第8話 槍試合

八 〈 槍試合 〉


 明け方の太陽はいつになく鋭かった。

 潮風の臭いは慣れない。そのせいか何時もに比べ体が重く感じられた。それは、足の遅い娘を連れて歩いたせいかもしれないが、自分が最も嫌悪する場所に身を置くことへの抵抗かもしれなかった。

 ビオランが街に入ったのは、深夜も過ぎた頃だった。

 娘の家は城壁に添うように海辺に向かって歩き、海が見える所に立っていた。街とは言っても、城門の外側に位置していたため、夜で往来を規制されていても問題は無かった。祖父との二人暮らしで、両親は戦争で死んだと言っていた。本来は町中の屋敷に奉公に出ているが、休みをもらって帰ってきたところを、あの騎士崩れにさらわれたのだそうだ。

 祖父は漁師で、敷地内に、漁の道具を仕舞う小屋を持っていた。昔は、季節が良くなると、そこに数人の若い漁師が寝泊まりをしていたものだが、エイノール王の時代になってからはより北の街へ移住していった者が多かった。

 娘が無事に戻った時の、祖父の喜びようは言葉にならなかった。どうしても礼がしたいと言われ、仕方なくその夜はベッドを借りたが、もともと、そんなつもりも無かったので朝早くにそっと抜け出してきた。

 城門が空いたら、中に入ろうと思ったものの、まだ時間があった。

 どこか休めるところを探すうち、人気のない墓地に着いた。

 偶然にも、つい2日前にグリンガレットが夜を明かした場所だったが、ビオランには知る由もなかった。

 同じ場所に腰を下ろして、誰かが暖を取ったのだなと、火の跡を見て思った。

 腰の革袋から水を飲んで、ぼんやりと自分がここに来た意味を考える。

 あの時ビオランは四人の騎士と、ベリナスという男が戦うのを見た。

 ベリナスの剣技は、まるで鬼神のそれだった。まさに成す術もなく、四人の騎士が腕や首を飛ばされる様は、悪夢を通り越して悪い冗談のようにさえ思えた。

 そして、その凶暴な戦士が、姫を追ってきた一団の一人だと確信した時、ビオランは居てもたってもいられなかった。追手の事を伝え、もっと遠くへと逃げるように伝えなければならないと思った。

 ここから北上して、セルゴヴァエ領の方へと逃れれば、流石にそこまでは追いかけて来ないだろう。どうせこのルグヴァリウムなど、そうそう長居する所ではない。この荒廃した町や城が、あの姫様にふさわしいとは到底思えないからだ。

