第28話 グリンガレット

最終章 〈 グリンガレット 〉


 しばらくの間、混乱は続いた。

 エイノールの死、サヌードの失脚、それに、新たなる王の宣誓。

 次の満月の日に、戴冠の儀式が定められ、国は生気を取り戻した。

 新たなる王、キリアムは、その即位を固く辞していたが、既に引く事は出来なくなっていた。ガラティンがそれと認めた事を、殆どの騎士はその目にしていたし、城の宰相であるアブハスも、一命をとりとめたダリウスや正騎士達、また、ラディナスを中心とした新参の騎士も、それを認めていた。

 エイノール王を殺した疑いも、晴れた。

 ビオランが、自らの言葉通り、森で十二本の矢を探し出してきた。これで、サヌードが彼を陥れた事も、はっきりと証明が出来た。

 ビオランはグリンガレットと再会した。

 ビオランも大層喜んだが、意外な程、グリンガレットも嬉しそうだった。それから十日以上もの間、ビオランは彼女から離れなかったが、ある日突然、森に帰った。おそらく、故郷の森が恋しくなったのだろう。

 キリアムの最初の仕事は、ルグヴァリウム城の軍を再編する事だった。

 ラディナスとダリウスに、二軍を分け与え、近衛騎士は廃した。

 彼はベリナスをも軍に誘ったが、断られた。

 ベリナスはまだ、城に身を寄せるつもりは無いと答えた。だが、有事の際には協力をしあう事を約束として取り付けた。

彼も、しばらくの間は城に逗留した。いくらかの褒美をもらい、仲間の傷が癒えると、皆で砦へと戻って行った。

ラディナスは彼と親交を持ちたがったようだが、ベリナスは快くは応じなかった。ただ、娘のリネットとは、多少言葉を交わしていたようでもある。

ルウメは、また城兵に戻った。それでも、今までよりは格段に良い待遇を得た。

王の馬の世話を仰せつかったのである。

もっとも、彼は厩の横で酒を飲んで倒れている所を、たびたび見咎められているので、いつまでもその立場でいられるのかは、確証がない。

そして、グリンガレットは。


明日に満月の夜を迎えるころ。

彼女はいまだ、モルガンを名乗っていた。

名乗らざるを得なかった。

日が暮れ始め、赤々とした夕暮れの日差しが長い陰を生み出す中を、小さな内庭に彼女は立っていた。

小さなテーブルに乗った、お菓子や、お茶の道具を片付けながら、彼女はぼんやりと庭の片隅に咲く黄色い野薔薇の花を眺めていた。

さっきまで盆に山になっていたお菓子は、あとたった二つになっていた。お茶に添えた柑橘の輪切りが乾いて、それでも微かな芳香を放っている。

手作りの焼き菓子は、彼女が丹精を込めて焼いたものだ。

あまり見栄えは良くなかったが、それでも集まった騎士達や、彼は美味しいと言ってくれた。お世辞かもしれないと思いつつも、とても楽しかった。

ことり、と音がして、彼女は振り返った。

帰った筈の彼が、そこに立っていた。

「片付けなど、人にさせてはどうです」

キリアムは微笑みながら声をかけた。

「良いのです。私のわがままだったのですから。最後くらい、自分で始末をしないと」

「やはり、そうなのですね」

彼は寂しそうに、何かを察したようだった。

グリンガレットは静かに頷いた。

今更、彼に隠しても仕方が無い。彼はわかっているし、私も、変えることは出来ない事だ。

「明日、立たれるのですか」

その眼は、行かないで欲しいと言っていた。だが、その想いに彼女が応えないだろうことは、既に悟っていた。

「私は、行かなければなりませぬ。緑の革帯を、このまま逃がすわけにはいかぬのです」

グリンガレットの言葉には、まだ悲しみが張り付いていた。

彼女は、生きる事の辛さと、かりそめであったとしても、生きる事の喜びを知っている。だからこそ、悲しむのだ。そして、この悲しみがあるからこそ、彼女は誰よりも高潔に、美しく生きる事が出来る。

