第26話 選ばれし者

二十六 〈 選ばれし者 〉


 ざわめきが地鳴りとなった。

 王妃が剣を投げ捨てた、その様に衆人の目には映った。

 グリンガレットは顔を顰めて、必死に痛みと悲鳴を堪えた。だが、サヌードは、彼女に何が起きたのかを知る由もなかった。ただ、怒りと憎しみに燃える目で、彼女を見上げた。

 「どういう、おつもりですかな」

 震える声を抑えて、彼は訊いた。

 「違うのです。これは」

 グリンガレットは、平静を保とうとして答えた。だが、手の痛みは、再び彼女を襲った。

 剣を持ちあげようとして、再び落とした。剣が壇の床に突き刺さった。

 この手は、何か鋭いもので貫かれた感覚だ。焼けるように熱く、痛い。オヴェウスは、一体何をしている?。

 彼女は、儀式の陰でラディナスの死刑が執り行われている事も、オヴェウスがそれを執行している事も知らされてはいなかった。

 集まった者達は、王妃に何が起きたのか、不安と好奇心の入り混じった目を向けた。その様は、サヌードの肩に剣を乗せようとした瞬間に、剣がそれを拒否したようにも見えた。

 「サヌード卿を、拒んだように見えたぞ」

 「今までの候補者には、一人として無かったな」

 口々に呟く声が、壇上にまで聞こえ始める。

 サヌードは、彼女がわざとそうしたと思った。

 「グリンガレット、貴様」

 彼女にだけ聞こえる声で、睨みつける。

 肩を震わせ、立ち上がろうとした。

 彼女の眼が見開いた。

 ざわめきが、急に大きくなり、どよめきにかわった。

 広場が揺れている。空気が一変するのが、サヌードの背中越しにも分かった。

 グリンガレットの眼は、サヌードを見てはいなかった。彼の姿を越して、広場の中央を見つめている。

 サヌードは振り返った。

 そして、見た。

 

人海が、二つに割れていた。

 その中央を、馬に跨った一人の騎士が、威風堂々と突き進んでくる。

 何が起きたのかわからぬまま、騎士達は、驚きのあまり、彼の通り道を開いていた。

 ・・・キリアムだ!?。

 ・・・王殺しのキリアムだ!?

 そんな声があちこちから沸き上がり始めた。

 だが、あまりにも堂々たる行進と、尊厳に満ちた姿に、誰一人手を出すものはいない。

 「我が殿・・・」

 グリンガレットのつぶやきは、騒音に消えた。

 彼女は襲い来る痛みを忘れ、彼の姿を見つめ続けた。彼の深い眼差しもまた、彼女だけを見つめている。駆け出したい衝動が、彼女の心を激しく打った。

儀式の祭壇まで、あと少しまで迫った時

「と、捕えろ!」

 ようやく誰かが言った。

 壇の前を固めていた近衛騎士が、我に返ったように槍や剣を構え始める。

 「待て、逸るな」

制した者があった。

 正騎士のダリウスが、僅かに早く、自らの私兵や、仲間の騎士に指示を出して、キリアムを囲んでいた。その様子は、キリアムを追い詰める様でもあり、また、横から何者かがキリアムを襲うのを護るようにも見えた。