 そんな事を考えながら、同時に後ろめたい思いも生まれた。

 森を離れてまで、彼女に関わり合う必要が、本当に自分にあるのだろうか。

 自分が今ここに居る事は、本当は自分のためでしかなく、正当な理由を無理に考え、ただ姫様に会う口実を作っているだけのような気もする。

 鬱屈してくる気分を振り払って、ビオランは立ち上がろうとした。小さな荷物を抱えようと腰をかがめた時、あまり大柄ではない人影が側に立った。

 老人が杖をついていた。

 「御若いの、森から来られた方じゃな。ここは、そなたの様な者には相応しからぬところであるぞ。はよう立ち去られるが良い」

 「爺さん、ここはまだ街の外だろ。それにただの墓場じゃないか」

 ビオランは頭ごなしに言われた事にむっとした。

 老人も、決して身なりが良いとは思えない。小屋の持ち主で、墓守のようだった。

 「ただの墓場ではないぞ」

 老人は言って、近くの墓石の一つを擦った。

 名が彫ってあったが、ビオランには文字が読めなかった。

 「ここは騎士の墓場じゃ。ここから手前の墓は、戦に出たまま、帰らなかった者達の墓、そこから奥は、城に入ったあと、死体になって戻ってきた騎士の墓じゃ」

 「城に入って?」

 ビオランはどきりとして聞き返した。

 「左様。・・・とは言っても、殆どはウリエンス陛下のころ、妖姫モルガンによって謀殺された者たちじゃ」

 「なんだ。昔の話じゃないか」

 「新しい者もあるぞ、あの墓の騎士などは、少し前に流れてきたものよ」

 「流れって、海にでも流れ着いたのか」

 老人は横に首を振った。

 「そこの水路じゃよ。年寄りの騎士だったが、一太刀に切られておった」

 寒気を覚え、ビオランは城郭の方を見た。

 「ここの騎士は祟るぞ。悪い事は言わん、長居はせんことだ」

 老人は、悪意で話しかけた訳ではないようだ。それらの言葉に真実味を感じ取って、ビオランは忠告に従う事にした。

 立ち去ろうとしたとき、再び老人が話しかけた。

 「森の方、どちらに行きなさる」

 「城だ。もう少しで城門が開くだろう」

 「今は無理じゃ、帰りなされ」

 「何で無理なんだよ、王の居城なら無理でも、城内の街には入れる筈だろ」

 老人は悲しげに首を振った。

 「しばらく前より、二の城壁の内側には、騎士か商人、身分のあるものしか入れなくなっておる。その姿では、追い返されるのが目に見えておるよ」

 「馬鹿な、そんなことあるものか」

 ビオランは声を荒げたが、老人が嘘をついていない事はすぐにわかった。

 城壁が重々しくそそり立っている。

 この内側に、姫様は居るというのに、自分は森の民というだけで会いに行くことも出来ないのだろうか。

 「くそっ」

 ビオランは地面を思い切り蹴って、憎々しげに城を見上げた。


 一方その頃、ビオランを追ってきたデリーンは一足先に二の城門前に着き、老人の言葉通り、そこで足止めを食っていた。

 城や邸宅へ勤める者を除けば、騎士か貴族か商人、それに地位のある市民しか、この門の内側には入れないのだという。

 腹立たしくもあったが、ここで無理を言っても何の得にもならない。

 この分ではビオランという少年も引き返したに違いない。興味も失せて森へ帰ろうとした時、デリーンは馬に乗った一団が勢いよく門に入って行くのを見た。

 その先頭を走る騎馬の姿を見て、彼女の眼は驚愕に見開いた。

 一団の数は、五・六騎。草原の方角から戻ってきたようだ

 おそらくは早朝から狩りか、訓練をしてきたところだろう。もしかすれば、女をかどわかしてきた連中の仲間かもしれない。そう思っても不思議ではない程、その集団からは血なまぐさい臭いがした。

 デリーンはそばに立つ衛兵に近づいた。

 先ほど追い返したはずの女が戻ってきたのを見て、衛兵は厳しい目をして槍を横にした。

 「中に入りたいわけじゃないよ、衛兵さん、今中に入って行ったのは誰なんだい。あの、先頭にいた人さ」

 「そんな事を聞いてどうする」

 衛兵が顔に似て野太い声で言った。

 「いや、あたしの知っている人によく似ていたんだよ。もしかしたら本人じゃないかと思ってねえ」

 「お前みたいな森の民と面識などあるものか。あのお方は、れっきとした名門のお方だぞ」

 「貴族様かい」

 デリーンは答えながら、走り抜けた男の相貌を思い出した。

 名門の方。つまりは名のある騎士か貴族。偉大なる王に属する誰かなのか。

 そんな筈はない。

 あの男は、貴族などではない。

 彼女の記憶にある男の相貌、体躯、全てが今眼前を駆け抜けた男と一致していた。違うのはそう、昔のあの男は馬になど乗っていなかったし、鎧など身に着けていなかった。

 あの男は。

 知らず知らずのうちに、デリーンは震えていた。唇を強くかみしめ、沸き上がる興奮を封じ込める。

 見つけた。

 彼女はその事実を自分の中で反芻した。

 ついに、探していた者を見つけたのだ。

 デリーンはビオランの事を、もはや忘れていた。ベリナスの事も、どうでもいい気がした。

 彼女は門を離れ、そっと身を隠した。

 ここにあの男がいるとわかった以上、もはや森に戻る必要はない。

 彼女の目に深い憎しみと、獲物を見つけたハンターの、狂喜の色が灯った。


 城の中庭には、大勢の兵士たちが走り抜ける音と、砂埃が立っていた。

 威勢のいい声と、長い槍を振るう風切音が聞こえてくる。

 広場の端に立って、グリンガレットは男たちが懸命に汗を流すのを見つめていた。

 ラディナスの部隊はよく訓練されている。人数は少ないが、良い兵隊が揃っている。歩兵が中心の構成で、騎士はラディナスを含めて五人だ。一人の騎士に対し、従者と思われる男が二名程度従い、さらに歩兵が五人ずつ。ざっと六十人前後で一つの部隊をなしていた。