それを止めることが、どうして自分に出来るだろうか。

グリンガレットはキリアムの側に立った。

「それに、私が行かねば、貴方を王に出来ませぬ。私は満月までの命と、皆に語りました。私が消え去ってこそ、私の言葉は真実になるのです」

「私は、王になどなりたくはないのだ」

キリアムは心に詰まった思いを吐き出すように言った。

「私は、お前の騎士でありたいだけなのだ。お前だけに忠義を尽くし、お前のためになら、喜んで命を捨てる騎士にだ」

「それは成りませぬ」

「わかっている。わかっているが、ただ許せないのだ。この誓いを護れぬことが」

「そのような誓いなど、お捨てください。私には、殿に思われるほどの気高さも、徳も無いのですから」

グリンガレットはキリアムの手を取った。

愛おし気にその手を握りしめ、彼を見上げる。

「サヌードは一つだけ、真実を言い当てました」

キリアムの顔に、疑問の色が浮かんだ。

「私は始めから、我が殿を、この国の王とする事を、描いておりました。・・・無論、エイノール王にその器が無く、彼の下では平和が望めない場合の事でしたが」

キリアムは何も答えなかった。薄々、そんな気がしていたからだった。

グリンガレットは、そんな彼に、ほんの少し微笑みを浮かべた。

「ガラティンを差し出したのは、私の誓いを我が殿が、満たしたからです」

「お前の、誓い?」

「そうです」

グリンガレットは手を離した。温もりが消える寂しさに、キリアムの胸が疼いた。

「私は、私を倒せるほどの騎士に巡り会えたら、ガラティンをその者に託し、王位へと導こうと誓っておりました。でも、そう簡単に私が負ける筈がないとも、慢心しておりました。」

