第25話 王の儀式

二十五 〈 王の儀式 〉


 澄み渡る蒼天が、頭上に広がっていた。

 風が微かに冷たい。遥か遠くでは、雨が降っているのかもしれない。

そんな中を、普段は見慣れぬ騎士達が進んでいる。

 東にある二の大門には、ノヴァンタエ領の支城から、儀式への参加のため、一時帰還してきた騎士や兵士が、列をなしていた。

 厳重に身分を確認し、それと判ると、その名と、登城を告げる声が響き渡り、歓迎の意を表す楽器の音が鳴らされる。

 今日が新月の日とあって、三の城門前の広場には壇が設けられ、既に大勢の人々が集まっていた。

 人々の足が乾いた大地を叩き、風と共に砂塵の匂いが吹きつける。

 壇の周囲から城門にかけては、半円を描くように、近衛騎士とそれに従じる城兵が警備を固めていた。サヌードの姿は無く、彼の腹心でもあるファグネル卿とソーン郷がせわしなく指示を出している。

 少し距離を置いて、広場の中央から北側半分には、古参の騎士が多かった。より中央に近い位置にダリウス卿とその一派が陣取り、そこから北にかけて支城から帰参した騎士や、中には引退をした騎士の姿も混じっている。南の半分は、新参の騎士や兵士が多かった。さらにその奥には、数少ない貴族の連中や、登城を許された商人、特権を持った市民の姿も見受けられた。

 それぞれが、これから起こるであろう儀式の始まりを、興奮した面持ちで待っていた。

 エイノールの死がもたらした筈の不吉の影は、驚くほどに薄かった。

 理由は明らかだった。

 モルガン王妃が帰還した。

 偉大なる王と共に、アヴァロンへと去った筈の王妃が、お戻りになられた。噂は僅かの間でルグヴァリウムを包み込み、歓喜と興奮を生んだ。

 妖姫とまで語られる彼女を、民は欲していた。おそらく、この地に住む者にしか知りえない姿を、生き方を、彼女は此の地で営んでいたのだろう。

 壇上には二つの玉座が置かれていた。一つは新たなる王の為、もう一つはモルガン王妃のためだ。赤くしっとりとした革を張った玉座には、金銀の細工と、緑色の宝玉がはめ込まれている。その場に居合わせた者たちは、モルガンの登場を、今か今かと待ちわびていた。

 更に、それ以上の緊張した面持ちで、王妃の姿を待ち続ける者たちがいた。

 壇のすぐ側には、天幕をはった席がいくつか設けられていた。

 王の候補者として、名前の挙げられた者達が、そこに並んでいた。

 知らない顔も、知っている顔もある。

 まだ、全員が揃ってはいない様子だが、背の高いホーディン卿の周りには、数名の貴族が取り囲んで、なにやら雑談に興じていた。

 遠目に見て、ルウメはそっとその場を離れた。

 ルウメは、数日前から、二の城内の中をくまなく歩きまわって、警備の手薄な場所を見定めた。水路から入った後、どこを通れば騎士の邸宅のある区域に入れるかを調べあげ、ベリナスに託してある。

 ラディナス邸は、固く閉ざされてはいたが、リネットの持つ合鍵がそのまま使えた。昨日の日中の内に、一番目立たない扉の鍵を既に開けてある。彼らが上手くやっていれば、今頃は辿り着いている筈だ。

 ルウメは、城内では彼らと顔をあわせない。そう約束していた。

 ルウメの身の安全を図るため、キリアムが提案した事だった。

 本当は彼らを邸宅まで案内するつもりでいたのだが、キリアムは一度行ったことがあるからと、その提案を優しく取り下げた。

 内心、ほっとしたのも事実だった。

 だが、どこかで寂しい気もする。

 もっとも、彼の提案で一番憤慨していたのはビオランという少年だった。

 彼も同行したがったが、断られた。食い下がったが、結局は許しがおりなかった。そのかわり、大役を任された。

 「俺たちが戻らなかったら、その時はこのお嬢様を、俺の砦まで連れて行ってくれ」

 ベリナスにリネットの事を託されると、彼はもう嫌とは言えなかった。

 ルウメも、関わった以上は、最後まで関わりたいとも思う。とはいえ、自分一人が加わった事くらいで、何か変わるだろうか。自分には剣の腕も、誰かを救えるような才なども無い。

