第10話 ラディナス邸

十 〈 ラディナス邸 〉


 成す術もなく街を離れるビオランの姿を、デリーンは街のはずれで人知れず見送った。

 程なく見知った顔の男が街を出た。ベリナスが少年の後を追わせた男だ。あの様子では何の収穫も無かったと見える。まあそれでいい、森の民は騎士や街の者とあまり関わるべきではない。デリーンのように深く関わってしまった後では取り返しのつかない事もある。

 デリーンは男に近づいた。話しかけられて、男は動揺したようだった。

 「デリーンさん、どうしてここに」

 「どこに居ようと、あたしの勝手さ。あの少年についていくのかい」

 「いや、これ以上は時間の無駄だからな、一旦皆の所へ戻るつもりだが」

 「丁度良かったよ、ベリナスの旦那に伝えてほしいことがあるんだ」

 少しいつもと違うデリーンの様子を見取って、男は声を顰めた。

 「何かあったのか」

 「あんたも、あたしの事情くらいは知ってんだろ、奴を見つけたんだ。この街に居た」

 「例の裏切り者か」

 デリーンは頷いた。男は納得したように見えたが、同時に心配そうな顔になった。

 「なら、一緒に戻った方がいい。ベリナス殿に相談するべきだ」

 「悠長な事を言っている場合じゃないよ。漸く見つけたんだ。ここで逃がすわけには」

 「デリーンさん」

 男は彼女を説得しようと思案したが、結局のところ、自分が何を言っても聞くような彼女ではない。それよりも、一刻も早くベリナスを呼んだ方がいいと思った。

 「わかった。じゃあベリナス殿には伝える。けどな、くれぐれも一人で先走るなよ。あんたの仇は俺たち全員の仇だ。ベリナス殿が来るまで我慢してくれ」

 デリーンは分かったと答えたが、その眼は言葉を裏付けてはいなかった。

 男が去るのを最後まで見送りもせず、デリーンは街に戻った。

 彼女は数年前の光景を、今もまだ、昨日の事のように蘇らす事が出来た。

 サザン高地北東の森、ダムノニ領との境近くに、彼女の住む森の集落はあった。アドリアス長城門の一つがすぐ近くにある為、かつてはブリトン騎士の居留地が近くに築かれ、森の民ともそれなりに良好な互恵関係が続いていた。

 最初の変化があったのは、偉大なる王の死が噂となって、不穏な風とともに流れてきた時だった。居留地の騎士が長城を出て南に向かったが、一人も戻らなかった。

 かわりに、無人となった居留地に、ダムノニとノヴァンタエのゴドディン騎士が現れた。

 同民族の騎士の筈が、彼らはそこで殺し合いを始めた。無意味ともいえる同士討ちの結果、ダムノニ側が退いて、森はノヴァンタエ領になった。

 すぐ後に、サクソン人の北征が始まり、また戦争が起きた。

 その頃には森の民は騎士との互恵関係をやめていた。ただ戦が早く終わることのみを祈っていた。

 集落を奥に移し、少し厳しい環境になろうとも平穏を選んだ。

 当時、デリーンには許嫁がいた。森の長の息子で、自分には身に余る程の良縁だった。

 祝言の日を翌日に控え、妹がブーケを編んでくれた。妹は5つ年が離れていたが、彼女によく懐いていた。二人きりの姉妹だったので、とても仲が良かった。

 幸福と不安に寝つけず、彼女は森の泉で身を清めていた。

 夜空が赤くなったことに気付いたのは、その時だった。

 集落の方角で何かが起きた。彼女は慌てて集落に戻ったが、そこで目にした光景は、まさに地獄絵そのものだった。

 サクソン人の襲来だと知ったのは後の事だった。

 その時は何が起きたのかもわからなかった。

 妹の名を叫んで家を目指したが、途中で数人の男に襲われた。

 あちこちから悲鳴と号泣が聞こえていた。

 デリーンもまた殴り倒された。乱暴に地面にねじ伏せられ、上着を切り裂かれた。体を汚されそうになった時、誰かがそれを止めた。許嫁が救けに来てくれたのかと思ったが、そうではなかった。

 男がいた。

 村の住人ではあったが、デリーンが昔から嫌っていた男だった。あまり働こうともせず、村の掟をよく破っていた。真昼から酒を飲んでいる事も多く、時折、好色な目で彼女を見ているのも知っていた。

