第6話 晩餐会

六 〈 晩餐会 〉


 琴の音色が続いていた。

 どこから聞こえるのかと探してみたが見当たらない。中庭を過ぎる回廊を抜けて、奥の建物に入った。厚みのある門が城内をさらに隔てている。外見よりも複雑な構造とみえて、一度歩いたくらいでは帰り道を忘れてしまいそうだった。石と石の境目にも隙間が無く、その堅牢な造りには、往年の権威が伺い知れた。

冷たく薄暗い通路を歩く間中、琴の音がついてきた。

 時折、通路幅が広がるところがある。そこに古いタペストリーがかけてあった。

 細やかな刺繍が見事で、城の歴史を紡いでいるように見えた。もう少し手入れが行き届いていれば、なお立派に見えるものだが、長年の無頓着がたたってか端の金房が毛羽立って、落日の呈を晒している。

 その中の一つ、王と王妃を描いたタペストリーの前で、後方を歩くグリンガレットは一度足を止めた。

 王ではなく、その妃に瞳が吸い寄せられた。この王妃こそ、「妖姫」と呼ばれた女。モルガン・ル・フェイである。

 刺繍の中の彼女は生気も無く、汚れなく、麗しき聖女のようにさえ見えた。

 本当の彼女を知る者が、今はどれほどいるだろう。

 彼女は消えた。

 偉大なる王がこの世を去った、まさにその日、忽然と姿を消した。

 赤みのある金色の髪。ほんのりと朱がさした白い肌。唇は艶めき、胸はふくよか。 この世の美の全てを、その淫蕩にして奔放な性質にまとわせながら、彼女は全てを捨て去った。

 「どうかしたのか、グリンガレット」

 キリアムが、彼女が離れたのに気付いて、振り返りざまに呼んだ。

 「あ、すみませぬ」

グリンガレットは我に返った。

 「あまりに見事な刺繍ゆえ、見とれてしまいました。きっとこの地方の織なのでしょうね」

 「きっと、そうだろう」

 あまり、興味もない様子でキリアムが答えた。

 と、無口だった使用人の男が、振り返って口を挟んだ。

 「数代前までは、織機はこの地方の特産として、奨励もされていたのです。ところが、先王のユーウェイン卿は武辺な方でございましたから、職人達はより待遇の良い北の地方へ移ったものが多く、今では紡ぐ者も殆どおりませぬ」

 初老にかかったこの男は、もしかすると大分長い事この城に仕えているのかもしれない。その細い目がグリンガレットを見とめて、微かに震えているように見えた。

 「ユーウェイン卿は文武両道のお方と聞いておりましたが」

 グリンガレットが尋ねた。

 「勿論です。立派な方でした。ですが、国を治める方ではございませんでした」

 忌憚のない言葉だった。それだけに、真実その様な気がした。ユーウェイン卿の名声は衆人の知るところだが、この城や街に長く住む者には、その土地の者にしか分からない事情もあるのだろう。

 それ以上は何も話さずに、二人は広間へと着いた。

 長い卓には燭台と果物が飾られていた。

 卓の両脇には十数人分の椅子が用意されていた。その中で、食卓の用意がされているのは八席だけだった。

 一番奥が王座だ。左が二席空いて、その隣にはラディナス卿が掛けている。その更に隣が、オヴェウスという、あの巨漢の騎士だ。

 王の右手にはやはり一席空けて、その次がキリアムの席だった。

 グリンガレットの席は無かった。

 当然ではあるが、キリアムはその事が少し不満だった。とはいえ当の本人はすまし顔で、さも当然のようにキリアムの後方に控えた。

 キリアムの左には見知らぬ男が座っていた。やはり客人らしく、少し落ち着かない様子で周囲を見ている。身なりからして商人のようだ。

 室内には他に六名ほどの従者が控えていた。誰一人声を発せず、ただじっとそれぞれの主人を見守っていた。

 「まもなくノヴァンタエ王、エイノール陛下が見えられます。また、私の隣に来られるのが正騎士ダリウス卿と、城の宰相アブハス様。キリアム殿の隣には近衛騎士のサヌード卿が座られます」

