第19話 モルガンの子

十九 〈 モルガンの子 〉


数時間前。


オヴェウスはキリアムを前に剣を振り上げていた。

手加減をするつもりも、助けるつもりも一切ない。本気で、一太刀で殺そうと思っていた。キリアムはオヴェウスにとって無用だ。無用だが不愉快だ。

剣を振るうその瞬間。

激しい衝撃が後頭部を襲った。

痛みはなかったが、骨が折れたかと思う程の衝撃に不意を突かれ、オヴェウスは体勢を崩してその場に倒れた。

暗闇に包まれた木の上から、彼に飛びかかった者が居た。

その小さな人影は、手に大きな木片を抱えていた。その木片で、頭上からオヴェウスの後頭部を殴りつけたのである。

オヴェウスの巨体が崩れ落ちるのを待たずに、少年は木片を投げ捨て、キリアムに駆け寄った。腰から短いナイフを取り出し、素早く彼の縄に切れ目を入れていく。

「そなたは・・・?」

キリアムにも、何が起きたのか分からなかった。その眼が、どこかで見覚えのある少年の相貌にとまる。

この少年は。そうだ、確かグリンガレットと一緒に居た、ビオランという子供だ。

「今助けるから、待って」

「かたじけない、しかし、何故」

「俺ら、全部見たんだ。その・・・見ちまったんだよ」

固い縄がなかなか解けない。キリアムも渾身の力を込めて縄を千切ろうとした。

「ごめん!」

ビオランがさらに力を込める。

次の瞬間、縄がほどけて落ちた。反動で、キリアムの腕にも一筋の傷がついた。

「切っちゃったかな」

「大丈夫。貴公は、命の恩人だ」

キリアムはビオランに手を伸ばそうとした。しかし、少年の背後に視線を向けた先で、頭を割られるほどの一撃を受けたオヴェウスが、何事も無かったように、むくりと体を起こすのが見えた。

「え、効いてないのかよ」

気配を感じて振り向いたビオランは、憤怒の形相でこちらを睨みつけるオヴェウスに総毛立った。

「急いで逃げるよ、こっちだ」

ビオランはキリアムの手を掴んで、咄嗟に走り出した。

あの時の森の少年が、なぜこんな所に、と思うよりも、まずはオヴェウスから逃れる方が先決だった。

「キ、リアムぅ・・!」

オヴェウスの吼える声が響く。

二人は森の奥を目指して走った。

ビオランは森の走り方をよく知っていた。普通なら、騎士の追跡など簡単に逃げ切れる。しかし、オヴェウスは違った。森の民にしか分からない筈の道を、見誤る事も無く猛烈な勢いで追いかけてきた。

「何なんだよ、あの大男、騎士じゃないのか」

思わず、ビオランは叫んだ。

キリアムは少年について走るのがやっとだった。体が重く、視界もほとんどない。だが、ここで少年とはぐれてしまったら、おそらく二度と助かるチャンスはない。

もはや、何処をどう走ったか分からない。

どれ程の時間が経ったろうか。ビオランが、ぴたりと足を止めた。

逃げ切ったのか。いや、ビオランは焦っている。なにか、良くないことになったのだ。

「・・・しまった、俺らとしたことが。道を間違った」

湿った風が、足元から吹き上げてくる。

キリアムはようやく、自分たちが崖に出てしまった事に気付いた。

断崖の下から、激しい濁流の音が聞こえてくる。

それと同時に、二人を探し、悪鬼の如く追いかけてくるオヴェウスの気配が、すぐ其処まで迫ってきていた

「騎士の兄さん、跳ぶしかない」

「跳ぶって、この崖下にか」

「仕方ないだろ、ここからじゃ、もう逃げられない」

確かにビオランの言う通りだった。

オヴェウスに追い付かれては、いずれにしても助からない。それであれば、全てを天に任せるしかない。

「分かった。・・・蒼天の加護を」

キリアムは覚悟を決めると、崖下に身を躍らす。

脳裏に、グリンガレットの相貌がよぎった。



夕暮れを過ぎると、風が一気に冷たくなる。

ローブの首元を抑えて、ベリナスは火の近くに寄った。

「城の様子がおかしい」

近くに座る仲間に声をかけると、城門の方角に目を向ける。

鼻の潰れた騎士、マイルスが、鍋から具の無いスープを掬い、ベリナスに差し出した。

「狩りで、何かありましたかね」

「どうもそんな感じだな」

スープは火傷するほど熱かった。少し息を吹きかけながら。

「朝の仰々しい出発の様を見たかよ。王の威光ってやつを振りかざしているのが見え見えだった。それなのにどうよ、帰りはバラバラもいいところだ。狩りの筈なのに、獲物を見せびらかす奴もいねえ」

あれほどの大がかりな狩りの後なら、普通は振る舞いがなされることも多い。町の連中、それもあまり裕福でない連中は、そういった城からの振る舞いを期待しているものも多かった。それが、皆とんだ期待外れの顔をしている。

