第11話 乙女のミンネ

十一 〈 乙女のミンネ 〉


 城壁に立って、サヌードは街を見下ろしていた。

 本来は美しかった景観が、草原に向けて広がるスラムの雑踏に浸食されて、灰色の霞に覆われたように見える。

 感傷は無かったが、不満ではあった。

 ルグヴァリウム城はゴドディンでも最高の名城として聞こえた城だ。それをこうまで荒廃させたのは、エイノール王の無能さによるものではない。

 継承権を持ちながら、その責を逃れたユーウェイン卿の罪だ。

 ユーウェイン卿がノヴァンタエを離れた為に、ウリエンス王の死後にはモルガン王妃の勝手を許した。

 ルグヴァリウム城の王位はモルガンの血脈に変わった。ウリエンス王ではない。

 その事実を否定するだけの力がエイノール王には無い。

 サヌードは描いていた。

 ルグヴァリウムを中心にゴドディンの四国を一つにまとめ、南方諸国やブリトンの大地をサクソン人の手から奪い返す日の事を。

 その為には、再び偉大なる王が必要になってくる。

 誰がその責を担えるというのか。

 世界が求めるのは、事実だけではない。正統と信じられさえすればいい。民は集団になればなるほど、大きな権威にその信を求める。その意味では、個を欺くこと以上に、群を操る事は容易い。

 それを理解さえすれば、エイノール王とても王としていられる。だが、王自身にはその事がまだ受け入れられてはいない。

 思うほどに時間はないのだ。

 サヌードは傍らに立つ人影に、ちらりと目を向けた。

 「狩りには、貴公もご参加なさるのですか、オヴェウス卿」

 話しかけると、野獣の目をした巨躯の男は太い首を少し傾げた。

 「野駆けは嫌いじゃないが。決めてはいねえ」

 「貴公かラディナス卿のどちらかは、城に残っていただくことになりましょう」

 「だったら残るのは俺でいい。キリアムなんぞと一緒に狩りなど出来るものか」

 「随分と毛嫌いなさる」

 サヌードは鼻で笑った。

 「あいつはペテン師だ」

 オヴェウスは断言した。その眼の内側に見えるのは、自分に恥をかかせた男への憎しみもあるだろうが、それだけではないようにも思えた。

 「あいつの化けの皮を剥してやる。この俺がな」

 オヴェウスが拳を握る。この野蛮な男は、それでいて妙な感の冴えを持っている。サヌードは決して彼の事を信頼している訳ではなかったが、好んで敵にすべき相手ではないとも考えていた。

 「オークニーの王位継承者を、偽りだと」

 「あんたも、そう思っているんだろ」

 オヴェウスが唇の端を歪めた。

 「真偽には興味はありませぬ」

 「確かに腕は立つ。そいつは保証するぜ、何しろ俺自身が立ち合って、ただ者ではないと感じたからな」

 オヴェウスは言葉を続けた。その表情に情欲めいた色が浮かんだ。

 「それに、あの従者もなかなかだ。気付いたか、あいつの従者。帽子で顔を隠しているが、あれは女だぞ。しかも、かなりの良い女だ」

 「ほう」

 顔には出さなかったが驚いた。オヴェウスはいつそれに気付いたのだろう。サヌードはキリアムにのみ注意を払って、従者のことなど気をとめていなかった。

 「考えてもみろ、女に男の格好をさせて従者にしている騎士など信じられるか」

 「女従者か、先例は無いわけではないがな」

 「しかし、不自然だ。きっと何かを企んでやがる。隊長殿もそう睨んでいるのでは」

「私はただ、この国の行く末を案じるのみ」

はぐらかすような口調に、オヴェウスはつまらなさそうに鼻息を強くした。

 「国の行く末か・・・。陛下の行く末の間違いではないのか」

 「私は近衛隊でございますぞ」

 「その割には陛下の事など、今の今まで忘れていたような顔をして。・・・こうしてみると、案外あんたが一番の曲者かもしれねえな。さっきから、何かを企んでいる顔だぜ」

 サヌードは表情を変えなかった。

 オヴェウス卿は馬鹿ではない。誰しもがこの男を粗暴なだけのように見ているが、この野蛮にもみえる表情の裏には、混乱の時代を生き抜いてきた、確かなしたたかさが隠れている。

