第14話


「はい、お兄ちゃん。あーん」


つとむ、そこの胡椒取って」


「もうッ! 口移しじゃないと嫌だなんて。ちょっと待ってね!」


「やめんかッ」


 すなおを連れて三人でやってきたのは近所の小さな洋食屋。俺が生まれるどころか、両親が結婚してこの街に引っ越してくる前から店を開き続けているオーナーは年齢不詳の爺さんだ。ちなみに若いというわけではない。シワシワすぎて逆に何歳なのか判断が付かないだけだ。


勇気ゆうきも諦めてキスぐらいしてあげたら?」


「だから。……いやおかしいだろ!? あーんぐらい、じゃなくてどうしてキスになってんだよ!」


「「チッ」」


 こいつら……ッ

 爺さん自慢のエビフライ定食は800円という安さで巨大なエビが二尾も入ってサラダとスープまで付いてくる。正直よく潰れないなと思うのだが、半分趣味だからと爺さんは笑っていた。

 一尾を半分に分けて直と勉の皿に放り込みながら、勉の皿からカニクリームコロッケを半分失敬する。


「今日はこの後どうする」


「そうだねぇ……、サッカーでもしようか」


「却下だ」


 さっきの話を聞いてうんと言うやつが居たら連れてこい。


「お兄ちゃんの部屋でイチャイチャしよう!」


「それじゃあ僕は食べたら退散かな」


「しない」


「お外……!?」


「勇気……、あまりとやかく言いたくはないが公共に反することは」


「しねえよ!!」


 安さと量、なにより味のほかに俺たちがよくここへやってくるのは、俺たちが一緒に居ても変な目で見る連中がいないからだ。

 この辺の住人はさすがに俺の家族と俺の関係を理解している。直のせいで血が繋がっていないことも含めて。だからこそ、美男美少女の二人と一緒に居ても変な目で見てくることが少ないんだ。爺さんが睨みをきかせてくれることも大きいのかもしれない。

 俺と直で昼飯を食べている時に偶然初めてやってきた大学生たちが俺のことを馬鹿にした途端に爺さんの出刃包丁が彼らのテーブルに突き刺さったこともあった。


 本当に、良い人なんだと思う。

 多分犯罪だから止めてほしいけど。


 こんな顔だからこそだろうか。

 人の親切が人一番温かく感じられる気がするんだ。それを申し訳ないと卑屈になっていた時、父さんがその申し訳ないをありがとうに変えていくんだよと教えてもらったこともあった。


 俺たち家族と勉の思い出が詰まった大切な洋食屋。

 がらんごろん、と新しいお客を告げるベルが鳴ったと思えば。


「げ」


「あ」


「うん?」


「こんなところに居たのね、探したわよ」


 どうしてあんたはそんなに偉そうなんだ。

 仁王立ちで俺を見下す魔王緑苑坂の姿がそこにはあった。


「いらっしゃい。お嬢ちゃん、坊主たちの友だちかい」


「クラスメートです」


「そうかいそうかい。探してたってことは用事かな。おおぃ、どっちか知らんがこんなべっぴんさんに手間かけさせるもんじゃないよぉ」


 事情を知らない爺さんをどうして責めることが出来ようか。

 むしろ客でもないくせにあいつはどうして堂々と店の中に居ることが出来るんだ。しかもどうしてこっちまで歩いてこれるんだ。やめてくれよ、他のテーブルの客までこっちを見ているじゃねえか。