 あとはひっそりと、行方を見守るだけだが、それも、気が滅入る。

 キリアムという、オークニーの王を名乗った騎士の事を考えた。

 厩で会って以来、彼の事は不思議と気にかかっていた。

 謙虚で、それでいて静かな威厳がある。慈愛さえも感じる。おそらく、ルウメが思い描いていた理想の騎士像そのままの姿なのだ。

 そのキリアムが、今からここに単身でやってくる。

 再び、広場を見た。

 無理だ。

 これだけの数の騎士、兵士を前にして、彼の言葉など耳にも入らないだろう。みすぼらしい身なりの騎士が一人くらい騒いでも、おそらくは壇上にも届かない。

 たとえそれがキリアムだと判っても、その場で数名の城兵に取り押さえられるだけで、何も伝わらない。みすみす相手の手中に落ちるだけの事だ。

 それに、刑場の方だって、上手くいくとは限らない。

 怪しまれる事を避けるため、結局、城内へ潜入する救出隊はたった五人だ。

 刑場には、それでも十名以上の城兵と、見届けを行う騎士が少なくとも二人はいる。それに加えて、執行人はオヴェウスだ。

 ルウメは、広場を後にすると、城門を目指した。

 このまま城を出て、ルグヴァリウム城を去ろう。その方が、辛い現実を見ずに済む。

 そう思って、一人歩いた。

 門に近づくにつれ、人の数が減った。そこで、ルウメは足を止めた。

 何かが目に入った。そして、動けなくなった。

 自分には何も出来ない。

 でも、何かもう一つくらい、何かをした、と思いたい。

 それを見つけた瞬間、彼はそう思った。



 「俺は、これが良いな」

 軽い口調で、カリが細めの剣を手にした。

 見事な装飾で、見るからに宝剣といった輝きだ。

 一目見て。

 「止めておけ、折れるぞ。・・・こいつにしろ」

 ベリナスが武骨な長剣を手渡す。カリは少し不満げに受け取った。

 「仕事が終わったら、一本位、褒美にいただきたいもんですな」

 「馬鹿」

 デリーンが言って、矢筒を腰につけた。

 城内への侵入は、思いのほか順調にいった。ここ数年、経験の無い程の状況で、搬入の出入りが、あまりにも多くなったため、警備の城兵が目を回していた。この様子なら、あと二人は連れてこれたと、ベリナスは後悔した。

