新19話 彼の過去は

 周囲から、色々な声が響いていた。

 それは、恐怖や痛みからくる叫びである。


「ルーゼ! ここに隠れていなさい!」

「絶対に出て来てはだめよ。声を出すのも駄目。じっと何もしないでいて」

「父さん! 母さん!」


 父親と母親に、戸棚の中に押し込まれたルーゼは、必死に声をあげながら、抵抗していた。

 外には、魔族の軍勢が迫っている。このままでは、父と母も殺されてしまうだろう。


「大丈夫、僕達もすぐに隠れるよ」

「そうよ。大丈夫だから、安心して」


 子供のルーゼでも、それは嘘だとわかった。家の中に、すでに魔族は来ているのだ。最早、隠れるような時間はない。


 しかし、ルーゼの言葉も聞かず、父親と母親は戸棚の戸を閉めてしまった。しかし、戸棚の戸は立て付けが悪いのか、完全には閉まっていない。そのため、隙間から、外の様子が見える。


「窓を開けておこう。そこからルーゼが逃げたのだと思わせるんだ」

「わかったわ」

「僕は、廊下の様子を確認するよ」


 母親は窓を開け、父親はその反対側から様子を伺っていた。


「まずい! 悪魔が迫ってきている」


 二人に、逃げるという道はないだろう。なぜなら、外も魔族に溢れているからだ。何より、ルーゼを置いて逃げるなど、二人にはできないはずだろう。

 それは、ルーゼにすらわかることだ。


「君も隠れるんだ!」

「あなたも、隠れましょう」


 二人は、隠れられる場所を探したが、子供のルーゼならともかく、大人の二人が隠れられる場所などこの家にはない。


「ここにも人間がいたぞ!」


 二人が迷っているうちに、悪魔が現れていた。

 悪魔は、手に持った槍を二人に向けながら、ゆっくりと近づいていく。


「観念しろ。貴様らはもう終わりだ」

「くそっ!」


 父親は近くあった椅子を投げつけ、悪魔を攻撃した。


「ふん!」


 しかし、悪魔は椅子を片手で払う。

 さらに、その槍で父親を貫いた。


「ぐうっ!」

「あなた!」

「貴様もだ!」


 悪魔は父親から槍を引き抜くと、今度は母親を貫いた。

 赤い血が飛び散り、辺り一面が血の海が生まれる。


「ああ……」

「う、やめ、ろ……」


 二人の体から、力が抜けていく。

 最早、助かるはずもないだろう。

 やがて、二人は動かなくなる。 


「おい! こっちはどうだ!」

「ああ、二人仕留めたぜ! もう誰もいないみたいだ」

「よし、じゃあ、次に行こうぜ!」


 仲間の悪魔に呼びかけられ、その悪魔は去っていった。


「……」


 ルーゼは一連の出来事の間、幸か不幸か、声をあげることができなかった。

 声も出ない程、ルーゼの心は揺さぶられていたのだ。そのショックから、ルーゼは放心状態に陥っていた。

 そのまま、ルーゼは一心に両親の亡骸を見つめながら、固まっているのだった。


「……」


 そのまま、どれ程の時間が経ったのだろうか。段々と、周囲が静かになっていくのをルーゼは感じていた。

 そして、数人の足音が聞こえてくる。


「あ、ああ」

「この家も……」


 戸棚の隙間から、数名の人間が見えた。父親と母親の亡骸を見ながら、声をあげている。その中の一人は、周囲を見渡し呟いた。


「この家には、息子が一人いたんだ。その子が、ここにいないなら……」

「どこかに隠れているかもしれないってことか……」

「すぐに、探そう!」


 人間は、辺りを探し始める。

 ルーゼは、声を出そうとしたが、やはり声が出なかった。代わりに、体を動かそうとしたが、体も動かない。


 しばらくして、戸棚の近くに人の気配を感じた。そして、戸棚の戸に手がかけられ、開け放たれる。


「……」

「……っ! おい、この戸棚の中にいたぞ!」

「何だって!」

「君、もう大丈夫だ!」


 人間達は、慎重にルーゼを戸棚から出した。

 その間も、ルーゼは何も言えない。


「君、聞こえているか?」

「……」

「だめだ! ショック状態のようだ」

「すぐに、医者に診せよう!」


 その者達に連れられて、ルーゼは家を出るのだった。




◇◇◇




 事件から数日後、ルーゼは回復していた。

 声が出せ、体も動かせるようになっている。


「ルーゼよ、良くなってよかったよ」

「ザムエルさん……」


 ルーゼの目の前には、同じ町で暮らしていたザムエルがいた。ザムエルは、事件時、町の外に用事があったため、難を逃れていたのだ。


「町は、どうなったの?」