「ベリナス殿、やはり、この城に身を寄せるのは、考え物ではないですか。無駄に時間を過ごすくらいなら、早めに仲間の所に戻られた方が・・・」

仲間の言葉に、ベリナスは難しい顔をした。

彼らの言葉が正しいと、ベリナスも思っていた。

そうと決まれば、行動は早い方が良い。見切りをつけるなら、もはやここに野営を続ける意味も無い。

しかし、その決断がなかなか出来ない。

デリーンの行方だ。

たかが森の女、と、言われるのもわかっている。判断を鈍らせているのが、単なる自分の私情だという事も、十分に理解している。

愛を誓った訳でも、いや、そういう相手として、真剣に考えた事すらない。

だが、この数年の間、彼女は近くにいて、それだけの事が、勝手に彼の心の中で大きな意味を持つようになっていた。

「もう少しだけ、待ってくれ」

彼はぼそりと言った。

一人がため息をついた音が聞こえた。

「おい、やめろよ」

誰かがその男を小突くのが見えた。

デリーンの事を皆が知っている。彼が彼女を待っている事を、あまり口にはしなくても、皆が気を使っている。

このままでは良くないと思いながら、彼はまだ動けずにいた。


夜明けとともに、ルウメは三の城内に向かった。

厨房から朝食を受け取り、急ぎ足で中庭を抜ける。

周囲はやけに物々しく、普段以上に登城している近衛騎士の数が多い。

こんな早くから、何かの訓練でも始まるのだろうかと思いつつ、横目に塔の真下まで来た所で、思いもかけず足止めを食らった。

一人の騎士と、ケルンナッハが立っていた。

兵士が厳重に入り口を取り囲み、ルウメを見ると無言で圧力をかけてきた。

話しかけようとしたが、止めた。軽口を叩けそうな雰囲気ではない。

ルウメは、仕方なくその場に腰を下ろし、せめて朝食ののった盆を日陰に置いて、警護が終わるのを待つ事にした。


グリンガレットとデリーンは、もう起きていた。

油断をする事を避け、交替で少しずつ眠ったが、小窓から光が差し込むのを合図に、二人でベッドの上に座り、冷たい石の壁を背もたれにして、とりとめのない話をしていた。

デリーンが興味を持ったのは、特にキリアムの事についてだった。

キリアムとはどんな男なのか、どうして彼の従者になったのか、など、色々と聞きたがったが、そこに関しては正直に話すわけにもいかなかった。

「我が殿は、誠実な方です。かつての騎士の栄光の片鱗を、私はあの方に見ました。それでは理由になりませんか」

グリンガレットが濁すような答えをすると、面白みのない回答に、デリーンは「ふうん」と、つまらなそうに、どこか疑うような目つきを見せた。

「騎士の栄光ねえ。あたしも何人か騎士の知り合いはいるけど、泥臭い奴らばっかりだから、正直良く分からないね。そもそも、かつての栄光なんて、あたしは知らないしね」

「デリーンは、円卓の騎士と呼ばれた方々にお会いしたことは?」

「あるわけないだろう。あんな風に戦争が大きくなって、サクソンの侵入を許したりりしなければ、あたしは森を出る事だってなかった筈なんだから」

「そうですよね」

グリンガレットは少し肩を落とした。

「でも、私達だって、皆を苦しめるつもりなんて無かったのです。だから、今でもこうして何かできる事を探している。我が殿、キリアム様も、その思いだけで、ここまでやって来たのです。あんな遠い、ブリトン等の南端にある街から、はるばるこのゴドディンの地まで」

キリアムの姿を、グリンガレットは思い浮かべた。

彼女の従者になりたいと膝をついた時の、生きる術さえ見失いかけ疲れ果てた姿が、まず目に浮かんだ。バースの黒騎士と異名をとった彼が見せた、弱き心。自らの心の悪を知って、すぐにそれを悔いた性根の正しさ。

悪は善なる心の中に宿っている。本当に大切なのは、悪を知ってなお、それを包み込む心の強さだ。悪を否定する事でも、自らの善を盲信する事でもない。結局のところ、人間とは、過ちを犯す生き物だ。

彼は、グリンガレットの主人を演じる中で、彼の本当の強さと優しさの片鱗を、その実直さの中に垣間見せてくれた。

癖の強いカールした黒い髪。精悍な頬。その人柄を知らなければ冷ややかにも見える眦。その奥底には熱い情熱を秘めている。

きっと、彼の高潔さと清々しさは、円卓の騎士のいずれにも劣らない。

キリアムは、自分を信じてほしいと言った。信じて、いつか全てを話してほしいと。彼に再会したら、グリンガレットは、・・・私は何を話すのだろう。

心が何故か苦しくなった。彼を思うと、今は、とても辛い気持ちになる。

「早く、その人の所に、戻れると良いね。会いたいんだろ」

「え?」

デリーンが、思いつめた表情のグリンガレットを見かねて、軽く肩を叩いた。

グリンガレットは彼女に、自分でも自覚できていなかった心情を見透かされた気がした

「・・・私が、会いたがっている。そうなのでしょうか?」

「違うのかい。だって、仮にも主従関係を結んだ仲なんだろ」

「そうです。・・・それは、勿論です」

でも、自分がキリアムの下に戻りたいのは、ただ、この抑圧された現状から逃れたいのと、彼が私を心配しているであろうから、彼を安心させるためではないのか。

私が彼に会いたいと思っている? そんな風に考えた事はなかった。・・・筈だ。

彼を思う時に感じる苦しさ。それは、彼に会いたいにのに、会えないから?