 キリアムの緊張を見抜いたのか、ラディナス卿が口を開いた。

 それを、グリンガレットは少し意外に聞いた。

 こういった場には、王妃が同席する事も多いはずだが、随分と政治的な顔ぶれで揃えている。そういえば、先ほどから女性の数が少ないのも気になった。

 「こちらがオークニーの王位継承者、キリアム殿。そちらの方はローマより来られた商隊の代表アイソン殿です」

 キリアムは紹介を受けて、隣に座るやや色黒の男に挨拶をした。

 ローマからといったが、大陸側も大分長く戦争が続いていて、多くの難民が出ているという噂も聞こえている。アイソンもそんな過酷な情勢の中を渡り歩いてきたというだけあって、一見柔和そうに見える面立ちながら、旅商人特有の狡猾さを微笑の下に隠していた。

 琴の音が、強さを増した。

 少し大袈裟すぎる様子で奥の扉が開き、四人の人物が姿を見せた。

 近衛騎士のサヌード卿は、思った以上に若く、細身の美青年だった。銀に近いブロンドの髪に切れ長の眼が独特の近寄りがたさを放っている。対照的に、でっぷりと超えて、額がだいぶ張りだした色白の中年男が宰相のアブハスだった。

 ダリウス卿は、真っ白な髪をした老騎士で、威厳のある口髭を蓄えている。

 王は、思ったよりは若かった。

 五十よりも手前、もしくはもっと若いのかもしれない。

 やや髪には白いものも見えるが、背も高く、肉付きも良かった。顔はやや面長で、頬を走る深い皺が神経質そうな印象を与える。口元には社交的な微笑を湛えているが、少し落ち窪んだ瞳には厳しげな光が宿っていた。

 「遠方よりの御来訪、このエイノール、心より歓迎いたす」

 深みのある声が、芝居じみて聞こえた。

 キリアムは静かに頭を下げた。

 アブハスが、これも癖のある笑みと声色で話しかけた。

 「顔をお上げ下さりませキリアム殿、アイソン殿も楽に」

 「は」

 キリアムは言葉少なに相手を見た。ラディナス卿は微笑んでいた。サヌード卿はまったくの無表情で、オヴェウスは今にもキリアムに飛びかかって来そうなほど、憎悪にも似た表情で彼を睨んでいた。

 アブハスが微妙な空気を読んだ。

 「大したお構いも出来ませぬが、どうか今宵は大いに楽しみ下さい。旅の話なども伺えれば一興にございます」

 楽しめるような雰囲気ではないと、キリアムは思った。自分は話の上手い方ではない。オヴェウスは自分に明らかな敵意を見せているが、それはそれで、かえって清々しい。残りの連中は何を考えているか、まったく分からない。

 「なかなか、面白い話があれば良いのですが」

 言葉に困ってそう言うと、アブハスは軽く頷いた。

 「アイソン殿は、いかがかな」

 急に話を振られ、アイソンは少し驚いた様子だったが、この狡知のめぐりそうな旅商人は、話をする機会を待っていたようにも見えた。

 「面白い、という程の話では御座いませんが。ここ最近で、いくつか見聞きした程度の事でよろしければ」

 そう前置きをしてから、アイソンは話を始めた。

 さすがに商人とは話が上手いものだった。ガリアでサクソン人の追剥に追われた話や、修道院に夜の宿を求めたとき、修道女の不貞を覗き見た話など、時には品位に劣る話もあったが、その場を紛らせる話題をいくつも持っていた。

 その時々に、自分が運んできた武具や道具についての蘊蓄や、その使い勝手の良さなどを挟むところも、なかなか筋立てが出来ている。

 グリンガレットは商人の話にはさほど興味をそそられなかった。男だけの場所になると、決まってこういった低俗な話題が好まれる。彼女が少しだけ気になったのは、修道女と男の逢引きの話題になった時、キリアムがどんな顔で話を聞いていたのか、という事くらいだった。

 もっとも、彼の後ろにいる彼女に見えたのは、せいぜいわざとらしくワインを口に運ぶ回数が増えた事だけだ。かわりに、王と、その側近をよく観察した。

 アブハスは、世俗的な男に見えた。話の度に顔色と表情を変えた。さほど偉ぶった様子も無く、世渡りが上手い印象だ。一見すると単なる凡人のようにも思えるが、仕事の方はどうなのだろうか。ダリウス卿は話には全く興味が無いように、無言で酒ばかりが進んでいた。