 「そなたは、キリアム卿だな。王殺しの貴公が、どうしてここに参った」

 ダリウスが、白眉の下の眼を見開き、相手の動作の全てを見極めるかのように見据えた。

 キリアムは馬を留めた。すうと息を吐き、いっぱいに胸を張る。澄んだ目をしていた。

 「我が名はキリアム」

 騒音を沈ませる大音声で、彼は名を告げた。

 「円卓の騎士エトリムが子にて、バースの騎士、キリアム・グレダウ・コホなり」

 清廉たる騎士の名乗りを、こうして耳にするのは、幾年振りか。偉大なる王の時代が、一瞬、その場に蘇ったのを、誰もが感じた。

 「我が剣に、悪しき行いは無し。我が身の潔白を誓い、そして、真なる悪を誅するため、この場に推参致した」

 「ほう、真なる悪とな」

 ダリウスの眼が光った。

 「たわごとを聞くな、その者を捕えよ」

 サヌードが叫んだ。

 ダリウスはちらりと彼を見た。だが、気にする風でもなく、

 「サヌード卿よ、正騎士の儂が、近衛騎士のお主に指図されるいわれはない。それよりもキリアム卿よ、真なる悪とは何事だ」

 キリアムは一度老騎士を見下ろし、すぐに視線を壇上に戻した。

 「エイノール陛下を殺し、自らが王位を望む者が居る」

 その手が、サヌードを指した。

 「近衛騎士長サヌード。貴公の奸計、もはや見逃すわけにはいかぬ」

 人々がサヌードを見つめる。

 ほとんどの騎士は、キリアムの言葉を信じてはいなかった。何を馬鹿なことを、という言葉も漏れ聞こえ始めた。だが、中には、サヌードに懐疑的な目を向ける者もいた。

 キリアムの堂々たる態度もそうだが、なによりも王妃が剣を落とした姿が、人々の脳裏には鮮明に刻まれていた。

 ダリウスも、その一人だった。

 サヌードはこの場において、僅かにせよ、自身に疑いの目が向いた事を悟った。

 「何を言い出すかと思えば、片腹痛い。なんの証拠があって、そのような讒言を為すかキリアムよ。王を射た弓矢は貴公の物。それに、オヴェウスは自白したぞ。貴公を唆したラディナスも、今頃は刑場の露と消えておろう」

 ラディナス卿が、死刑に? はじめてそれを知って、グリンガレットは思わず声をあげそうになった。

 サヌードが、ちらりと横を見やった。

 ケルンナッハが頷いて、ひっそりと壇を降りた。

 グリンガレットは彼が三の城門へ向かうのを見た。

嫌な予感がする。

 「証拠はない」

 キリアムは正直に言った。どこかで冷笑が湧いた。それでも、彼には迷いはなかった。

 「だが私は、この潔白を誓う」

 「何に誓う。蒼天か?」

 ダリウスが、正面から彼を見た。ダリウスは、彼の言葉が真実である事を感じていた。この振る舞い、堂々たる姿、全てが物語っている。だからこそ、信じ切れる誓いが欲しい。この場に居並ぶ騎士を黙らせるほどの誓いだ。

 キリアムは天を仰いだ。突き抜けるほどに青い蒼天は、彼らブリトンの誇りだ。新なる神がそれを否定しようとも、それは尊い。

 彼は、静かに天を指した。

 「私は誓おう。蒼天の、その先に・・・」

 瞳が、グリンガレットを包んだ。

 「蒼天の先にて私を待つ、グァルヒメイン卿、そして、偉大なる王と、円卓の騎士全ての名において、私はこの身の正しさを誓おう!」

 ダリウスは、この言葉を待っていた。

 大きく頷いて、手を横に開く。

 彼を通せ、その手はそう言っていた。

 「馬鹿なことを、口では何とでも言えるわ」

 サヌードが歯ぎしりをして、部下の近衛騎士に指示を出しかける。制したのは、グリンガレットだった。

 彼女はサヌードの前に進み出た。

 「キリアムよ」

 彼女は言った。

 「キリアムよ、その誓いが、真に正しきものであるか、わらわが自ら、正すとしよう」

 剣を手に、壇を降り始める。

 さすがの近衛騎士達も、王妃自ら壇を降りるのでは、道を開くしかなかった。

 キリアムは、彼女の姿を見て、馬を降りた。

 ・・・グリンガレット。

 思わず心の中で、彼女の名を呟く。彼はもう、彼女を「姫」とは呼ばなかった。

 ・・・キリアム様。我が殿。

 彼女もまた、彼の名を心で呼んだ。自分でも気づかぬうちに、心から、我が殿と呟いていた。

 キリアムが、騎士としての礼をとる。片膝をつき、片方の手を胸に当てて、深く頭を下げる。彼の前に足を止め、グリンガレットは剣を掲げた。

 「キリアム卿よ、そなたに剣の裁きを与えよう」

静かに剣を下げ、彼の肩に近づけながら、

「我が手にある王の剣よ、この・・・」

 言いかけた所で、止まった。

 グリンガレットの表情が、金縛りにでもあったように、驚愕に染まった。

 

