第23話 騎士道

二十三 〈 騎士道 〉


幾日が、過ぎたのだろう。

心地よい小鳥のさえずりが耳に届き、潮風と、薄布の裂け目からこぼれる光が、彼の頬を優しく撫でた。

誰かが側にいた。

白く細い腕が伸びて、冷たい布が彼の額の汗を拭う。

グリンガレット?

その姿を瞼の内側に思い浮かべて、彼はようやく目を覚ました。

「貴女は」

彼が声を発したのに、彼女は最初驚いた様子だった。しかしすぐに、心からの安堵をその相貌に浮かべた。

「リネット殿。貴女が、どうして」

キリアムにその名を呼ばれ、彼女は嬉しそうに見えた。眦に、微かな光の粒が流れた。

「良かった。気が付いたのですね」

体を起こそうとして、全身が痛んだ。だが、痛みがあるのは生きている証拠だ。

「・・・ここは、一体?」

キリアムは周囲を見回した。

ラディナスの邸宅ではなかった。

彼がベッドだと思っていたのは、漁に使われる投げ網の上に、寝具を被せたものだった。様々な道具が無造作に置かれている。どうやら小屋の中にいるようだ。

「キリアム様と、こうしてまた出会えるとは思ってもいませんでした。これも全て、あのビオランさんのおかげです」

リネットは、無理に起きようとする彼の体の下に腕を差し入れると、優しく彼を補助した。

「すまない」

少し顔が赤らむ。優しく微笑んで、リネットは彼を見つめた。

「ビオランは、今はどこに?」

「彼も近くに居りますよ。デリーン様も、ベリナス様も、皆ここにおられます。キリアム様がお目覚めになるのを、お待ちしておりました」

「私は、どの位眠っていたのですか」

「五日ほどです」

「それ程に?」

「ええ、熱が下がるまで、三日はかかりました。命を落としても、おかしくない程の怪我だったのですよ」

五日か、道理で体が重いわけだ。それにしても。

リネットを見た。

一度しか会った事はないが、その時よりも、随分とやつれた印象だ。だが、それだけ献身的に自分を助けようとしてくれたのだろうか。心配をかけてしまった事を思うと、心が痛んだ。