 人の気配を失ったラディナス邸の廊下は、やけに冷たかった。

 磨き上げられた武具を見上げながら、キリアムは腕を組んでいた。

 少し離れた所から、

 「ラディナス卿の鎧かな、また、随分と古いな」

 マイルスとかいう騎士の声が聞こえた。

 グリンガレットにやられた怪我は良くなっていたが、鼻が少し曲ったようだった。

 ベリナスが覗き込んで、感嘆の声をあげた。

 「キリアムよ、こいつは、お前さんだな」

 呼ばれて、彼は近づいた。

 黒い革の鎧だった。銀の縁取りがあり、革のつなぎ目に使われている糸も、金属を編み込んだ繊細な造りになっていた。なめした表面には艶も残り、紋章が刻まれている。

 「この紋を見ろよ、デ・ゴールト家の物かもしれねえ」

 「ゴルマート卿の、あのデ・ゴールトか」

 「ああ、おそらくな」

 キリアムは震えた。

 ゴルマート・デ・ゴールトは、彼の父が仕えたペレドゥル卿の師だ。ベリナスは頷いて、彼の肩を叩いた。

 「お前さんには所縁の品だ。そのぼろぼろの革鎧じゃ、折角の舞台にも忍びない。借りて行かぬか」

 一瞬、キリアムは迷ったが、結局頷いた。

 「これも、巡りあわせかもしれぬな」

自身に槍の稽古をつけてくれたペレドゥル卿の姿が瞼に浮かんだ。その師であるゴルマート卿の鎧を、この大事な時に、身につける光栄を得ようとは。

「父上や、ペレドゥル卿の、ご加護かもしれぬ。いずれにせよ、身に余る事だ」

 キリアムは、革鎧を脱ぎ棄て、新たなる鎧に腕を通した。

 驚くほどに、体に合った。軽く、それでいて、強靭な造りだ。華美さよりも剛健。実戦に向く構造は、かなりの名工の手によるものだろう。

 その精悍な姿を見て、デリーンまでもが

 「すごいね。見違えたよ」

 声を洩らした。

 少し羨んだ眼で見て、ベリナスは自分の準備に移った。

 二対の革帯を、器用に肩に回し、二本の剣を選んで背負った。一本はラディナスの愛剣を、そうと知らずに選んだ。もう一本は、不明だがかなりの業物と見た。

 「よし、そろそろ行くとするか。皆、しっかりとフードを掛けろよ。ただし、あまりびくびくするな。今日は見知らぬ顔も多いだろう、堂々としてりゃ、かえって疑われん」

 ベリナスの号令に、皆が一斉に応じた。

 「それじゃあ、ここでお別れだな、キリアム」

 彼が差し出す手を、強く握り返す。

 「貴公らに、蒼天の御加護あらんことを」

 「お前さんにもな」

 ベリナスは不敵な、キリアムは爽快な笑みをかわし、互いの覚悟を飲み込む。二度と再会出来ないかもしれないが、それでも、それ以上の言葉は必要なかった。

 

ベリナス達は去った。

 キリアムは、大きく息を吸いこみ、ラディナス邸を後にした。

 堂々と歩くキリアムを見咎めるものは、意外な程に誰も居なかった。

 遠くから、広場のざわめきが聞こえてくる。

 感嘆の声や、ため息が、立て続けに聞こえていた。おそらく、王の儀式は既に始まっているのだろう。

 あの先に、グリンガレットがいる。

 そう思うと、自然に足が早まった。と、そこに、

 「オークニーの王様」

 声をかけられ、彼は振り向いた。

 ルウメがそこに居た。

 畏まった様子で、彼に深々と頭を下げていた。

 その手にしたものを見て、キリアムの眼に、不覚にも涙が浮かんだ。

 彼は手綱を持っていた。

 グリンガレットの愛馬が、森で見失ったかと思っていたあの老馬がそこに居た。

その肉体を微塵にも衰えさせず、まるでそれが当然であるかのような顔をして、老馬はキリアムを待っていた。

 ぶるぶるとたてがみを震わせ、眼には生気を灯している。その眼が、彼に「遅かったな」と言っていた。

 「王様が、歩いていっちゃ、いけませんや」

 そういって、ルウメは彼に手綱を手渡した。

 老馬が嘶いた。

 全ての恐怖と、弱心を払いのける、歓喜の嘶きだった。

無言で頷いて、キリアムは老馬の背に跨った。

 ルウメは、その堂々たる姿を見上げた。

 身には着けていない筈の王冠と白金のマントが揺れる様を、ルウメの心は見た。

 ああ、格好良い。

 これが騎士だ。本物の騎士が、・・・いや、本物の王が、ここに居る。

 誰にも告げることは出来ないが、ルウメは、心の中でそう叫んだ。



 キリアムがラディナス邸を出るころ。

 広場ではついに儀式が始まりの時を迎えていた。

 三の城門が、角笛の音とともに開かれた。

 白の鎧に身を包んだサヌードが先導に立った。白磁を思わせる艶やかな表面に、金をあしらった豪華な鎧だった。長剣を腰に携え、王妃をエスコートする姿は、一介の騎士というにはあまりにも優雅な物腰に見えた。

 左右を、宰相アブハスと、剣を両手に恭しく掲げたケルンナッハが大役を受けた。サヌードの推挙で、久しぶりに礼服を纏っていた。

 そして、中央を歩く王妃の姿に、人々は息をのんだ。

 白銀のティアラが、陽光を浴び、燃えるが如く輝きを放っていた。

 かつての面影をそのままに、王妃はその姿を白日の下に現した。春の草原を思わせる、柔らかでいて、かつ鮮やかな緑のロングドレス。手首には、革細工に赤い硬玉を嵌め込んだ腕輪を身につけている。そのいずれもが、王妃が愛し続けた品だった。