奇蹟が起きるのを、誰もが見た。

 

剣は、キリアムの肩に触れるよりも早く、煌々とした光を放ち始めた。剣身がほの赤く輝きを帯びたかと思うと、次の瞬間には閃光を思わせるほどの光の奔流が起きた。

 それは、幾つもの色を浮かべながら、広場全体を包み込むほどに広がって、そして、一筋の輝きにおさまっていく。

 太陽を思わせる白く、透明な光。これこそが、ガラティン本来の姿だ。

 「グリンガレット、貴様何をしている!」

 思わず、サヌードが叫んだ。

 彼女はまだ、何もしていなかった。何かをするつもりではいた。だが、その必要はなかった。ガラティンは、自らがキリアムを選んだ。彼の前に、王としての道を開いたのだ。

 一筋の涙をこぼし、グリンガレットはかしずいた。

 「お立ちください我が殿」

 彼にだけ聞こえる声で囁き、彼の相貌を間近に見る。この時が来た。彼女が、剣を失う時が。彼に、過酷な運命を、背負わせる時が。

それは悲しみ以上の感情をもたらした。彼女の心を、溢れ出す想いが満たした。

 キリアムは立った。

 グリンガレットは彼に剣を捧げた。

 「お受け取り下さい。我が王よ。我が命と、魂にございます」

 いつか聞いたその言葉を、再び耳にして、キリアムはガラティンを掴んだ。

 人々は喝采した。何が起きたのか、それを悟った。

 ダリウスが、サヌードを睨んだ。

 「貴公、先ほど、事もあろうに王妃殿下をグリンガレット(馬の骨)などと、ほざいたな。これで貴様の正体、見えたぞ」

 ダリウスはキリアムとグリンガレットを護るように剣を抜いた。

 「惑わされるな、所詮奴は王殺しのペテン師だ、殺せ!」

 サヌードが叫んだ。

 近衛騎士は、明らかに動揺した様子だった。目の前で奇跡を見てしまった。だが、確証も無く隊長の命令に逆らうのも躊躇われる。

 その時、琴の音が、一段と高らかに響き始めた。

 再び空気が一変した。

 「殺せ、キリアムを殺すのだ。奴は王妃をも誑かそうとしているのだ」

 サヌードの声が、急に真実味を帯びたものに聞こえた。琴の魔力が増した。誰かが琴を弾いたのだ。それが誰の仕業か、グリンガレットにはすぐに想像がついた。

 近衛騎士隊は、疑う事を忘れた。一斉に武器を掲げ、猛りの声をあげはじめる。

 「む、これは?」

 ダリウスが驚きの声をあげた。

 サヌードの声に同調したのは、近衛騎士ばかりではなかった。広場の南半分を埋めた新参の騎士達が、次々に剣を抜き始める。

 「いかん、王妃を護れ」

 ダリウスの指示に従ったのは、彼の私兵と、幾人かの正騎士だった。また、支城から帰参したばかりの騎士達も、キリアムを守るように動いた。

 「殺すのだ!」

 サヌードが叫んだ。

 雄たけびをあげて、騎士達が争いを始めた。広場は一瞬にして戦場へと姿を変えた。

 さっきまでは味方同士だった騎士達が、二つに分かれ、お互いを仇敵のように罵りあい、剣を向ける。憎しみだけを浮かべながら、騎士達は自我を失った。

 迫りくる敵を一太刀で倒すと、キリアムは壇上を睨んだ。

 その背後から斬りかかる者が居た。

 「我が殿!」

 グリンガレットがそれを防いだ。

