第20話 オヴェウスの選択

二十 〈 オヴェウスの選択 〉


 三面を囲む鏡の中に、女がいた。

 静寂と、漆黒の闇が周囲を覆いつくしている。女は一人、自らを見つめ続けていた。

 こめかみに受けた傷が、じくじくと痛んでいる。その痛みは、皮膚を裂き、彼女の心の奥底まで貫いていた。

 左の鏡を見た。

その鏡に映る彼女の顔は、憎しみと怒りを湛えていた。

 あの男を、彼女に許されざる行いをしたあの男を、憎み、恨み、滅ぼさなければならないと、彼女は叫んでいた。

 今度は、右の鏡に目を向けた。

 右の鏡に映る彼女は、悲しみと絶望を抱えながら、それでも微笑んでいた。

 あの男を、彼女が許されざる行いをしたあの男を、許し、愛し、忘れなさいと、彼女は語りかけていた。

 もはや戻ることは出来ないと、彼女は気付いていた。

 この傷を癒すことは、誰にも、たとえ傷をつけた本人にすらも、もう出来ない。

 この痛みと苦しみを、私は、永遠に背負い続けなければならない。

 さあ、私よ。もう一人の私よ。あなたなら、どんな審判を下すの。

 彼女は正面の鏡を見た。

 そこには一切の感情を浮かべず、一切の欲望も知らない、無垢な女の器が映っていた。

 生きているのか・・・、果たして、人であるのかすらもわからない。

女の輪郭が、漆黒の闇となって彼女を見返していた。


 「グリンガレット!」

 不安そうにのぞき込むデリーンの瞳が、彼女を現実の世界へと連れ戻した。

 ベッドに倒れていたことに気付いて、慌てて半身を起こす。

 「私、どの位、倒れていたのですか?」

 「ほんの少しだ。でも、急に倒れるから驚いたよ」

 デリーンは安心したように、ぺたんと彼女の横に腰を下ろした。

 「すみません」

 呟くように言って、ちらりとデリーンの横顔に視線を向けた。

 一瞬、夢を見た。どんな夢だったのか、全く思いだせない。

 デリーンは、どこかぎこちない様子で、頬を掻いていた。何か話したいようで、話すのをためらっている、そんな雰囲気に見えた。

 無理もないと、グリンガレットは悲しく思った。

 「デリーン、私、どうすればいいのでしょう」

 「あんたを、妻にするって話かい」

彼女らしくない質問だ。意表を突かれて、デリーンの声が少し高くなった。

「あたしは許せないね。仮にも騎士がさ、誰かを盾に取るなんてさ、・・・あのサヌードって男、最低だな」

 デリーンは、いかにも憤慨しているような口ぶりで応えた。彼女はわざとそうしている

グリンガレットには、彼女の気づかいが、手に取るように伝わってきた。

 「その事は、本当に、私もそう思います・・・」

 目を伏せて、グリンガレットは、少しぼんやりと足元を見つめた。

デリーンは彼女の様子が、やはり、今までと少し違う事に気付いた。

いつもの冷静な瞳が見えない。どうやら、だいぶ、弱気になっている。

「我が殿の命を引き合いに出すなんて、私、どうしたらいいのか」

呟きは、彼女自身に向いていた。沈み込む様子が、急に、無力なただの娘に思えて、デリーンはどう声をかけて良いものか迷った。

キリアムという騎士を。デリーンは知らない。だが、彼女の姿を見る限り、きっと立派な騎士なのだろうと思う。そして、本人がそれに気付いているかどうかはわからないが、グリンガレットは、多分、その男を好いている。

「・・・デリーン、私を、どう思います」

グリンガレットが、再び訊いた。

 「どうって? 言われても・・・」

 「私を、モルガンの子だと、彼らが言った事についてです」

 「ああ、・・・その事か」

 デリーンは口ごもった。

グリンガレットは問答に疲れている。

どんな答えを欲しているのだろう。彼女の気持ちが休まる答えを模索する。だが、中途半端な答えはしたくなかった。そんな事をしたら、彼女はもっと辛い気持ちになるだろうから。

 「正直に言うよ、信じそうになってる」

デリーンは頭を掻いた。

「その、さあ、・・・あんな風に言われたら、そうかなって思っちゃうだろ。ほら、傷の事もあるし。あんた、どう見てもお姫様みたいだしさ。・・・あんな奴の言う事を信じるのは癪だけど、仕方ないじゃない、・・・あんたの話、難しいんだから」

「難しかった、ですか?」

 グリンガレットは、意外そうな顔をした。

「ああ。別にあんたを責めてるんじゃないよ。あたしの頭が、ちょっと追い付いていないだけ」

「すみません」

「謝る事じゃないって」

 デリーンは慌てて、笑って見せた。少しぎこちない笑い方にはなったが、難しい顔をするよりはましだ。

 グリンガレットは肩をすくめた。

 「でも、そうですよね。・・・本当に、そう思われても仕方が無いのです。けれど、これだけは信じてください。あの方々は、やはり勘違いをされています」

 「やっぱり、あんたはそう言うだろうと思ったよ」

 「デリーンは、私の話をお忘れですか」

 「えっ?」

 「私は、見た目よりも長く生きていると、お話したことです」

 「ああ、覚えてるよ」

 デリーンは改めてグリンガレットを見た。どう見ても、年下にしか思えない。それなのに、彼女はずっと長い時間を生きてきたと言う。

 「サヌード卿は、見た目通りであれば、案外お若いものと思います。だとすれば、あの方がお生まれになった頃、私は既に緑の騎士に仕えておりました」

 流石に、デリーンは返す言葉を失った。

 「私には、生まれた時の記憶はありません」

グリンガレットは話を続けた。

「物心が付いた時には、この姿と、この革帯の従者という宿命を、既にこの身に宿しておりました。・・・けれど、緑の革帯に仕えてからの記憶は、多少なりとこの脳裏に焼き付いています。ですから、私がサヌード卿の妹であるなどと、ありえる話では無いのです」