 戦ともなればこれに雑兵が付く。そうすれば、ラディナスの部隊はおよそ五百人といったところだろう。旗の数からして、ラディナスと同じような騎士隊は他にも五隊以上は編成されている。計算すれば、ルグヴァリウム城の戦力は三千~四千人程度であろうと思われる。

 もっともその殆どは半農民や半市民だ。

 この規模の城街では、普段の城兵は常駐で百人程度、非常時の徴集で五百人から千人位だろうから、サクソンの脅威が迫っている現状を加味すればあまりにも頼りない兵力だ。

 南部の戦いでブリトンの騎士が敗れたのは、先の大戦で主力となる騎士の殆どを失ったからだけではない。それまでの騎士の戦いが、騎馬による突撃のみを主体にし、個人の武を頼りにしていた。それに対し、サクソンの兵は数多くの弓と石、槍を主力に据えていた。騎馬戦を避け、地の利を生かした戦いを展開した。今になってゴドディンの四国も歩兵の重要性に気付いたが、果たして、どれほど通用するのだろうか。

 そんな中で、オヴェウス卿は別働隊の待遇だと聞いた。騎馬隊を二十名程度預かっている。

 また、サヌード卿は近衛隊を私兵同然に率いているといい、常駐兵の半数は彼の指揮下に入っていた。

 かつてカムランの大戦では正騎士だけでも互いに千人以上、従者や歩兵を含めれば両軍合わせて数万人もの死傷者が出た。

 その光景を思い出すたび、グリンガレットは身震いを覚える。目の前の訓練が、まるで稚児の遊びの様にさえ思えた。

 キリアムはしばらくの間、外から訓練を見ているだけだったが、ラディナスに乞われて一隊を率いて見せた。さすがにバースではサクソンとの実戦にも出ていたとあって、用兵はなかなか巧みだった。

 グリンガレットの視線は自然とキリアムの姿を追った。

 彼に貸した老馬も久しぶりの訓練とあって、心なしか喜んでいるようにも見える。

 グリンガレットも馬上に身を置くのが好きなだけに、キリアムに代わって汗を流したい欲求にかられた。とはいえ、従者の身なりである、そこは大人しく自制していた。

 まだあの琴の音が聞こえていた。昨夜は少しだけ静かだったが、気が付けばいつの間にか耳に入っていた。

 タリエシンの琴というのは本当だろうか。かつて聞いた琴の音は、もっと優しく、心を穏やかにさせるものだった。

 足音が聞こえ、グリンガレットは横を見た。

 そこに立った男を見て、彼女は視線を向けた事を後悔した。

 遠駆けをしてきた汗を、井戸の水を被って冷ましているのだろう、筋骨隆々とした上半身をむき出しにして、乱れた髪を顔に張り付けたオヴェウスが、間近に彼女の相貌をのぞき込んでいた。

 自然に距離を取ろうとした彼女の動きを察したように、素早くオヴェウスは顔を近づけた。むんと、汗のにおいがする。微かに血や獣の臭いが混じり、グリンガレットは昨夜も感じた嫌悪感を再び募らせた。

 「昨日、生意気を言っていた小僧だな。お前、名前は」

 グリンガレットの顔ほどもある大きな掌が伸びて、彼女の肩を抑えた。

 軽く抑えたように見えたが、かなりの力だった。一瞬、痛みに顔をしかめたのを何とか誤魔化して、彼女は口元に微笑を作った。

 「昨日はご無礼をいたしました。私はグリンガレットと呼ばれております」

 「グリンガレット? なんだ、馬みたいな名前だな」

 オヴェウスはその奇妙な響きに、少しだけ手の力を抜いた。とはいえ、決して離すわけではなく、むしろ体を更に寄せてくる。息が直接かかるくらいに近づいて、相変わらず凶暴さが滲み出るような目で、じろりと眺めた。