そんな馬鹿な事・・。

にやにやと笑って、デリーンはふと自分も誰かを思い浮かべたようだった。

「あたしは、別に会わなくても良いんだけどさ。ベリナスの旦那、ああみえて繊細だから、あたしの事、心配しているかな」

彼女を待つであろう騎士の相貌が思い出された。険しい顔をして、きっと周りの連中に気を使わせながら、彼はどこかで、自分を待っているのではないだろうか。

もしかしたら、もう砦に戻って行ったかもしれない。だが、それでも彼はデリーンが追いかけてきてくれるのを、心待ちにしているような気がする。不器用で口下手で、戦以外は本当にどうしようもない男だが、それでもデリーンには大切な仲間だ。

「ベリナス様って、どなたですか?」

「ああ、あいつはね・・・」

彼の事を話しかけた唇が、何かに気付いて、言葉を途切れさせた。。

そういえば、あいつが探していた女って、もしかして。

「ねえ、グリンガレット」

デリーンは彼女の相貌、肢体をあらためて見返した。

「あんた、もしかして東の森の先で、三人の騎士の鼻を折らなかったかい?」

「え、なんでデリーンがそれを?」

「・・・やっぱり」

オヴェウスと剣を交えた姿を、彼女は遠くから見た。オヴェウスを翻弄していた剣の腕前は本物だ。それに、この凛とした姿と、騎士道すら感じさせる物腰。これまで気づかなかったのが不思議なくらいだ。

デリーンはベリナスがはぐれ騎士を束ねるリーダーを務めており、グリンガレットの話を聞きつけて、その消息を追いかけていた事を話した。

話の途中、グリンガレットは暗い顔になった。

デリーンと親交のある騎士が、自分を恨んでいる。彼女はそう思った。

その様子に気付いて、自分の話し方が悪かったかと、デリーンはすぐに察した。

「恨んでいるとかじゃあないんだ。あいつは、あんたに礼をしたいってさ。きちんと謝りたいって、そう話してたよ」

「礼?ですか?」

「ああ、あいつも大勢を束ねているからね。目の届かないこともある。本当なら殺されたって文句も言えないのにさ、あんたは目を覚まさせてくれたって」

「そうでしたか。私はてっきり・・・」

グリンガレットの顔に、心からの安堵の表情が浮かんだ。

時々、彼女は本当に可愛い顔をする。こんな表情を見せられては、世の男どもはたまったものではないだろう。

デリーンは彼女をベリナスに会わせてみたいと思った。彼も、きっと彼女を気に入る筈だ。砦に招いて、仲間になってくれと、持ち掛けてくるかもしれない。

「ベリナス卿は、ご立派な騎士なのですね」

「立派っていう程、真っ当な奴でもないけどね。まあ、悪い奴ではないさ。本人が言うには根っからの騎士らしいから・・・あたしの目からしたら、どうにもそうは見えないけど」

デリーンが彼の事を話す仕草が、どこか可笑しく見えた。思わず、グリンガレットは笑みをこぼした。

デリーンは少し顔を赤くした。

「あいつ、そういえば、家名を背負っている筈だよ。由緒ある家柄だって」

誤魔化すように話題を変える。

「それでは、円卓に坐した、どなたかの後裔にでもあたるのでしょうか」

「ええと、なんて言ったかな」

デリーンが頭を抱えて、眉間にしわを寄せる。

その時だった。

木製の階段を昇る音がはっきりと近づいてきたのを、二人の耳が捉えた。

ルウメの足音ではない。

二人は咄嗟にベッドから起き上がり、身構えた。

「失礼いたします」

ノックの音と、ケルンナッハの声が、ほぼ同時に聞こえた。

「どうぞ」とも何も答えなかったが、返事を待つことも無く鍵が開き、二人の人物が姿を見せた。ケルンナッハと、近衛騎士長のサヌードだった。

さして意外とも思わず、グリンガレットは凛として睨み立った。デリーンは自分をわきまえていた。少し後方に下がり、腕組みをしたまま控える。不遜な表情だけは崩さなかった。

グリンガレットの姿を一目見るなり、サヌードの目が驚愕に固まった。

驚きが、興奮へ、そして感心に変わり、微かな歓喜を湛え始める。

「これは、なんと」

ようやく絞り出すようにそう呟くと、グリンガレットではなく、背後に従えたケルンナッハへ声をかけた。

「これが、かのモルガン王妃の姿か」

ケルンナッハは大きく頷いた。

「まさに、瓜二つ。いえ、それ以上かもしれませぬ。髪の色は言うに及ばず。その背丈、面影、瞳の形や色、声、歩く仕草のどれをとっても、まさにモルガン様その人にございます」