 それだけに、中途半端な嘘は必要が無かった。幸いな事に、オヴェウス卿と自分の間には、利害の差があまりない。

 「これはやはり」

 前置きをして、サヌードは言った。

 「狩りには貴公に同行をお願いする事になりましょうな。有事の際には、貴公の力を借りるやもしれませぬ。貴公にとっても、それは望むことになりましょうが」

 「おいおい、俺は居残りしたいと言ったはずだぜ」

 オヴェウスは肩をすくめて笑ったようだった。

 話は終わったとばかりに、サヌードに背を向け、城壁を降る石段に向かう。

 「今宵の詰め番は」

 サヌードが言いかけたのを、片手を上げて制した。

 「俺だ。だが街に出る。言い訳はまかせるぜ、隊長殿」

 勝手な男だが、それはそれでいい。サヌードは視線を夕景色に戻した。

 赤く染まる空が、遠くで青色と交じり合っている。

 夜の闇が訪れれば、街の雑踏も消え、昔から彼が知っていた一色になる。

 少しだけ望む方向に時代が動いている。彼はそう思っていた。


 夕闇が押し迫る中を、グリンガレットは城を目指していた。

 遅れて歩くキリアムの表情が、少し厳しいものになっていた。演じている役割の重さと、彼が求めていた舞台との乖離が、彼の心を重くしているのだろう。

 その原因を作ったのはグリンガレットその人なのだが、それを選んだのはキリアム自身だ。それでもどこか釈然としない思いはあるに違いない。

 察して言葉をかけるのは容易い事と思いながら、グリンガレットは彼が自分からこの役割を投げ出したりはしない事を悟っていた。同時に、それを知りつつも彼を利用し続ける自分の性格の悪さに、またしても微かな嫌悪を覚えている。

 まっすぐ歩けば城まではすぐの道乗りなのだが、グリンガレットは細い路地を曲った。

 キリアムはそのまま着いてきた。

 ほんの少し歩を緩めて。

 「お気づきですか?」

 グリンガレットは小声で尋ねた。

 答えず、キリアムは軽く頷いた。

 ラディナス邸を出てから、跡をつけてくる人影がいる。狭い路地を少し進んだところで、二人は急に左右に分かれた。

 人影が、慌てたように数歩駆け足になったところで止まった。

 キリアムとグリンガレットに挟まれる形になった相手は、僅かに身を固くした。

 女性だった。それもかなり若い。

 一目見て、グリンガレットはすぐにその正体を察した。

 「どういうおつもりなのです。ギルバーンのお嬢様」

 ラディナス邸で一瞬見かけた娘だ。薄クリーム色の長衣に、ケープを纏っている。髪の色はグリンガレットに比べると大分軽い印象の蜜金色で、細い面立ちには身についた自然な気品が滲んでいた。

 瞳の色は薄蒼に沈んで、まるで氷の張った湖の表面を思い起こさせる。

 「悪意があって、跡をつけた訳ではありません。ご無礼をお詫びいたします」

 外見よりも落ち着いた声で、娘はキリアムを見た。

 美しいと思った。

 少し若すぎるが、あと数年で国中の男子を虜にできる輝きを持っている。グリンガレットの静かな美貌に比べると、この娘には華やかな色が似合うようだ。

 「我々に、何か御用なのですか」

 グリンガレットが訊いた。

 頷いた彼女はキリアムを見ていた。

 「私はラディナス・ギルバーンの娘にて、リネットと申します。我が父が、館に客を招きましたのは私の記憶にある限り、この街にきてはじめての事に御座います。きっと真の騎士様がお見えになられたのだと思いました」