「お待ちいただけますか、皆を、呼んでまいります」

彼女は言うと、再び彼が横になるように手を貸して、それから、弾むように小屋を出ていった。

程なく、幾人かの足音が聞こえてきた。

最初に顔を見せたのは、ベリナスだった。少し伸びすぎた無精ひげを掻きながら、キリアムの様子を見ると、

「やっとお目覚めか。待ちくたびれたぜ」

言って、側に腰を下ろした。

デリーンの声と、ビオランの声も聞こえてきた、その後ろから、知らない女の声も聞こえる。それと、リネットの声だ。

彼女たちが姿を見せる前に、

「ありがとよ、キリアム。デリーンを助けてくれた」

ベリナスはキリアムの手を無理やり握った。素早く離し、何食わぬ顔で、彼女達を待つ。

皆が揃うと、あらためて、ベリナスが口を開いた。

ここはラディナス邸に奉公していた娘、セヴィアの家だった。正確には、彼女の祖父が漁に使うための小屋である。セヴィアは、

「ビオラン様には、そして、ベリナス様には本当に助けられました。少しでもお役に立てて、嬉しく思っています。ですから、キリアム様も、ゆっくりと休まれてください」

奉公人の娘らしく、丁寧に話した。

「有難い話だ。でないと、今頃お前さんも牢屋の中で冷たくなってたかもしれねえな」

ベリナスが唇の端を上げて笑うと、その腹を、デリーンが肘で打った。

「旦那は、いちいち話が余計なんだよ。有難い、だけで良いだろ」

睨み付けるように言われ、首を竦める。

デリーンはキリアムに視線を戻した。

「とにかく、色々と、話さないといけない事がある。城の事、グリンガレットの事、それに、オヴェウスと、このリネットの嬢ちゃんの、父さんの話もね」

何から話したらいいか、迷っていると、ベリナスが口を挟んだ。

「お前さんが寝ている間に、色々と事が起きた。まずはそいつからだ」

彼は、この数日の間で、ルグヴァリウム城に起きた出来事を、語り始めた。

エイノール王の死が表沙汰になった。殺したのはキリアム、そして、それを指示したのは、ラディナス卿と伝えられた。

「まさか! ラディナス卿までも」

「ああ、そうだ」

ベリナスはちらりとリネットを見た。彼女はうつむいて、必死に感情を堪えていた。

「すぐに死罪が決まったとよ。ろくに調べもしねえでな。こちらのお嬢様も、見つかれば連座で死刑だ」

キリアムは言葉を失った。彼女が死刑になる。そのような事、許されるわけがない。

ベリナスは説明を続けた。

王位をめぐり、円卓の議会が催された。それに際し、信じられない事が起きた。前王妃のモルガン・ル・フェイが、正統なる王を選ぶために、かりそめの命を得てアヴァロンの地より戻ってきたと言うのだ。

そして、数人の候補者の中から、次の新月の日、二の城内の広場において騎士を集め、その前で王を選ぶという。

「モルガン王妃が、戻ったなどと、にわかには信じられぬ」

呟くキリアムに、デリーンは悲し気な瞳を向けた。

「そのモルガンって名乗っているのが、あんたのグリンガレットだよ」

「馬鹿な?」

「それが、そんな馬鹿な事もあるのさ。詳しい事は、あとで話すよ」

デリーンは少しでも感情的にならないように、気持ちを落ち着かせながら言葉を続けた。

「グリンガレットはね、モルガンとそっくりなんだ。知っている人間なら、誰もが信じ込んでしまうくらいにさ。本人もそれを知っていた。・・・だから、あんたと主従になった時、男に姿を変えたんだよ」

頭を殴られたような感覚だった。眩暈がするとともに、彼女が、また少し遠くなったような気がした。

「しかし、グリンガレットが、どうして・・・?」

「全部、サヌードってやつの仕業さ。あいつ、あんたを捕えていると、口から出まかせを言いやがったんだ。グリンガレットはあんたの剣を見せられて、それを信じちまった。逃げようと思えば逃げる事も出来たのに、・・・あの子はあんたを守りたい一心で、サヌードに利用される事を選んだんだよ」

「彼女が・・・私を」

そのような事。

キリアムの脳裏に、グリンガレットの静かな微笑が浮かんだ。

戯れといいながら、彼を「我が殿」と呼び、それでいて、いつも肝心な時には、彼に心を開いてはくれなかった。近くにいたのに、なぜかどこかで壁を感じていた。そんな彼女が、自分を助けようとした?

彼は、己の不甲斐なさを呪った。自分は、彼女を護る事を誓った。あの森で、彼女の従者として尽くし、生きる事を望んだのだ。それなのに、自分は彼女に何も出来なかった。それどころか、彼女を怖ろしい状況に、追い込んでしまったのか。

「あんたのせいじゃ無いのは、皆わかってるよ。全部、あいつが仕組んだんだ。それに、オヴェウスの奴だ。あいつは、あいつだけは許せない」

デリーンの言葉に、これまで以上の憎悪が灯った。

「ラディナス卿を死罪に追い込んだのは、オヴェウスの野郎だ」

ベリナスが言った。

「あの野郎、よりにもよって、ラディナスの指示で、お前を逃がしたと言いやがった。しかも、仮にも自分を騎士に引き立ててくれた恩人を売って、自分は無罪放免となるらしい。いや、それだけじゃねえ」