 いつの間に、誰から奪い取ったものか、既にその手には剣を持っていた。

 「背は、私が護ります。殿、ともにサヌードを」

 「すまぬ。任せる」

 乱戦になっていた。

 辺り中から剣激の騒音と悲鳴が巻き起こる。

 二人は互いの背を護りながら、巧みに敵を打ち倒し、祭壇に進んだ。

 サヌードは壇上で待っていた。抜身の長剣を持ち、キリアムの姿が見えるや否や、上段に斬りつけてきた。

 「貴様、よくも我が舞台を汚したな」

 「何が舞台かサヌード、陛下の仇、この私が晴らして見せる」

 キリアムは力任せにも見えるサヌードの剣を巧みに躱して、壇上に躍り出た。

 グリンガレットは一歩遅れた。壇に昇る階段のたもとで、押し寄せる兵の大軍を牽制する。

 壇上はキリアムとサヌードの一騎打ちの様相を呈した。

 サヌードの剣技は、決して未熟なものではなかった。

 むしろ、非常に強い。おそらく、このルグヴァリウム城においても、突出した強さであろう。オヴェウスの豪剣とは比較できないが、技の冴えだけで言えば、おそらくはサヌードの腕の方が上だ。攻めに転じた時の鋭さといい、守りに回った時の身の捌きといい、これという死角が見えない。一対一の戦いをするならば、この上ない難敵だった。

 だが、キリアムはそれを凌いでいた。

 ガラティンの強さだけではない。

 怒りと、グリンガレットを護るという想いの強さが、彼に無類の力を与えていた。

 最初は互角にも見えた戦いだったが、徐々に趨勢がキリアムに傾いてきた。

 壇の端まで追い詰めると、キリアムは勝機を見て剣を振り上げた。

 「危ない! 殿!」

 グリンガレットの声が無ければ、彼は死んでいた。

 まさに間一髪。キリアムを襲った横槍を、すんでの所で避けた。体勢を崩し、キリアムは倒れた。サヌードがここぞとばかりに襲い掛かってきた。

 槍を投げたのは、ファグネルだった。

 「卑怯者」

 グリンガレットの痩身が走った。

 剣を構えて向かい来る王妃に、ファグネルは迷った。だが、彼は琴の音に侵されていた。相手が王妃だと理解しながらも、背にしたもう一本の投げ槍を手に取る。投げつけようとしたが遅かった。

 グリンガレットの一閃を受けて、彼は音もなく倒れた。

 彼女は壇上に視線を戻した。

 キリアムは受け身に回っていた、片手を少し怪我したようだ。だが、しっかりと腕は振れている。軽傷だろうと彼女は見た。

 「サヌード、貴方の策は潰えました。諦めなさい」

 「その声は、グリンガレットか」

 サヌードに、僅かな隙が出来た。

 キリアムはそれを逃さなかった。

 サヌードの剣を激しく叩いた。折れるほどの勢いに、彼の手は痺れた。苦痛に顔を歪め、一歩退く。こうなると、再びキリアムが攻勢になった。

 グリンガレットが壇上に姿をみせた。

 キリアムとグリンガレットは並び立った。お互いを瞬時に見つめ、呼吸を合わせたように、剣先をサヌードに向ける。

 「く」

 サヌードは悔し気に奥歯を噛み締めると、突然、背を向けた。二人が相手では勝ち目が無いと踏んだのだろう、周囲の眼も気にせず、目の前に塞がるものを、、敵味方なく斬りつけながら、三の城門へと逃げ出していく。