「成程。音に聞こえし妖姫とは、このような姿であったか。ふむ、確かにな」

何かを納得するかのように、丹念に彼女を観察する。オヴェウスの好奇の視線ともまた違う不快感に、グリンガレットは身をすくめた。

「かほどの美貌は、そうお目にかかれるものではあるまいな。清聖にして高貴。にもかかわらず、瞳の奥に妖艶さと狡猾さを隠している」

サヌードは近づきざまに、彼女の髪に手を伸ばした。咄嗟に、グリンガレットはその手を払った。

「気の強いのも、王妃譲りかな」

サヌードが嘲笑するように呟く。だが、その眼には笑みは浮かんでいなかった。むしろ、仇敵と再会した時のような残酷な輝きが浮かんでいる。

「私の名は知っていよう。キリアムの従者。いや、モルガンの娘よ」

デリーンがはっとした顔になった。

グリンガレットの表情は変わらなかった、

「私は、そのような者ではありませぬ。他人の空似です」

「では、名は何という」

「グリンガレット。それが今の私を語る、唯一の名です」

「真の名を訊いている」

「仮にそのようなものがあるにせよ、貴方の望むものではありませぬ。我が名はグリンガレット、それ以外の言葉に、私は答えませぬ」

グリンガレットはどこまでも毅然として応えた。

「いかにそなたが否定しようと、ここに居るケルンナッハが、それと見極めたのだ」

「私は私にございます。他人に、私の素性を定めさせるものではありませぬ」

「だが、その相貌が語っている。古参の騎士の中には、まだ在りし日の王妃を覚えている者も少なくはない。彼らの前で、それでも空似と言い逃れができるかな」

「私は真実を話しているのみです。サヌード卿」

ふんと、サヌードは顎に手を添え、再び、値踏みするように彼女を見た。

まるで心の底を見通すかのような彼の視線に、肌がちりちりと泡立つ感覚を覚える。不快さを隠そうともせず、グリンガレットは胸の前で腕を組んだ。

「そんな事よりも、私がキリアム様の従者とお分かりなのでしたら、早急に、私達を我が殿の元にお返しください」

「それは出来ぬ」

サヌードは申し出を一蹴した。

「何故でございます? 私は確かに男装をしておりましたが、それが何らかの罪に当たるわけではありますまい。女の身であれば、護身のための術にすぎませぬ。・・・私達は、ただオヴェウスに乱暴を受け、捕らわれたにすぎませぬ」

「仔細は訊いている。問題はそこではない」

間をおいて、サヌードは室内を少し歩いた。

流し目で、デリーンを観察していた。

彼女が何者なのかを探っている。グリンガレットとはどのような関係なのか、この場において同席するにふさわしい者であるのか。もっと端的に言えば、彼にとって必要か不要かを考えている。

結局、人払いをする事も無く、彼女が何者なのかを訪ねる事も無く、彼は再びグリンガレットに顔を向けた。

次の言葉に、グリンガレットは凍り付いた。

「エイノール陛下が身罷られた」

悪い冗談ではない。サヌードは一言一句を噛み締めるように言った。

「殺されたのだ」

抑揚の無い声で、淡々と、彼は続けた。

「殺したのはキリアムだ。狩りの最中、隙を見て王を射殺した」

グリンガレットは頭を叩かれたような衝撃を受けた。

サヌードの言葉は理解できている。だが、感情と思考が巡らない。あまりの事に、返す言葉さえも浮かばず、彼女は微かに眩暈を覚えた。かろうじて。

「・・・そんな、・・・そんな筈はない」

相手にも伝わらない程の声が漏れる。

「あの男は、最初から王位を狙っていたのであろう。このサヌードも迂闊であったわ」

サヌードは言いながら、グリンガレットの逃げ場をふさぐように体を寄せてきた。

「グリンガレットと呼べばよいのだな。・・・そなたは、奴の野心を、知っていたか?」

グリンガレットはサヌードを睨み返そうとした。だが、自分の目の焦点が合わない。動揺しているのがはっきりと自覚できる。

キリアムが、まさか、そんなことがあるのだろうか。

返す言葉がなかなか思いつかず、サヌードの視線が、徐々に厳しく感じられてくる。逃れるように彼女は俯いた。

「慎重に答えるべきだぞ、グリンガレット。もし、知っていたならば、そなたは王殺しの仲間として、裁きを受ける事になる。・・・もし、私がそれを明らかにすればの話だがな。だが、もしそれを知らなかったと言うのならば、私はそなたを守ることも出来る。幸い、そなたの今の姿を見て、キリアムの従者であった事に気付く者は、まず居るまいからな」

サヌードは言いながら、ふと、何かを思いついたようだった。

ケルンナッハに耳打ちすると、従順な召使は、頷いて、そっと部屋の外に出ていった。

グリンガレットはまだ言葉を失ったままだった。

「どうした、何か言わぬのか?」

追い打ちをかけるように、サヌードが責めるような口調を浴びせた。

「待ちなよ」

 突然、声が割って入った。

「そんなに問い詰められても答えられるか、こっちは色々と初耳なんだ」

彼女の肩を、背後からデリーンが支えていた。驚いて彼女を見ると、デリーンは凛とした表情で相手を睨みつけていた。

「騎士だか、誰だか知らないけどね、女にはもう少し優しく話すもんだよ。あんた、嫌われるタイプだね」

「何だと、貴様」

凄むサヌードを気にする様子もなく、デリーンは長い髪をさっとかきあげた。

「さっきから黙って聞いてれば、勝手な事ばかり言いやがって。・・・そもそもさ、証拠はあるのか、そのキリアムって人が、王様を殺したってのさ。・・・誰か、矢を射ったところを見た者がいるのかい?」