リネットの肩が震えていた。ためらいながらも、ベリナスは言った。

「ラディナス卿の死刑を、そのオヴェウスが執行する。それが、あいつが無罪になる条件らしい。ルグヴァリウムへの忠誠を証明するためだとよ」

リネットが、弾かれたように顔を覆った。涙を見せたくないのだろう。どこまでも気丈な娘だ。

ベリナスは、彼女の前で、これ以上話すのは酷だと思った。オヴェウスの正体も、ラディナスが騙されていた事も。

オヴェウスが、非業の死を遂げた親友の甥ではなく、あろうことか、親友を殺した仇であったなどと、ラディナスが知ればどう思うのだろうか。

少なくとも、もう娘は知っている。知っていながら、今度は父までもその男に殺されようとしているのだ。

「ともかくだ。俺たちは立場を決める必要がある」

ベリナスは全員の顔を見回した。

「これ以上、関わるか、関わらないか。何かをするか、何も、しないかをだ」

デリーンの顔色が変わった。

「何もしない、って、選択肢は無いんじゃないか」

「あるさ、少なくとも俺たちにはな」

 腕を組み、ベリナスは少しだけ前屈みになった。

 「キリアムを助けたのは、お前を助けて貰った恩があるからだ。だが、もうこれで恩は返した。これ以上、手伝う必要はない」

 「な?」

デリーンが、今にも掴みかかりそうに見えた。ベリナスは一瞥して、

「ルグヴァリウムの王が誰になろうが、それこそ俺の出る幕じゃない。まあ、確かにこの国が戦を始めたりしたら、ゴドディンにとっては大変な事態になるが、それを選ぶのはこの国の勝手だ。砦に残してきた連中の事もある。そんな事に首を突っ込んで、仲間を危険にさらすことが、果たして賢明な判断と言えるのかね」

「そりゃ、そうかもしれないけどさ、そんなの薄情じゃないか」

「感情だけでは動けりゃ、簡単だがな。そうもいかねえんだ」

「だけど、グリンガレットはどうなるの。あの子があたしを助けてくれたんだ。あたしが生きてここに居るのは、あの子のおかげなんだよ」

ベリナスは顔を上げた。

「そのグリンガレットだが、本当に城を抜け出したいとは限らんだろう。その、お前の話を信じるならな」

「あんな所に居たいなんて、絶対に思うもんか」

「俺がその姫様なら、城に残ると思うぜ。その方が、オヴェウスに近い」

「オヴェウスに?」

キリアムが驚いて声をあげた。隣で、リネットも怪訝な顔をした。

ベリナスは自分の失言を悟って、困ったようにキリアムを見た。

「いや、まあ、なんだ。その事についちゃあ、後でデリーンが話すだろうさ」

「ったく、この馬鹿」

デリーンが小突いた。

「とにかくだ、薄情な言葉に聞こえるかもしれんが、俺達には、これ以上、この国に関わる理由はない。それだけは、わかるだろう」

ベリナスの視線がキリアムの答えを待った。キリアムは、彼の立場や責任があれば、その答えは正しいのだろうと思った。頷きかけるのを、またもデリーンが割って入った。

「じゃあ、理由がないから、何もしないのかよ。それが騎士の考え方かい。いつもいつも騎士道だの、正義だの言いながら、結局はただの言い訳ばかりじゃないさ。あたしは、一人でだって、勝ち目なんてなくったって、あの子を助けに行くよ」