 「いけない」

 グリンガレットは、彼が何処に向かったのか、咄嗟に気付いた。

 「我が殿、サヌードを追います。彼を、あそこに行かせてはならない」

 西の塔だ。

 捨て鉢になった彼が逃げ込むとすれば、もはやそこしかない。そしてそれは、恐ろしい結果を生む恐れがある。

 「どこに行くのだ?」

 キリアムはまだ、群がる敵を蹴散らしていた。

 説明をしている暇はなかった。

 「私に、ついて来て下さい」

 グリンガレットは自らも三の城門へと走った。何とか敵を追い払いながら、キリアムが後に続いた。

 三の城門は閉まりかけていた。やむなく城兵を倒して、その手を止める。門の中に滑り込んでいくと、見覚えのある中庭を駆け抜け、西の塔を目指した。

 さすがに、三の城内には敵影は殆ど居なくなっていた。

 西の塔の入り口は開いていた。

 ごくりとつばを飲み込み、僅かに遅れてきたキリアムを振り向く。

 「サヌードはこの中です」

 「ここか? 逃げ道も無いようなところに、どうして」

 「逃げたのではありません。殿、奴は待ち構えている筈です。どうか、油断なさらぬよう」

 キリアムは頷いた。

 先にグリンガレットが入ろうとするのを、彼は腕をつかんで止めた。

 「私が先にゆく。背を頼む」

 彼女は素直に従った。

 琴の音が、頭を打ち割るかのように響いていた。常人であれば、耐え切れない程の音の凶器だ。ガラティンの加護があればこそ、キリアムもまだ堪えることが出来ていた。

 螺旋階段を昇り詰め、扉の内側に入ったところで、キリアムは奇怪な光景に飲まれた。

 琴は、以前にもまして醜悪な美を晒していた。

 白く輝いていた蜘蛛の糸が、赤や紫といった、色とりどりの色に染まって、それぞれが異なる音を紡いでいた。

 その本体といえる琴の残骸を前にして、サヌードは狂気を張り付かせていた。

 「もはや、逃げられぬぞ、サヌード!」

 キリアムは剣を突きたて、室内に足を踏み入れた。

 慎重深く、グリンガレットも続いた。咄嗟に、人影を探した。

 「逃げられぬのは、貴様の方だキリアムよ。それに、グリンガレット、いくら血のつながりがあろうと、貴様だけは許さぬ」

 サヌードが弦に触れた。

 「いけない、我が殿、早く!」

 グリンガレットは叫んだ。

 僅かに遅かった。

 音が激しく脳を揺らした。、と、同時に、グリンガレットは体中の力が奪われるのを感じ、一歩もその場から動けなくなった。

 いや、動けないのは、脚だけでは無い。腕も、首も、視線一つさえも動かせない。琴の力は、すでに彼女が内包する力を、既に凌駕してしまっていたのだ。

 眼前では、キリアムもまた動きを封じられていた。

 「ふふ、動けまいキリアムよ」

 再びサヌードが弦を揺らした。

 琴が、まるで意思を持った生き物のように蠕動し、キリアムの手足に巻きついていく。グリンガレットの両足もまた、弦は捕えて離さなかった。

 抗おうにも、声すらも出せない。さすがのグリンガレットにも、この場を切り抜ける策が瞬時には浮かばなかった。まさかここまで、サヌードが琴と一体になってしまっているとは。

 「死をくれてやるキリアム。次なる王になるのは私なのだ」

 歪んだ眼を見開いて、サヌードは高らかに笑った。



 ベリナスは、オヴェウスと死闘を繰り広げていた。

 ラディナスを縛り付ける拘束具は、思った以上に固く、マイルスは苦心していた。

 不思議な感覚だった。

 ベリナスは幼いころに、人の手に預けられ、親の顔を知らずに育った。父親のベイランという名前だけは知っていた。だが、それは他人の名前も同然だった。いかに家名を背負っていようと、会った事も無い、自分を捨てた男の事を、どうして誇りに思えるだろうか。

 そして、幾年か過ぎた後、彼は父親の死を伝え聞いた。殺したのは、叔父のベイリンだと聞かされた。

 それ程に感慨も無かった。やはり、自分には他人だったからだ。

 ベイリンが自分を探している事も知っていた。しかし、何故会う必要がある。

 単純に言うならば、ベイリンは親の仇だ。彼が罪滅ぼしをしたい?。そんな自己満足に付き合う程、自分は暇じゃ無い。

 だが、そのベイリンが殺され、その名を所縁もない男が名乗っていると聞かされた時には、さすがに少し腹は立った。

 リネットに聞いた話も、悪くはなかった。

 それだけの事で、簡単に父親や叔父の事を認める気にはなれなかったが、彼らとの縁は感じることが出来た。そして、自らの家名が故に、苦しんでいる騎士がまだ一人いて、苦しんでいる娘が一人いるとわかった。