 「それじゃあ、・・・その傷も、似ているっていうのも、偶然なのか」

 「偶然ではありません」

 グリンガレットは首を振った。

 「私は、あの方のお顔と、声と、肉体を持って生まれたのです。緑の革帯の従者として、最もふさわしき姿として」

 「それって・・・どういう事?」

 「私にも、よくわかりません。ですが、私を育ててくれた、あの『御方』は、そう私に教えてくださいました。私のこの姿は、モルガン・ル・フェイのもの。偉大なる王の治世を憎しみ、騎士道を貶め、蒼天の世を漆黒の世へと導く為に、最もふさわしい姿を与えたのだと」

 その言葉を紡ぐグリンガレットが、急に小さく見えた。

 まるで、小さな子供のようだ。

 切り出した石の壁に包まれた、古い塔の室内が、数十年の時を一気に遡ったかのように色を変えた。薄暗い室内を照らし続ける燭台の蝋燭の火が揺れて、彼女の影だけを大きく映しだしている。

 「ですから私は、このままの姿で、城に入るわけにはいかなかったのです。私が、我が殿の従者として、姿を変えてこの城に来たのは、モルガン王妃の血縁のものと思われて、騒がれるのを恐れたからなのです。・・・まだ、この土地には王妃の姿を記憶している者も多い、私のこの姿は、きっとこの城に災いをもたらすと思ったからです」

 グリンガレットは髪をかきあげた。 

 「だけど、結局、私は隠しきれなかった。自分が誰なのかも、結局何もわからず、このまま、彼らによって、モルガンの娘にされてしまう」

 こめかみの傷が、先ほどよりもずっと生々しく見えた。そんなグリンガレットの姿が、とても痛々しく、か弱く感じられて、デリーンは胸が痛んだ。

 なんだか無性に腹が立ってきた。

 グリンガレットにではない。彼女は淡々と話をするが、彼女にそれ程の過酷な宿命を背負わせた者に、ぶつけようのない怒りをデリーンは覚えた。

 「誰なんだよ、その、あんたにその姿を与えた『御方』ってのはさ」

 その問いの答えを、グリンガレットは持っていなかった。

 寂しげに首を振り。

 「それすらも、私には、わからないのです」

 申し訳なさそうな表情になる。涙は流れていないが、泣いているように、デリーンには思えた。彼女はベッドに敷かれたシーツの端をつまんで、無意識に指に巻きつけた。布の皺が引かれて、影が水面のように模様を作った。

彼女の心の壁が、少しずつ剥がれているのを、デリーンは感じた。グリンガレットの気持ちが、自然に伝わってくる。彼女は言葉を続けた。

「私は、もしかしたら、あの『御方』はモルガン様ではないかと、ずっと思っていました。・・・けれど、この城を訪れて、とても良く似た感じがするのに、何かが違うのです。・・・ここに居たモルガン様は、きっと、私が知っているあの『御方』ではない。それが、私にも不思議なのです」

彼女は何かをためらっていた。何かを話すのを、恐れているように見えた。

デリーンは、グリンガレットの言葉を、自分の中で一つずつ整理してみた。

 グリンガレットは、自分が誰なのかを知らない。だけど、自分の姿がモルガンと同じ姿をしていることを知っている。それは、彼女の言うあの『御方』が、彼女にそう言ったから。そして、彼女はあの『御方』を、モルガン王妃だと思っていた。