「デリーン、お前なあ」

ベリナスが呆れたように頭を掻いた。

「俺らも、デリーンさんと同じだよ。騎士なんて、とんだ腰抜けばかりだ」

ビオランが口を挟んだ。デリーンを見て、強く頷く。それから、セヴィアとリネットにも視線を向けた。

森の少年の透明な瞳に見つめられて、リネットは赤く潤んだ眼の端に、必死に笑顔を作って見せた。

デリーンは、そんな彼女を気遣ってか、そっと手を伸ばした。リネットの手を、軽く握る。驚くほど、冷たくなっていた。

「このお嬢ちゃんにだって、恩はあるだろ。今だって、あたし達を、こうして助けてくれている。自分の身だって、危ういのにさ」

 このか弱い手を護ってくれていた、たった一人の肉親を失いかけて。それでも、こうして涙をこらえている。

 「罪もない乙女を救う事に、・・・理由なんているのかよ」

 デリーンの言葉は、重く響いた。

 ベリナスは沈黙した。

 キリアムもまた、静かに目を閉じた。

 彼女の言う通りだ。

 汚れなき者を、戦う術を持たぬ者達を、この世の非道から守る事こそ、我等騎士の使命ではなかったか。

 「デリーン殿」

 彼は、拳を握りしめた。

 「私は、戦いましょう。我が命に代えても、私はグリンガレットを護る」

 「その言葉、彼女が聞いたら、喜ぶよ」

 デリーンはキリアムを見つめた。

 精悍な瞳に、彼の強さが戻ってきている。誠実さの奥底に、決意を秘めた眼差しが。

 だけど、その前に話さなければならない事がある。

 「ベリナスの旦那」

 言うと、彼は察したようだった。

 ビオランや、リネットに目くばせをする。

 デリーンとキリアムを残し、皆が小屋を出ていくと、彼は厳しい顔になった。

「彼女の話、なのですね」

 デリーンは頷いた。

「グリンガレットには悪いけど、キリアム、あんたには、話しておかないといけない。彼女の事を、その呪いと苦しみの事も全部。でないと・・・」

少しだけ、彼女は辛そうな顔をした。

「でないと、本当の意味で彼女を救えるのは、あんたしかいない。・・・あたしは、そう思うから」

差し込む光が、一瞬、陰りを帯びた。風が、戸を叩く音がやけに強く響いた。



小屋の周囲には、同じような建物が二つほど並び、その奥に、干物を作る為の日影が作られていた。ルグヴァリウムに吹き付ける風を避けるため、人工の林が点々と作られ、無人となった漁師の家が幾つも残されていた。

その一つがセヴィアの家だった。決して大きくはないが、地下に備蓄のための部屋が掘られていた。そこに、リネットとデリーンは寝泊まりしていた。

この時間、祖父は舟で海に出ていた。

ビオランとセヴィアは、再会してから意外に気があった様子で、二人で出かけることが多かった。その様子はまるで姉と弟のようにも見えて、微笑ましかった。小屋を出た後も、二人は連れだって海岸に行った。岩海苔や、浅瀬で貝などを採るためだった。

人目を避けなければならないリネットは、セヴィアの家に戻った。その後ろを、ベリナスがついてきた。

デリーンに痛いところを突かれた。確かに、女を護るのは騎士の使命だ。単なる理想論と笑われようとも、馬鹿げた道徳観を心の拠り所にするのも、一つの生き方だ。

ギルバーンの娘か。

室内に入ると、彼女は桶から汲んだ水を、火にかけた。棚の上から、茶葉の入った袋を取り出し、煮出す。高級なものではないのかもしれないが、良い匂いがしはじめた。

「勝手に使っている訳じゃありませんよ。ちゃんと、許可はいただいております」

少しして、彼女はベリナスの前に器を差し出した。

みずみずしい緑色のミントの葉を、一枚添えていた。

自分の分は無かった。彼のために淹れてくれたらしかった。

「お父様は、私が淹れると苦いと言うのですよ。お口に会えばいいのですが」

口に含んで、思わず笑みがこぼれた。

「こんな旨いのは、久しぶりだ。いや、初めてかもしれんな」

「お上手ですね」

「本心だ。俺はお世辞など言わねえ」

リネットは嬉しそうに、首を傾げた。

ベリナスは彼女の姿を見つめながら、先ほどの自分が、いかに意地悪に見えただろうかと軽い後悔を覚えた。

いつもデリーンが一緒だった事もあり、会って数日だが、こうして二人で話す機会が今まで無かった。こうして彼女の仕草や言葉を聞くと、ラディナスはきっと良い父親だったのだろうと想像できた。

「リネットさんよ」

ベリナスは声をかけた。

「あんたの親父さん、なんだってオヴェウスの後見人になどなったんだ。・・・いや、サバージュの跡継ぎだと、騙されたのは知っているが、それにしても、そこまでする義理が理解できなくてな」