 男が兵士たちに向かって何かを叫んでいた。

 声が耳に入った。

 男はデリーンを渡せと言っていた。正当な報酬として約束をしていると。

 デリーンは何が起きたかを理解した。

 この男が、サクソン人が城壁を超える手引きをしたのだ。おそらくは夜のうちに居留地を襲わせ、そのままこの村を襲った。

 涙で曇った視界の端で、自分の家が燃えているのが見えた。許嫁の家も、全てが火に包まれていた。

 男が交渉に勝ち、デリーンを得た。

 必死に抵抗したが、当時の彼女にとって、まだ絶望と恐怖に抗うだけの力も、勇気も無かった。

 あの時、ベリナス率いる流れ者の一団が駆けつけなければ。

 それを考えると、いつも身震いを覚える。

 彼女はもはや、この世にはいなかったかもしれない。それだけではない、サクソン人は足場を固めて、このノヴァンタエ領そのものも、今の姿ではなかっただろう。

 ベリナスは主君を持たない騎士を率いていた。

 南方の戦に傭兵として参加していたが、城も落ち、敗残の騎士を集めながら、拠る所も無く北上していたところだった。

 予期せぬ騎士団の襲撃に、サクソン兵は散り散りになって逃れ、裏切り者の男もまた、いつの間にか姿を消していた。

 残ったのは、僅かに生き残った女と子供が数人だけだった。

 その中に、愛する妹の姿も、将来を誓った許嫁の姿も無かった。

 家は全焼した。中からは両親とみられる焦げた肉片が見つかった。妹は分からなかった。骨まで焼けたのかもしれないと思った。

 許嫁は、村の外れで遺体となって見つかった。

 それでも彼は戦ったらしい。致命傷となったのは背後からの一撃だった。

 はじめ、彼女は生き延びた事をさえ恨んだ。

 それを支えたのはベリナスとその仲間だった。決して良い人間ばかりではなかったが、少なくともブリトンを守り、サクソン人の北征を食い止める意志だけは持った連中だった。デリーンは彼らに、森で生きる術を教え、彼らからは生きる力を貰った。

 裏切った男や、サクソン人への恨みを糧にして、彼女は強くなった。

 戦う技量も鍛えた。

 そして今、その技を生かす機会が、目の前にきている。

 デリーンは城を見上げた。

 この城の中に、あの男はいる。

 逃がすことは出来ない。いや、奴は逃げる事はないだろう。この街に巣食って、それなりの地位を得ているというのだから。

 弓と腰に帯びた短剣が、きっとあの男の息の根を止める。

 その瞬間を何度も脳裏に描いて、彼女は唇をなめた。


 後ろ髪をひかれながらビオランは歩いていた。

 城に入れない以上、このまま街に居ても仕方がない。それに彼女に会おうと思った事が、本当に彼女のためであるのか、自分の心に疚しさを感じ始めたせいもある。

 街の空気も、臭いも、森の民ビオランには不快だった。

 浜からの砂が髪にまとわりつく。

 延々と続くスラム街の雑踏は、ビオランの想像以上に酷くなっていた。どこからだろう、明らかな死臭さえも漂っている。少し道の端を歩けば、蠅の群れが飛んだ。ビオランは体を縮めて、なるべく何も見ないようにと努めた。

 子供の声は、まるで小鬼が泣いているようだし、遠くに見える少し大きな建物は黒い煙を吐き出している。荷車が走り抜けるたびに汚物が跳ね上がる様は、昔、大人に聞いた街の様相とはかけ離れていた。

 ブリトンの街は、もっと整然としていた。

 騎士の道徳が秩序を生んで、人々は幸せに暮らしている。そんな時代も偉大なる王の死とともに終わりを告げた。

 知ってはいたが、実際に目にした光景は、ビオランの想像を超えていた。

 この街の中にも、昔は森の民だった者たちがいる。

 幾つもの森が奪われた。しかしながら、生き延びた人々を救うだけの力が、この地には残っていないのだろうか。

 草原に近づき、風の温度が少し下がった頃になって、ビオランは深く息を吸った。

 遠く、スラムの雑踏が灰色の霞のように見える。

 足音が聞こえて、振り返ったビオランの瞳に、走りくる騎士の集団が映った。

 ルグヴァリウム城の騎士だ。5名ほどの騎馬が先導し、後に数十人の男が徒歩でついて来ている。さらにその後ろから、下人と思われる男が追いかけていた。

 不思議に見ていると、騎士の一団はビオランの居る方向に迫った後、目の前を駆け抜け、北の平原に向かっていった。

 ビオランは少し道を開けて、彼らが行き過ぎるのを見送った。

 あまり見ない光景だ。最後の集団は大分重い荷物を持っているようで足が遅かった。そのうちの一人がふらついて倒れた。

 「おじさん、大丈夫かい」

 思わず歩み寄って声をかけると、男は顔じゅうに汗を浮かべて、肩で息をしていた。

 「すまんなあ、大丈夫だ」

 「そうかい。大丈夫には見えないけどな」

 男は無理に笑みを浮かべて、汗をぬぐった。

 「少しばかり急に走ったものでな、なあに、少し息を整えれば」

 「どこに向かっていたのさ。戦にしては人が少ないね」

 「戦争ではないよ、狩場を築くんだ」

 「狩場?」

 ビオランの表情に曇りが滲んだ。

 騎士の狩りは森を荒らす。北の方ならビオランの森ではないが、それでも気分が良いわけはない。最近はルグヴァリウム城も守りを固めて、大がかりな狩りなどを催す事など少なくなっていたのに、どういう風の吹き回しだろうか。