 ・・・それは、つまり。

 グリンガレットは、自らの頬を両手で包み、そっと、指先で頬の稜線を撫でた。

 「あの『御方』は、私と、同じ顔をしていました」

 デリーンは、乾いたその言葉の奥に、彼女が見せることの無い悲しみの欠片を感じた。

 「あんたと、同じ顔・・・」

 こくりと頷いて、彼女は微笑んだ。

 心を隠すための微笑みだと、デリーンは気付いた。

 「そうです。私と、あの御方と、モルガンは、同じ姿をしているのです。・・・そんな事が、あり得るとお思いですか? だから私は・・・私は思うのです」

 絞り出すような声で、グリンガレットは言った。

「私は、もしかしたら、人間ですら無いのかもしれない。・・・あの御方に作られた、只の人形なのかもしれない。人の姿をしているだけの」

 以前も、彼女は言っていた。あの方は自分を作られた、と。

それは、そういう意味だったのか。

 「キリアム様までも人質に取られて。私には、もう」

 彼女が俯きかけた瞬間だった。

 突然、グリンガレットは頬を叩かれた。

 何が起きたのかもわからず、声を失う。

 デリーンの平手だった。その相貌に溢れ出る感情を滾らせて、デリーンはグリンガレットを見つめていた。

 「そんな顔をするな、グリンガレット!」

 デリーンが叫んだ。その声に圧倒されて、グリンガレットは身をすくめた。

 「宿命に抗うって、言ってたじゃないか。抗うなら、どこまでも抗えばいいじゃない」

 デリーンの手が伸びて、グリンガレットの胸元を掴んだ。

 「作られたって、言ったよね? それじゃあ、あんたは、何もない所から生まれてきたとでも言うの?」

 「それは、私わからな・・」

 「誰だって、自分が誰かなんてわかるもんか。親の顔を知ってるかどうかなんて関係ない、あんたはあんただ」

 グリンガレットの言葉を無視して、デリーンはまくしたてた。

 呼吸を荒くして、グリンガレットを、いや、彼女の奥にある弱さを睨みつける。

 デリーンは、そっと手を離した。

 「あたしに触れな、グリンガレット」

 彼女は言った。

 怯えたように、グリンガレットも手を伸ばし、彼女と掌を合わせる。そして、指を絡めた。

 「ほら、あんたの手、温かいよ」

 「え?」

 デリーンが、今までの剣幕を捨て、にこりと微笑んだ。

 「あんたは温かい。ちゃんと、血が流れているからだ。心臓だってどきどきしてるし、呼吸だってしている。叩いたのはごめん。でも、痛かっただろ」

 こくりと、グリンガレットは頷いた。

 「あんたが言ったんじゃないか、森で生まれようが、城で生まれようが人は人だって。あたし、あの言葉嬉しかったんだから」

 デリーンはグリンガレットの頬を両手で包んだ。

 「あんたは生きてる。あたしの目の前で、ちゃんと生きてる人間だ。だから、もうちょっと自信を持ちなよ。あんたさ、自分に自信が無さすぎるんだ」

 グリンガレットは言葉に詰まった。こんな風に、誰かが自分を理解しようとしてくれている、こんな事、今まであっただろうか。

 「誰に、どんな名前で呼ばれようと、たとえ、・・・どんな名前を名乗らせられても、あんたはグリンガレットだ。この顔は、あんたの顔だよ」

 「デリーン」

 グリンガレットのは彼女の名前を呼んだ。

 私の、はじめての友だ。

 この手の温もりは、忘れてはいけない。

頬を包む彼女の手に、自らの手を重ねる。

 「私は、生きている。・・・私は私。この顔は、私の顔。」

 デリーンは強く頷いた。

 「そうだ、それはあんたの顔だ。モルガンじゃない、あんただけの顔だよ」



 少し日が高くなった。

 ようやく近衛騎士の警備が解かれたのを確認して、ルウメは「よっ」と起き上がった。

いつものように城内に響く琴の音が、今日は特に耳につく。

この音は嫌いだ。なんだか胸がざわざわして、何の理由もないのに不安が掻き立てられたり、逆に、気が大きくなったりする。自分の感情がまるで、自分のものではないような錯覚さえ覚えてしまう。

何で、誰も何も言わないのだろうと思いつつ、自分も誰にも何も言わないことには気づかなかった。

少し遅い朝食にはなってしまうが、盆の上の料理は、冷めても上等なものばかりだ。少しくらいつまみ食いをしても、と余計な事を考える。

警備の城兵に一礼をして通り過ぎようとすると、

「おい、ルウメ」

急に、その男から声をかけられた。

面倒くさいと思ったが、おくびにも出さず、彼は独特の笑顔をを向けた。

「へい、何でさ?」

男はルウメの身長に合わせるように、少し身をかがめた。

「お前、この上にいるのが誰か、知っているのか?」

「へ?」

「さっきサヌード隊長が来ていただろ。一歩も外に出すな、ってだけ言われているのだが、俺はいったい誰をお護りしているのだ。なんでも、女らしいじゃないか?」

 ルウメは「なるほど」と頷いた。

 一人の城兵にしてみれば、確かにそう思っても仕方ない。この城だって、決して裕福な訳では無い。自分の様な城兵や城勤めの人間は、せいぜい豆や、味の無いパン、塩漬けの魚で生きている。肉なども、新鮮なものを食べる機会は少ない。こんな風に、立派な食事が運ばれていくのを横目に見れば、その素性を知りたくなるのは当然の事だ。

 だが。

 そういえば、俺もよく知らない。

 あらためて、ルウメは思った。

 キリアムの従者だということは知っているが、ケルンナッハの様子からしても、まさか、それだけの筈はない。

 「そういや、誰なんだろうねえ」

 ルウメは言うと、いつものように首をすくめてクックと笑った。相手を少し小馬鹿にした様子に

 「なんだ、知らんのか」

 不機嫌な顔になって、城兵はまた体を真っ直ぐに立てた。

 ・・・知りたいのは、こっちも一緒さね。

 ルウメは心の中でぼやくと、器用に木の階段を駆け上がっていった。



 地下牢で過ごす間、不思議と、空腹も苦痛も無かった。

 ただ、やけに喉が渇いた。

 寒いはずなのに、体が熱く、奥底から湧いた疼きが治まらない。革鎧が体に張り付く感覚を嫌って、オヴェウスはそれらを脱ぎ捨てた。

 上半身を肌着だけの楽な格好になると、少し胸元を開く。

 その眼が、帯どめの下に巻いた緑色の革帯にとまった。

 騎士の証か。くだらぬ。

 自嘲気味に笑う。

 騎士の身分を、それと認められることを、彼は望んできた。子供じみた思いで、革帯を身に纏い、そのつもりになった。

 だが、そんな感情すらも忘れるほど、今は空虚さが心を占めている。

 グリンガレットの魔法に囚われたせいだ。

 あの女は魔女だ。自分に何らかの魔法をかけた。それが何なのかはわからないが、決して自分にとって、良い結果をもたらすものでは無い。

 その正体を知りたいと思いつつ、その思いすらもグリンガレットに操られているようで気に食わない。

 この牢を出られれば、俺はあの女を探すだろう。

 そう考えると、少しだけ冷静さが戻って来る。

 グリンガレットに会う事は、危険だ。

 心のままに欲望を満たす事が、取り返しのつかない事に繋がる。そんな予感がする。

 それが何なのかも、その思いが何処から来るのかもわからないまま、彼は石の冷たい壁を見つめていた。

 声をかけられるまで、側に人が立ったことにすら気付かなかった。

 格子の向こうに、見知った顔が立っていた。

 「サヌード隊長、あんたかい」

 オヴェウスは男に向かって、乾いた声で応えた。

 サヌードは、森で最後に会った時と変わらず、無表情に彼を見返していた。

 「キリアムを逃がしたそうだな。どうしてそうなった」

 威圧的な口調だ。いつもの彼の口調ではない。

 ・・・王が死んだばかりで、随分と態度が変わったものだ。

 オヴェウスは、小さく肩をすくめて見せた。

 「逃がしたのは詫びる。奴を見ていたら、どうしても、自分が抑えられなくなってな。殺さなければならんと思った」

 「それで、殺さなかったのか」

 「追い詰めたが、崖に落ちやがった。あの高さでは死んだと思うが、わからん」

 「らしくないな。貴公は粗暴ではあるが、感情のみで動くような男では無い。身の処し方はわきまえていると見ていたのだが」

 「そりゃあ、買い被りってもんだ。だが、・・・確かに俺らしくはないな」

 なにもかも、あの女のせいでな。と、内心呟く。

 サヌードは、意外にも落ち着いたオヴェウスの様子を見て、思案顔になった。

 「貴公、どこか変わったか」

 「さあな、だが、あんたは変わったようだ」

 「私は、何も変わらぬ」

 「じゃあ、今までが猫を被っていただけか」

 オヴェウスが笑った。地下牢に閉じ込められている現状を、さして気にする様子も見せず、不敵な眼差しは以前よりも鋭く感じる。

 「ここにいた女をどこにやった?」

 「彼女達なら、私が保護している」

 「あれは、俺の女だ」

 「向こうはそう思っていない。貴公は、自身の立場が分かってはおらぬようだ」

 「不審な女を捕えただけだ、こんな所に閉じ込められるいわれはねえ」

オヴェウスは開き直ったように言った。だが、サヌードの顔色には微塵の変化もなかった。

「キリアムを逃がした事も、責任は負わなければならぬぞ」

「それはそれ、これはこれだろう。女は返して貰う。俺が捕えたのだからな。・・・キリアムの事にしても、指示に従わなかった事は確かだが、俺はもともと、隊長様の指揮下に入っていたわけではないぞ」

