第4話


 俺の腹から突き出した太い棒状の何かはそのまままっすぐ緑苑坂りょくえんざかを狙うが、彼女は冷静に数歩動くだけで回避する。

 その瞳は酷く冷ややかなものであった。


「こ、これがわしの能力『ペンは剣よりも強し』! お、お前の腹にも大穴開けてやる!」


 足に力が入らない。

 俺の腹を突き刺したそれが引き抜かれる勢いを堪えることも出来ずに倒れていくのが馬鹿みたいにゆっくりだった。


「物質強化系かしら? 随分とハズレな能力でそれほど自信満々とは恐れいったわ」


「余裕ぶっていられるのも今のうちだ! お前もペンは剣よりも強しくらいは知っているだろう!!」


「ええ、知っているわよ」


「ふひ、認めた」


「あり得ない言葉としてね」


「はひ?」


 どんどんと身体から血が流れ落ちていくのが分かる。寒い。

 目の前で血溜まりが出来ているというのに緑苑坂もおっさんも少しも気にしている様子がない。

 何かを会話しているようだが、音は聞こえるのに内容が頭に入ってこない。


「だってそうでしょう? ペンは剣よりも強し? どう考えても剣のほうが強いに決まっているわ」


 どうしてこうなってしまったのか。


「そっ、それはここでいうペンはつまり!」


 一人で歩く緑苑坂を心配したのが間違いだったのだろうか。


「武力よりも情報として届ける文章は人を動かすとでも言いたいのかしら? だとすれば、ペンではなく文章、もしくは新聞、いまならネットというべきではないかしら」


 俺みたいな不細工が、物語の主人公のような美貌を持つ彼女を心配するなんて場違いにも程があったのだろうか。


「ちがっ! だから! そこはペンということで!」


 それとも、おっさんを助けてあげようと思ったのが間違いだったのか。


「そもそも今貴方が認めたとおり、ここでいうペンはペン本体ではなくそれによって産み出されるもののことよね? 貴方自身が認めたことよ」


 カッコ良く助けられるとは思ってもいなかったけど、まさか後ろからそのおっさんに刺されるとも思っていなかった。


「ぁ、あっ」


 俺ごと貫けば緑苑坂を刺せると思ったのだろうか。それとも、やはり俺みたいな不細工に守られるのは気持ちが悪かったのだろうか。


「どうして剣よりも強いペンを創れるなんて信じられるのかしら。普通、そうは思わないわよね?」


 言葉の調子から緑苑坂がおっさんを攻めていることは分かる。

 あぁ……、目を開けていることも辛くなってきた。


「う、うわぁぁああ!!」


「はァ、この程度でもう終わり? 自分の言葉を信じることも出来ない素人に」


 見るつもりはないが、見ないようにすることも出来ずにただ場の光景が視界に映り続けている。

 おっさんが、手にした武器を緑苑坂へと突き出す。

 俺の腹を簡単に突き刺した貫通力を誇るそれを、


「言之葉遊戯に挑む資格はないのよ」


 彼女は、素手で受け止めた。



 ※※※



 死ぬんだと思った。

 身体は動かない。何か声を出そうとしても、こひゅーこひゅーと空気が漏れる音しか鳴らない。


 痛みはない、だけど、馬鹿みたいに身体が寒い。

 どくどくと血が流れていた感覚もさっきから分からなくなっていた。分からなくなったのか、流れる血がなくなったのかすら分からない。


「残念ね。まだ生きているんだ」


 声がする。もう、視線を向ける力も残っていない。


「…………はァ……、どうして私がこんな気持ち悪い物体のために」


 靴が見えた。

 もう一年以上見慣れた靴。高校指定の革靴。


「死にたくないのなら聞きなさい」


 興味の欠片も籠っていない冷たい音。

 じゃあ、どうして声を掛けてくるのか分からない。


「このまま何もしなければ貴方は死ぬわ。間違いなく」


 それはそうだろう。

 腹に大穴が開いて死なない人間が居るのなら見てみたい。


「つまりは、まだ貴方は死んでいないの。どれだけ重い傷だろうが、貴方はあの一撃で死ななかった。そうよね」


 だから何だと言うんだ。


「納得しなさい」


 ……、まだ生きているんだろうさ。

 でも、もう、それが……。


「『死ぬこと以外かすり傷』」


 薄れゆく意識の中で、最後に彼女が何かを呟いた……、気がした。



 ※※※



「ゆうぎょォ!?」


「お兄ちゃんッ! お兄ちゃん、お兄ちゃん! ヤだァァ! 死なないで、死なないでお兄ちゃぁぁ!!」