 帽子を目深にかぶっているため、すぐには女とは見抜かれないだろうが、端正な美貌は隠しようがない。男という先入観があったおかげで、オヴェウスも彼女を顔立ちの良い少年と認識してくれたようだった。

 とはいえ、その視線はグリンガレットにとって気持ちの良いものではなかった。

 頭の先から足のつま先まで、何度も舐めるように見回す。特に彼女の腰のあたりや、首筋を見る時の表情は、この男が何を考えたかを想像するには十分だった。

 視線を伏せると、オヴェウスの裸の胸が見えた。毛が多く、あちこちに傷がついていた。

 「キリアムとかいう、あの野郎とは、長いのか」

 オヴェウスは脅すような口調で聞いた。

 「従者としてならば短いですが、その前から見知った仲です」

 「上手い言い方だな。小僧」

 オヴェウスは歯茎を見せて笑った。体を揺らすと、汗なのか、体を流した水滴なのかが周囲に飛んで、グリンガレットの顔にもかかった。

 気色の悪さに、グリンガレットは大げさに顔を拭く仕草をしてみせた。

 気にもかけず、オヴェウスはさらに顔を近づけた。

 「小僧、お前、あの野郎の色か」

 「な」

 思わず絶句した。

 こんな日中から、素面の騎士がかけてくる言葉とは思えなかった。いや、このような問いかけ自体、いくら従者身分の者に対する冗談にしても、度が過ぎている。そもそも、客将身分の相手に対する礼儀のかけらもない。

 我に返ると、

 「いかにオヴェウス様とて失礼にございます。我が殿には男色の気など御座いませぬ」

 睨み付けるような表情で言った。

 相手の挑発に乗ったことに、気付いたが後の祭りだった。

 「誤魔化したって分かるぜ。俺は鼻が利くからな。お前の体から、あいつの臭いがプンプンする。察するに、大分お楽しみだったんだろう」

 「戯言も大概になさいませ、そのような事はありませぬ」

 グリンガレットは語気を荒げながらも、顔が赤くなるのを感じた。赤面したのは、相手の言葉の卑猥さに恥じただけではなかった。少しだけ痛いところを突かれたせいでもある。

 キリアムの臭いがする。それはもしかしたら、本当なのかもしれない。グリンガレットは思わず昨夜の事を思い出していた。

 昨夜、二人が眠りにつく前、一悶着があった。

 何のことはない。どちらがベッドで寝るか、についてである。

 キリアムが自分の部屋にグリンガレットを居させたのは、使用人の固いベッドではなく、柔らかな貴賓用のベッドを彼女に使わせたかったからである。それなのに、グリンガレットは主人であるキリアムがベッドに寝るべきだと言ってきかなかった。

 結局押し問答となり、最後はキリアムが実力行使に出た。

 彼女の体を抱きかかえる様に持ち上げ、無理やりにベッドに押しこんだのだ。

 あまりに簡単に自由を奪われ、グリンガレットは驚いてキリアムにしがみついた。その時、嗅いだことの無い男の体臭を感じ、彼女は恥ずかしさと動揺で彼の言うままになってしまった。先ほど感じたオヴェウスの臭いとはまるで違う。キリアムはなんだか、安心できる良い匂いがして、彼が離れた時にはどこか寂しかった。

 不貞な行いなどは一つも無かった。

 キリアムはソファに戻り、グリンガレットは彼を意識しながら眠りについた。

 ただそれだけの事が、何故か気になっていた。

 「そうムキになるなよ。それよりな、お前もあんな野郎についていても、ロクな事にはならねえぜ。はっきり言って、俺に媚びておく方が利口ってもんだ。こう見えても俺は優しいからな」

