いは同じだ。お前を、その宿命から救いたいと思っている。私にその手伝いを、させて欲しい」

僅かに間があった。グリンガレットは、小さな声で「はい」と答えた。

彼女は顔をキリアムの背に押し付けた。

彼に振り返って欲しくない。今の自分を、彼に見られたくない。弱い自分を見せるのは嫌だ。彼には、彼が思うグリンガレットでいたい。そう思った。

「我が殿」

彼女はかすれる声で言った。

「オヴェウスの持つ緑の革帯を、打ち砕いてくださいますか?」

キリアムは無言だった。

「ガラティンなら、きっと打ち破れます。緑の革帯ごと断ち切れば、オヴェウスを、倒すことが出来ます」

その時、自分がどうなるのか。それはわからない。

グリンガレットは唇を引き締めた。

いや、その答えは出ている。

サヌードの姿を見たではないか。

琴の力に囚われて間もない彼ですら、琴とともにその精神を破壊された。対して、自分は魔力の源だ。彼以上に激しい反動を受けるだろう。

良くて、死か。

それでも、今は他に、彼を、緑の革帯を止める術を思いつかない。

不死の力など、この世に残されてはいけないのだ。

「お願いです我が殿。革帯を葬って」

彼女の声は、確かにキリアムの耳に届いていた。



琴の音が失われた衝撃は、刑場にも影を落としていた。

海の方角から、少しずつ雲が張りだしてきていた。遠かった雷の音が、大分近くなってきている。

蒼天が、曇り始めた。

城兵は、明らかに士気を落とした。

ベリナス達を包囲していたが、その表情からは生気が失われていた。もしかすると、自分たちが何故剣を抜いているのかすら、理解が出来なくなっているのかもしれない。

ぽつり、と雨が落ち始めた。

そんな中を、ラディナスとオヴェウスは剣激を交わしていた。

ベリナスはデリーンを抱え起こしていた。

軽く両頬を叩くと、デリーンは自分のしていた事に気付いたようだった。

「ベリナス、あたし?」

「良かった、戻ったな」

ベリナスがほっとしたようにこぼした。

「こっちは良くねえ!」

カリの声が響いた。

カリとマイルスは二人を護るように、城兵を牽制してくれていた。

城兵の動きは、明らかに先ほどまでとは変わっていた。だが、それでも集団で彼らに剣を向けている。見ると、マイルスは左手を斬られていた。だいぶ血が滲んでいる。深手になっているのかもしれない。

「くそ、退路を断たれちまったな」

ベリナスは舌打ちをして、周囲を見回した。

その眼が、一人の老騎士の姿を捕えた。

栗毛の軍馬を走らせて、ダリウスが割って入った。

「城兵どもよ、剣を下げよ。オヴェウス卿、お主もだ!」

馬をラディナスとオヴェウスの間に滑り込ませ、両者に向けて彼は叫んだ。

「真実が知れた。ラディナス卿の死罪は取りやめだ、我らが、争う必要はない」

視線がラディナスを捉える。ラディナスは「おお」と感嘆の声をあげた。

ベリナスもまた、ほっと嘆息を洩らした。

良く分からないが、何かが上手くいって、命拾いをした。それが分かった。

デリーンの力が抜けた。よほど気を張ったのか、倒れそうになるのを、ベリナスは支えた。

「オヴェウス卿よ、お主には改めて聞くことがある」

ダリウスが彼の方を振り向く。

伸ばしかけた手が、止まった。

容赦の無い一撃を、ダリウスは受けた。

カラドボルグは彼の肩を貫き、ダリウスの老体が力なく落馬した。

乗り手を失った軍馬が悲鳴にも聞こえる嘶きを上げた。

「ダリウス卿!」

ラディナスが駆け寄って、彼の半身を抱き起した。

ダリウスは苦悶に顔を歪め、微かに片方の目を開いて、自分を斬った男を睨み上げた。

「くそ!、誰もかれも、俺の邪魔ばかりしやがって」

正気を失った怪物が、そこに立っていた。

眼にはもう、光を灯してはいない。体中から溢れているのは、憎しみと、破壊への衝動だ。そして、満たされることの無い欲望は、何を求めているのだろうか。

城兵たちは、彼の姿に怯えた。

ダリウスを護る事も、ベリナス達に意識を向ける事も無く、この場に居る事の恐怖に包まれた。逃げ出す者もいれば、凍り付いたように動けなくなる者も居る。

オヴェウスが一歩ずつ、ラディナスに迫る。

再び、ベリナスが立ちはだかった。

「ラディナス卿、逃げてくれ」

ベリナスは言った。

「その騎士を連れて、早くここから逃げろ!、デリーンもだ!、こいつは、俺が防ぐ」

「次は不覚を取らぬぞ、俺は、どうやら不死身だからなあ」

オヴェウスはぺろりと唇をなめた。

片手で剣を軽々と持ち上げ、眼前の戦士を見下ろす。

馬蹄の音が聞こえた。

「そこまでだ、オヴェウス!」

「その声は」

キリアムか!?