 グリンガレットは他の騎士にも目を向けた。

 近衛騎士のサヌード卿は沈着で、捉えどころがないと感じた。どこか危うさを感じさせる視線を、時折キリアムに向けていた。ラディナスは上手に聞き流し、オヴェウスは全く聞いていなかった。

 このオヴェウス卿という男が、特に気に障った。

 理由という理由はないが、生理的な不快感を覚える。それに、彼だけが、時折グリンガレットにあからさまな視線を向けた。彼女が男装をしているのにも関わらず、好色な目で見られているのが分かった。

 騎士の中にも男色を好む者が少なくはないと聞いている。グリンガレットは不埒な想像をして胸が悪くなるところだった。

 頭の中から余計な想像を追い払いながら、再び視界を巡らせた。

 王は鷹揚として、静かに話を聞いていた。表情も特に変わらなければ、かといって話題を無視している風でもない。その素振りからは、特に何かしらの違和感を覚えるようなことは一つも無かった。

 「それにしても」

 と、アイソンが改まった口をきいた。

 「ガリアに渡られたランスロット様や、彼に従った騎士の方々は、今も随分と戦っておいでの様です。サクソン人の北侵が止まったのも、一つには彼らが敵の補給路を分断してくださったおかげとか。このゴドディンの地は厭戦感が強く、もはや南の領地回復を目指そうというような気概をお持ちなのは陛下を置いて他にありませぬ。一時の恨みを捨てて彼らとの共闘に踏み切れば、退路のないサクソンなどは打ち破れるものと思えるのです」

 それに大きく頷いたのは、宰相のアブハスだった。エイノール王は小さくアブハスに目を向け、そっとワインを口に含んだ。

 「陛下もそのように思っておられます。だからこそ、兵を集め、アイソン殿のように世の気勢に詳しいお方と知己を結ぼうとしておられるのです」

 「流石でございます」

 アイソンは恭しく言った。キリアムはどうにも頷けなかった。

 「今の話、キリアム殿はどう思われますかな。キリアム殿もオークニーを継承される身であれば、世の趨勢は気にかかるところでありましょう。北の領地も今は海からの侵略が続いて、危ういと聞いておりますが」

 矛先が向いて、キリアムは動揺を隠した。

 いたって冷静を保ちつつ、慎重に思考を巡らす。

 「異国の民を追い払いたいという志は、もちろん、私も変わりませぬ。されど少し、事を起こすには時期が早いようにも思えます」

 「と、申されますと?」

 アブハスが興味深そうに身を乗り出した。

 「アイソン殿のお話の通り、ガリアの騎士が背後を断ってくれている今こそ、私は好機と思うのですが」

 彼の目の奥は笑っていない。キリアムは自然と厳しい表情になっていた。

 「ランスロット様は、確かに立派な方です。今は異国に渡られましたが、それでも我等が国々の事を思って下されている。しかしながら、彼らも異国にて自領を固めんがために、今は苦心をされております。いずれはこちらを気遣う事も出来なくなるでしょう。確証もない援軍をあてに事を起こすのは、危険に思います」

 小さく頷いたのはラディナス一人だった。

 正論だった。グリンガレットもその言葉は正しいと思った。キリアムはただの武人ではなく、政局を見る視野もあると知って、彼女は少し安心した。

 「いずれランスロットも、ゴドディンの地を見捨てると申すか」

 ふいにエイノール王が口を挟んだ。先ほどからの微笑が消えているように見えた。キリアムは首を振った。

 「既に見限っていると思います。ただ、彼は情愛の人です。恩義の思いを残せばこそ、これ以上の敵にはならぬつもりなのです。だからこそ、私欲を捨て、ガリアに渡られたのではありませぬか」

 「偉大なる王との争いを、避けたにすぎぬ。それは私闘であったからだ」

 「それも、仰せの通りと思います」

 キリアムは素直に頷いて見せた。エイノールは軽く膝を叩いて、遠くを見るような目をした。キリアムにというよりも、その仕草は、ここにはいない誰かに話すように見えた。

 「ランスロットは偉大なる王の、あろうことか王妃に対して私欲を抱いた。しかしながら偉大なる王とランスロットの間には憎しみばかりがあったわけではない、ランスロットは自らの罪を知り、恥じて逃れた。王は彼を憎むことをせず、ただ道義において責めることになった。私情は赦していても、周りの騎士がそれを許さなかったのだ。ランスロットの罪は罪。彼はその罪を注ぐためにも、ブリトンに、・・・いま残るゴドディンの地に再び尽くさねばならぬ」