 「ああ、何でも最近来た客人をもてなす為に、王の狩りを行うんだと。随分と高貴な方が来訪されたって噂でね」

 ビオランの頭に、すぐにグリンガレットの面影が浮かんだ。高貴な方、といえば、彼女の事ではないだろうか。だとすれば、やはりあの方は姫様だったのだ。

 「どれ、いつまでもこうしてはおれんな。早く追いつかないと」

 男が立ち上がるのを、ビオランは助けた。

 男ははじめて、少年が森の民であることに気付いた。

 「お前さん、森の子供だね。北の森かい」

 「いいや、俺らは東の森だよ。北も少しはわかるけどね」

 「森の民に会えるなんて、こいつは運がいい」

 「どういう意味だい」

 ビオランの顔に警戒の色が浮かんだのを見て取って、男は慌てて首を振った。

 「いや、迷惑をかける事ではないのだ。ただ、もしできれば、兎でも狐でも構わないから、何か動物を生け捕りには出来ないものかと思ってね。もちろん、褒美は出すよ」

 「狩りは騎士がするもんだろ」

 「うん、そうなのだが、ほら、・・・何も獲物が取れないなんてことになったら面目が立たんだろ。先に捕えて弱らせておくのだよ」

 「なんだよ、ずるじゃないか」

 呆れてビオランは腕を組んだ。そんなつまらない事のために森の動物を生け捕るのは面白くない。

 「駄目か。森の民なら容易いのかと思ったのだがな」

 「そんなの自分たちで」

 すればいい、と言いかけて、ビオランは言葉を止めた。

 狩りには彼女も来るのだろうか。彼は客人のための催しだと言った。彼女は動物が好きだ、狩りを好むとは思えないが、王の招きとなれば応えるだろう。

 だとすれば、彼女に会う絶好の機会になるかもしれない。

 「さっき、褒美をくれるって言ったよね」

 「ああ」

 男の顔が綻んだ。きっといい人なのだろう、感情がそのまま表情になっている。

 「褒美はいいから、狩りを近くで見せてもらうことは出来るかい」

 今度は男の顔に疑問が浮かんだ。

 「ああ、頼めば何とかなるだろうが、そんな事でいいのか」

 「騎士様の狩りの仕方がどういう物か見てみたいんだよ。勇壮なんだろ」

 「それは勇壮さ。そういう事なら」

 男は喜んで頷いた。ビオランはまだ内心に後ろめたさを感じてはいたが、もしかしたらまた彼女に会えるという思いが勝った。

 何故なのだろう。あの姫様に会うためになら、森を離れている事も辛く感じない。

 彼女は自分の事など、気にもかけていないのかもしれない。いや、むしろそう考える方が自然だ。

 それなのに、彼は遠くからでもいいから彼女をもう一度見たいと思った。


 ノヴァンタエは、街の中心部に向かうにつれて、明らかな城塞都市の構造を持っている。

 水路を利用した堀と塀が区画を分け、城兵の詰所が点在する。

 ゴドディン北方の四城の中でも堅固な構造は、ウリエン王の治世から、モルガン王妃の時代にかけて整備されたものである。比較的新しいものだと、グリンガレットは気付いた。

 昨日から今日にかけ、グリンガレットは時間を見つけては城内を調べた。

 現在エイノール王の居城となっている本城の王殿や、キリアムの逗留する迎賓宮は、三の城壁と呼ばれる古い石組みの内側に位置していた。外に広がる街に比べれば、かなり古い時代に建築された旧城が残されたもので、その為に、城内にある幾つかの塔が、外壁の高さに比較して低く、本来の目的を果たさない建造物となっている。明らかに過去の遺構と思われる個所も見つけたが、その殆どは上から新しい石を積んで隠してあった。おそらくは不要な出入り口を潰したか、何らかの貯蔵物をため込んでいるのだろう。

 もっとも奇妙な発見は、昨日ケルンナッハに案内された部屋にほど近い通路に、城外まで続く抜け穴があった事だ。城の防備において、これほど危ういものが、何故そのまま放置されていたのか。少し調べると、それは只の抜け穴ではないことが分かった。