「ルーゼよ。残念なことじゃが、あそこに帰ることは、できんじゃろう」

「ま、町の人は……?」

「ほとんど残ってはおらん。わしらは、隣の町に、受け入れてもらえることになった。ルーゼよ、お主は、わしが引き取ることになった」


 ルーゼの質問に、ザムエルは悲痛な面持ちで答えてくれた。

 もちろん、ルーゼもわかっていなかった訳ではない。だが、事実を告げられるのは、衝撃的だったのだ。


 ザムエルはルーゼにゆっくりと近づき、腰を下ろしてくる。


「ルーゼ、よく生きていてくれた。お主の命が助かって、よかった……」

「ザムエルさん、父さんと、母さんが……」

「……ルーゼ、気を強く持つのじゃ。二人は、命を懸けてお主を救ったんじゃ」

「ザムエルさん……僕は……」


 ルーゼの目から、涙が流れていた。それは、事件から、初めて流した涙だ。

 それと同時に、ルーゼの心の中で、ある感情が芽生えていた。それは、とても激しい感情である。


「僕は、悪魔を許さない……」

「ルーゼ?」

「父さんと母さんを殺した悪魔を、一体残らず、僕がこの地上から消し去ってやるんだ!」

「ルーゼ、落ち着くのじゃ……」


 ルーゼの心は、憎しみに満ちていた。

 自身の両親を殺した悪魔を、絶対に許すことなどできないと思ったのだ。


「ザムエルさん、僕に戦いを教えてくれ! 力が欲しいんだ!」

「ルーゼ、落ち着くんじゃ。気を、しっかりと持つのじゃ」


 ザムエルの声が響くが、ルーゼには届かなかった。

 何を言われても、魔族への憎しみを捨てることなどできないと思っているのだ。


「お願いだ、ザムエルさん、お願いだ……」


 ルーゼはザムエルの体を掴み、揺さぶった。

 すると、ザムエルの表情が変わっていく。

 その表情は、一種の諦めのようにも見える。


「……わかった。ルーゼ、お主にわしの剣技を教えよう」

「ザムエルさん……! ありがとう」

「ただし、それは、復讐のための力などではないのだぞ。自らを守り、他者を守るための力なのだ。それをはき違えてはならんのだ」


 その時、ルーゼはザムエルの言葉などまったく聞き入れていなかった。

 だが、恐らくザムエルもそれはわかっていたのだろう。その上で、いつか、ルーゼがわかってくれる日が来ると信じて、その言葉をかけてくれたのである。


 今になって、ルーゼはそう思うのだった。




◇◇◇




 激しい痛みの中で、ルーゼは思考していた。

 そして、誰にも聞かれないくらいの小声で、ゆっくりと呟く。


「同じなんだ……ドレイクは僕と」


 ルーゼは、ドレイクの攻撃を躱し続けながら、過去のことを思い出していた。

 人間に親を殺され、人間全体を恨むドレイクは、全ての悪魔を消し去りたいと思った。それは、過去のルーゼと同じなのだ。


「人間よ! 貴様程度が、この俺に対応できるはずはない! 大人しく貫かれるがいい!」


 ルーゼはすでに、いくつかの傷を負っている。体力はすでに限界近く、精神力で躱すしかなかった。

 そもそも、ルーゼは基本的に剣士だ。剣がなければ、戦闘能力は大幅に落ちてしまう。例え剣があっても、ドレイクには勝てないだろうが、稼げる時間が違ったはずだ。


「ああ!」

「何!?」


 ルーゼは体を倒しながら、ドレイクの懐に入り込む。そして、両手で、ドレイクの腕を掴んで、動きを封じた。一か八か、説得するしか道はないのである。



「小賢しいまねを……」

「はあ、はあ、はあ」


 ドレイクは力任せに、振りほどこうとする。ルーゼは、数秒しか稼げないことを理解した。その間に、ドレイクを説得しなければならない。


「ドレイク! 聞け!」

「貴様の言葉など聞くに堪えん!」

「僕は、君と同じなんだ!」

「なんだと!」


 ルーゼはその時、ミシェーラのことを思っていた。先程の魔弾で、魔力を使ったため、今は動けずいるだろう。

 彼女には、隠していたことだった。気を遣われたくはなかったからだ。こんな形で、彼女に伝わるのは、少々気が引けた。だが、今はそれどころではない。


「僕の両親は、悪魔に殺されたんだ!」

「な、何……?」

「君の気持ちはよくわかる。だけど、それじゃあ、だめなんだよ……」


 ドレイクの動きが止まった。その目を見開き、ルーゼを見ている。

 その言葉に、動揺している者がもう一人いた。


「ルーゼ……?」


 こうして、ルーゼはドレイクの説得を始めるのだった。

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