「こ、腰が……、落ち着きなさいすなお、眠っているだけだ」


「お兄ちゃんが居ない世界なんてあたしも死んでやるぅぅ!」


「聞きなさい」


 どうしてだろう。

 死んだはずなのに親父と直の声がする。もしかして俺は幽霊にでもなってしまったのだろうか。だとしたらどうすれば妹の自殺を止めることが出来るだろうか。

 あいつのことだ。本気で俺が居ない世界に興味がないとヤりかねない。


「呼吸も……、脈もしっかりしている。大丈夫、勇気は大丈夫だ」


「ほんとッ!? 嘘だったら針千本溶かした鉄を流し込むよ!?」


「そのまま飲み込むより実現可能な分本気度が伝わるね……」


 ああ、親父……。

 俺が生きていれば実の父親に阿呆なことを抜かす直の頭を叩いて止めてやれるんだが、悪いな死んだ俺に……、ん?


 脈がしっかりしている?


 そんな馬鹿な。だって、だって俺は腹を貫かれて、血がどばどば流れて。

 ん? いや、あれ? 手……、動く。足も、ん? ていうことはこれ、もしかして目を開ければ……。


「…………生きてる?」


「お。起きたかぃ、勇気? 自分が誰かは分かるかぃ? お父さんのことは分かるかぃ?」


「直だよ! お兄ちゃんの最愛のお嫁さんの直だよ!!」


「ああ、分かるよ親父。それと、直はここぞとばかしに嘘をつくな」


「お兄ちゃんだァァァ!!」


「ごふぉッ!? がッ!!」


「……大丈夫かぃ?」


「な、んと、か……ッ」


 抱き着かれた勢いに負けて、後頭部を地面にしこたまぶつけてしまう。視界のなかに光がチカチカと展開して、猛烈に痛い。

 ああ、痛い。痛いんだ。つまり、それは。


「俺、生きているん、だよな……」


「なにが、あったんだぃ」


「親父たちこそ、どうしてここに」


「夜になってもお前が帰ってこないから、お父さんと直で探しに来たんだよ」


「お兄ちゃんのはっし、匂いを辿ればすぐに見つけられたんだよ!」


 待て。

 いまこいつ、はっし、って言ったよな。発信機じゃねえよな? え、待って。怖い、ちょっと本気で待って。身体のどこかに発信機付けられているのか、俺!?


「それで、どうしてこんなところで勇気は寝ていたんだぃ」


「寝て……?」


 ようやく周囲を確認出来るほどに余裕が戻ってきた。俺が寝ていたのは、あの駐車場のど真ん中。

 そこには、緑苑坂の姿も、小太りのおっさんの姿もなく。なにより、あるはずの血溜まりがどこにも見当たらなかった。

 夜とはいえ、灯りもある。いくら掃除したからといってあれだけの血の量を痕跡も残さずに消し去ることなど出来るわけがない。


 だとしたら、俺が見ていたのはすべて夢だったのだろうか。

 夢じゃないと証明する証拠はどこにもない。言われ見れば、あれだけの傷にも拘らずそれほど痛くなかったようにも思える。


 でも、本当にそうなのか? あれは、俺が見ていた夢なのだろうか。

 あれだけリアルな感触があって、それでも、夢だったのだろうか。


 もし夢ではなかったとしたら、それじゃあどうして俺は、


「とにかく」


「ぁ」


 肩に置かれる親父の手。温かい親父の手。

 優しく微笑みかけてくる親父の顔が目に入った。


「無事で良かった。さぁ、母さんも心配している。みんなで家に帰ろう」


「今日もあたしがお兄ちゃんの身体の隅々まで洗ってあげるからね!」


「あれ、もう二人はそこまで進展していたのかぃ」


「そうだよ! もぉ、お父さんは何も知らないんだから!」


「そうかぁ……、勇気ももうそんな年になったんだなぁ……」


「だから人がツッコミいれないと際限なく頭おかしい方向に進むの止めろって言ってんだろうが!? 親父も少しは異常性に気付けッ!!」


 あれが夢だったのか。それとも、……。

 本当はどうかは分からない。分からないけれど、それでも、直の笑顔に今俺が生きているということだけははっきりと認識できる。


 深く考えるのは止めておこう。

 きっと、もしも万が一、あれがリアルだったんだとしたら、あれは……、俺が関わってはいけない何かのはずだから。


 君子危うきに近寄らず。

 俺は君子じゃないけれど、だからこそ平和に無難に生きるのが一番なんだと思うんだ。


 親父が俺の肩を支えてくれる。その温もりを感じながら、いつも以上に明るい声を出す直と三人でお袋の待つ家へと俺たちは歩き出した。

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