 入り口に魔術が施されている。彼女がそれを見つけられたのは、彼女が「指輪」をしているためだった。この通路を通る鍵に、指輪がなっていた。したがって、この通路を知る者は、モルガン妃がこの城に居た頃から彼女に仕えていた者か、今はグリンガレット一人かもしれない。彼女はその場所をしっかりと記憶した。いずれ、役に立つ時が来るかもしれないからだ。地を把握することの重要性は、これまでの経験で彼女は身に染みて感じていた。

 ラディナス邸は本城を出て、二つ目の城壁の内側にあった。

 二の城内は大きく分けて四つの異なる区画となっている。三の城壁を中心に、南に騎士や貴族の邸宅が配された区画があり、北には政治を司る政殿や儀式等を執り行う公議場などがある。西の大門付近には城兵の詰所が並ぶ。そして、東には刑場や騎士の修練所などの軍事施設が築かれていた。

 ラディナス邸のある南の一角は、騎士の邸宅が巧妙に配置され、有事となれば、そのまま敵兵を追い込む迷路のようになっている。赤茶けた土に石塁を埋めた高い塀が特徴で、外からは見にくいが、内側からは塀の上に半身を乗り出すことのできる構造になっていた。

 邸内には形ばかりの中庭が形作られ、その気になれば一足で飛び越えられそうな規模ではあるが、池があった。わずかの花と草木がそれなりに興を添えてはいる。ただ、よく見れば雑草も多く、決して普段から手入れがなされているとは思えない。

 この邸宅の主人が、そういった景観や趣向には、さほどの興味を抱いていない事が察せられた。

 そのかわり、廊下や部屋の壁には幾つもの武具が掛けられていた。装飾的なものも多いが、中にははっとするような名品も含まれている。

 ラディナスは収集家である事を否定して、友人達からの預かりものだと説明した。

 もっとも、それらの友人は音信不通になった者や、すでにこの世には生の無い者も含まれている。そこにあるのは、一つの時代に残された、彼なりの使命感の残滓なのかもしれない。