 オヴェウスが口元に好色な笑みを浮かべて言った。

 「仰せられる道理が分かりません。私はあの方の従者なのです。私は私がそれと見込んだ方に従っているのです。誰に媚びるなどという事自体、私には意味のない行いです。それに、私にそのような低俗な趣味はありませぬ」

 グリンガレットは眉根を顰めた。それでも笑みを隠さぬオヴェウスに、流石に我慢が出来なくなったのか、彼女は怒りに震える声を絞り出した。

「ついでに言わせてもらえれば、私はオヴェウス様、貴方が好きではありません」

 「恐れもせずに、良く言えるものだ。流石に王を騙る男の従者だな」

 オヴェウスは目の中に凶暴さを現して言った。

 「騎士を騙る、貴方に言われる筋合いはありませぬ」

 「従者の分際で・・・たいした度胸だ」

 オヴェウスは呆れたように笑った。笑うというより、嘲り、侮蔑という言葉が合うのかもしれない。彼の手に抑えられた肩がしびれ始めた。

 「これだけは覚えとけ、俺はあの野郎よりも強い。次の機会には、あの野郎の首をぶった切ってやる」

 「そのような事が出来るものですか。我が殿はこの城の客将なのです」

 グリンガレットは完全に自分が相手のペースに乗せられてしまった事は解っていたが、それでも反感をぶつけずにはいられなかった。その様子は、オヴェウスにとってはむしろ望んでいた姿に違いない。

 「俺はやるといったらやる。これまでだってな、欲しいものは全部この手で掴んできた。・・・お前の生意気な鼻も、すぐにへし折ってやるさ。なあに心配するな、お前も俺の物になっちまえば、すぐにあんな野郎の事は忘れさせてやる」