 サヌードが冷ややかな目をした。片眉を、いつものように吊り上げる。

 「貴公は、キリアムとの共謀を疑われている。疑いを晴らせねば、死罪もあるぞ」

 「馬鹿な!?」

 さすがのオヴェウスが目を剥いた。

 濡れ衣も良い所だ。よりにもよって、キリアムと何かを共謀するなどと、あり得ない。

 だが、近衛騎士長の冷ややかな態度は、その言葉の真実味を訴えていた。

 オヴェウスは、自身の肉体に、何らかの変化が起きていることは知っている。だが、そこに確信はなかった。グリンガレットとの結びつきによって、不死となっている事実を、彼は知らない。死罪という言葉が、激しく彼の脳を打ちつけた。

 「俺は、奴と共謀などしておらぬ。・・・故意に逃がしたわけでもない!」

 「それを証明する術はあるか?」

 オヴェウスは言葉に詰まった。

 森の中での出来事を、誰一人目にした者は居ない。

 キリアムとの決着は、自身の都合だった。諫められるのも面倒だと、隊の連中も遠ざけてしまった。

 それもこれも、あの女のせいだ。

 「グリンガレットめ・・・」

 思わず名前がこぼれた。

 「ほう、その名は知っているのか」

 サヌードの表情に、はじめて冷酷さ以外の色が浮かんだ。

 「当たり前だ、あれは・・・」

 ・・・俺の女だ。いや、・・・魔女だ。

 「自分のものとでも言いたげだな。流石の貴公も、あの娘には惑うか」

 「その口ぶり、知っているのだな」

 サヌードは頷いた。そこに微かな優越感を纏わせて。

 「貴公など、足元にも及ばぬ高貴の者よ。諦めよ」

 鋭利な刃物で、体を斬られたような感覚だった。自身の全てを否定された。そんな一言だった。

 オヴェウスは昂る感情を、必死に堪えた。

 グリンガレットを諦める?。そんな事ならば、死んだ方がまだましではないか。

しかし、今ここで暴れても、何も状況が変わるものではない。

彼の中で、僅かな理性が顔をもたげた。

 ・・・俺は騎士だ。誰に何を言われようと。

 このような場所で、身に覚えのない罪で死罪となるために、これまで生き抜いてきたわけではない。

 ・・・誰に認められなくても、俺は騎士なのだ。

 オヴェウスは沈黙した。サヌードから顔をそむけ、唇を引き締める。

 彼のその姿を、サヌードは無言で、暫くの間見下ろしていた。

 何を思ったか。

 サヌードは身をかがめ、格子越しに、小声で何かを囁きかけた。

 オヴェウスの眼が見開いた。

 驚愕とともに、迷いの色がよぎる。

 「・・・本気で言っているのか」

 「冗談を言って何になる。その方が、貴公の為でもあろう?」

 「悪い話じゃない。だがな・・・、俺にも多少の道義はあるぞ」

 彼の声に、珍しく影が差した。

 「貴公の剣とその武威を、私は高く評価している」

 サヌードは冷徹に言った。

 「求めるものは、それのみだ。・・・それに応えられるならば、貴公には私が生きる道を与えることが出来よう」

 オヴェウスは葛藤した。

 サヌードの言葉に従えば、彼は命を得る代わりに名誉を失う。たかが、と人は笑うかもしれない。彼の普段を知るものであれば、何もそこまでと、思うかもしれない。だが、それでも、彼にとって、この騎士という称号は、決して容易く手に入れたものでは無いのだ。

 同時に、あの女の影が、頭から離れなかった。

 いかに心を欺いても、・・・・俺が心から欲しているのは、グリンガレットだ。

名誉を失い、命を得たとして、グリンガレットを再び手に入れる事が出来るとは限らない。それでも、彼女を得る機会が少しでも残されるなら・・・。

 「俺は、それで自由になるのか」

 「そうだ。そう難しく考える事は無い。筋書きは、こちらに任せれば良い」

 サヌードが満足げに頷いた。

 「命拾いをするなオヴェウス卿、貴公の選択は賢い」

 耳の奥に彼の低い笑いを感じ取りながら、オヴェウスは唾を吐いた。



 話し声が聞こえた。

木の扉の隙間から、気になる言葉を耳にして、ルウメは息をひそめた。

 オヴェウスの名前が出た。

 つい、耳をそばだててしまう。城の『眼』と呼ばれたのは、彼のこんな性質のせいだ。

 「オヴェウスといい、あのサヌードって奴といい、この城の連中は最低だな」

 この声は、あの背の高い女だ。ルウメは女鹿のような野性味を帯びた、美しい女の顔を思い浮かべた。日に焼けて、やや黒い肌をしていたが、それがまた彼女の持つ魅力を引き出していた。