 これからも自分が騎士を名乗り続ける以上は、そこには家名を護り戦う意味があると、ただ、そう思った。

 それだけのつもりだった。

 だから、オヴェウスを前にして、自分がこうまで熱くなるとは想像もしていなかった。

 オヴェウスは正直言って、これまでの人生で最も強敵だった。

 キリアムに聞いていなければ、初太刀で剣を折られていた事だろう。これ程の豪剣は、見たことが無い。それに、悔しくなる程に、カラドボルグはオヴェウスの力を引き出していた。

 巨体だが、素早く、隙も少ない。一方的に受けに回りながらも、勝機を探った。

 その間にも、時折ラディナスに目を向けた。その度に焦りが募った。ようやく片腕と首が自由になったところだ。あと、もう片方の腕を外せれば、彼を助けられる。

 さらに別の方向から、敵の増援が走ってくるのが見えた。

 狼煙台の方も、押され始めていた。

 デリーンは矢を打ち尽くした。

 彼女が仕方なく足元に視線を移すと、二人の味方のうち、一人が斬られた。

 デリーンは短刀を抜いて、やぐらをつたうように足元の敵兵へ斬りかかっていった。

 上方から予期せぬ攻撃を受けて、囲みが崩れた。

 「カリ、マイルスの方に行くよ!」

 デリーンはラディナスにかかりきりになっているマイルスを目指して走った。カリもまた、必死に剣を振るってその後に続いた。

 「くそ、やべえな、不利になってきやがった」

 ベリナスはぺろりと唇をなめた。

 「サバージュは俺だ! 貴様なんぞ」

 オヴェウスが剣を振り下ろした。

 必死に避けて、返す刀で斬りつける。

 傷をつけたが、オヴェウスは全く苦しむ事をしなかった。

 「不死身というのは、本当らしいな」

 ベリナスが悔し気に呟いた。

 「貴様、何か知ってるのか?」

 「さあな」

 オヴェウスは、まだ真実を知らない。だが、自身の変化には気付いているようだった。

 正直打つ手がない。オヴェウスを倒す方法が見当たらない。嫌な汗が背中に溜まる。

 デリーンはラディナスの所まで辿り着いた。

 マイルスに抑えさせ、短剣で彼の手枷を切り裂く。ようやく自由になったラディナスは立ち上がろうとしてよろめいた。慌てて、カリとマイルスが肩を貸した。そこに、追い付いた城兵が襲い掛かった。

デリーンが応戦に回った。だが敵の数が多い。

囲まれるのが見えた。後ろに敵兵がまわっている。

 「デリーン!」

 ベリナスは一本の剣を投げつけた。

 飛来した剣は的確に敵兵を倒した。デリーンが驚いた顔でベリナスを見た。

ほっとしたのもつかの間。

 「ベリナス、避けて!」

 オヴェウスの一撃が迫っていた。

 地べたを転がるように必死に躱し、剣を薙ぐ。肉を切る感覚があった。脛のあたりに傷をつけたらしい。痛みを与えることは出来なくても、相手はバランスを崩した。

 「くそ、ちょこまかと」

 オヴェウスが呻いた。

 ベリナスは素早く体勢を立て直した。

 どうやら、小手先の業で勝てる相手ではない。幾ら騎士でも、化物退治は初めてだ。

 一本になった剣を、両手で構えた。狙いは一か所しかない。

オヴェウスは片膝をついていた。憎しみのこもる眼には、人間とは思えない程の狂気が灯っていた。いや、まさしく心まで、怪物と化しているのかもしれない。ベリナスを敵と知り、挑みかかろうとする姿には、悪鬼が取りついているとしか見えなかった。