 ラディナスのもてなしは王のそれに比べれば質素なものだった。それでも十分に彼の気持ちが汲みとれ、むしろその自然さは心地よかった。

 ワインは熟成が足りない感があるものの、甘みが舌に広がった。思わず二口目を唇に運んで、グリンガレットは注意深く周囲を観察した。

 客人はキリアムと彼女の二人のみだった。

 中庭に面したバルコニーに席を設け、ラディナスはくつろいだ姿勢で座っていた。

 料理を運ぶ召使が二人と、世話役の女が一人いた。従者は抱えていないらしく、途中垣間見た厩には愛馬と思われる栗毛の足長が一頭居たのみだった。

 まるで世捨て人の隠居の様だ。それにしては小奇麗にまとまっている。

 「キリアム殿ほどの御仁とこうして知己を結べましたことは、真に光栄の極み。我等に蒼天の祝福がありますように」

 ラディナスが仰々しく言うのに、キリアムは相好を崩して応じていた。

 グリンガレットはうわべの口上には興味が無かった。彼がわざわざ自宅にキリアムを招いた理由を思い巡らせていた。

 キリアムは本来、歓迎されざる客将だ。それに対して、ラディナスは城の要人である。そんな彼がキリアムと個人的な親交を結ぶ理由がどこにあるだろう。

 ルグヴァリウム城は一枚岩とは思えない。その中にあって、得体のしれない客将と親しくする事が、彼にとってどんな利益があるのか。

 世渡りを知らない武骨一辺倒の男には見えない。

 とすれば、彼は何かしらの使命を受けてキリアムに近づいてきているか、それとも本当に城や王に対して何らかの異心や、疑心を持っているかのどちらかだ。

 キリアムにもその旨は伝えていた。

 キリアムも用心深く言葉を選んでいたが、それが彼の所作にぎこちなさを生ませていた。その為か、ラディナスとの会話がどこか他人行儀になっていた。

 探りを入れてみようかと口を挟むタイミングを計っていた時、グリンガレットは中庭を挟んだ木の影から、こちらをのぞき込んでいる人影に気付いた。

 小柄な女だ。

 何かをしているそぶりはないが、一体誰なのだろう。何気なくその方角を見ると、女は塀沿いに歩いて、隣の部屋に入って行った。

 「粗末な庭でしょう。私には花を愛でる習慣がありませんので、この館を与えられた時のままなのです」

 ラディナスが自分に話しかけたことに気付いて、グリンガレットは笑みを返した。

 「良き庭です。ラディナス様はいつからノヴァンタエに」

 「丁度、二年になります」

 「二年? それでは最近の事なのですね」

 ラディナスは頷いてゴブレットの果実酒を飲み干した。

 「左様、私自身、ここまで大層に迎え入れられようとは思いませんでした。ここだけの話、陛下は私自身というよりも、私の経歴を喜んでおるのです」

 その言葉には真実の響きがあった。グリンガレットが目で合図を送ると、キリアムが気付いて会話を引き継いだ。

 「私も、王が人を求めているとお聞きしてこの国を目指してきたのです。しかしながら、それは、間違いであったように思えてなりませぬ」

 「今は、・・・そうお感じになられるのも、無理はありません」

 「かつては違ったと?」

 「左様」

 ラディナスは素直に認めた。

 「無論、今ゴドディンの地は危機に瀕しております。この城が重要な防衛拠点と思えば、今でも一人でも多くの同志を求める事に、変わりはないのですが」

 「しかし、ラディナス殿、あのオヴェウス卿の試練といい、名刀収集の噂といい、あれでは志のある者が訪れてきても、その真意は図りきれるものではありませぬ」

 「やはり、そうでしょうな」

 「それだけではありませぬ、街の外をご覧いただいておるのでしょうか。場外は荒み、けして豊かとはいえぬ様子。これでは民の心も離れてしまうのではありませぬか。・・・エイノール王は何をお考えなのです」

 「真意は私にも計り兼ねているのです」

 ラディナスは、その表情に微かな口惜しさを滲ませて、首を振った。

 「私がこの国に訪れた時には、騎士を試すための試練などありませんでした。身の証を立てることさえできれば、エイノール王はお会いになられた。城の外にも足を向けられ、ご自身の目で市政を確かめておられた。

王が試練を求めるお触れを出し、城内に閉じこもるようになったのは、今より半年前、そう、サヌード卿がタリエシン殿を城に招いた頃からでしょうか」

 「タリエシン殿はサヌード卿が」

 「ええ、あの近衛隊長は私がこの城に着いた後に来られたのですが、瞬く間に王の信頼を得て、近衛隊を組織されました。サヌード卿は今、いわば、この城の実として、私はこの城の虚として仕えておるのです」

 「虚とは、また謙遜なされる」

 「いや、言葉の通りなのです。私はかつて円卓の一員でした。その威光のみが私の価値となっているのです。

いまや円卓の騎士は数えるほどしかこの世にはおりません。たとえ僅かの間の栄光であったとしても、円卓に坐した騎士を抱えている事が、王にとっては勲章となるのです。察しの通り、わが王は王としての証に飢えておられる」

 彼の言葉には実直な響きがあった。

どうやら小細工のできる男ではなさそうだ。グリンガレットはラディナスの髪に、白いものが随分と混じっている事に、その時初めて気付いた。

 「ラディナス様は、なぜ、かように我々をもてなして下さるのです」

 グリンガレットが聞いた。

 驚いた顔でラディナスは彼女を見た。

 「と、申されますと」

 「失礼を承知でお聞きいたします。私には腑に落ちぬのです。我が殿がこの城にとって、招かれざる客である事は誰の目にも明らかです。このようなもてなしをなさっていただくこと自体、ラディナス様のご迷惑になりはしないのですか」

 「なんともはっきりと物を申される。・・・しかしながら、何とも気品があり、嫌味もない言葉。先日の口上も覚えておりますぞ。キリアム殿、貴公は良い従者をお連れですな」

 「口だけではなく、剣の腕も立ちますよ」

 キリアムが微笑して彼女を見た。

 ラディナスは頷いてから、口元を引き締めた。

 「しかも、その言葉は真実をついておられる。左様、私が今日キリアム殿を招いたのには理由があります」

 彼は立ち上がると、グリンガレットの側から庭先を眺め、再びキリアムを向いた。

 「キリアム殿の、本心を知る為です」

 「私の、本心ですか」

 「オークニーの王を名乗られたからには、それを確かめるのが、私の務めです」

 「と、申しますと?」

 「貴殿がこの城に来られた理由についてです。正直に申しましょう。果たして、エイノール王を廃し、自らが王位を簒奪する意をお持ちでおられるのではないかと、少々、邪推しております。

もちろん、貴殿の真意は、ブリトンの栄光を守る為、ゴドディンの民を守る為であるのかもしれません。私は、それを見極めたいと思いました」

 「なんと、私にそのような野心がありましょうや」

 「左様でしょうな」

 ラディナスはちらりとグリンガレットを見た。

 「そなたの主人は、嘘のつけぬお方だ。こうして少しばかり話をしただけでも、それが分かる。流石はエトリムの忘れ形見というべきでしょうか。・・・疑いを持った自分が恥ずかしい程に、清廉な騎士道をお持ちのようだ」