噛みつくような口調で詰め寄る。

サヌードは明らかな不快さを表情に浮かべた。

「矢羽が証拠だ。奴め、自分の持つ矢羽に印があるとも知らず、それを使ったのだ」

「じゃあ、肝心なところは、誰も見ていないじゃない」

「矢は特別なものだ。他の者が持っているはずがない」

「その矢は誰が準備したのさ。今の話だと、キリアム自身じゃないんだろ」

サヌードが苦虫をかみつぶしたような顔になった。目の縁が、いかにも煩わしいものを見るように、小さく震えたのを、グリンガレットは気付いた。

キリアムが矢を射たのを、誰も見ていない。・・・という事は。

グリンガレットの思考に冷静さが蘇ってきた。

キリアムにはエイノール王を殺す理由が無い。

彼と知り合って、まだ間もない。だが、彼の誠実さを疑う理由も無ければ、そもそも彼をこのような運命に誘ったのは、他でもない自分自身だ。彼が王位を求めていないことも、誰よりも知っているのは自分ではないか。

キリアムは嵌められた。おそらくは城の誰かに。

その誰かが、目の前のサヌードであることを、彼女は直感した。

彼は近衛騎士だ。王の死という、最大の失態を犯したとは思えないこの態度が、全てを物語っている。

「我が殿は、陛下を殺してはいません。殺すはずがありませぬ」

グリンガレットは言った。そして、眼でデリーンに「ありがとう」と合図する。

デリーンは黙って笑顔になった。

デリーンのおかげで、彼の言動に惑わされずに済んだ。彼女がそこに居てくれることが、なんと心強く感じられることか。

「そうも言い切れるか。・・・奴を信頼しているのか、それとも・・・」

サヌードは、彼の癖であろう、片眉を吊り上げた。

「いずれにせよ、奴が王を殺したことは、もはやこの城の誰もが知る事になる。そうなれば、いかにそなた等が庇いだてしても、只ではすまぬのだぞ」

グリンガレットに手を伸ばし、すこし躊躇うように指を震わせる。

「私はな、そなたを救えるのだ。救いに来たのだ」

グリンガレットの赤毛にも見える濃金色の髪が、小窓から差し込む光を受けて、一部だけが強く輝いている。サヌードはその髪を急につかんだ。

「お止め下さい」

グリンガレットは驚いて睨み付けた。

「美しいな、そなたは。この顔で、世の男を籠絡するのか」

サヌードは口元を引きつらせるように、嫌な笑みを浮かべた。

「よせ、女の髪を!」

デリーンが咄嗟に手を出した。その手をあっさりと抑えて、サヌードは捻り上げた。

「デリーン!」

「痛って」

サヌードは両手を離した。

デリーンは手首を抑えて顔をしかめた。グリンガレットがすぐに駆け寄り、彼女を庇うように立つ。

冷ややかな目で、サヌードは二人を見下した。

「私は、暴力は好きではない。だが、あまり反抗的な態度をされるのも面白くはない。・・・これからは、そういう態度は慎むが良い」

デリーンは悔し気に唇をかんだ。

「そなたは王殺しの従者だ。そなたの命など、すでに私の手の中にある。だが、私はそなたを責めようと思っているのではない。むしろ、事実をありのままに伝え、その上で、そなたとの縁を語ろうと、思うているだけなのだ」

「私との、縁。そのようなもの、ある筈がありませぬ」

戸のきしむ音がした。

ケルンナッハが戻ってきた。

その手にあるものを見て、グリンガレットは目を見開いた。

・・・ガラティン。

 この大切な剣が、なぜサヌードの元にある?

 彼女がそれに気付いたのを知って、サヌードは薄く微笑んだ。

 「聡明なそなたであれば、この剣がここにある意味を、察したであろうな」

 「サヌード卿、我が殿を、我が殿をどうされたのです!?」

 「キリアムか。あの男は・・・」

 一瞬の間があった。

 「あの男もまた、我が手中にある。いずれ死罪となる運命なれど、その定めを変える手立てがあるとすれば、それは、そなたの態度一つに、かかっておる」

 「それは、脅しですか」

 「どう考えるかは自由だ、だが、私はそなたにとって、必ずしも敵ではない。そなたが、・・・真に私が思う者であれば、むしろ同胞と言っても良い」

 グリンガレットは拳を握りしめた。その表情に、これまでに無い程の敗北感が滲み出ている。キリアムは、彼女にとっての最大の弱みだ。おそらく、彼女のこれまでの態度を見て、この場にいる誰もが、それに気づいただろう。