 オヴェウスはそう言うと、再びグリンガレットを掴む手に力を入れた。

 今度はさすがにグリンガレットも痛みに顔をゆがめた。肩を外されるのかとも思ったが、やっと離れた。

 勝ち誇る顔をしたオヴェウスを、それでも彼女は睨み付けてみせた。

 「私は物ではありませぬ。貴方こそ。我が殿を侮ると痛い目を見ますよ」

 「そいつは楽しみだ」

 オヴェウスはグリンガレットを一瞥し、その場を離れかけた。

 その足が止まった。

 訓練場に視線を向けて、少し真面目な表情を浮かべる。グリンガレットも異変を感じ、その方向へ顔を向けた。

 キリアムとラディナスが対峙していた。

 互いに馬に乗り、刃を外した訓練用の長槍を持っている。

 「一騎打ちの試合か。ラディナスめ、持ち掛けたな」

 面白くないのだろう、オヴェウスは自分がキリアムと戦いたいに違いない。

 息をのんで、グリンガレットは二人を見た。

 互いに間合いを取り、片手に槍を構える。ラディナスの槍先は少し下を向き、脱力したように揺れている。対してキリアムの槍はやや上を向いてぴたりと静止していた。

 対照的な構えだと思った。

 が、同時にこれではキリアムは負けるとも感じた。

 ラディナスの槍は、一騎打ちに強い。幾度も馬上試合を経験した者ならではの、臨機応変の構えだろう。対してキリアムの槍は、まさしくお手本通りの集団戦の構えだ。

 軸を揺るがせない事によって、最大限の力を相手に当てる。突撃には効果的ではあるが、老練な騎士を相手にする際の戦法とはいいがたい。

 キリアムもその事くらいはわかる筈だが、もしかすれば彼は槍での戦いは不得手なのではないだろうか。

 グリンガレットの心配をよそに、二騎が呼吸を合わせて動き出した。

 騎馬での槍試合は、通常一瞬で勝負が決する。相手の体に先に当てれば、まず勝つ。

 先に相手の隙をついたのはやはりラディナスだった。

 思わずグリンガレットは口元に手がいった。

 二人が交差した。

 激しく当たる音が響いたが、どちらも落馬することなく、再び最初と同じ程度の間合いを保つと、同時に振り向いた。

 遠くからでは、詳しい動きは見て取れなかった。とはいえ、キリアムが無事だった事に、まずは胸をなでおろす。

 ラディナスもまた無傷なようだった。

 「茶番だな」

 吐き捨てるように言って、オヴェウスが腕を組んだ。

 「しかし、なかなかやりますな」

 冷めた声が割って入った。

 いつの間にか、近衛騎士のサヌードがオヴェウスの隣に立っていた。

 「キリアム殿は、剣よりも槍の方が得手ではないのですか」

 サヌードが尋ねた相手が自分だと気付いて、グリンガレットは。

 「どちらも得手に御座います」

 答えると、サヌードは鼻で笑ったようだった。

 その仕草は不愉快だったが、グリンガレットは無視してキリアムに視線を戻した。

 二度目の交錯があった。勝負はラディナスの勝利に見えた。

 キリアムが槍を落としたのである。

 「流石はラディナス卿」

 サヌードの感情の無い声に、グリンガレットは少しがっかりした。負けるような予感はしたが、本当に負けるとは情けない。私が見ているのだから、彼はもう少し良い勝負をしてくれなくては。

 馬を降りたラディナスは、深々とキリアムに頭を垂れた。

 程なく二人は互いに礼をかわし、グリンガレット達が見ていることに気付いたらしく、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 グリンガレットはキリアムに駆け寄り、持っていた布でキリアムの頬を流れる汗を拭いた。

 「我が殿、お怪我はありませぬか」

 「心配ない、練習用の槍だ」

 「従者殿、さすがにそなたの主様はお強いですな」

 ラディナスが微笑みながら話しかけてきた。

 「ラディナス様、お見事でございました」

 「なんの、勝負は私の負けにございます」

 ラディナスの言葉に、グリンガレットは首を傾げた。

 オヴェウスも、サヌードも少し意外そうな顔でラディナスを見た。

 「ご覧あれ。我が槍を」

 ラディナスは自分が持っていた槍を差し出した。見ると、持ち手の近くから大きなひびが入り、この様子では少し大きく振っただけで二つに折れてしまいそうだった。

 「キリアム殿は、我が槍を折りながら、そのまま力を緩めねば私の腕までも怪我をさせると気付いて、自ら槍をお捨てなさったのです。まさに神業のごとき槍さばき。かつて見た、湖のランスロット様を思い出しました」

 グリンガレットもまた驚きの目でキリアムを見た。

 尊敬の気持ちと、また理由もない嫉妬心が生まれるのを感じたが、それ以上にサヌードやオヴェウスがどんな思いでこの言葉を聞いたかと思うと誇らしかった。

 「それは褒めすぎです。我が馬の出足が勝っただけの事」

 キリアムはグリンガレットに意味ありげな微笑を向けながら言った。おそらくは、グリンガレットの馬は素晴らしいと、彼女に伝えたかったのだろう。グリンガレットは理解して軽く頷いた。

 サヌードが割って入った。

 「キリアム殿、わが王の言伝を話しに参りました」

 「私に、何のご用でしょう」

 「3日後、王は狩りに参られます。ともに参られよとのお話です」

 「それは光栄にございます」

 「では、確かに」

 サヌードは恭しく礼をして踵を返す。

 なんとも掴みどころのない男だ。オヴェウスも興味が失せたように背中を向けて去っていった。

 「狩りとは珍しい」

 小さくつぶやくラディナスの声が聞こえた。その表情に若干の不安が垣間見えた。

 「それにしても見事でした。キリアム殿、明日の昼にでも、あらためて、私と一献交えませぬか。我が館にて、ささやかながら席を設けましょう」

 「ラディナス様のお誘いとあれば、喜んでお受けします」

 「お連れの方も」

 グリンガレットは軽くお辞儀をした。ラディナスは再度キリアムに礼を言い、訓練を待つ部隊のもとに戻った。

 気が付けばキリアムと二人になっていた。

 「槍の方もお強いのですね。知りませんでした」

 グリンガレットはぽつりと聞いた。何故だろう、少し素っ気ない言い方になってしまった。

 「一つくらい、私がお前に秘密にしていることがあってもいいだろう」

 「まあ」

 「冗談だ。皮肉に聞こえたらすまない」

 「お互い、冗談が下手ですね」

 キリアムが槍を持つ構えを見せた。

 「ペレドゥル卿に手解きを受けたのが最初だ。あの方こそ名手だったからな。グリンガレット、お前は、槍は出来るのか」

 「私には重すぎます。あれは殿方の武器です」

 「そうかもしれんな」

 キリアムはグリンガレットの二の腕を見た。剣を振るうだけあって、しなやかな筋肉がついているものの、女性らしい丸みに包まれて、一見するとか弱さすら感じさせる。色が白いせいもあるのだろう。力を籠めれば折れてしまいそうだ。

