第3話


「あとは俺一人でやっておきますよ」


「そ、そう? それじゃあ御言葉に甘えようかな」


 そそくさと帰る先輩の背中にほっとしたのは、いったいどちらなのだろうか。三年の図書委員の先輩は俺と二人っきりだった空間から抜け出して安心しているだろう。気まずいと思っていることが分かっている空間で一人になれたことに俺は安心している。

 悪い先輩ではない。むしろ優しい良い先輩だと思う。それでも、彼女は俺の顔を見ようとはしない。

 初めて会った時に小さく悲鳴をあげられたことは悲しくないと言えば嘘になったが、あとで知ったが彼女は当時痴漢被害に悩んでいたそうで、俺の酷い顔に痴漢を連想してしまっていたのだろうと悪いことをしてしまった気持ちにすらなってしまう。


 誰もが組みたがらない俺と何度も図書番をしているあたり、貧乏くじを引いてしまうタイプなのだろうと同情してしまう。


 俺が居る時の図書室は閑散としている。どうにも俺の顔がちらついて本を読む気分を害してしまうの原因らしい。後片付けが早く済むので楽でもあるが、自分の顔が他人に迷惑をかけている事実に少し泣きたくもなる。


 全部で三個設置してあるごみ箱のゴミを集めて袋に詰める。教室と比べると大した量ではないが、それでも二日と置いておけば袋一個分のゴミは集まるものだ。


 ゴミ捨て場に捨てればあとはもう帰るだけ。

 委員で遅くなる時は直には絶対に待たないようにと厳命しているので条件でひどい目にあったが、委員のある日だけはゆっくりと静かな下校が出来る楽しみの日でもあった。


 うちの学校のゴミ捨て場は、校舎から少し離れている。裏門から業者が入り易いように大きめの駐車場のスペースを確保するためらしいが捨てる学生の身としては困りものだ。

 冬と比べれば随分と日が長くなったとはいえ、すでに空は茜色に染まり切っている。離れたグラウンドから運動部の掛け声が聞こえてくるのだが、それでもどこか静かで恐ろしい雰囲気が漂うのは夕暮れの学校というシチュエーションのせいなのだろう。


 最近暗くなると変質者が出ると担任がHRで注意していた。俺の場合は、変質者に間違われる方が恐ろしいのだが、どちらにせよ早く用事を済ませて帰るに限る。


「ぁ?」


 たまたま目に入ったのは俺以外にゴミ捨て場へと向かう生徒の姿。こんな時間に他にゴミを捨てる人間なんて今まで居たことがないのに。

 凛と歩くその後ろ姿には、見覚えがあった。


「あれ……、緑苑坂りょくえんざかだよな」


 俺も勉も色んな意味で有名人だが、彼女もまたこの学校で知らぬ者が居ない有名人であった。

 緑苑坂愛りょくえんざか あい

 学年は俺と同じ二年で、勉を抑えて学年一位の座を我が物としている、だけではなく、全国模試でも常に上位を取り続けている所謂天才である。

 整った顔立ちと腰まで届く美しい黒髪、凛とした佇まいに現代に生きる大和撫子とまで言われそうになったこともある。

 なった。つまりは言われていないのだが、それは彼女の持つキツすぎる性格が原因で、大和撫子は内の強さを持つと言われているが、彼女のそれは内に秘めているには強すぎた。興味本位で彼女に話しかけ、絶対零度の対応に幾人もの人間が沈められていくことになる。


 俺とはまた違った意味で人から敬遠されており、俺とは異なりその状態を彼女は好んでいる。


 まるで漫画世界の氷の女王さながらの彼女が、どうしてこんな時間にこんな場所に居るのだろう。


 いま思えば親父の言うことをここで思い出しておけば良かったと思う。

 今日の俺は女性運が最悪なのだとせっかく言ってもらっていたのに、だ。それでも、変質者が出るかもしれないという情報に心配になってしまったのだから仕方がないだろうと言うしかないのかもしれない。


 声を掛けるべきか悩んでいる間にも彼女はどんどんと先へ歩いていってしまう。慌てて追いかけるのだが、予想以上に彼女の足は速くむしろ走らなければ追いつきそうにもなかった。

 経験上遠くから俺が声を掛けると皆悲鳴をあげて逃げて行ってしまう。ある程度向こうが気付いてくれるようにそれでいて俺が追いかけているわけではないのだとアピールしながら注意深く声をかけないといけない。こんな時でも不細工な顔がそれはもう色々と邪魔をしてくれる。


 ようやく彼女が足を止めたのは、ゴミ捨て場からさらに先にある業者用の駐車場だった。


「いい加減に出てきたらどうなのかしら。鬱陶しいったらありゃしない」


 どう声を掛ければ一番驚かさないか陰に隠れて考えていた俺はぎょっとする。別に気配を殺すなんて真似が出来るわけではないのだが、それでも彼女との距離はそれなりに空いていたので気付いているわけがないと思っていたのだ。