 グリンガレットは視線を移した。

 ケルンナッハの手の中にガラティンが握りしめられている。

 感情的になってはいけない。グリンガレットは、必死に溢れ出る激情を抑え込みながら、サヌードが何を言い出すのか、その目的が語られるのを、待った。



 オヴェウスは荒れ狂っていた。

 キリアムを逃がした。

 崖から飛ぶのを、最後に見た。あの高さでは、どうせ助からないとも思うが、自身の手で始末が出来なかったのは残念だ。

 あの男を殺したことを、自らの口でグリンガレットに伝え、あの女がどんな顔をするかを見たかった。自分がうけた恐怖を数倍にしてあの女に返し、そして、今度こそ自分が支配する立場になる。

 城に戻った彼に、幾人もの騎士が詰め寄った。

 煩わしいとしか思わなかった。王が死んだ事など、どうでもよくなっていた。サヌードの事も、今まで彼が城の中で築いてきた地位や立場の事も、全く考える事が出来なくなっていた。

 石段を下り、格子の前に立って、彼は目を細めた。

 膨らんだ布の塊が見えた。丸まって眠っているのかと考えて、彼は格子戸を叩いて叫んだ。

 身動き一つしなかった。

 俺を無視する気か、と、彼は更に怒りを覚えた。

 鍵を開けようとして、既に空いている事に気付く。

 まさか、という思いで、彼は咄嗟に中に飛び込んでいた。無人になった牢内で、冷たい薄布を引きちぎり、絶望の叫びをあげる。

 背後で音がした。

 格子戸が閉まり、見覚えのある近衛騎士が、ひきつった顔でこちらを見ていた。

 声にならない雄たけびをあげ、格子戸に体当たりをする。

 激しい衝撃を目の当たりにして、騎士ファグネルはとっさに数歩以上も後退った。

 牢は予想以上に堅固さを保っていた。オヴェウスが格子を握り、ようやくそれと判る言葉で

 「・・・手前、・・・ファグネル・・・だな!」

 唸るように騎士を見据える。

その姿が、もはや野獣としか思えず、ファグネルはそのまま硬直した。

 「お、オヴェウス卿。悪く思うな。そなたを、捕えよとの命なのだ」

 「俺を、捕えるだと。何でだ!」

 「奴を逃がしたではないか。キリアムをだ。貴公、奴と共謀したと、思われているぞ」

 「馬鹿な!?」

 オヴェウスは二の句が継げなかった。

 俺があの男と共謀?。そんな事がある筈がない。逃がしたのは事実だが、それだけで俺を牢に閉じ込める理由になるのか。

 「アブハス様の命令だ。俺は従っただけだ。許せ」

 ファグネルは、よほどこの凶暴な騎士が怖ろしいのだろう。顔中に大粒の汗を流し始めている。

 「それに、疑いが晴れれば、自由になる日も来よう。それまで、待たれよ」

 言い残すと、這う這うの体で逃げ出す。

「待ちやがれ、ファグネル」

その背に向けて、オヴェウスは更に叫んだ。

「女は、この牢に居た女は・・・グリンガレットはどこに行った!?」

「知らぬ。俺は、そんな女、知らぬ」

「知らぬわけがあるか、隠したな。ファグネル、俺の女を返せ」

「くどいぞオヴェウス」

ファグネルの姿が視界から消える。

オヴェウスは狂ったように格子を叩きつけた。

何度も何度も叩きつけるが、誰の返事もなく、そのうちに、周辺から全ての音が消え去っていく。

完全に一人になると、オヴェウスはその場に膝をついた。

時が過ぎていく。彼はピクリとも動かず、脳裏に女の影を思い浮かべていた。

閉じ込められたことの苦痛さは、すぐに薄れていた。怒りも、さほどにはこみ上げてこない。

ただ、女を、グリンガレットを失った喪失感と絶望感が、彼を苛み始め、更なる恐怖を呼び覚ましていく。

「グリンガレット・・・、お前、何処に行った」

オヴェウスの唇から洩れたのは、ただその名前のみだった。



喉が異常に乾くのを、グリンガレットは覚えた。

心を、もう少しだけ強く持たなければいけない。この二人が何を考え、自分に何を求めているのか、感情的になりすぎるのではなく、しっかりと聞きださなければ。

サヌードは狡猾な男だ。おそらく真実と嘘を織り交ぜ、言葉巧みに自分を籠絡しようとしている。

唇を少し舐めて、緊張をほぐす。彼女の目はまだ、眼前で不敵に腕を組む近衛騎士を見据えたままだった。

「そなたは、この城で生まれた」

決めつけるように、サヌードは言った。

「かの妖姫モルガン・ル・フェイの庶子としてな」

やはり、そう考えたか、とグリンガレットは思った。

「何をもって、その様な事を仰るのです。王妃モルガン様は、確かに奔放な御方であったとは伝え聞いております。しかし、そのような不義の子があったなどとは、悪意ある噂話でございましょう」

「噂では、片付けられぬ事もある」

グリンガレットの否定は、サヌードには届かなかった。彼女がいかにそれを拒もうとも、彼女の容姿が、それを許してはくれない。

対して、デリーンはどこまでもグリンガレットの言葉を信じようと考えていた。

それでも、このサヌードの話には興味をそそられる点もあった。グリンガレットの言葉とは裏腹に、彼女の仕草に滲み出る高貴さや、思わず誰しもが「姫」と呼び掛けてしまう崇高な雰囲気には、はたしてその通りなのではないかと、思わせるものがある。