リネットは寂しそうな顔をした。

「父は、ベイリン様には恩があると、常々申していました。それに、私が知る限り、ベイリン様も、ベイラン様もご立派な方でした」

「二人に会った事が?」

「はい、幼少の事ゆえ、それほどはっきりとは覚えていませんが、優しくして頂きました」

「ベイラン卿の息子に、会った事は?」

「無いと思います。でも、わかりません。なにぶん小さかったものですから」

何故そんな事を聞くのかと、少し訝しい顔をした。

ベリナスは、何かを思案するように視線を反らした。

「ベイラン卿を殺したのは、兄のベイリン卿だったな」

「よくご存じですね」

「噂で聞いたのだ。しかし、仔細は知らぬ」

「私は、少しだけ父に聞いたことがあります」

リネットはためらいがちに、口を開いた。

「全ては、あの魔剣のせいなのです」

愛する者の命を奪うという、魔剣カラドボルグの事だ。〈心を穿つ者〉という意味を持つその剣は、サバージュ家が代々守り続けてきたものだった。その悪しき力を封じる事こそが、サバージュ家に伝わる役割であり、使命だった。だからこそ彼らは、栄光ある円卓の騎士となる事は無く、常に日陰の道を選んだのだ。

「先に兄のベイリン卿が妻を娶ったため、剣は弟のベイラン卿が持つ事になりました」

リネットは語り始めた。

「しかし、そのベイラン卿も妻を得ました。やがて子が生まれましたが、妻は産後の肥立ちが悪く、お亡くなりになられました。子一人を残されたベイラン卿は、己が剣で愛する息子を傷つけることを恐れ、子を人に預けました。それでも不安に堪えきれなくなると、最後には剣を兄の下へ返したのです」

初めて聞く話だった。ベリナスが興味をもったのを見て、リネットは話を続けた。

「ところが、いざカラドボルグを手放すと、ベイラン卿はその剣をどうしても再び手に入れたいと思うようになりました。カラドボルグは、サバージュ家の当主の証。それを失う事の大きさに、後になって気付いたのです。

ベイラン卿は、人知れず兄を突け狙うようになりました。そしてある時、兄を襲い、その剣を奪おうとしたのですが・・・」

ベイリンは、それと気付かず、カラドボルグで弟を斬り殺してしまった。まさに、自分が愛する弟を、自らの手で殺してしまったのだ。

「そういう、訳だったのか。やはり、魔剣のなせる業かな」

「人はそう噂します。でも、不幸な偶然が重なっただけなのかもしれません。少なくとも父は、お二人のどちらも責める事が出来ないと申しておりました。・・・今は、語る者も無い話です」

リネットは呟くように言った。

「責める事は、出来ないか」

「ええ、最初にも申した通り、父にとって、お二人は恩人でした」

リネットは、父が繰り返し語った物語を、自らの唇に乗せた。

「かつて父がまだ若き頃、ベンウィックのバン王にお仕えしていた時の事でした。王の剣と盾が盗まれるという事件があったそうです」

「ほう」

「その時、疑いをかけられたのが、我が父でした。その頃から、父は武具を集める趣味があったものですから」

困ったような顔をして、苦笑いする。この様子では、今もそうなのだろう。

「誰も父の言う事を信じてはくれませんでした。父が犯人を捕らえてくると言っても、そのまま逃げるのだろうと、誰もが疑いました。その時、父を信じてくれたのが、ベイリン卿とベイラン卿のお二人でした

ベイリン卿は、剣が戻らなければ自らの命を差し出すと誓い、ベイラン卿は、盾が戻らねば自分が命を捨てると言って、父の身代わりとなり、父が王の武具を取り戻して帰ってくるまで、自ら牢に入ってくれたのです。ですから、もしお二人が父を信じてくれなければ、きっと私もこの世には生まれていなかったのでしょう」