 エイノールは言い切った。

 それは違うと、グリンガレットは心の中で呟いた。

 ランスロットは守るべき者も、愛する者も失ったのだ。いま彼がまだ戦い続けているというのなら、それは彼に盲信し、追従した騎士たちへの償いが残っているからだ。彼は偉大なる王と、その王妃の、いうなれば私兵だった。ブリトンに忠誠を尽くした騎士ではない。

 彼は二度とブリトンの地を踏むことはないだろう。少なくとも、グァルヒメイン卿とともに過ごした日々の間、円卓の側で僅かに垣間見た彼はそういう人だった。

 「ランスロット様は強い方です。そうなれば良いとは思っております」

 キリアムは否定も肯定もせずに答えた。

 エイノール王は、今度は真っ直ぐにキリアムを見た。

 「キリアム殿。同じ王位を受け継ぐ身として、訊きたい。貴殿は現状をどう見ている。ゴドディンを守るために、我々にできることは何だ?」

 これには即答が難しかった。

 キリアムは騎士だ。彼も始めは他国の敵を掃討する戦いに身を投じようと思っていた。しかし、王として問われればどうなのだろう。

 その時、脳裏に蘇ったのは、森の民ビオランの言葉だった。

 彼は騎士を憎んでいた。そして、サクソンもブリトンも同じだと言っていた。

 何故なのか。

それは、騎士が彼らから奪うことしかしなかったから、ではなかったか。

 「わかりませぬ」

 と、キリアムは答えた。

 そう答えろと、グリンガレットが言っていたからではない。本当に彼には分からなかった。

 「今は分かりませぬ。現状のみを言えば、国は困窮し、森の民や草原の民も、多くは傷ついております。アイソン殿の言う様に、戦の機が巡っているのかもしれませぬが、果たしてその機に乗ることが最良でしょうか」

 「自重すべき、という事かな」

 「そう聞こえるかもしれません。正直、分からぬのです」

 その答えは王にとって不満であったらしい、表情が厳しいものに変わる。少し慌てたようにアブハスが笑った。

 「キリアム殿はお上手ですな。かくも巧みに本心をお隠しになさる。時をしっかりと見極めるのは確かに大切な事。陛下、キリアム殿も、サクソンどもを追い払う事には賛成でございましょう」

 アブハスの眼が何かを訴えたのを感じて、キリアムは頷いた。

 「サクソン人も、ピクト人も、このゴドディンを荒らす者たちをこのままにして良いとは、私も思ってはおりませぬ。この国には、しばらくの平穏が必要です」

 「そのためには、戦をせねばなりませんね」

 はじめて、サヌード卿が口を開いた。

 氷のような声だ、とキリアムは感じた。

 「争乱を治めるには、何をなすべきか。・・・かの偉大なる王に習うならば、おのずと答えは浮かびましょうぞ」

 相貌には一切の感情を見せず、キリアムの方を見向きもしない。それでいて、キリアムを強く意識した話しぶりだった。

 「騎士は騎士らしく、戦いの場を求めるもの。この国に身を置いたのは、騎士の本分を果たさんがため。それはこの場に集う全ての騎士の思いです。そうですね、ラディナス卿」

 サヌードは話の相手を変えた。そこに僅かな敵意が込められている事に、グリンガレットは気付いた。

 「私も騎士の端くれならば、戦う事の意義は認めましょう。しかしながらサヌード殿、戦いとはしかるべき大義と、しかるべき用意が要るものにございます」

 ラディナスは言い切った。

 グリンガレットはラディナスがはっきりとした物言いをするのに、少し驚いた。

 「戦は始めるは容易く、終えるのは困難なものです。多くの兵やその家族を養い続けねばなりませぬ。それには水も食料も尽きぬだけの準備が必要です。無論、資金も必要となるでしょう。このルグヴァリウム城の蓄えだけでは、今すぐにとはいかぬというのが、私の考えです」