 相貌を、一言で形容するのは難しい。ただ言えるのは、その場に居合わせた騎士の殆どが、彼女の下に集った事を、永遠の誇りとして心に抱くだろう。

 赤に近い濃金色の髪が、風になびいた。緑のドレスが揺れて、一段と輝きを増している。

 壇の中央に立った瞬間、どこからともなくモルガン王妃を讃える声が起きた。

 それは怒涛のように押し寄せ、しばらくの間止むことが無かった。

 王妃が左手をそっと上げ、そして、下を指した。

 騎士たちは静まった。その場で低く首を垂れ、一斉に膝をつく。その仕草の一つ一つが、モルガンの所作そのものだった。

 彼女の目線が微かに横を向いた。一瞬の恐縮を覚えて、アブハスは身を固くした。

 「これより、古来よりの習わしに従って、王選びの儀式を執り行う、皆の者、顔を上げい」

 アブハスの緊張した声が響いた。

 「今より、候補者の名を呼びあげる。呼ばれたものは、すみやかに王妃殿下の前にすすみ出でよ。王妃殿下直々に、王権の資格をお試しになられる」

 ざわざわと、声が漏れ始めた。どのようにして王を選ぶのか、その方法を、人々はまだ知らされてはいなかった。

 「では、さっそく、一人目の候補者である。エイノール陛下の甥にして、ルグヴァリウムの準騎士エルヴェグ卿」

 その名乗りを聞いて、サヌードは、おや、と思った。

 エルヴェグはエイノールの従妹の子だ。甥ではない。それに、準騎士になったというのも、初耳だ。

 おそらく、彼を王位に就けようとする者の企みがあったのだろう。権力に欲を抱き、水面下で画策をする者が、この城内にもまだまだいるという事だ

 壇上に姿を見せたのは、まだ十代であろう少年だった。明らかに不相応な鎧を着せられて、緊張した面持ちで王妃の前に進み出る。覚えたての所作で礼をすると、ぎこちない様子で膝をついた。きょろりと彼女を見上げて、すぐに顔を真っ赤にして俯く。その仕草にも、まだあどけなさが残っていた。