「子が居りましたのは、真実に御座います」

突然、ケルンナッハが口を挟んだ。

老いた召使は、目を細め、まるで神々しい者でも崇めるように、グリンガレットを見つめていた。

「私は、長い間モルガン様のお側に仕え、その行いを、お言葉を、この目と耳で記憶して参りました。私が知る限り、王妃はユーウェイン様をお産みになられたのち、二人の子を授かりました。いずれも、ウリエンス陛下との子ではなく、名もなき者達との間に、秘密裏に儲けた子で御座いました」

ケルンナッハが、遠くを見るようなしぐさをした。在りし日の光景を、その瞼の裏に蘇らせているかのように。

低く皺枯れた声で、彼は言葉を続けた。

「生まれた子は、お一人目は男児。お二人目は女児に御座いました。しかしながら、不義の末に生まれたその子達を、モルガン様はお捨てになられました」

「自ら生んでおきながら、何故なのです?」

「ウリエンス王は、嫉妬深き性格でした故、子の事が知れれば、殺されるものとお思いになられたのかもしれませぬ」

サヌードが少しだけ険しい顔をしたのを、グリンガレットは見逃さなかった。

「お捨てになる際、モルガン様は、いつか再びその子達が城に戻った時の目印にと、二つのものを授けました。一つは、生まれた城を表す目印として、ルグヴァリウムの紋章を象った飾り止めにございます。今一つは」

言いかけた所を、突然サヌードが制止した。

グリンガレットは、彼の首筋に、古いブローチがある事を、その時初めて気付いた。

サヌードは、髪をかきあげた。

こめかみに傷があった。

息をのんだのは、グリンガレットだけでは無かった。デリーンもまた言葉を失った。その傷を、同じ傷を彼女は目にしたばかりだった。

「今一つは」

と、サヌードが言葉を引き継いだ。

「このこめかみの傷痕だ」

言いながら、サヌードがグリンガレットの髪に手を伸ばす。先ほどから、彼が彼女の髪を気にする理由が解った。彼は、傷の有無を確かめたいのだ。

「モルガンは、この世の美を全てその身に宿していたと言われるほどの美貌の持ち主だった。だが、そんなモルガンの美貌にも、たった一つだけ、欠点があった。それが、こめかみに残された、これと同じ傷跡だ」

サヌードは自らの傷を指し示した。

それが物語る事実に、デリーンは身震いした。

「この傷は、モルガンがまだウリエンスの妻となる前、許されぬ過ちを犯した罰に、偉大なる王の聖剣によって受けた傷だ。モルガンはこの傷を憎み、そして、この傷を、・・・同じ傷を、自らの子に刻むことによって、全ての子に自身と同じ憎しみを植え付けようとしたのだ」

サヌードの手が、グリンガレットの髪をかきあげ、そこに残る傷跡を露わにさせる。

おお、と、ケルンナッハが呻くように呟いた。

「やはり、そなたであったな。我が妹よ」

グリンガレットは、顔を背けた。

成程、話の辻褄はあっている。

これでは彼らがそう思いこむのも、無理はない。

デリーンを見た。彼女の顔には困惑の色が強くなっていた。

仕方が無いと思った。彼らの言葉をそのまま信じるならば、グリンガレットの正体が何者であるか、それが明らかになったと感じているのだろう。

もし、そうだとしても、彼女はこれまでと同じように接してくれるだろうか。少しだけ、胸が詰まるような痛みが生まれた。

「サヌード卿。貴方はいつ、それを知ったのですか。・・・自らの出自を」

「我が養父であるケイネスより、幼き頃からそれとなくは聞いていた。確信したのは、このケルンナッハと出会ったためだ」

ケルンナッハは頷いて、グリンガレットに再び静かな礼をした。

「お待ちしておりました、我等が姫よ。覚えてはおらぬでしょうが、あのモルガン様がお作りになった地下の通路を抜け、貴女様を密かに城外へとお連れしたのは、他でもないこの私なのです」

指輪に呼応して開いた通路があった事を、グリンガレットは思いだした。

あの抜け穴は、その様な事のために築かれたものであったのか。それを思うと、背筋がうっすらと寒くなる思いがした。

「確かに、私には傷があります。それは否定しませぬ」

グリンガレットは、意を決し顔を上げた。

「ですが、それが何だというのです」

サヌードを、ケルンナッハを交互に見つめ、声を振りしぼる。

「仮に私が貴方の言う者だとしましょう。例えそうだとしても、今の私はグリンガレットであり、キリアム卿の従者なのです」

「そなたは、我が妹であり、わが望みを叶えるものだ。もはや、あの男の従者などではない。それを解られよ」

サヌードが声を荒げた。

「貴方の望みとは?」

「知れたことを。私が本来持っていた物を、この手に取り戻すことだ。この国を、ノヴァンタエ王の権利をな」

サヌードの手が、グリンガレットの顔を抑えた。

「私には必要なのだ、私のこの血統を明らかにするものが」

彼の目に、憎しみにすら似た色が浮かんでいた。

「私は似なかった。モルガンに、似ても似つかぬ顔で生まれた。ただそれだけの事で、私は私がモルガンの子であることを証明できぬのだ」

感情を吐き捨てるように、彼は続けた。

「そなたのように、少しでも面影があれば、顔や、声や、眼に、少しでも子の証となるものがあったならば、私はそなたなど必要とはしないのだ。・・・額の傷など、誰も知ることの無い証など、証にはならぬ。・・・あの女は、私を捨てたあの女は、私に何一つ残さなかったのだ。」