「あ、あの時の事か」

思い出して、キリアムは顔を赤くした。あれは勝ったというよりも、ただ無礼を働いただけの事なのだ。

「でも、負けは負けです。だから我が殿、私は今でも、少しだけ殿の事が憎いのですよ」

憎いと言いながら、グリンガレットは笑った。

その笑顔が可愛らしすぎて、キリアムは彼女を抱きしめたくて仕方が無くなった。

美しいというよりも、可愛い。本当の彼女の笑顔は、こんなにも愛らしかった。

「グリンガレット」

キリアムは彼女の名を呼んだ。

「はい、我が殿」

彼女は応えた。

「行かないで欲しい。そう言っても、お前は首を横に振るであろうが。それでも私は、お前の側に居たい」

「私も、そう思っています」

意外な言葉が返った。キリアムは彼女を見つめた。

「私も、我が殿の側に居たい。何故でしょう。心からそう思うのです。ですが、それは叶わぬ事です。私は、私の宿命と、戦わなければならない」

「共に行くことは、かなわぬのか」

「既に、道は違えました。今は・・・」

「では、いつかは」

彼はグリンガレットを抱きしめた。折れるほどに力強く。

「いつかは、戻ってきて欲しい。我らの道が、今一度、再び同じ道を指すのなら。お前が、宿命の糸を逃れたあかつきには」

想いが、心に染みた。

グリンガレットは目を閉じ、彼の腕の中で、その想いに心をたゆらせた。

「約束をしましょう、我が殿。その時は。私がこの宿命を打ち破り、まだこの身に命の灯が残る限り、私は我が殿の元に戻ります。ですから」

彼の相貌を、愛しく両手で包み込む。彼の眼差しを、自分だけのものにして、彼女は言った。

「我が殿は、王となり、この国をお導きください。私たちの過ちを償い、新たなる希望の光になって」

キリアムは頷いた。

「お前は嘘つきだグリンガレット・・・だから、信じよう。永遠に」

静かなる抱擁が続いた。

愛を語る事も、口づけを交わすことも無い。

その温もりだけを信じて。


白霧が世界を包みこんでいた。

まだ城が目覚める前に、グリンガレットは一人城を出た。

供は誰もいない。

ただ、一匹の老馬の手綱を引いて、静かに街を離れた。

老馬の鞍の下には、一本の剣が下げられていた。

彼女の新しい剣となったカラドボルグが、馬の歩みに合わせて重そうに揺れていた。

丘を抜け、遠くにルグヴァリウム城の影が霞む。

一度振り返り、静かに迷いを断った。

森が緑を深め、鳥の声が耳に優しい。

川のせせらぎが近づく頃。

「よう、グリンガレット」

聞き覚えのある声がして、彼女は足を止めた。

木陰に誰かが立っていた。

背に長弓を背負い、黄金色の髪を髪留めにまとめて、彼女は待っていた。

グリンガレットの眼が、驚きに見開かれ、そして微かな喜びを浮かべた。

「偶然だな、あんたもこっちかい」

彼女は森を指さして笑った。

グリンガレットが何かを言いかけるのを制して、彼女は言葉を続けた。

「あたしは仇を討ち損ねちゃってね。今から、そいつを追うんだ」

あんたもついて来るだろう。その眼がそう言っていた。

グリンガレットはぽかんと口を開けた後、暫くして、強く頷いた。

蒼天が、どこまでも遠くまで広がっている。

濃緑色の風が吹き、木々のざわめきが静かに世界を形作っていく。

はるか遠くに連なる青い山影を目指して、二人は、歩き始めた。



・・・・・・・・・・



遠い記憶の彼方。



湖の側に、緑の木陰を見つけて、騎士は寝ころんでいた。

水面から吹きつける風と、遠くで呼んでいる鳶の細長い声が耳に心地いい。

微睡んでいると、

「兄上、そろそろ行きませぬと、また遅参いたしますぞ」

闊達とした声が飛んだ。

騎士は半目を開けて、声のする方を見つめた。

弟のガヘリスが立って、手を振っていた。近くにガレイスの姿も見えた、。

「先日もランスロット様に後れを取って、此度の参陣も遅れては、さすがに陛下も兄上を見限られるかもしれませんぞ」

言いながらも、笑う声が聞こえた。

グァルヒメインは、体を起こして、仕方なく後方を見やった。

「ケインクラード!」

大声で、彼は馬の名を呼んだ。

ケインクラード(美しく丈夫な者)と名付けられたその愛馬は、木陰で草を食んでいた。

その側に、一人の娘が座っていた。

「ケインクラード、早く来ぬか!」

再び呼んだが、馬は素知らぬ顔をした。後ろから、弟たちの笑う声がした。

「ったく、はやく来ぬか、なにが妖精馬ケインクラードだ。このグリンガレットが!」

不機嫌になってぼやくと、娘がひょいと立った。

馬の手綱を引き、彼の方にやってくる。

グァルヒメインは困ったように彼女を見た。

「何だ、俺は馬を呼んだのだ。お前なぞに用は無いぞ。そもそも、お前はいつまで俺についてまわるのだ」

「私は殿の従者です。いつまでも、ともに参りましょう。それに、私を呼んだのではないのですか?」

彼女は首をひねった。

「この子はケインクラードです」

「ああ、そうだ」

グァルヒメインは頷いた。

「ですが殿は、グリンガレットと呼ばれました。この場で名の無き者は、私一人、それは、私の名前なのでしょう?」

「何を馬鹿なことを申す小娘か。俺は馬に腹を立て、ただそう呼んだに過ぎん。そもそも、グリンガレットなどと言う名前の娘が、この世に一人もいるものか」

「グリンガレットという名前の娘は、一人もいないのですか」

娘は不思議そうな顔をした。それからしばらく何事か考えていたが。

「では、やっぱり私はその名前が欲しくなりました。だって、他に誰もいないのでしょう。だったら正真正銘、私だけの名前ですものね」

「はあ?」

グァルヒメインは呆気に取られて彼女を見た。その顔に屈託のない微笑みが浮かぶのを見止めて、小さくため息をつく。

彼はゆっくりとケインクラードに跨った。

娘が、彼の横に立った。

「グリンガレットか」

呟くと

「はい」

彼女は嬉しそうに答えた。

その笑顔に、彼はそれもまた良いかと思い直した。

「よし、グリンガレット、馬に乗れ。ただし、その名をつけたのが俺だと、吹聴するなよ。俺がとんでもないろくでなしに思われたら、たまらんからな」

グァルヒメインは彼女の腰を掴むと、軽々と持ち上げて自分の後ろに座らせた。

「では行くか、王がお待ちかねだ。此度の戦では、俺が一番手柄を立てるからな」

グァルヒメインは大声で笑った。



                     グリンガレットと緑の騎士  終わり

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グリンガレットと緑の騎士 雪村4式 @syou-k

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