 王妃はケルンナッハの手から、剣を受け取った。

 ざわめきが大きくなった。

剣が煌めいた。

 いかに太陽の光を一身に受けているとはいえ、あれ程の輝きを持つ名剣を目にしたことは無かった。王の剣だ。その声が静かな波のように広がっていった。

 「我が手にあるは、祝福の剣である」

 王妃が、高らかに言った。広場を埋め尽くす騎士の耳目を、その声は鋭く刺し貫いた。

 「王の宿命を担う者にのみ、その真の輝きを与えるものなり」

 視線を、少年に落とした。

 「エルヴェグよ、そなたの宿命に、剣の導きがあらん事を」

 小さな肩に、剣をそっと触れさせた。

 広場が静まり返った。

 しばらくの沈黙の後、静かな騒めきとため息がさざ波のように起こった。

 何も、起きなかった。

 王妃が剣を戻した。

 「次の者を」

 王妃が冷たくアブハスに言うのを、少年は落胆した瞳で見た。

 王妃は、それに気付いたようだった。

 彼に視線を向け、妖艶に微笑んだ。

 小声で。

 「エルヴェグよ」

 彼女は囁くように言った。

 「そなたは、騎士となるがよい。魂を鍛え、いずれ、わらわの期待に応えよ」

 少年は、目を輝かせて段を降りていった。

 それから、幾人もの候補者が壇にのぼった。

 その度に、広場には期待の声と落胆の声が交互に起きた。

 王の資格者は、なかなか現れなかった。それどころか、最後の候補者が壇上に上がってすら、その結果は前の者たちと何も変わらなかった。

 これは、どうした事かと、広場に集まった騎士達の間で、訝しがる声が上がり始めた。

 「他に、資格のある者は居らぬのか?」

 王妃に訊かれて、アブハスは汗を拭った。

 「は、事前に名乗りのあったものや、他薦のあったものは、これで、全てにございます」

 「それは真か」

 「いえ、一部、新参の者などは、正騎士達の意向もあり、省いておりますが」

 「構わぬ。壇に上げよ」

 アブハスは王妃に一礼をすると、再び広場へと視線を向けた。

 「候補者の中に、王の資格者が居らぬ上は、これより、新参の騎士より、候補者を呼び上げる。名を告げられたものは、速やかに、壇上に参られよ」

 彼は懐から包みを取り出すと、三名の騎士の名前を呼んだ。

 その最後に、サヌードの名があった。

 ざわめきが大きくなった。

 南側に居並ぶ者たちからは歓声が、北側に並ぶ者たちからは、半ば不満の声が上がった。

 王妃は、再び儀式を始めた。

 当然のように、二人の騎士は失格者となった。

 残った一人の騎士。サヌードを正面に見据えて、王妃はついにこの時が来たことを知った。

 サヌードは、自信に満ちた目で彼女を見上げ、そっと肩を出した。

 首は、目の前にある。

 彼女の眼に、決意の色が灯った。

 「サヌードよ、そなたの宿命に、剣の導きがあらん事を」

 言って、グリンガレットは剣を高く掲げた。


 

 眩しさに顔を顰めた。

 地下牢を出るのは、いつぶりだろう。渋面に伸びた髭を掻いて、オヴェウスは首を数度鳴らした。

 前後を、数名の城兵と三人の騎士が警護した。

 二人は古くからの騎士だが、正式な受勲を受けていない準騎士だ。一人は近衛騎士で、ダンヴェイン卿だった。

 グリンガレットに斬られた肩の傷は、まだまだ癒えてはいなかった。怪我のため、王の儀式には警護も務まらず、仕方なく、死刑の様子に立ち合う役目を得た。

 刑場に入る前に、身支度を整える事になった。

 「なんだ、これは」

 用意された一式を見て、オヴェウスはいつも以上に不機嫌な顔になった。

 そこにあったのは、上下とも深い緑色をした衣服と、ローブだった。形ばかりの革鎧は、さすがに薄茶色をしていたが、どうにも違和感があった。

 「俺に道化にでもなれというのか、こんなもの、俺は着んぞ」

 ダンヴェインが彼を向いた。

 「オヴェウス卿よ。知らぬのか。緑は我等ゴドディンの民には、魔除けの色だぞ。妖精の祝福が、汚れから身を護るのだ。死刑を執行する者は、緑の着衣をもって、その汚れを払わねばならん。昔からのしきたりだ」

 「妖精だと、馬鹿らしい」

 言いながらも、オヴェウスは仕方なく上衣を脱いだ。

 腰に巻いた、緑の革帯が、ダンヴェインの眼に止まった。

 随分と、古いものに見える。銀糸の装飾はあるものの、随分と簡素な造りだ。だが、その革の張りといい、艶といい、見事としか言いようがない。

 「オヴェウス卿、貴公のそれは、どうした?」

 思わず、ダンヴェインは訊いた。

 「これか?」

 オヴェウスは視線を落とした。

 「こいつは、俺の誇りだ」

 「ほう」

 意外な答えに、ダンヴェインは目を細めた。

 「俺が、騎士である証だ。・・・俺は他人の手で育った。俺とともに預けられたこの革帯だけが、俺が騎士の子であることを証明してくれた。だからな、こいつは俺の誇りなのだ」

 オヴェウスは、鎧を着けるのを辞めた。なんだか窮屈に感じたのもあったが、着てみると、この緑の服が、意外と気に入った。

 緑の上下に身を包み、上からローブだけをかける。

 「俺の剣をよこせ」

 「使うのか?、首を落とすには、斧の方が良いぞ」

 「良いのだ。早くしろ」

 オヴェウスが睨んだ。ダンヴェインは城兵に声をかけ、剣を用意させた。死刑が終われば、いずれ彼に返す予定になっていたものだ。前後しても、特に問題は無い。

 嬉しそうに剣を手にする姿を見ながら、ダンヴェインは首を傾げた。

オヴェウスは、牢に入ったばかりに比べると、随分と落ち着いた。

 以前は、四六時中「グリンガレット」と、訳の分からない言葉を呟いてばかりいたが、今、目の前にいる彼は、かつての彼のままだ。もっとも、それはそれで、恐ろしい存在には違いない。