彼の手が、グリンガレットを通して、ねじくれた母親への憎悪を蘇らせていた。気の昂ぶりが、彼を包み、普段は理性の下に封じ込めていた凶暴さを露わにさせている。

思わず、グリンガレットは彼の体を押しのけていた。

「下らぬ事に、迷いましたかサヌード卿」

逃げるように彼から離れ、距離を取る。再び、デリーンが庇った。

「・・・策を弄し、道義を違えてまで何を望むのかと思えば、・・・所詮はそのようなつまらぬものを望むのですか、貴方は。騎士道も貫かず、王位につこうなどと」

「王を選ぶのは、もはや騎士道ではないのだ。いかに私に実力があっても、才があっても、愚かな貴族どもは、血統のみを重んじる。いや、血統の証のみを重んじるではないか」

サヌードの言葉の中に、真実があるのも確かだ。だが、それでも彼がやろうとしている事を肯定するだけの理由にはならない。

「それでも、貴方は間違っています」

「ならば、そなたは何故この城に来たのだ」

サヌードが詰め寄った。

「男の姿に化け、何のためにこの城に潜りこんだ?。・・・私にはわかっているぞ、そなたはあの女の娘だ。その見た目と同様、あの女の性質まで、その身に受け継いでいるのであろう。・・・王の権欲に引かれ、キリアムなどという偽の王を立て、この城を奪い取るつもりで来たのであろうが」

「そ、その様な事」

彼女は否定しようとした。だが、興奮したこの男に向かって何を言ったとしても、彼は額面通りに受け取る事は決してないだろう。グリンガレットは心の中で舌打ちをした。

「グリンガレット。少し落ち着いた方が良い」

デリーンが気をきかせた。ゴブレットに水を注ぎ、彼女に手渡す。

有難かった。

彼女は本当にいいところで助けてくれる。

受け取ったゴブレットを飲み干してから、グリンガレットはサヌードを振り返った。

「私に、何をしろと言うのです。貴方がモルガンの子であると、吹聴せよとでも」

サヌードは首を横に振った。

「三日の後、次なる王を選ぶための円卓の会が開かれる。そなたには、この城を正統に統ぐ者として、その大役を任せられることになろう」

「私に、王を選べと、そういう事ですか。・・・知りませんよ、私は貴方以外の者を選ぶかもしれない」

「そなたは私を選ぶ。そして、私に服従する」

彼の態度に、冷静さが戻ってきた。あの、執拗さを秘めた目つきで、グリンガレットを舐めるように見つめる。

「その後は、そなたには王妃の位をやろう。喜ぶがよい、お前の目的は成るのだ」

あまりの事に、グリンガレットは、「は」と笑った。

「なんとも可笑しなことを。先ほどは、我が妹と言いながら、今度は私に妻になれとでも。サヌード卿、貴方は気がふれたのではありませんか」

「何もおかしい事は無い。古来より、血の結びつきを守る為には、兄妹で結ばれる事など、よくある話だ。それに、それを知るものは、我々しかいない」

狂っている。

デリーンもまた、彼の狂気を感じずにはいられなかった。

グリンガレットの正体が、彼の言うようにモルガンの娘だったとしても、サヌードがモルガンの子であったとしても、彼の理論は狂っている。

「お断りします。私は、王も、我が夫となるものも、私自身の意志で決めます。そしてそれは、貴方ではありません」

「断らば、キリアムを救う事は出来ぬ」

「・・!?」

グリンガレットの顔色が変わったのを見て、サヌードが笑った。

やはり、キリアムの名前を出すと、愚かしい程に弱い。惚れているのか。だとしたらあの女の娘にしては、随分としおらしい事だ。

「キリアムは我が手の内にある。彼を殺すも、生かすも、そなた次第と言ったであろう。考えても見よ、奴は王を殺した。普通ならば死罪は免れぬ。だがな、私を王として選び、そなたが我が妻となれば、私は奴に恩赦を与えることも出来るのだ」

「我が殿を、・・・盾にとるのですか」

「良い取引ではないか」

サヌードは、自らの勝利を確信したように彼女の顎を持ち上げた。

嫌な感触なのに、グリンガレットは逆らえなかった。

「時間が欲しいか? まだ円卓の会までは三日ある。後ほど、もう一度答えを聞こう。それまでに、よく考えておくが良い」

サヌードが、ケルンナッハに目で合図を送った。恭しく、彼は戸を開いた。

足音が遠ざかり、鍵の降りる音が残る。

眩暈がした。

体中の力が抜け、グリンガレットはベッドの縁に倒れ込んだ。

「グリンガレット!」

デリーンは大声をあげて、彼女に駆け寄った。

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