 「そうとは知りませんでした。それは真に光栄でございます。しかしながら、姫君にお褒め頂くほどの者ではありませぬ」

 キリアムが謙遜して答えると、リネットは首を振った。

 「私の事はリネットとお呼びください。オークニーの御君様」

 これにはキリアムも困惑の色を浮かべた。

 「私の方こそ、キリアムとお呼びくだされ、御君などとは身に余ります」

 「つつましき御方なのですね。ですが、私にも人を見る目くらいは御座います。世に騎士を名乗る者は多く居られますが、貴卿ほどの御方にお会いしたことはありませぬ。御君様を誠の騎士と思えばこそ、実はお頼みしたき事があるのです」

 「と、申されますと」

 グリンガレットとキリアムは自然に視線をかわした。

 「オヴェウス卿の事にございます」

 声に陰りが見えた。

 ラディナスの言葉が蘇る。彼はオヴェウス卿を息子として迎えると言った。という事は。

 「私も騎士の娘であれば、我が父の決め事に習うは覚悟して居ります」

 リネットの声から感情の色が消えて、どこか空虚な響きが滲んでいる。

 キリアムは真剣な眼差しで彼女を見据えた。

 「ベイリン卿、ベイラン卿ともに尊敬できるお方でした。私は父が決めた縁であれば、それに従う事に異論はありませぬ。しかしながら、私にはその縁が真に偽りなきものであるのか、それがどうにも腑に落ちないのです」

 「それは、どういう意味ですか」

 リネットは少し目を伏せた。

 「疑う事自体、本当ならば罪深きことなのかもしれませぬ」

 彼女は自らを恥じている。グリンガレットは彼女の心情がわかる気がした。

 「ですが、私にはどうしても信じる事が出来ないのです。先ほどもお話しした通り、私は幼少の頃ではありますが、ベイリン卿も、ベイラン卿も見知っております。だからこそ、あのオヴェウス卿が、彼らサバージュ家の血を引く者とは思えないのです」

 同感だった。

 グリンガレットも同じことを思っていた。キリアムがどう感じているかはわからないが、あの凶暴な男には騎士の血を感じることが出来ない。例えその剣がカラドボルグであろうとも、その持ち主が正しい継承者であるとは限らない。

 そう、今現在、ガラティンの所有者もそう思っているように。

 それに、彼女が口ではどう言おうと、自分の許嫁があの男だと言い聞かせられて、もし自分が同じ立場なら、決して心から喜べることは無いだろう。

 「御君様、どうかお願いでございます。オヴェウス卿がまことにベイラン卿の御子息様であられるのか、確かめていただくことは、出来ませぬでしょうか?」

 リネットの真剣な表情には、切にそれを願う気持ちが現れていた。

 さて、どう答える?

グリンガレットはキリアムを見た。

 容易い事ではないが、乙女の願いを拒むようでは真の騎士ではない。

そして同時に、少しだけ心の奥が痛んだ。リネットの願う姿が、キリアムにミンネ(騎士道における愛の試練)を求める様子に見えたためだ。

 騎士は乙女にミンネを捧げ、乙女はその見返りを返す。古くからの習いでもあり、騎士として当然の道理である。

 勝手な思い込みだと自嘲した。そして、自分が今キリアムに対して求めている事、また、彼に与えようとしているものに比べれば、なんと可愛らしい頼みであろうか。

 再びほの暗い思いに囚われそうになるのを払って、グリンガレットは静かに彼の言葉を待った。

 程なくして。

 「私にはそのような才はありませぬ。人の素性を探るなど、到底自信はありませぬ」

 キリアムは言った。

 「ですが、私もあの方が真の騎士道を持つ御仁であるとは思えずにいます。お約束は出来ませぬが、もし何か分かりましたら、その時はラディナス殿、そして貴女にも必ずお伝えいたしましょう」