 「用意は良いか。刑場に入るぞ」

 ダンヴェインが促す声に、オヴェウスは、剣を一回、ぶるんと回してそれに答えた。


 刑場の周りには、僅かな人垣ができていた。

 いつもなら、死刑といえば、物好きな連中がこぞって集まってくる。人数が少ないのは、王の儀式が行われているせいだろう。

 刑場と言っても、はた目にはただの広場だ。

 変わっているのは、木で組んだ簡素な台があり、そこに太い杭が二本立っている。杭の間には木の板が掛けてあり、そこに、罪人を知らしめる言葉が刻まれている。

 罪人は、木の板に体と両手を固定され、前に頭だけを出すように晒される。そして、首を切り落とされる。

蔦上の葉を茂らせて、白い花があちこちに咲いていた。だが、死刑台の周りだけは綺麗に刈られている。血で白い花が汚されるのを、誰しも見たくないからだろう。花は顔を寄せれば、ほんのりと良い香りがしたが、その甘い香りを喜ぶものも、この場には誰もいなかった。

 広場の周りには柵があった。だが、ところどころは通れるようになっていて、形だけのものに見えた。そのかわり、切れ目の所には二名ずつ城兵が立った。

 二の城壁に近い場所には、やぐらに組んだ狼煙台が立っていた。その下にも城兵が配されている。こうしてみると、兵士の数は相当に多くなっていた。

 晴天の光の中、湿り気を帯びた風が渦を巻いた。その景色は、どこか現実離れした白々しさを湛えていて、人々は、今からこの場所で陰惨な儀式が行われる事が、半ば信じられないような面持ちになっていた。

 だが、それはまぎれもない現実だった。

 囚人が運ばれてきた。

 ラディナスは、明らかにやつれて見えた。この場に自分が立たされることの意味を、まだ模索しているようにも見えた。だが、彼は自らの足で歩き、荒ぶる素振りも一切見せることなく、静かに死刑台へと、身を任せた。

 それは、彼の覚悟だった。

 彼は潔白を主張した。だが、受け入れられず、裁きという裁きを受ける事も無く、突然に死罪を言い渡された。死罪を告げる皮紙には、城の要人がこぞって連名を入れていた。それが本当に当人の書いたものであるかはわからないが、これが運命かと、彼は悟った。

 かつて、彼は罪を犯した。

 心の不義を犯した王妃を、その想い人が奪い去るのを、戦いもせずに逃した。どんな理由があったにせよ、主君である偉大なる王に彼は背いた。これは、きっとその罰なのだ。

 円卓の騎士の生き残り。

 その言葉は、決して名誉ではない。

 偉大なる王の戦いに、参じる事すら出来なかった、恥ずべき称号だ。

 それが、今日終わる。それだけの事だ。

 重い音がした。

 オヴェウスの足音だと、彼にはすぐに分かった。

 自らの命を絶つのが、サバージュの息子となる。これほど皮肉で、これほど自分にあった死に方は無い。

オヴェウスの事は見下げ果てたが、それでも、恩人の子が自分の首一つで生き残るのなら、それはそれで仕方のないことかもしれない。どうせなら、誰も恨まずに逝きたいものだ。

 「オヴェウス卿か」

 顔を上げることも出来ずに、ラディナスは訊いた。

 緑の衣服に包まれた太い両足が見えた。

 「ラディナス卿よ、これも、奇縁という奴だな」

 オヴェウスの声が耳に届いた。

 彼はラディナスの隣に立った。牢に繋がれていたせいか、恩人の背は随分と細く見えた。

 「なあラディナス卿よ、あんたは口煩くて、面倒な男だとは思っていたが、こうみえて、恩には思っていたぞ」

 想像だにしなかった言葉を聞いて、ラディナスは肩をぴくりと震わせた。

 「そうか、それならば、良かった」

 「あんたは俺を騎士にしてくれた。いや、騎士に戻してくれた」

 オヴェウスの言葉は続いた。

 オヴェウス自身、不思議な感慨が浮かんでいた。この男を、俺はどうやら嫌ってはいなかった。それだけは自分にも理解できた。だが同時に、この男の命を自分が奪う、という現実が、どこかで彼の心を興奮させていた。