 「私も同感です。・・・でも、そんな連中に抗う術が、今は見つかりません」

 今度の声は、ケルンナッハが姫と呼んでいた女だ。この女も美しいと思ったが、彼女の持つ気品にも似た雰囲気は、どことなく近寄りがたい印象を覚えさせる。

 「・・・悔しいな。この城を抜け出せたら、何かしら打つ手もありそうなのに」

また、背の高い女の声が聞こえた。微かに掠れたような声も、ルウメは魅力的に感じた。

「ベリナスの旦那だって、きっと力になってくれる。キリアムって人も、助ける方法があるかもしれないのにな」

 「我が殿の事は、・・・私の責任です」

 姫の声が、愁いを帯びたものになった。

 「あんたは悪くないよ。悪いのはあいつだ。サヌードって奴」

 「だけど、私には責任があるのです。我が殿だけではありません。貴女も、デリーンも巻き込んでしまった」

「巻き込んだなんて、そうやって、すぐに自分を責めるんだから、あんたは。いい加減にしないと、またぶつよ」

少しだけ、沈黙の時間があった。

布の擦れる音がする。

たまらず木のひび割れから中を覗き込むと、ベッドに腰をかけた二人が寄り添って、語り合っている姿が見えた。

「デリーン、私はせめて貴女だけでも、ここから出してあげたい」

 「あんたも一緒にだよ。・・・あんな奴の言いなりになんて、させられない」

 「しかし、私が逃げれば、我が殿は・・・」

 姫が力なく首を振った。背の高い方の女が、勇気づけるようにその肩を抱いた。その仕草が、まるで騎士の様だとルウメは思った。しかし、何かしら、わざとらしさというか、違和感を覚える。

 ルウメは扉から耳を離した。

 それにしても、随分と深刻な様子だ。ケルンナッハとサヌード卿、あの二人は、ここでどんな話をしたのだろう。

 違和感よりも、彼の好奇心が勝った。再び声が聞こえ始め、彼は耳を澄ました。

 「私の事よりも、やはり、デリーンの身が心配です」

 姫の声だった。

 「サヌード卿は、あれほど重要な話をしたのに、貴女に聞かれているのを憚らなかった。どう考えても、不自然です」

 「凄く、睨んではいたけどね」

 「ですが、人払いをしなかった。つまり、デリーンに聞かれても良いと思ったからです」

 「そうかもしれない。・・・でも、それって、どういう事?」

 「おそらく、貴女を、亡き者とするつもりなのです」

 ズバリといわれて、デリーンが咽った音が聞こえた。

 ルウメも内心どきりとした。あの女性を、サヌード卿が始末する。まさか。

 だが、同時にケルンナッハが地下牢で彼女を置き去りにしようとした光景が思い浮かんだ。確かにあの時、ケルンナッハは彼女を下賤の者と呼び、歯牙にもかけない様子だった。

 「そんな、あいつ、・・・本当にあたしを?」

 「私が彼の立場なら、そうします。きっと、私と彼の秘密に関わった者は、一人残さず」

 「冗談、・・・じゃあ、ないみたいだね」

 「ええ」

 少し間があった。

 デリーンが緊張しているのが、壁越しにも伝わってきた。

 「私の存在を知る者は、皆に危険が迫るでしょう。少なくとも、私をここに閉じ込めた理由を知るものは、全て排除される。彼にとっては、それが一番安心なのですから」

 姫が、立ち上がるのが分かった。

 ルウメは、心臓が止まる思いがした。

 彼女は、扉のすぐ前まで来ると、彼が覗き込んでいた扉の隙間に囁きかけた。

「そう、マルドルーク様、貴方もです」

 立ち聞きしていたのが、見抜かれていた。

 震える手で扉を開き、ルウメは硬い表情に、無理な作り笑いを浮かべた。

 「お嬢様も、お人が悪い」

グリンガレットは冷たい目で微笑んでいた。

「いつから気付いてましたんで」

 「さあ、いつでしょう」

 軽く肩をすくめ、彼の手から朝食の乗った盆を受けとる。

 「大きな音を立てたつもりも無かったんですがね」

  ルウメはばつが悪そうに頭を掻いた。

 デリーンは、半笑いを浮かべながらも、少し気の毒そうな顔をしているように見えた。

「では、俺はいつも通り、外で・・・」

言いかけて、迷った。先程の会話が、どうしても気になっている。

おそるおそる顔を上げ、二人を見ると、彼女達もまたルウメを見つめていた。

 「・・・さっき、俺のことも、危ないって?」

 訊ねると、グリンガレットは真面目な顔になった。

 「そうです。ですから、私は貴方と話がしたかったのです」

 言ってから、にこりと笑う。ルウメは、彼女達が芝居を演じていたことに気付いた。

 こっそりと立ち聞きしていたつもりが、すっかり相手の掌の上だった。ルウメは恥ずかしいような、少し腹だたしいような気持ちになった。

 「そいつは、どういうわけで? ・・・お嬢さん方は、一体何者なんです?。俺はてっきり、オヴェウスの野郎について調べていたせいで、あいつに捕まったもんだとばかり思ってたんですがね」

 「よく、ご存じですね」

 「へえ、実は、リネットのお嬢様にも話を聞いたもんで」

 ルウメは、ケルンナッハにグリンガレットの捜索を頼まれた後、ラディナス邸を訪れ、リネットから事情を聴いた事を、正直に話した。

 話を聞き終えると、グリンガレットは

 「それでは、リネット様にも、ご心配をおかけしてしまいましたね」

 本心から申し訳のなさそうな顔になった。

 「さて、次はお嬢様の番ですぜ。どうして俺の身が危ないのか、教えていただけますかね」

 ルウメは腕組みをして、ちらりと相手を見上げた。

 グリンガレットは、デリーンと視線をかわした。

 「どこまで話していいものか悩むところですね。・・・マルドルーク様、話を聞くからには、お覚悟をせねばなりませんが、宜しいですか」

 真剣な口調で言われて、流石のルウメも表情から愛想笑いが消えた。だが、ここまで来て話を聞かないという手はない。

 彼が頷くのを見て、グリンガレットは小さく息を吸いこんだ。

「そうですね、オヴェウス卿の事について私が知った事からお話ししましょう」

 彼女の語る話は、ルウメを驚愕させるものだった。

オヴェウスが森の民であった事、また、おそらくはベイリン卿を殺害して、その剣を奪い、その身分を偽った事、そして、このデリーンの家族を奪った仇であった事を告げると、ルウメは自分の事でもあったかのように激昂した声をあげた。