 正論だった。

 同時に、ここまではっきりと述べられて、周りの者はどういった顔をするものかと思ったが、案外どの顔ぶれも平静さを保っていた。いや、オヴェウス卿だけは、相変わらず不機嫌さを隠さなかった。

 オヴェウス卿は、こうしてみると意外に若かった。角ばった顔や表情には、騎士としての気品はかけらさえも感じさせないが、肌の張りや赤みのさした皮膚は20代のものだった。

 これほどに騎士の品格に欠ける男が魔剣の持ち主とは。グリンガレットはいつの間にか再びオヴェウスを観察している自分に気付いた。異端な者に対する鋭敏な感覚が、ともすれば彼女の興味をこの男へと向けさせるのかもしれない。

 「その件は、以前も話したはずだ。ラディナス卿」

 エイノール王が口を開いた。

 「政事を語るのは、アブハスに任せればよい」

 「失言にございました陛下」

 ラディナスはすぐに引いた。王の言葉が続くのを待たず、すこしわざとらしくキリアムに向き直った。

 「ところでキリアム殿、先の話によれば、グァルヒメイン卿の晩年に付き添われたと申されておりましたな。彼の最後はいかなるご様子であったか、良ければ少し話などしていただけませぬでしょうか。偉大なる騎士が皆この世を去られた今、その姿を語る者も少なくなっております。私もかつてはキャメロットに身を置いた縁もあり、皆のその後が気になっておるのです」

 キリアムは、ついにきた、と思った。

 ラディナス卿は賢い男だ。真贋を見抜く目を持っているに違いない。下手に嘘をつくのではなく、知る限りの言葉を並べるしかない。

 「今は語る言葉も多くはありませぬが、奥方を失われてからの卿は悲しき事ばかり多く、その最後の時も、決して満たされたものではありませんでした」

 グリンガレットの言葉を思い出しながら、キリアムは言葉を紡いだ。

 「喪失がもたらした傷はあまりに深く、卿は猜疑心ばかり強くなり、人を遠ざけられるようになりました。あの緑の革帯さえも、身に着けぬようになったほどです」

 ラディナスが小さく頷いた。

 「ご兄弟も立派な方々であられたが、先に逝かれたと聞いておりました」

 「よくご存じで」

 「私の耳に入ることなど噂程度です。それにしても不思議なご縁ですな、キリアム殿は、どの様な所縁で、グァルヒメイン卿の従者になられたのです」

 「と、申されますと」

 まるで尋問だな、とキリアムは思った。おそらく事の真偽を確かめるため、事前に打ち合わせた質問なのだろう。それもそうだ、突然王侯を名乗る者が来訪し、警戒しない者がいるだろうか。自分が逆の立場でも、こうやって相手の素性を探ろうとするに違いない。それに自分は、確かに嘘をついている。

 「キリアム殿はバースの生まれ。それにお父上のエトリム卿は、かのペレドゥル卿の従者を務められたお方。キリアム殿は、ペレドゥル卿に従じようとは思わなかったのですか」

 「仰せの通り、我が父は自分より身分の低かったペレドゥル卿に、自ら願いて従者となった変わり者です。その息子の私も変わり者では、答えになりませぬか」

 「それは面白い」

 ラディナスは笑って王を見た。王は少しだけ付き合うように、口元に感情の無い笑みを浮かべた。

 「それにしても、よりにもよってグァルヒメイン卿とは」

 エイノール王の言葉に、かすかな棘があった。おや、と思ったが、理由のわからぬことに深追いをしても仕方がない。それに、深く話せば話すほど、言葉に嘘が出てしまう。

「私は緑の革帯に憧れたのです。陛下も緑の騎士の物語はご存じでしょう」

「真なる騎士であれば、知らぬ者ほど稀であろう」

 「我が父も、真似をして緑の帯を巻いておりました。円卓の騎士はみなそれを模して、固く誓いを結んだと聞いております。もしや、ラディナス卿もお持ちなのでは御座いませぬか」