・・・捨て身で仕掛ける。

彼の左手に回り込むように走りこむ。思った通り、オヴェウスは横に剣を振るった。

ベリナスは剣に向かって跳んだ。

正確には、剣を振るうその腕を。

片足で相手の剣の柄を蹴り、そのまま、更に一段高く身を躍らせる。

「いくら不死身でも!」

ベリナスは、全身の力を込めて、オヴェウスの首に剣を叩き込んだ。

その一閃に全てを賭けた。

 剣は肉を裂き、骨を断った。

 「・・・これでも立っていられるか!」

 オヴェウスの体から、首が離れた。

 ベリナスの背後で、巨体がゆっくりと、前のめりに倒れていく。

 勝利を確信し、ベリナスは一振りで、剣の血糊を払った。



 琴の音が、歓喜に震えていた。

 光は激しさを増している。獲物を捕らえた喜びと、サヌードの狂気の高まりを知って喜んでいる。サヌードの体にも、琴の弦は幾重にも巻きついていた。

 やはり、サヌードを、力の源に選んでいるのか?

 グリンガレットは自由にならない視界で、彼を見ようとした。

 手の痛みが薄れている。時折全身がチクチクと痛むのは、オヴェウスに何かが起きているせいだろう。だが、それも弱く感じられるほど、琴の魔力が力を増しているのだ。

 サヌードが剣を振るった。

 キリアムの頬に一筋の傷が走り、鮮血が飛んだ。

 「逃れられぬぞ、キリアム」

 剣先を、ゆっくりと、彼の喉元に突き当てる。

 「エイノールも貴様も、王の器などでは無い。身の程を知るのだ」

 サヌードがその手に力を込める。

 ・・・我が殿!