 ラディナスの言葉は頷けた。

キリアムと話をしていると、彼を利用している自分が浅ましく思える。グリンガレットは自然とこぼれそうになった微笑みを隠して答えた。

 「それ故にお仕えしているのです。我が殿に二心はありませぬ。たとえその権利があるとしても、我が殿は固辞されることでしょう」

 事実、既に彼にはその権利がある。キリアム自身は自覚していないのだろう。少なくともラディナスやエイノール王はその事に気付いている。

 オークニー王位継承権の筆頭にあったグァルヒメイン卿は、同時に偉大なる王の甥にあたる。それは彼自身が偉大なる王の王位、つまり、ブリトンの地のみならず、ノヴァンタエやダムノニというゴドディンの地、またオークニー等の辺境諸領、それらを包括する、大ブリトン王の継承権を、たとえ後順であろうとも持つことを意味する。

 王を決めるのは血縁ではない。だが、大きな要素ではある。

多くの王が血縁を優遇し、民もまた血縁によって、正統性を判断する。このことは、誰しもが知る事実だ。無論それだけではない。権利を持つ者の意志と、それを求める者の意志、そして、時には最も現実的な必要性。それらを含めた全てが、王を求め、王を生む。

 偉大なる王の王位継承権は、血縁で言えば、まず息子にある。次に妻。子の子。更なる次は三人の姉。そして姉の子達へと繋がってゆく。

しかしながら、誰が今の時代に生きのびているのか。

 王の息子、本来であれば王位の筆頭にいたメルラウド卿は機を待つことをしなかった。王に反旗を翻し、父と刺し違えて死んだ。

 王妃は自死する道を選んだ。この王妃には不義の重荷があった。加えて、彼女自身が王位を継ぐほどに強い心の持ち主でもなかった。

 偉大なる王の長姉モルガン・ル・フェイは王の器だった。しかし、彼女は偉大なる王と共に彼方の国アヴァロンへと去った。彼女は王位を欲していたが、王の死はその思いまで奪い去った。その子、ユーウェイン卿も聖杯探索の折に倒れていた。

 次姉モルゴースが肉親の手で殺害された事件は、世に知れた話だ。唯一、三姉エレイン妃の消息だけが杳として知られていない。モルガン妃とともにアヴァロンへの船に乗ったという噂が、まことしやかに広がっている。

 グァルヒメインはモルゴースの長男にあたる。ロット王との間には他に数人の兄弟がいたが、この兄弟たちは湖のランスロットとの決裂の際に、彼の手によって殺された。

 つまり、今ブリトン王を血縁にて受け継ぐ者は一人としていない。

となれば、次は彼らから、王位を禅譲された者がいるか、である。

 知る限りはただ一人。

 グリンガレットの言葉を真実とするならば、唯一、自らの王位継承権をはっきりと禅譲した者がグァルヒメインである。

 無論、彼はオークニーの王権を譲り渡しただけにすぎない。それは彼が死の際に、偉大なる王がまだ存命であったことからも確かである。しかしながら、ブリトンの各地方の王より偉大なる王が再び選び出されるとしたら、もっとも正当な継承権を主張できるのは、グァルヒメインの後継者ということになる。

 そしてもう一つ。大ブリトンの王位継承権を左右するものが剣である。

王の証たる剣、カリバーンだ。

 かつて魔導士マーリンが知らしめた先例をあげれば、証たる剣を持つことが王位の象徴となる。もし、このカリバーンの所有が無ければ、偉大なる王はブリトンの一領主に過ぎず、モルガン妃がその大権を手にしていた可能性もあった。

 しかし、カリバーンは、カムランの戦場で最後に残った円卓の騎士ベディヴィアによって湖に返され、この世界より消滅した。

 ガラティンがもつ意味はここにある。

 カリバーンの姉妹剣にして、グァルヒメイン卿の禅譲を受けた王の証である。

この世からカリバーンが失われた事実が、人々の心に闇の覆いをかけてしまった。

鑑みれば、ガラティンを持つ騎士の存在が知れ渡ることよって、ただそれだけの事が、どれほど多くの民に希望の光を抱かせることになるか。

 「我が殿がその気になれば、つまり、この地で兵を掲げれば、多くの兵はエイノール王ではなく我が殿のもとに集うでしょう。ノヴァンタエの、ゴドディンの騎士ではなく、ブリトンの騎士としての栄光を求めるのです」

 グリンガレットは、むしろキリアムに言い聞かせるように言った。

 「確かに、そう思う騎士は、決して少なくはありますまい。国は二つに割れ、戦になるのは必定。ですが、それはそなたの主人が望むところではないようですな」

 「無論です。・・・ただ、それはノヴァンタエのエイノール王が、王としての資格に値する行いを果たしていればこそでしょう。

さもなくば、我が殿が望む、望まぬに関わらず、我が殿を掲げて事を起こす者が現れるやもしれませぬ。

グァルヒメイン卿はモルガン妃にとっても甥にあたる方。つまり、血縁としてもノヴァンタエの王位を継ぐ正統性はあります。言葉は悪いですが、我が殿がグァルヒメイン卿の後継である以上、誰かしらが担ぎ上げる事も出来るのです」