オヴェウスは振り返った。瞬間、ベリナスの事を忘れた。

彼の眼が、最も憎むべき相手を捉えた、そして、その馬上には、彼の心を支配したあの女が、グリンガレットが居る。彼に対し、一切の愛情を抱かぬ目で、じっと彼を見ていた。

オヴェウスは吼えた。

「グリンガレット!」

 叫びを耳にしてか、二人は馬を降りた。そして、ゆっくりと彼に近づいてくる。

 「一つだけ、お聞かせください」

 グリンガレットは言った。

 「貴方はその革帯を、どこで手に入れたのです、オヴェウス」

 オヴェウスは、緑の革帯の事だと気付いた。そういえば、自分が倒れているとき、デリーンが何かをしようとしていた。この革帯を、狙っていたのか。

 「これは俺のものだ。俺が騎士の子であることを証明するものだ」

 オヴェウスが叫んだ。

 「俺が生まれた時から持っていた、唯一の物だ。だから、俺は騎士の子に違いが無いのだ。この革帯は、俺の証なのだ!」

 グリンガレットの眼が、微かに細まった。彼は嘘をついているようには見えない。だとしたら、彼は誰の子なのだろう。

 もしかしたら、本当に名のある騎士の息子であるとでもいうのか。

 だとしても。

 「愚かしい事です、オヴェウス。騎士とは、その心の気高さによってのみ名乗るもの。その血がいかなる血統の先にあろうとも、心の汚れた者に、騎士を名乗る資格は無い」

 「手前がそれを、俺に言うのか!?」

 オヴェウスはグリンガレットを目がけて走った。

 「お前の相手は私だ、オヴェウス」

 キリアムが立ちはだかった。

 ガラティンとカラドボルグ。

 二つの名剣が火花を散らした。

 見るものさえも圧倒する、二つの剣の死闘。その剣威は、二人以外の誰をも近づけることも無く、激しさを増すとともに、周囲に沈黙を生み出していった。

 誰もが固唾をのんで、その戦いの行く末を見守った。

 唯一、デリーンだけはグリンガレットを見た。

 彼女は両手を胸の前に組んで、祈るように二人を見ていた。

 僅かにも視線を反らすことなく、そして、キリアムの勝利を疑う事も無く。

 「うおっ!?」

 オヴェウスが声をあげた。

 彼の頬から血が飛んでいた。

 痛みを、久しぶりに彼は感じた。

 「その剣、そいつは俺を殺せるのか?」

 不死の肉体に酔い始めていた彼にとって、痛みは一気に恐怖を生んだ。かわりに、キリアムは勝機を見出した。

 オヴェウスの怯みを、彼は見逃さなかった。

 一気呵成に責めに転じる。

 「うおおおお」

 圧倒されて、オヴェウスは叫んだ。顔に、こんな筈ではない、という驚きと、キリアムの剣圧に対する怖れが張り付く。

 「そこだ!」

 キリアムは剣を疾らせた。ガラティンの鋭利な剣刃が、オヴェウスの手首を切り裂く。カラドボルグの長い剣身が、宙を回転しながら弾き飛び、遠くの地面に突き刺さった。

 キリアムは、剣先をオヴェウスに向けた。

 その腹部に。微かに見える、緑の革帯に。

 デリーンが何かを叫んだ。

 グリンガレットはその瞬間を待った。

 ベリナスは、ラディナスは、そこで何が起きたのかを、正しくは理解が出来なかった。




 静けさが戻った。

 遠くで、馬が泣いていた。

 降り出した雨が強くなった。

 周囲の景色が白く霞み、そこに立ちすくむ二つの影を、白昼夢を思わせる幽玄的な世界の中に、ぼんやりと浮かび上がらせていた。

 キリアムは力なく、剣を下げていた。

 その背に向けて、彼女は何かを求めるような視線を向けていた。

 雨なのか、涙なのか分からない。彼女の濡れた相貌を、彼は振り返る事が出来なった。

 「何故、なのですか?」

 彼女は小さな声で呟いた。

 そこに浮かぶ感情を、キリアムは自らへの責めと受け止めた。

 「何故、緑の革帯を、葬ってはくれなかったのですか?」

 グリンガレットは、キリアムの背に、問いかけた。

 キリアムは、オヴェウスを斬る事が出来なかった。そして、恐怖に怯え、逃げていく緑の騎士を、追う事すら出来なかった。

 「お前を、失うと思った」

 ぽつりと、彼は答えた。

 「緑の革帯を葬った時、お前が消えてしまうのではないか。私の下から、永遠に去ってしまうのではないかと、・・・そう思ってしまった」

 彼らしい答えだ。

 キリアムは非情にはなりきれなかった。目の前の、あまりにも小さい感傷に迷いを覚えてしまった。これは、彼の優しさであり、弱さなのだろうか。

 「同じ過ちです」

 グリンガレットは、誰にともなく言った。

 「その優しさは、過ちにすぎぬのです。あの時、偉大なる王が犯したのと同じ、優しさゆえの過ちなのです。我が殿は、また繰り返すのですか」

 偉大なる王の過ち。

 それは、愛する者を想うが故の過ちだった。愛しながら、それを貫き通しながらも、それを満たすことの無かった過ち。

 だが、誰がそれを、責めることが出来るのだろうか。

 「私は、お前を救いたい。だが、お前を失いたくない。これは、許されぬのか」

 キリアムは天を見上げた。

 蒼天は既に無く、暗天に、稲妻が走っていた。

 「許されぬ事です。我が殿」

 グリンガレットは、彼にしか聞こえないほどの声で、答えた。

 そして、彼の背に寄り添った。

 「許されぬ事なのです。なのに、私は我が殿の想いが」

 嬉しい。

 その言葉をついに口にする事も無く。グリンガレットは、ただ彼の温もりに触れた。


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