 グリンガレットは、叫ぼうとした。

 声は出ない。出るはずがない。だが、彼女は声を振り絞る。

 その瞬間、彼女は絶叫した。

 断末魔の叫びだった。

 あまりの絶叫に、サヌードはその手を止め、彼女を見た。

 グリンガレットは、喉を抑えて、悲鳴を上げていた。狂気の様に見えた。目は白目を剥き、口からは泡を吐いている。美貌は苦悶に歪み、瞬間、悪魔の形相にも見えた。

 前のめりに倒れていく体が、踏みとどまった。

 ぎろり、と、彼女の眼が意志をつなぎ止める。

 「うわああああああああああああああああ」

 再び、グリンガレットは絶叫した。

 その手が、剣を放った。

 剣はサヌードのすぐ横をかすめて飛んだ。

 グリンガレットは、力尽きたように、その場に崩れた。

 サヌードには何が起きたのか、わからなかった。だが、渾身の力を込めたグリンガレットの剣が、目測を誤ったと知ると、彼は再び狂ったように笑った。

 「グリンガレット、残念だが、狙いが外れたな」

 グリンガレットは起き上がる事が出来なかった。だが、微かに首を回し、彼を憎しみのこもる眼で見上げた。

 「私が狙いを外すなど、あり得ませぬ」

 「何?」

 グリンガレットは、精一杯の反抗心を微笑みに添えた。

 闇の中で、苦悶の声が生まれた。

 「まさか?」

 サヌードが血相を変えて振り返る。その先で、闇の中に潜んでいた男が、胸を剣に刺し貫かれ、崩れ落ちた。

 ケルンナッハだった。

 琴が、悲鳴を上げた。

 光が荒れ狂い、抑制を失ったように暴れはじめる。

 キリアムの体が動いた。

 「我が殿、琴を、その根本を砕いて!」

 グリンガレットの叫びが届いた。

 源は断たれた。今ならば、暴走を食い止められる。

 キリアムは雄たけびをあげると、荒れ狂う弦を薙ぎ払いながら、琴の中心に走った。

 魔力の源は、サヌードではなかった。

 グリンガレットは、それを見抜いていた。

 ここまで力が肥大化するには、長い年月が必要だ。その条件を、サヌードは満たさない。そして、この琴が持つ恨みの根源にあるもの、それは、奪われた愛だ。

 愛する者を失う苦しみと、奪ったものへの憎しみ。それが、王を憎む力となって残滓となった。

 この琴は、二人にしか開ける事が出来ないと、サヌードは言った。

 それは嘘だ。

ケルンナッハは、別だ。

 何故なら、彼はモルガンに認められ、その力を受け継いでいた。

 彼は言った。私が、モルガンの子を抱いて、地下の通路を逃がしたと。

 あの通路を通れるのは、モルガンの指輪を身につけられるものだけだ。という事は、彼は、モルガンと特別な関係にあったという事になる。

 彼は、この城の吟遊詩人だったのではあるまいか。

 モルガンのために、琴を弾く詩人。

 そして、道ならぬ道に進んだ。

 成就することの無い愛を交わし、自らが育て上げることのできない子をもうけた。

 つまりサヌードは。

 「止めろ、キリアム!」

 サヌードの叫び声が響いた。

 キリアムはガラティンを一閃した。琴が砕け、衝撃が散った。

 光が四散し、絶叫にも似た不協和音が響き渡る。蜘蛛の糸上に張りめぐらされた弦が、一斉に溶けていく。音が一つずつ消え去り、あまりにも冷たい静寂がその場を包み込んだ。

 「これは、ガラティンの力か」

 その場に立ち尽くしてキリアムが、呟くように言った。

 サヌードが両膝を突いて、その場に崩れていた、

 「サヌード、貴様」

 キリアムが剣を向けようとしたのを、グリンガレットは止めた。

 「我が殿、もう、終わりました。彼は、もう立てません」

 サヌードは意識を失っているように見えた。

 琴の魔力にとらわれすぎた。自らの生きる力までも、吸われ始めていた事に、彼は気付かなかったのだろう。幸い、死は免れたようだが、これではもはや人として生きる事すら、難しいかもしれない。

 同情は起きなかった。

 どんな理由であれ、この結末を招いたのは彼自身だ。力には代償が伴う。それを、彼だってわかっていた筈なのだから。

 「終わったのか」

 キリアムが呟きながら、彼女を見つめた。

 深い瞳の色が、彼女を包み込んだ。この瞳に見つめられるのを、やはり自分は待っていたのだろうか。グリンガレットの頬にうっすらと朱が差した。

 「ええ、終わりました。我が殿」

 彼の手に抱かれたい。そして、その温もりで私を安心させてほしい。

急にそんな思いがよぎった。

 だって彼は、私を守ると誓った。私の騎士なのだから。その位は・・・。

 いや。

 彼女は、そんな思いを、ただの気の迷いと振り払った。

 彼は騎士道を貫いた。ただそれだけだ。私は彼の騎士道を讃え、敬う。そして、彼の清廉な魂を汚すことをしてはならない。彼を「誘惑」することは、許されない。

 だが次の瞬間。

 彼女はキリアムに抱きしめられていた。

 彼は彼女を優しく抱きしめ、あやすように、その頭を軽く包み込んだ。

 言葉は無かった。

 少しだけ、泣きたくなった。堪えて、彼の鼓動を聞く事にした。彼の心臓が高鳴る音と、彼の荒い息が耳元に聞こえた。琴の音よりも、ずっと心が休まる音が。

 「すまないグリンガレット」

 しばらくして、彼が言った。

 「お前に助けられてしまった。あの時」

 「運が良かったのです。我が殿」

 グリンガレットは、琴の音に縛られた時、絶望的な程の死の感覚に襲われた。あれは、首を切り落とされた痛みと苦しみだ。だが、それだけの苦痛だからこそ、緑の革帯の力が一気に高まった。それが、琴の音を中和したのだ。

 「誰かが緑の騎士を・・・、オヴェウスを斬ったのです。そのおかげで、私は呪縛から逃れることが出来ました」

 そう言うと、キリアムは相好を崩した。

 「ならば、ベリナスとデリーンがやったのだな。オヴェウスを倒してくれた」

 「デリーンが、オヴェウスを?」

 「そうだ。上手くいったのかもしれない」

 キリアムの声には楽観が混じっていた。

 しかし、グリンガレットの表情は一気に曇った。

 「こうしている場合ではありません。急がないと」

 グリンガレットの剣幕に、キリアムは驚いた顔をした。

 「緑の騎士となったものは、首を落とされた位では死にませぬ。デリーンと、その方が危ない」

 グリンガレットは走りだした。慌ててキリアムはその背を追った。


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