「オヴェウスの野郎め、騎士の風上にもおけねえ奴とは思っていたが」

眼を白黒させながら、居場所の無いように室内をくるくると歩き回る。ひとしきり、事実を頭の中で噛みくだくと、ルウメはぴたりと足を止めた。

 「つまり、それを知られたから、オヴェウスはお嬢様方を捕えたってわけですな。・・・けど、それじゃあ、ケルンナッハ様は何で、お嬢様をこの塔に?」

 「それは、全く別の理由からなのです」

 躊躇うように、グリンガレットは口をつぐんだ。どう話をするか、悩んでいるのだろう。デリーンは彼女の心情を察した。

 「マルドルーク様は、エイノール陛下が身罷られた事は、ご存じですか?」

 「え、ええ?」

あまりの事に、ルウメの声が裏返った。

 「その様子だと、まだ、表沙汰にはなっていないのですね」

 グリンガレットは無意識に髪をかきあげる仕草をした。

 「サヌード卿は、私にそのことを伝えに来ました。・・・陛下は暗殺されました。手を下したのが、他でもない我が殿だと」

 「そんな・・・まさか陛下が」

 ルウメの思考がぐるぐると回転する。しかし、そう言われてみれば、昨日から城の様子が騒がしい。いや、騒がしいのに、妙に静かで、何か奇妙な違和感があった。

 「マルドルーク様。ですが、真に陛下を手にかけたのは、我が殿ではありませぬ。おそらくはサヌード卿その人です。そして、我が殿にその罪をかぶせ、自らが王位に就こうと画策をしているのです」

 「サヌード卿が王を殺して、自分が王に?。・・・いや、でも、そんな事があるかねえ。・・・だいたいにして、あの方は古参の騎士でもなけりゃ、もともとは他国の人間だ。王になろうとしたって、・・・少しは支持する連中がいたとしてもさ、正騎士の連中が反対するのは目に見えているけどなあ」

 「それでも、彼は王位に就けると信じています。なぜなら、彼は、私を手に入れたと思っているからです」

 「お嬢様を?」

 「ええ、私を、モルガン王妃の娘だと思っているのです。私を娶る事で、正統な王位の継承権を得られると考えています」

 ルウメは言葉を失った。

 それが本当なら、とんでもない話だ。

 グリンガレットの顔にも、デリーンの顔にも、一切の嘘は浮かんでいなかった。彼女の言葉をそのまま受け止めるなら、これは、ルグヴァリウム城は大変な事になる。

 その時、ルウメははっと気づいた。

 これは、聞いて良かった話だろうか。

 グリンガレットは、どこまでも真剣で、涼やかな目をしていた。

 涼やか?・・・そうではない。その奥底には、もっと違う何かが潜んでいる。それは、ルウメに彼女を「近寄りがたい」と思わせた何かだ。

 彼女はわざと、彼が話を聞くように仕向けた。

自分は聞かなくても良かったことを、知らなくても良かったことを知ってしまった。知ってしまった以上は、後戻りが出来ない。

 「ですから、貴方も危険なのです。マルドルーク様」

 彼女の声が、虚ろに聞こえてくる。

 ルウメは呼吸をするのも忘れて、彼女の相貌から視線を外すことが出来なくなった。

 美しく、そして、なぜかちょっと怖い。それでいて、彼女の言葉には逆らえない。

 「俺に、・・・俺に何か出来る事があるのかい。・・・逃がせって言われても、下にも兵隊がいるしよ、俺にだって無理だぜ。それに、逃がしたのがばれたら、それこそただじゃすまない。俺はまだ死にたくないからな」

 「そう言っていただけるだけでも、有難いです」

 あっさりと、グリンガレットは言った。口調とともに、少し彼女の表情が和らいだように見えた。

 「逃げるにしても、もっとよく考えてからにします」

 「一応は俺、ケルンナッハ様に仕えているんだ、そう堂々と逃げると言われてもなあ」

 困ったように呟くと、デリーンがくすっと笑ったのが見えた。

 やっぱり彼女、デリーンは綺麗だ。

こんな場所からは早く自由にしてあげたいと思う。同時に、先ほどの話を思い返して、サヌード卿が彼女に手をかけるかもしれないという不安が、一気に現実味を帯びたものになって感じられた。

 「とりあえずは」

 グリンガレットが言った。

 「私たちの事や、オヴェウス卿の事を、リネット様にお伝えいただく事は出来ますか?」

 「へえ、その位なら、お安い御用で」

 「お願いします。リネット様、そして、ラディナス様は聡明で誠実なお方です。数少ない、私達の味方になってくれるかもしれない方なのです」

 ルウメは頷いた。

 確かに、ラディナス卿は人格者だ。それに、人望があるから、城内での権限も強い。あの方が真実を知れば、これほど頼もしい協力者はいないだろう。

 「それじゃ、早速行ってみるとしますかね」

 ルウメは素早く一礼をすると、部屋を飛び出していった。

あとから、鍵をしっかりとかける音が聞こえた。

 見送ってから、グリンガレットは小さなため息をついて、デリーンを振り向いた。

 デリーンは盆の上の果物に手を伸ばしていた。

 「やっぱり、悪い人じゃなさそうだね、あの人」

 「そうですね」

 ルウメが置いていった朝食を見つめる。すっかり冷たくなった料理は、あまり食欲をそそるものではなかった。

 また一人、巻き込んでしまった。

その思いが、グリンガレットの心を重くした。彼のような善人を、自分はすぐに利用してしまう。それが必要な事だと思いながらも、どこか釈然と出来ないのは、何故なのだろうか。

 久しぶりに、琴の音が、遠くから、微かに聞こえてきた。

 いつものように、不快な音だった。


 

湿り気を帯びた風が、濁った潮の臭いをはこんでいた。

それなりの身分の者が住む地区とはいっても、所詮は石と木と泥の建物だ。日が高まるにつれて、足元に湿った空気がたまり、景色が澱んで見える。背の低いルウメには、尚更それが肌で感じ取れる。