話を聞き終えると、ベリナスは深く頷いた。

「なるほどな。面白い話だ」

「聞いていただけて光栄です。昔語りは、なかなか難しいですね」

ラディナスが、サバージュの息子を、まるで己が息子のように考えたのも、うなずける話だ。それにしても、騎士の心を利用したオヴェウスのやり方は、ますます許せない。

「無償の正義こそ、騎士の本分か」

「え?」

「いや、独り言だ、気にせんでくれ」

ベリナスは先ほどのやり取りを、もう一度思い出した。

サバージュの兄弟がラディナスを信じ、自らの命を懸けた事に、打算的な理由や目的などはあったのだろうか。

彼らは、正しいと信じたものを、ただ信じるがゆえに行動した。そこには邪念など一つもない。それこそ、騎士の道義ではないだろうか。

「これじゃあ、俺は騎士失格かもしれねえな」

呟くと、彼は飲み干した器を、リネットに返した。

「最高に旨い茶だった。また、淹れてくれるか」

彼女の顔に、満面の笑みが浮かんだ。



キリアムは知った。

グリンガレットの秘密を。

緑の革帯の呪い。不死と誘惑の宿命。そして、命の繋がりを。

デリーンは彼女が知りえた全てを、彼に語った。

グリンガレットには悪いとも思った。だが、彼がそれを知ることが、どうしても必要だと思った。きっと、彼女自身の口からは永遠に語る事が出来なかっただろうから。

その理由を、彼女は認めないと、気付いているからこそ。

目に見えて、キリアムは動揺していた。

無理もない。

話が常人の理解を超えている。それに、彼は馬鹿が付くほどに真面目な人間だ。自分がグリンガレットの信頼を得ていなかったのだと、己を責めているのだ。

「あんたに話をしなかったのはね」

見かねて、デリーンは言った。

「あんたの事を、グリンガレットは好いているからだと思うよ」

「・・・!」

キリアムは、絶句して顔を上げた。

デリーンは苦笑を浮かべて。

「はっきりと、そう言ったわけではないけどね。話を聞いてりゃあわかるよ。あの子はあんたの事を、好ましく思っている。恋愛感情とか、そこまでは解らないけどね。でも、だからこそ、あんたには話せないんじゃないのかな」

「そのような、・・・私は、彼女に望まれて主従となったわけではない。私が無理に、彼女についてきたのだ。私は、言うなれば同行者に過ぎぬ。それも、さして役にも立たぬ」

「そんなに卑下すると、逆に嫌われちまうよ」

デリーンはこの騎士に、もう少しベリナスと同じくらいのふてぶてしさがあれば丁度いいのに、と思った。同時に、ベリナスにも、これ位の紳士さがあれば、とも思う。

「あの子も素直じゃなさそうだからね。見た目はお姫様の癖に、中身は結構ひねくれているしさ。案外、口も悪いし。・・・だからきっと、あんたには自分の深い部分を、見せたくは無いんじゃないかな。無意識かもしれないけど、嫌われたくない一心でさ」

「グリンガレットが、私を、そのように・・・」

「あ、そりゃ半分くらいは、あたしの思い込みかもしれないけどね」

下手に誤解をさせてもまずい。デリーンは慌て言い繕った。

だけど、正直そうなのだろうと思う。

キリアムを盾にとられた時の、彼女の反応と、表情を見れば。

サヌードもすぐに察したはずだ。あの瞬間、グリンガレットは自身の呪いの事を忘れ、キリアムの事を案じた。ただの同行者に向ける態度ではない。だからこそ、サヌードは強気に出たのだ。

「グリンガレットは、あんたを選んだ。自身の運命よりも、あんたが生き延びる道をね。あたしは、あんたと出会えたのは、ただの偶然じゃ無いと思ってる。きっと、あんたに彼女の思いを伝えるためだ」

彼女の思い。

キリアムは震える手で、握り拳を作った。

その思いに、応えたい。ならば、自分に何が出来る。

彼女に会いたい。しかし、この身の潔白を晴らす術はあるのか。

彼女を失い。ガラティンを失い。自分には、何が残されている?