 勉が心配そうにこっちを見ている。助けた方が良いかと送られる彼の視線に、大丈夫だと視線で答える。長年の付き合いだからこそ出来る技だ。

 誰求めることの出来ない悪魔がテーブルまでやってきて、その口を、


「どなたですか」


 開くことが出来なかった。


「すなっ」


「お兄ちゃんは黙ってて。クラスメートって言いましたよね。じゃあ先輩ですか」


「誰、この子」


「ええと」


 見るからに緑苑坂りょくえんざかの機嫌が悪い。話し出すのを邪魔されたのがそんなに腹が立つのだろうか。自分は他人の話を一切聞かないくせに。……聞かないからか。


赤神あかがみ すなお。お兄、勇気お兄ちゃんの妹です」


「ふぅん、貴方のいもう、妹!? 嘘でしょ!? あり得ないわ、どういうことよ! DNAへの侮辱にもほどがあるわ!?」


「気持ちは分かむがっ」


「何がですが!! あたしとお兄ちゃんのどこに侮辱があるって言うんですか!!」


「似ていないなんてレベルじゃないわ! 同じ生き物としてあり得ないのよ! 貴女とソレの顔はっ」


「確かにあたしは美少女ですがッ」


 こいつのこういう所は妹ながらにすごいと思う。


「お兄ちゃんも超イケメンだから良いじゃないですかッ!」


 こいつのこういう所は妹として駄目すぎると思う。家族としてフォローしてくれる気持ちだけはありがたいが。


「……貴方の妹、目がおかしいのかしら」


「残念ながら健康体だ」


「そう、脳がおかしいのね」


 否定しにくい。


「誰の脳がおか、……ぁ、ぁぁああああ!!」


 人様を指で指すもんじゃない。たとえそれが悪魔であろうとも、人の形はしているんだから。


「どこかで嗅いだと思えば、貴女の臭いはこの間お兄ちゃんの身体から微量に漂ってきた臭いと同じ!!」


「直ちゃんは鼻が効くんだなぁ」


「待て、勉。逃げるな、一人だけ飯に逃げるんじゃない」


「に、におい……?」


 おお……ッ! あの緑苑坂が絶句してしまっている。すごいぞ、直。内容が内容でなければ褒めているところだが内容が内容なのであとでシバく。


「こ、ここここの泥棒猫!! あたしからお兄ちゃんを取る気なのね!!」


「は? なッ! なんて侮辱! 最低だわ! 最悪でしかないわ! どうしてこの私がこんな気持ち悪い芋虫以下のゴミを取らないといけないのよ!」


「さっき探していたって言ったじゃないですか!! 口ではそっけないことを言っておいてお兄ちゃんにベタ惚れなんだ! 気持ちは分かるよ! だってお兄ちゃんは超かっこいいもん!! でも駄目! 絶対に駄目!! お兄ちゃんはあたしのだって生まれた時から決まっているんだもん!」


「モテモテだなぁ、坊主」


「頼むよ爺さん……、前の時みたいに二人とも追い出してくれ……っ」


「自分のことを好いてくれる女から逃げるなんて男のすることじゃねえぞ」


「じいさぁぁああ!」


「一度病院に行ってきなさい! 貴女の目と脳は腐っているわ! あれがかっこ良いだなんて聞くだけで悍ましくて吐き気がする!」


「じゃあどっかへ行ったら良いじゃないですか! あたしはお兄ちゃんとイチャイチャして結婚式挙げてどこへハネムーン行くかこのあと決めないといけないんですぅ!!」


「用事があると言ったでしょう! あんなゴミでも居ないよりはマシなのよ! すぐ済むから貸しなさい!」


「ほらぁ!! お兄ちゃんとデートする気なんだ! 信じられないこの泥棒猫がぁぁ!!」


「デッ!? い、いい加減にしなさい!! 年下だからって優しくしてあげれば調子に乗って!! だいたい妹なんでしょう、貴女! 結婚なんて出来るはずがないじゃない! いくつか知らないけれど現実を見なさい! 兄妹そろって恥知らずね!!」


 待て。その場合、俺が知らない恥はこの顔でも外に出ていることか? あと、直も俺が突っ込まないからって勝手なことを言うな。


「お兄ちゃん!!」


「貴方!!」


「この雌猫ぶっ飛ばして!!」


「このおかしな妹を追い出しなさい!!」


「……勉」


「うん?」


「サッカーしに行こうか」


「おっと、持病の癪が……」


 今度何かあったら助けてやるって言ったくせに……ッ!


 さすがに二人は無理!!


 視線で会話する俺たちを余所に、二人の女子による戦争はヒートアップし続ける。

 終わりが見えない二人の争いを無理矢理終わらせたのは直のほうからであった。


「ごちそうさま! 行くよ、お兄ちゃん! 橙山先輩!」


 話しても無駄と判断したのか、直が取った行動は自らがこの場を去ることだった。うん、もうちょっとヒートアップする前ならめちゃくちゃ正しい行動だと思う。


 相手が兄とその友人だからといって奢られることを当然と思っていない彼女は誰よりも先に財布を取り出している。こういうところも良い子に育ったよなぁ……。


「直の分は俺が払うから」


「ありがとうお兄ちゃん! 御礼はちゅぅで良いよね!」


「自分の分は自分で払え」


「ちょっとッ!!」


 美少女の妹との間にこれまた美人な緑苑坂が割り込んでくる。という状況だけを見れば男としてこれほど嬉しいこともないのかもしれないが、中身を知っていると残念で、俺の顔面のことを考えると周囲に申し訳がない。


「その残念な妹さんとこれ以上話す気はないわ。これを見なさい」


 突きつけられるのは彼女のスマフォ。

 地図アプリのようなソレには、現在俺たちがいる場所に二つの点滅する光。そして、


「近いわ」


 少しずつ、速さからして徒歩だろうか。

 確実にこちらへと近づいてくる一つの光があった。


「巻き込みたくないのなら付いてきなさい。良いわね」


「良いわけありませんーッ! お兄ちゃんはこれから」


「勉、悪いけど直を頼んだ」


「お兄ちゃん!?」


「それは構わないけど……」


 驚きを通り越して絶望している直と困惑しながらも俺の言葉を了承してくれる勉、いつか二人にはしっかり説明しないといけないのかもしれないが、そもそも部外者にどれだけ説明しても問題ないのだろうか。

 結果的に参加したとはいえ、部外者であった俺に緑苑坂が説明したのだからある程度は許されそうなものだけど。


「すぐに戻るから家に帰っておいてくれ」


「離してください橙山先輩! お兄ちゃんが! お兄ちゃんを守らないとッ!!」


 愛されていると思うべきか、頼りないと思われていると思うべきか。

 兄として後者は嫌だとは思うのだが、どうにも後者だろうなと自分に自信が持てなかった。持てるわけもないんだが。

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