 「俺は騎士の子だ。誰一人それを認めはしなかったが、あんただけは俺を信じてくれた。だから、俺はあんたをこのカラドボルグで殺すと決めた」

 「そうか、その剣を使うか」

 ラディナスは、それは当然の事だと思った。カラドボルグは、親愛なる者を殺す剣。もし彼に少しでも礼を尽くす気持ちがあるのなら、その剣こそが自分の死に相応しい。

 だが、次の言葉が、ラディナスから全てを失った。

 「感謝している。この俺を、ベイリンを殺した俺を、騎士にしてくれたあんたにな」

 オヴェウスは言った。

 ラディナスには見えなかったが、彼が笑ったと、ラディナスには分かった。

 剣が振りかぶられた。

 「オヴェウス、貴様!」

 ラディナスの絶叫が響いた。

 

 オヴェウスが、ラディナスの首に、剣を振り下ろす瞬間。

 グリンガレットが、サヌードへと、剣を振り下ろす瞬間。


 オヴェウスは、飛来した矢にその手を射抜かれた。

 グリンガレットは、手を貫かれた痛みと衝撃に、腕を弾かれ、剣を落とした。


 空を切り裂く音がした。

風が鳴り、木々が揺れた。

 一筋の閃光を放って、一本の矢がオヴェウスの手を正確に貫いていた。

 広場を見下ろす狼煙台の上に、彼女はいた。

 白い花の香りが舞う。

 日差しを受け黄金に煌めく髪をなびかせ、そこに立つすべての者を水晶の瞳に映しこみながら、デリーンは立っていた。

細くしなやかな指が、弓を引き絞り狙いを定める。

 「ごめんよ、グリンガレット!」

 叫びながら、二本めの矢を放った。

 その矢もまた、正確にオヴェウスの右の掌を打ち貫いていた。

 オヴェウスは猛烈に飛来する矢の衝撃に体勢を奪われ、仰向けに倒れた。

 「何者だ、捕えろ!」

 騎士が叫んだ。

 城兵が血相を変えて、狼煙台に向かう。その間隙を突いて、二つの人影が死刑台へと駆けた。走りながら邪魔になるフードを脱ぎ捨て、背にした双剣を抜き放つ。

 瞬く間に数名の城兵を斬り倒すと、台上に飛び乗った。

 狼煙台に向かった城兵もまた、思わぬ反撃にあっていた。狼煙台の下に立つ二人の城兵が、急に斬りかかってきた。いつのまにか、ベリナスの部下が入れかわっていたのだ。

 「マイルス、ラディナス卿の枷を、外せ」

 ベリナスは死刑台のラディナスに背を向け、守るように立った。

眼前に、腕に刺さった矢を抜き捨てながら、オヴェウスが立ち上がっていた。

 「貴様がオヴェウスか、なるほどな、不死身とは聞いていたが」

 呟くベリナスに、

 「手前、何者だ」

 オヴェウスは野獣の猛りを浮かべた。

 ベリナスは強敵を眼前に立たせたまま、ちらりと背後のラディナスに視線を送った。

 枷は頑丈で、自由になるには、多少時間がかかりそうだ。

 ベリナスはふっと笑った。どこか自嘲めいた笑みにも見えた。

 「本当はそのつもりもなかったが、いざ目の前にすると、武者震いがするな」

 「はあ、何を言ってやがる」

 オヴェウスがカラドボルグを持ちなおした。

 「ギルバーンの旦那、初にお目にかかる」

 ベリナスは双剣をオヴェウスに向けた。

 「そしてオヴェウス、貴様には因縁がある」

 海から吹く風が、一瞬湿り気を帯びた。晴天にも拘らず、遠雷の音が低く聞こえる。

 オヴェウスは、初めて見る相手の顔を、じとりと睨んだ。

 「デリーンの恨み。そして、さしたる義理も無いが、叔父貴の仇。とらせてもらう」

 「誰の、・・・仇だと?」

 野獣めいた瞳が、微かに怯んだ。叔父貴? 確かにベリナスはそう言った。

 「我が名はベリナス。・・・ベルリアード・ゲオレウス・サバージュ」

 愕然として、オヴェウスは口を開けた。ラディナスもまた、傍らに立つ見知らぬ剣士を、信じられない思いで見上げた。

 「いざ、参る」

 ベイランの息子は、双剣を掲げ、オヴェウスへと身を躍らせた。

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