広場を通り抜け、角を曲がったところで、ルウメは異常に気付いた。

十名以上の城兵が、列をなしていた。

 ただの巡視ではない、一様に武装を整え、有事に臨する構えを見せている。

 その先に、ラディナス邸があった。

 近づきかけて、咄嗟に辻の物陰に身を潜めた。馬蹄の音を聞きとめたからだ。

 側を、三人の騎士が通り過ぎた。その顔触れを見て、ルウメは首をひねった。

 ここは二の城内だ。それなのに、先頭を進む男は、本来は三の城内を守る近衛騎士だった。

 騎士は、ラディナス邸の前で馬首を止めた。慌てたように顔を出した下男に門を開かせ、馬上のまま邸内に入る。近衛騎士とはいえ、城内での立場は正騎士と同格だ。馬上のまま邸内に足を踏み入れるのは、ただ事ではない。

 騎士はファグネルだった。

 近衛騎士長サヌードの腹心の一人で、投槍の名手として知られている。

 決して広くはない前庭から、ファグネルはラディナスを呼んだ。

 程なく、女が戸を開いた。使用人の娘、セヴィアだった。

 「旦那様は、・・・あっ!」

 言いかけたところを、駆け寄ってきた二人の城兵に剣を向けられた。そのまま扉を出て、壁の方に追いやられる。セヴィアは恐怖のあまり声も出せなかった。

 ファグネルは、使用人には一瞥もくれず、開いたままの扉の奥を睨んでいた。

 壁にかかる調度品の一部、古い剣や盾が、僅かな光を受けて輝いている。ラディナスが武具を収集しているという噂は彼も聞いていた。いずれじっくりと眺めてみたいとも思ったが、今はそれどころではない。

 ラディナスが姿を見せた。自身に何が起きたのかもわからず、憤然とした思いを、必死に堪えた表情で、無礼にも馬上に身を置くファグネルを見上げた。

 「これは、いったい何事か、ご説明願えますかな、ファグネル卿」

 低く抑えた声で訊ねる。ファグネルはやや肩をいからせるように右腕をさっと上げた。

 「貴公を捕えよとの、宰相の命である。お従い頂きたい」

 ラディナスは眉間にしわを寄せた。

 「囚われる理由が、思い当たりませぬ」

 言って、拳を握りしめる。

 実際には、予感はあった。

つい先日、ダリウス卿が尋ねてきた。

 王が暗殺された事を、ラディナスは彼の口から聞かされた。その犯人が、どうやらキリアムであったらしいことも、その時に知った。

 ダリウスは友人だ。城内において、知る限りもっとも信頼のおける武人の一人だ。

 彼は、ラディナスがキリアムを自宅に招いた事を理由に、宰相がラディナスに疑念を持ったことを正直に伝えてくれた。その上で、しばらくは自宅で謹慎し、自重するように勧めてくれたのだった。

 それが、こうも早く使者が来るとは。

 「此度の凶事、知らぬとは言わせぬぞラディナス卿。そなたには、謀反の疑いがある」

 「謀反などと、馬鹿な。私はこの国に忠義を尽くしている」

 「裁くのは私ではない。弁明あらば後で申し立てるがよい」

 ファグネルは上げた手を、ラディナス目がけて振り下ろした。

 合図に、拘束具を持った城兵がラディナスに駆け寄る。

 ラディナスは、振り払おうとして、すぐに抵抗を辞めた。

 「ほう、素直だな」

 ファグネルが少しほっとしたように言った。

 「私には、やましい事など一つもない。ならば、騎士として正々堂々と身の証を立てるまでの事だ。貴公らと争う理由はない」

 ラディナスは言い切ると、自ら手枷に腕を通した。

ファグネルなど、所詮は、権威をかさに着ていなければ、強気ではいられない小心者だ。多少の武芸は身に着けていても、使い走りに過ぎない事はわかっている。彼を相手に問答をしたところで、何もならない。

近衛騎士といっても、この程度の男を重用しなければならないほど、人は足りていない。これが、今のルグヴァリウムの騎士の現状なのだ。

「流石はラディナス卿よ。では、参るぞ」

威厳と余裕を演じて、ファグネルは満足げに配下の城兵を見回した。

号令を受けて、城兵がラディナスを囚人用の駕籠に乗せる。

「お父様!」

駆けてきた人影が、城兵に遮られるのが視界の隅に見えた。

「リネット!」

ラディナスは娘の名を叫んだ。

城兵が、リネットを乱暴に突き飛ばすのが見えた。剣を持って取り囲む様子に、駕籠の格子目を掴んで身をよじる。

「ファグネル卿、娘だ、乱暴をさせるな!」

ファグネルはちらりと後方に視線を向けた。

「止めよ。ご婦人に手をかけるものではない」

城兵が仕方なく離れた。リネットは立ち上がって、再びラディナスに駆け寄ろうとしたが、やはり遮られた。

「本来ならば、謀反の罪は肉親にも及ぼう。だが、今日の所は、私は貴公を捕えよとしか命令を受けておらぬ」

「すまぬ、ファグネル卿」

「礼など良い。貴公が素直に従ってくれたおかげで、こちらも余計な苦労をせずに済んだ」

ファグネルは駕籠に入ったラディナスを見た。

森の騎士とまで渾名された、円卓の騎士が、このような姿を衆目に晒すことになろうとは。事が事実なら当然の報いだが、そうでなければ、彼のこの態度は何と高潔なものだろうか。