 だが、気づかれている以上は隠れているわけにもいかない。隠れていればいるほどに怪しさがまし、下手をすれば出て行った途端に悲鳴をあげられまた指導室まで連行させられる未来が待っているかもしれないのだ。


 せめて悲鳴は最小限であってほしいと望みをかけて一歩俺が踏み出すその前に、


「げぇひょっひょっひょ! さすがはといったところですかなァ? それがしに気付いていたとは」


 男が姿を現した。



 ※※※



「緑苑坂愛殿とお見受けする。これはこれは、噂以上に御美しいですなァ! しかし残念です、いまから貴女はそれがしの」


「さっきの音だけど、笑い声なのかしら」


「はい?」


「真似したくもないほど気持ち悪い音が出ていたようだけど、あれは笑い声のつもりなのかしら? だとすれば実に気持ち悪くて不愉快なのだけど、いままで指摘されたことはなかったのかしら」


「え、ぁ、いや」


「もしかして個性を出そうとしていたのかしら? 一人称がそれがしなのもそのせい? だとしたら滑稽ね」


「ち、ちがっ! それがしはそれがしだから! 別に無理をしてそれがしと言っているわけでも!」


「その慌てようからして図星といったところなのね。無理をして口調から個性を出そうとしている時点で貴方に大した個性は備わっていないわ。諦めなさい」


 停めてあったおそらく教師の車の影から飛び出してきたのは、小太りのおっさんだった。確かに、それがしなんて一人称が似合う見た目ではなかったし、そもそも今の時代にそれがしなんて一人称使うのは正直どうかと俺も思うわけなんだが、それをわざわざ指摘することもないだろうに……。

 可哀そうにおっさんは顔を真っ赤に口をパクパクと餌を強請る鯉になってしまっている。


「こ、こここ、小娘がァ! 調子に乗りやがってぇ! そ、それがしの!」


「だから、無理をしてそれがしなんて使わなくて良いと言っているのよ」


「うるさぁぁぁぁぃい!! わしの能力はァ!!」


「本当はわしなのね」


「ふぐぅぅぅ! 見てぷぎゃッ!?」


「どうして貴方の能力を待つ必要があるのかしら」


 何かをしようとしていたおっさんの顔面に野球のボールが突き刺さる。言うまでもなく緑苑坂が美しすぎるフォームで投げたのだが、……、今のはおっさんが何かするのを待っていてやるべきだったんじゃないのだろうか。


 次々と鞄からボールを取り出しては百発百中でおっさんの急所に突き刺していく。ぶつかった時の音から見ると、あれは硬球のほうだな。


「ぉ、おい! その辺にしておいてやれよ!」


「だれ、うッ!?」


 おっさんの顔が二倍に膨れ上がっていくのを見ていられなくなり飛び出した。新たに現れた俺へ敵意を剥き出したまま振り向いた彼女の顔がひどく歪む。ああ、そうだろうな俺の顔を見た人はみんなそんな反応をするんだよ。もう、見慣れたよちくしょう。


「何がどうなっているのか知らねえけど、もうおっさん泣いているじゃねえか。その辺で許してやれよ」


「ちょ、なに。え、貴方それ何の能力でそうなったの……、え、やだ、気持ち悪い」


「生まれつきだよ!? 悪かったな、気持ち悪くてっ!」


「……生まれつき? 嘘でしょ、そんな顔が自然になるものなの? あり得ないわ、生物への侮辱よ。吐き気を催す気持ち悪さよ、やめて、ちょ、近づかないでよ本当に気持ち悪い」


 ボールを投げられたわけでもないのに、おっさん並みに俺の心は傷ついていた。さすがに今までここまで分かり易く言ってきた奴らは……、小学生の時には居たか。ガキの頃って容赦ないしな……。


「俺の顔のことは横に置いておくとして、だ。もうおっさんにボール投げるのは止めてやれって、どうしてこうなったのかは知らねぇけど話し合いで解決出来るんじゃねぇのか?」


「貴方、もしかしなくても部外者? ……はァ、あのね。今ここで起こっていることはお気楽な人生を歩んでいる貴方には一切関係がないことなの。とても危険なことでもあるからいますぐにここを立ち去りなさい。ついでに、その気持ち悪い顔を二度と私に見せないで、吐きそうになる」


「関係ないけどそれでも見て見ぬふりはできねえだろ、さすがにひどすぎ、」


 ――ドス


「だから言ったのに」


「…………え?」


 おっさんを庇うように緑苑坂の前に立ちふさがった俺の腹から、太い何かが突き出していた。

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