 事実、初めて彼女に会った時、そうとは知らなかったとは言え、簡単に腕をひねり上げたことを思い出して、キリアムはまた後ろめたい思いになった。

 「でも、どうして槍を持たぬのです」

 グリンガレットが聞いた。

 「槍は旅には不向きだ。バースがサクソンの支配下に落ちた時、私は身一つで逃れるのがやっとだった。長い槍を持ったままでは身を隠すのもままならず、やむなく手放した次第だ」

 「ご苦労をなさったのですね」

 「そうだな、苦労といえば苦労だが、まだ堪え切れた。いずれ巻き返せる日が来ると信じていたからな」

 「いまは信じておられないと、いう事ですか」

 「そうではないが、栄光の時代は過ぎ、黄昏の時が来たことは否めぬ。この城の訓練を見ても、この軍の力ではサクソンには対抗できぬ。一度や二度守ることは出来ても、それが限度であろう。ましてやこちらから戦を仕掛けるなどと、領土を自ら滅ぼすようなものだ」

 「よく、大局をご覧になられましたね」

 グリンガレットは、キリアムの言葉に納得している様だった。

 「一度戦ったからこそ、分かるのだ。この地が亡びれば、長城以北の守りは崩れ、ゴドディンの四領は総崩れになるだろう。それだけは避けたい」

 キリアムにはその光景が浮かんで見えた。表情に強い悲しみにも似た陰りが滲んでいる。ブリトンの民が、森や海、草原の民がサクソンの隷属として虐げられる姿を、彼は故郷バースの地で目にしてきたのだ。

彼の家族の中にも、悲しき運命を辿った者もいる。

 グリンガレットもまた、通り過ぎた多くの不幸を思い出して顔を曇らせた。キリアムは沈んだ表情を浮かべた彼女に気付いて、軽く肩を叩いた。

 「お前こそ、グァルヒメイン卿亡き後、女の身一つで旅をするのは苦労が多かったのではないか」

 「女子はいつの世も見くびられます故、普段より苦労は絶えませぬ」

 「そうではあろう。だが、若く、美しい女ともなれば、かかる災いも多かろう」

 「あら、今度はお褒め下さったのですね。美しいなどと」

 キリアムの首筋が少し赤くなった。

 「冗談ではない、これは本心、そう思う」

 彼がそういったお世辞が使える男ではない事は、この数日の中で彼を見ているうちに、よくわかっていた。彼は純真なのだ。おそらくは彼女以上に美しい心を持っている。だから彼女は、自分が彼に嫉妬するのだと思った。

 タリエシンの琴の音が、再び流れて聞こえてきた。

 「殿は、騎士の徳をどうお考えになりますか」

 「突然に、不思議な事を聞くのだな」

 「私には大事なことなのです」

 「徳とは捉えようが難しいものだ。騎士の務めは、民を守る事。その意味では治世の徳もあれば、武人として守るべき誇りもまた、徳と言えるのかな」

 「人としての性を認めることは、如何でしょうか。言い換えれば人の欲望と、騎士の徳とは相反するものなのでしょうか」

 キリアムは戸惑った表情になった。グリンガレットは真剣なまなざしで彼を見上げていた。その碧の奥に、かすかな希望と絶望が合い混じって見えた。

 「欲望もまた、生きる術であろう。雑念という者もいるかもしれんな。だが、いかに清廉な騎士といえども、それを完全に望むことは虚しいことかもしれない。

ガラハッド卿が聖杯とともに昇華された事を思えば尚更にそう思う。肉体とは人間として生まれついた故に存在するものだ。だとすれば、そもそも人が人としての人生を望む以上は、欲望を持つ事は当然ではあるまいか。徳を積み、騎士として身を立てることさえも、欲望かもしれない。それでは答えにならないかな」