ファグネルは少しだけ、疑念を抱いていた。

ラディナスの罪の証拠について、アブハス宰相より、僅かに耳にしていたからだ。

西の区画へと繋がる内門が見えてきた。

刑場の側を通り抜けると、牢獄が見えてくる。外観だけで見るならば、牢とは思えない。かつては捕虜や、隣国からの人質などを住まわせた、貴人用の牢館だ。

ラディナスを監守に引き渡す前に、ファグネルは一瞬だけ隊を止めた。

「ラディナス卿よ」

体を曲げて、声を潜める。

ラディナスは、決して好意的とは思えないこの男が、何を言い出すのかと、不審げに見上げた。

「貴公、オヴェウス卿の後見人だそうだな」

「左様だ。彼をこの城に推挙したのは、この私だ」

「ふむ、あの男を、貴公ほどの男がな・・・」

ファグネルは、地下牢に閉じ込めた時のオヴェウスの昂ぶる姿を思い起こしていた。

狂ったように女の名を呼びながら、憎しみの声を吐いていた。あの凶暴な男と、この高潔ささえ感じる騎士の間に、そこまでの繋がりがあるとは思えない。

「仔細は知らぬが、貴公、裏切られたぞ」

ファグネルは言った。ラディナスの為を思ったわけでもなかったが、それを聞いたラディナスがどういう顔をするか、それが見たくなったのだ。

「貴公を讒言したのはオヴェウス卿だ。貴公の命に従って、わざとキリアムを逃がしたと証言したそうだ」

ラディナスの眼が、驚愕に見開いた。

唇がわななき、言葉は失われた。

僅かな瞬間、ファグネルは彼が嵌められた事を直感した。


リネットは父親を追いかけようとして、城兵に囲まれた。

彼を載せた駕籠が辻を曲って視界から消えるまで、城兵は剣を交差させて、彼女を威嚇していた。剣を戻すのを見て、再び追いかけようとしたところを、足を掛けられた。

為すすべなく転倒し膝を打つ。血が滲み、激しく痛んだが、それを気にする暇もなかった。

「何を為さるのです」

怒気荒く言って、立ち上がろうとするところへ、剣を向けられた。

数名の兵が、口元に残虐な笑みを湛えて彼女を取り囲んでいた。

「お嬢様に、何をするのです!」

セヴィアの張り詰めた声がした。

彼女もまた別の兵士二人に両腕を掴まれていた。

一人の兵がリネットに好色な感情を隠しもせずに手を伸ばした。

「噂じゃ、ラディナス卿は死罪になるってよ。もう、お嬢様とは呼べんな」

「そんな、お父様が・・・お止めなさい!」

衣服の端に指を掛けられ、リネットは必死に逃れようとした。その背後から、他の兵士に肩を抑え込まれた。

「あの館も差し押さえだ。お前、どうせ他に身寄りも無いんだろ」

自国を守る筈の城兵の、あまりの豹変ぶりに、リネットは総毛だった。

セヴィアが悲鳴をあげた。

彼女もまた乱暴を受けているのだ。

周囲の館は静まり返っていた。悲鳴が聞こえていない筈はない。だが、誰が喜んで謀反人とよばれた男と、関わり合いを持ちたいと思うだろうか。

男の生臭い息を間近に嗅いで、リネットは舌を噛む覚悟をした。

「あーあ、幾らなんでも、騎士の方々が知ったら、ただじゃ済みませんぜ」

突然、飄々とした声が割って入った。

城兵が慌てたように視線を向け、視界の先に小男の姿を見つけた。

「まあ、最近じゃあ騎士様の中にも、素行の悪いのはいらっしゃるそうですがね。・・・あの方々と、旦那方じゃあ、、身分ってもんが違うんじゃないですかい」

ルウメは言いながらクックと笑った。

「お前、ルウメか。お前ごときに言われる筋合いはないわ」

「まあ、でしょうなあ」

城兵を、リネットを、いつものようにくるくると回る眼で見比べる。

「俺は、止めはしませんぜ。でも、ラディナス卿のお嬢様がどうなったのか、訊かれたら正直には答えますがね」

懐から、何かを取り出した。

それを見て、城兵は「げっ」と呟くと、一様に青ざめた顔になった。

三の城内に出入りするための割符である。これを持つという事は、ルウメは騎士や要人の集う区域に出入りを許されたという事である。同じ城兵といっても、この札を持つ事の意味は大きかった。

「俺も、同胞が罰せられるのは、見たくありませんや。お互い、揉め事はなしにしませんかね」

はっきりそれと判る愛想笑いの裏を読んで、城兵は渋々と手を引いた。

「へへ、どうもどうも」

ルウメは卑屈に腰を折りながら、リネットの手をとった。

城兵は忌々しげに剣を納めた。

「しかしな、もはや館には戻れぬぞ。差し押さえは事実だ。これよりは誰も入れるなと、命令を受けている」

「そいつは、仕方ありませんな。大丈夫ですかい、お嬢様」

助け起こされたところに、セヴィアが駆け寄ってきた。

「ルウメ様、ありがとうございます」

セヴィアが目の縁に涙をためたまま、感謝の言葉を口にした。

リネットは、放心しているように見えたが、暫くたって、ルウメに助けられたことを理解したのか、震える唇を彼に向けた。

「あ、ありがとうございます。貴方がいなければ、私」

「礼は後でいいよ、それより、ここには長居しない方がいいさね」

ルウメは彼女の手を引くと、広場へと向かった。

人目はあるが、少なくとも衆人の前では、さっきのような狼藉を思いつく輩は少なくなるだろう。

それにしても、これからどうすればいいか、ルウメにも思いついてはいなかった。

「帰れる家が無くなっちまったとすると、ちょいと困るね。俺も当ては無いしなあ」

呟くように言う。対して、リネットは家の事よりも、父親の事でまだ頭がいっぱいになっている様子だった。

 「お父様は、・・・お父様はどうして」

 「詳しい事は俺も知らねえけどさ、謀反とか聞こえたからな。お嬢様も、身を隠さないとやばい事になりますぜ」

 「私が、ですか」

リネットは、ようやくその事に気付いたらしかった。

もし本当に謀反なら、いずれこのリネットも捕まる恐れがある。その前に、どこかに匿えたならその方が良い。娘の一人くらいなら、そこまで躍起になって探しはしないだろう。一人で家を追われた娘など、せいぜい人さらいに攫われた位の話で終わるに違いない。

だが、何処に隠すかだ。

「もし、宜しければ」

セヴィアが口を開いた。

「少しの間なら、私の家にお越しくださいませんか」

ルウメは彼女を見た。色黒で、決してぱっとした見た目ではないが、誠実そうな目をしていた。

「旦那様にも、お嬢様にも、ずっと良くしていただきました。漁師の家なので汚いですが、寝泊まりするくらいなら」

「セヴィア」

リネットの眼に、うっすらと涙が浮かんだ。流石は騎士の娘だ。これ程の目にあっても、いくら動揺していても、決して取り乱すことが無い。

「そうだな。それと決まりゃあ、早い方が良い。・・・実はね、俺もお嬢様にはいくつかお伝えしたい事があるもんで。落ち着いたところで話しましょうや。」

ルウメは頷くと、城門を目指して歩き出した。


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