 グリンガレットははっきりと言った。

 ラディナスはその言葉に納得している様子だった。

 「私とて、争いを望んでいる訳ではありません。だからこそ、その真意を確認しようと思ったまで。この際です、はっきりと申しあげましょう。

・・・キリアム殿、もし貴殿に王位を求める意志が無いのであれば、早々にこの国を離れ、いずこかへお逃げください。もし、このままこの国に逗留されるとなれば、いかに私としても、お二人の命を保証することはできませぬ」

 思わずキリアムとグリンガレットは顔を見合わせた。

 「ご忠告は有難いのですが、ラディナス殿、なぜ貴方はそこまで我々の事をご案じくださるのです」

 「私はこの国を安寧に保ちたいだけなのです。今はまだ、この国に戦うだけの力が無い事を知っているからです。

それにキリアム殿、貴殿には確かに王の資質を感じます。残念ながらエイノール陛下以上にそう思うのです。・・・おそらくは時と機運が貴殿の味方となれば、貴殿は天を掴むほどの才をお持ちでしょう。私は一人の騎士として、・・・ブリトンの騎士として貴殿をここで朽ちさせたくはない」

 彼の射抜くような目の奥に、グリンガレットは真実を見た。

 キリアムを早くこの国から追い出してしまいたい。それはルグヴァリウム城に忠義を尽くす者であるならば、誰しもが思う事だ。

 しかしながら、このラディナス卿の言葉をそのままに受け止めるのならば、彼がこの城に尽くし続けていることが、不自然に思えてならなかった。

 キリアムは答えを躊躇った。彼はグリンガレットの意を図っているのだ。おそらく彼の心には、さほどエイノール王に仕える事への執着はないだろう。むしろ、グリンガレットの目的が何であれ、それを達せぬまま城を離れる事態になるのを恐れ、どう返答すればいいか、答えを探しあぐねている。

 グリンガレットは彼のかわりに口を開いた。

 「ご忠告痛み入ります。我が殿にはもとより長居をするつもりはありませぬ」

キリアムは努めて冷静な顔をしていたが、内心では安堵したに違いない。グリンガレットは続けた。

「二心など微塵も無く、ただブリトンの為にと思いて、この国を訪れたにすぎませぬ。しかしながら、ラディナス殿の仰せられる事も正論なれば、無用の争いをする道理はありませぬ。左様ですね、我が殿」

キリアムと視線をかわして頷き合う。

「ただ、急に出奔するとなれば、お迎えいただいたエイノール陛下に対しても無礼にあたります。数日の後、互いの礼を失せぬ形を考え、この国を離れる事に致しましょう」

 「それをお聞きして、安心いたしました」

 「一つだけ、ラディナス様にお聞きしたいことがございます。ラディナス様は何故そこまでにこの国に忠義を尽くされるのです」

 この問いは、ラディナスの痛いところを突いたようだった。

 「行くあても無き放浪の騎士を、拾い頂いたからでは答えになりませぬか」

 「放浪されていたわけではありませぬでしょう」

 「なぜに、そう思われるのです」

 ラディナスの表情に動揺の色が浮かんだ。グリンガレットは外を指さした。

 「先ほど、庭に女性の方が居られました。美しいお嬢様でございました。おそらくは、ラディナス様のご息女で居られましょう。私の視線に気付いた時の身のこなし方といい、素晴らしい教育をなされておられます。一朝一夕では、あのような気品ある所作を纏う事はできませぬ。しかるべきところで、きちんと暮されていた証拠です」

 「・・・」

 ラディナスも驚きに声を失ったが、キリアムも同様だった。彼にはそのような女性の姿は見えなかった。グリンガレットの観察力には、改めて驚かされる。

 「いや、驚きましたな」

 「グリンガレット、幾ら何でも失礼ではないか」

 キリアムが繕う様に言った。内心舌を出しながら、グリンガレットは微笑を湛えた。

 「あまりにもお美しい方でしたので、見とれてしまったのです」

 「本人が聞けば喜びましょう。娘のリネットです」

 ラディナスはキリアムとグリンガレットを交互に見た。

 「それに、従者殿の申される通りです。私がこの城に仕える理由は、他にございます。もしキリアム様さえよければ、聞いてくださいますか。あまり、面白い話でもないのですが」

 「お聞かせいただけるのであれば」

 ラディナスは片手で顎を触るようなしぐさを見せた。どこから話すべきか、思案している様子だった。

 「ベイリン卿と、ベイラン卿という兄弟をご存じですか」

 ラディナスの出した名前は、どこか遠くで聞いたような気もしたが、すぐには思い出せなかった。キリアムも知らぬと見えて、首を振るとラディナスは静かに語り始めた。

 彼が語るこの兄弟は、偉大なる王に仕えた由緒ある騎士だった。

 それも、偉大なる王がブリトンの統一を図る以前からの忠臣だった。それなのに円卓の騎士の中に彼らの名前はない。不思議に思ってその訳を聞くと、大きな過ちを犯して偉大なる王の勘気に触れ、円卓を集う前に彼のもとを辞したという。