 ガラハッド卿は、唯一の聖杯探索の成功者だった。その高貴さはあらゆる騎士が目指した資質をすべて備えていた。完璧すぎたために、神に選ばれ、神のもとへ昇華した。それを目の当たりにしたペレドゥル卿は、理想に生きる事に失望を覚え、術を失い、自ら食を断ち、彼の後を追った。

 ペレドゥル卿の従者であったエトリムの子であればこそ、この問いにこうまで答えられるのだろう。

 「騎士たちが自らの徳を信じ、清廉さを求めた聖杯の一件。それが今日の凋落をもたらした原因だとは思いませぬか」

 「私には答えにくい質問だな。私も騎士の一人として、聖杯を求めた先人の戦いを否定することは出来ない」

 「失礼をお詫びします。・・・しかしながら」

 グリンガレットは視線を落として、軽く頭を垂れた。

 「いまは騎士にとって黄昏の時。せめて私は、これ以上の罪を重ねたくはないのです」

 そうではない事を、それを望むことの矛盾を、自覚していればこそ。

 グリンガレットは言葉を飲み込んだ。

 彼女は、何かを思い詰めているように見えた。キリアムは自分の答えが彼女を傷つけたのではないかと不安になった。彼女は何かを求めている。だが、それにキリアムが気付くことを恐れている。そんな気がした。

 グリンガレットもまた、こんな話題を振った自分を後悔した。

 きっと琴の音だ。

 あの琴の音が聞こえてくると、自分は何故かキリアムの心に踏み込みたくなる。それが結果として彼に疑心を抱かせてしまう事になり、自分自身の嫌悪感を募らせる事になるのがわかってはいても、抑えきれずに自分の言葉を先走らせてしまうのだ。

 この音が本当にタリエシンの琴であるのなら、あの人の琴は変わってしまった。

 「タリエシン殿は、一体どこでこの琴を奏でておられるのでしょうね」

 話題を変えるつもりで呟いた言葉に、以外にもキリアムは即答した。

 「あの塔だ」

 指さした先には、城に入る時に見た塔があった。

 「あそこですか。そのようには聞こえませんでしたが」

 「いや、ここからだと見えにくいな・・・。庭の中央で馬上からだと見えたのだ。目の前にある塔の奥に、もう一つやや低くて小さな塔がある。どうもそこに居るらしい。もしかすると、わざと低い位置からでは見えないように建っているのかもしれぬ」

 隠れた塔か。

 グリンガレットの好奇心が疼いた。

 タリエシンが生きているのならば、彼は様々の事に通じている。王が持つ緑の革帯の事も、何かしらの手掛かりを持っているかもしれない。

 「我が殿、少し様子を見てまいりたいと思います」

 グリンガレットの言葉は予測できた。

 「危険ではないか、グリンガレット。ラディナス殿は別にして、この城の者は我々を歓迎してはいないぞ」

 「私のような小物を、誰が気にしましょう。問われれば、迷ったと答えるまでです」

 キリアムは止めたいと思ったが、言って聞く彼女ではなかった。

 「危うい時は、すぐに引き返せるな」

 「勿論です」

 グリンガレットはそっと離れた。

 キリアムは内心の不安を隠して、中庭の中央へ視線を戻した。ラディナスが兵を集め指示を繰り返す姿が見えた。遠目に見ると、先ほどよりも兵の質にむらがあるのが判る。

 訓練は出来てはいるが、実戦を知らない。あれではまだ戦力にはならない。

 王は本当に戦争を起こすつもりだろうか。

 だとすればエイノール王は暗愚としか思えない。そのような王が、ゴドディンの盟主になりえる筈がない。おそらくは、すぐに他の3王に離反され、戦場で孤立する様が目に浮かぶ。

 サクソンのつけ入る隙を、わざわざ広げるようなものだ。

 キリアムは暗澹たる思いで蒼天を仰いだ。

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