 申し分のない答えだ。

 リネットは満足したように、恭しく礼を述べた。

 「それを聞いて安心いたしました。誠に勝手ではございますが、その際はよろしくお願いいたします」

 にこりと口元に微笑を浮かべ、そっと踵を返す。騎士の娘らしく、颯爽として嫌味の無い後ろ姿だ。外見の印象に比べると、父に似て、質実な性格を受け継いでいるようだ。

 彼女が去るのを見守って、グリンガレットは空を見上げた。

 大分暗くなり、ちらほらと星が瞬き始めていた。

 「なんだか難しい事になってきたな」

 キリアムが独り言のように言った。

 「左様ですね」

 グリンガレットの答えもまた、どこか生返事に聞こえた。

 彼女の様子に気付いて、キリアムは首を傾げた。

 「どうかしたのか、グリンガレット」

 「あ、いえ、つくづく我が殿は女難の相をお持ちなのかと考えておりました」

 「なんの話だ」

 「リネット様の頼み事もそうですが、私のせいで悩みが増えましたでしょう」

 「お前のせいなどとは、思っていない」

 「本当に?」

 「嘘を言ってどうなる」

 キリアムは頑固そうに顔を顰めた。

 そんな素直な反応を好ましく思いながら、グリンガレットは胸の奥に浮かんだ思いを整理していた。

 先ほど、ラディナス邸で話を聞いた時にも、同じことを思った。

 オヴェウスに対する違和感。その答えを解く鍵がある。

 その方法をグリンガレットは持っている。ただ、それをする事が、今の彼女にとって必要な選択なのか、それが分からない。

 自分の本来の目的は緑の革帯を見つけ出すことだ。オヴェウスの正体を暴くことや、この国を荒廃から救う事ではない。

 ルグヴァリウム城には、彼女にとって古くからの縁がある。その事は認めざるを得ない。だとしても、自分はその為に此処に来たのではない筈だ。

 それなのに、この国の現状を目にするほどに、それもまた自分に課せられた重荷のように思えてしまうのは、彼女の逃れることのできない宿命なのだろうか。

 「グリンガレット?」

 キリアムの声に、再び我に返った。彼の瞳が心配そうに自分を見つめていた。

 彼こそが被害者だ。自分の勝手な使命に付き合って、引けぬところへと来てしまった。

 「我が殿」

 グリンガレットは彼の目を真っ直ぐに見据えながら、やはり自分自身も引けぬ所にきている事を自覚した。

 「我が殿、私に考えがございます」

 「考えとは? 先ほどの、オヴェウス卿の事か」

 「気にかかる事があるのです」

 グリンガレットは声を低くした。

 「我が殿は、人目もある故、このまま城へお戻りください。私は、まだ街で確かめたき事がございます」

 不安と疑念の色が一瞬彼の表情をよぎった。

 「遅い時分になる、明日でもよかろう」

 「できれば今宵が良いのです。心配はいりませぬ。間もなく城門も閉まりましょうが、明日の朝には戻ります」

 「何を確かめるというのだ」

 グリンガレットは微かに目を細めた。

 「真実の一つにございます」

 彼女がこうと決めた時、それを止める術をキリアムは持たなかった。彼女は彼の従者ではない。彼がその身を尽くすと誓った姫なのだ。

 「危険ではないのだな」

 彼女は頷いたが答えなかった。

 そのかわり、彼に手を伸ばし、今は彼の腰に帯びられた剣に触れた。

 「我が殿、ガラティンを頼みます」

 少し名残惜しげに剣の柄を撫でた後、そっと離れた。キリアムが伸ばした指先を自然にかわし、街の薄暗闇へと身を溶かしてゆく。

 「御身に蒼天の御加護あらん事を」

 呟くように言ったグリンガレットの声が、小さく消えていった。

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