ガラティン。そうだ、あの剣を、自分は失ってしまった。彼女の命とまで言った、あの剣を。自分は彼女の、そしてグァルヒメイン卿の想いを、裏切ってしまったのではないか。

「キリアム・・」

思いつめた表情になったキリアムに、デリーンは声をかけようとして、止めた。

ここからは、彼の戦いだ。知ってしまった事実に、・・・現実に、どう立ち向かうかは、もはや彼が決める事だ。

キリアムは、緑の騎士の伝説を思いだしていた。

緑の騎士。

円卓に連なる騎士ならば、一度ならず耳にする、有名な話だ。

ある時、偉大なる王のもとを、全身を緑の装束で覆った騎士が訪れた。

王に、不遜な態度を露わにして、騎士は、円卓に勇気ある者がいれば、互いの首を賭けよと言った。その恐ろしい申し出に、居合わせた騎士の誰もが慄く中、円卓の騎士の名が貶められるのを恥じて、グァルヒメイン卿が名乗り出た。

緑の騎士の首を落としたが、彼は不死身だった。一年の後、グァルヒメイン卿の首をもらい受けると言い残し、彼は去った。

一年の間、グァルヒメイン卿は旅をして、緑の騎士に対抗しうる力を求めた。

途中、とある城で、彼はベルティラック王と、女主人のもてなしを受けた。彼は女主人の誘惑を拒み、王の信頼を得た。最後に、女主人は緑のスカーフを与え、グァルヒメイン卿の貞節に祝福を与えるとともに、彼の命を守る祈りを与えた。

キャメロットの王宮に戻り、グァルヒメイン卿は緑の騎士と対峙した。

グァルヒメイン卿は、彼に抗う事をせず、素直に首を差し出した。

醜く抗う事よりも、騎士道を護り、騎士の名誉と誇りを護り、たとえ祈りが叶わず無情な死が訪れようと、その運命を蒼天に委ねたのだった。

緑の騎士は、三度剣を振るった。しかし、それは、彼の首の皮に、一筋の傷をつけたのみだった。

緑の騎士の正体こそ、グァルヒメイン卿が逗留した城の王、ベルティラックだった。

彼は、グァルヒメイン卿の勇気と貞節を讃え、自らの革帯を彼に与えた。

革帯は、栄光の証。そう、誰もが信じていた。

キリアムも、ずっとそう思っていた。この物語の陰に、その死への恐怖を一身に受け、痛みと苦しみを一人で背負ってきた娘がいた事など、物語は教えてくれなかった。

彼女はグァルヒメイン卿のもとに身を寄せた。

そして、グァルヒメイン卿の生き方や、騎士の魂に触れ、自らの意思を手に入れた。

そうだとしたら、彼女の求めるものは。彼女が騎士道に見た栄光とは。

何が出来るかではない。何を為すかだ。

デリーンを見つめた。

デリーンは彼の表情が変わった事に気付いた。

「人が信じるか、信じぬかなど、問題ではないのだな」

彼は呟いた。

「私が何を信じ、何を守るのか。ただ、それだけだ」

「何だか、吹っ切れたみたいだね」

ほっと、胸をなでおろした。

まったく騎士という連中は手間がかかる。いや、「男は」と言った方が良いだろうか。頭は固いし、面倒くさい奴ばっかりだ。だけど、こういう不器用さも、人には必要なのかもしれない。

戸を開ける音がした。

ベリナスが立っていた。

「話は終わったかい」

「ああ、だいたいはね」

ちらりとキリアムを見て。

「どうやら、心配するまでも無かったな。良い顔をしている」

「旦那こそ、機嫌がよさそうじゃないか」

「そうでもねえ」

どこまでも、素直じゃない奴め。デリーンは眉根を寄せた。

「今から、野営地へ行ってくる。何人か連れてくる。今夜、打ち合わせをするぞ」

「え?」

「さっきの続きだ。何をするか、決めるんだろう。そっちの旦那も、覚悟は決まったかい」

問われて、キリアムは強く頷いた。

「そりゃ、良かった。じゃ、また後でな」

ベリナスは去っていった。

彼は、何をするか、と言った。

それは、つまりはそういう事だ。

「ったく、どこまでも素直じゃないんだから」

デリーンは相好を崩して、自分も素直になれない口調でこぼした。



暫くの間、グリンガレットは従順を演じていた。

サヌードは、日に一度は顔を出した。彼女が心から従っているなどとは、露ほどにも思っていない。とはいえ、円卓の会議で事が進んだことには、一応の満足をしている様子だった。