 ラディナスは満面に笑みを浮かべて、懐かしいような目をした。

 「確かに持っておりました。ですが、私は偉大なる王のもとを辞する際に、二つに裂いて燃してしまった。二度と戻らぬ決意の証として」

 「左様ですか」

 言いながら、再び王を見た。

 王は大きく頷いた。

 「我は今も捨てずにおるぞ」

 グリンガレットの眼が見開き、その奥に異様な光が灯った。エイノール王の姿を、表情、言葉をすべて逃さぬように、神経をとがらせる。

 「グァルヒメイン卿に敬意を表しているわけではない。我が緑の革帯は、形見として我が義兄より預かりし物。あのような事があってすら、偉大なる我が兄は恨みもせず、緑の革帯の誓いを我に託したのだ」

 キリアムは王の言葉の意味を考えた。

 あのような事。とは何だ。口ぶりから伺う限り、王はグァルヒメイン卿を快く思っていない。その子細を、果たしてグリンガレットは知っているのだろうか。

 針の筵にいるようで、キリアムは早くこの夕べが過ぎてしまえばいいと思った。

 「しかしながら、キリアム殿は幸運でございましたな」

 アブハスが口を挟んだ。

 「グァルヒメイン卿の従者になる事を選んだおかげで、王位を継ぐ権利を得られたわけでございましょう。これ程の幸運はありましょうや?」

 微かな皮肉が込められている。気付かぬふりをしてキリアムは笑った。

 「領地を得ながらも、そこを治める術を待たぬ者です。それに、私は幸運ではございませぬ。王位の継承などより、卿とともに戦う事が喜びでした」

 「得た物はそればかりではありますまい。例のガラティンという剣の事も、ラディナス卿より聞き及んでおりますぞ。我が王も、ぜひこの目で見てみたいと仰せです」

 次は剣の真偽を図ろうというのか。だがこれには自信があった。

 「グリンガレット」

 キリアムは後方に控える彼女の名前を呼んだ。

 彼女の名の奇妙さには、その場にいた何人が気をとめたろう。グリンガレットはキリアムに促されるまま、固く持っていた剣を差し出した。

 鞘が離れ、ほの赤く光る刀身が現れる。

 誰もが、美しさに目を奪われた。

 燭台の炎に照らされ、その刀身が怪しげに揺らめく。それは刀身そのものが醸し出す光なのか、幻想的ともいえる輝きと冷気のような刀圧が其の場を押し包んだ。

 「見事」

 ぽつりと、誰かが呟いた。

 正騎士のダリウス卿だ。この晩餐会で、初めて彼が口を開いた。

 彼もまた、騎士の中の騎士なのだろうと、グリンガレットは思った。

 会場の空気が沈黙の中に重みを増すのを感じて、彼女は剣を鞘に納めた。

 大きく、エイノール王が息を吐いた。

 それでも、しばらくの間、誰も何も話さなかった。

 沈黙を破ったのは、琴の音色だった。あの不思議な音色に、グリンガレットはまた理由の見つからない不快さを覚えた。

 「この音は、どなたが奏でているのですか」

 キリアムが尋ねた。

 その問いは、エイノール王が待ち望んだ質問の様だった。彼ははじめて相貌に本心からの笑みをたたえた。

「貴殿は、偉大なる王のもとに、常に偉大なる吟遊詩人が付き添い従っていたことを、知っておられるか」

 エイノール王の言葉は二人に衝撃を覚えさせた。

 偉大なる王に仕えし、偉大なる詩人にして予言者。

 常に偉大なる王を王たらしめた、唯一無二の存在を、二人が知らぬわけがなかった。

 「タリエシン・・・殿ですか」

 「左様」

 満足げに、そして尊大に王は答えた。

 「タリエシン殿は、我がもとにおいでになられた」

 その言葉が嘘か真かはわからない。だが、もし真実だとすれば大変な事実である。タリエシンが爪弾くのは、王を定める予言の歌といわれている。偉大なる王がその道を誤った時、タリエシンもまた、人知れず王のもとを去った。

 そのタリエシンが、今このルグヴァリウム城に居るというのか。

 王の持つ緑の革帯と、タリエシン。もし王の話が本当であれば、この城には大きな力が集まりつつあることを意味する。それはつまり、この城が、ゴドディン四国の将来にとって、大きな役割を担う可能性を秘めている。

 それが、国の現状を顧みず戦の準備を進める、エイノール王の意志と、何らかの関わりを持っているのだろうか。

 これは、もう少し調べる必要があると、グリンガレットは思った。


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