 それでも王の為にと、人知れず陰になり働き続けた。

真の騎士だったと、ラディナスは言った。王のもとを辞した者同士、通じるものを感じ、気付けば盟友となっていた。

 「ある時、不幸が重なって、兄のベイリン卿が、弟ベイラン卿を殺めるという悲しむべきことが起こりました」

 ラディナスは言葉を続けた。

 「ベイリン卿は悲しみ深く、それきり剣を捨てる決意をしたのですが、一つだけ気になることがありました。亡き弟の子の事です」

 「ご子息が居られたのですか」

 「ベイラン卿が偉大なる王のもとで働いて居た時、彼には子が居りました。しかし王がキャメロットに都を移した折、混乱の中で行方が知れなくなったのです。ベイリン卿はその甥を見つけだし、いつの日か立派な騎士として育てたいと、常々語っておりました。それが、無き弟への罪滅ぼしになると思ったのです。そしてまた、その時が来れば、私に彼の師となり、後見人になって欲しいとも申しておりました・・・。というのも、彼は自分の持つ剣、そしてその剣技そのものが、呪われた力であると思い知っていたからです」

 呪われた剣。

 その言葉を聞いた瞬間、グリンガレットは、突然ベイリン卿の名前を思い出した。

 かつて語られた事のある名前だ。彼女の知る人はバリンと発音していた。双子の騎士、双剣の騎士とも徒名される。

 魔性の切れ味を誇る名剣ながら、最も愛する者の命を奪う宿命を帯びた、呪いの剣カラドボルグをもつ騎士。

 「数年前の事です。私のもとに、彼からの便りがありました。このノヴァンタエ領で、探していた甥が生きている事をつきとめたと」

 ラディナスの表情が険しいものになっていた。甥を見つけた事が、喜ばしい事ではなかったというのだろうか。

「その頃には私も落ち着いた暮らしをしていました。それ故、多少は悩むところもあったのですが、結局はこの国を訪れる事にしました。騎士として、一人の人間として、友との約束を果たす事が大切と思ったからです。・・・ですが」

 ラディナスが少し言いあぐねる。その訳が、少しだけ彼女にはわかる気がした。

 「ベイリン卿とは、お会いできなかったのですね」

 「よくお分かりですね。・・・従者殿、ご察しの通りです」

 「なんとなく、そのような気がしたのです。それでも甥御様にはお会いできたのでしょう」

 でなければ、彼がこの国に留まる理由が無い。

もはや聞くまでも無かった。彼女には彼が語る名前がわかっていた。

 「ええ、会うことは出来ました。しかし、私はまだ友との約束を果たせずにいるのです。彼は私が思うような男ではありませんでした」

 グリンガレットは頷きキリアムを見た。彼はまだ理解してない様子だった。

 「ベイリン卿の名を、私もようやく思い出しました。私が知る人は、卿の事を双剣バリンと呼んでおられました。ベイリン・サバージュ卿ですね」

 「やはりご存じでしたか、そこまでお分かりであればもう察しがついていることでしょう。・・・左様です。すなわち、その甥こそ、あのオヴェウス卿なのです」

 「オヴェウス卿が・・・」

 キリアムが絶句した。

 騎士の品格とはかけ離れた、野獣のようなあの男が、彼の言うサバージュ卿の忘れ形見というのか。

 「キリアム殿の言わんとする事はわかります。しかし、私も騎士の端くれ。一度友に誓った約束は、貫かねばならぬのです。今はまだ傍若無人な振る舞いも多く、騎士と呼ぶには相応しからぬ男ですが、いずれ父や叔父のような立派な騎士にと、考えております」

 キリアムには言葉が継げなかった。いかにラディナス卿が人格者といっても、はたしてあれ程に凶暴な男に騎士道を伝えきれるものだろうか。

 グリンガレットもまた違和感を覚えていた。オヴェウス卿を初めて見たとき、その名を聞いた時に感じたあの不自然さが思い起こされる。

 同時に、グリンガレットの中で、もう一つ引っかかっていた事が蘇ってきた。

 違和感と不自然さ、その二つが奇妙な一致点を見せている。

 彼女の思いも知らず、ラディナス卿は続けた。

 「私はいずれ、オヴェウス卿を息子として迎えるつもりでいるのです」

 それは彼の本意であるのだろうか。彼の表情は頑なで、それ以上この事に踏み入る事を許さない、そんな決意の色だけが見て取れた。

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