割れた鏡にも、何も言ってこなかった。かえって気にして

「不愉快なので割りました」

グリンガレットが言うと、彼はそれを見て、ふん、と、鼻を鳴らしただけだった。

太陽が西天に傾く頃、小さな中庭に椅子を移して空を見上げていると、いつの間にかその彼が戸口の側に立っていた。

「天に、何か見えるのか」

声をかけられて、グリンガレットは視線を落とした。

「天ではありません。塔を見ておりました」

「塔を?」

東の塔の先端が、日差しを浴びて朱く変わっていた。そこから、あの「琴の音」が、今日も延々と響き続けている。

「タリエシン様など、居ないのでしょう」

単刀直入に言った。

驚きを隠して、サヌードは踵を鳴らした。煉瓦の敷かれた軒を超え、グリンガレットの側まで寄る。見上げて

「そなたには、お見通しというわけか」

「私を見くびってもらっては困ります。モルガンの名を騙る程の女ですよ」

「見くびってなど、おらぬ」

彼はそう言って、彼女の肩に手を置いた。

払いのけたい気持ちを必死に堪え、その素振りも見せず、グリンガレットは両手を胸の前で重ねた。

「この音の正体を、見せていただくことは?」

「出来ぬ」

「そう仰ると思っておりました」

「分かっていながら」

「その見返りは御座います」

「それは興味があるな」

サヌードが離れた。

少し離れた位置に立って、彼女を振り返る。その眼に好奇の色が浮かんでいた。

「ガラティンを、お持ちください。さすれば、お見せ出来ましょう」

「ガラティン? あの偽りの剣か?」

「偽りの剣?。ふふ、まことにそのようにお思いで」

サヌードは片眉を吊り上げ、訝しむような顔つきになった。

「偽りでは無いと、そなたは申すのか?」

グリンガレットは頷いた。皮肉めいた表情を浮かべそうになったが、すぐに真面目な顔を作った。

「あの剣は王の剣。その資格無き者には、駄剣と映るでしょうが」

サヌードの顔が険しくなった。

彼にはその真価が見えなかったのだ。それは、キリアムがまだ生きている事を意味している。例え仮の主だとしても、剣はまだ、キリアムを認めている。

「それが証明できるとでも」

「私には可能です。何故なら、あの剣を与えたのは、この私ですから」

「面白い。ではやはり、キリアムを操っていたのは、そなただったのだな」

 「操る、というのは、少し違いますが」

 「良いだろう、ガラティンを用意しよう」

 「琴をお見せいただくのが、先でございます」

 凛として、彼女は言った。

 ここは、折れる事が出来ない。彼に約束を違えさせるわけにはいかないからだ。

 腕を組み、サヌードは一度、塔を見上げた。

 それが魔法の響きであると知った者にとって、この琴の音は、まるで呪縛のようだった。意識をそこに向け続ければ、平静ではいられなくなる。彼女だからこそ、こうして平気な顔をしていられるのだ。では、なぜサヌードは平気なのか。

 答えは簡単だ。彼は、受け入れているからだ。

 自ら望んだのか、それとも望んだと思いこんでいるのかは別にして。彼は既に魔の音に取り込まれている。

 「良かろう」

 彼はようやく応えた。

 「琴の正体を見せよう。そなたと私は、いずれ同じ宿命を持つ間柄だ。今見せるも、後で見せるも変わらぬからな」

 グリンガレットは頷いた。

 立ち上がり、彼の側に歩み寄る。

 「言っておくが、そなたが望むような物では、無いかもしれぬぞ」

 サヌードは言った。その相貌に、ほんの少し彼女を気遣うような表情が浮かんだ。

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