第5話
教室の時間が止まった。
本当に止まったわけではない、単なる比喩だ。だけど、教室に居る誰も動けなかった。ただ一点を信じられないものを見る目で見つめるしか出来なかった。
およそ三十名の視線を受けても動じずに、そもそも眼中にないどころか存在すら認識していないかのごとく、彼女はその美しい黒髪をかき上げながら、瑞々しく小さな口を再び開いた。
「聞こえていなかったのかしら。顔だけでなく耳まで不憫なの? だとすればどうしてそんなものが首の上に付いているのかしら。人を不快にさせるだけではなく二度も同じことを他人に言わせる労力をかけさせるような無駄なもの取ってしまったほうが良いと思うけど」
綺麗な花には棘があるなんて言うけれど、棘なんてレベルではなく毒と言ったほうが良い。それも人の心を一瞬で壊す猛毒だ。
プレッシャーで吐きそうになるのを堪えて俺はなんとか声をひねり出した。
「き、こえていたけど」
「あらそう。それなら返事をしなさい。見た目はアレでも人間としての知能は少しはあるのでしょう」
どう聞いても失礼な言葉であるのに彼女は当然とばかしに言い放つ。それはまるで自分以外の他人はすべて屑だとでも言わんばかりに。
「まぁ、まぁまぁ
「なぜかしら」
凍り付いた世界で助け船を出してくれたのは、
も、氷の息吹が彼の笑顔を吹き飛ばす。
「私はこの……、彼? に話しかけているのにどうして貴方は勝手に会話に入ってくるの? 誰がその許可を出したの。私? いいえ、違うわね。無駄な時間を割きたくないから黙っていてもらえるかしら、それで良いのよ」
「……ぁー……、ごめん」
謝罪は彼女にではなく俺に向かって。すごすごと退いた彼をどうして責めることが出来るのだろうか。
良いんだ、勉。こんな俺を助けようと動いてくれたことだけで俺は救われているのだから。こんな俺にも友達がいると事実だけで俺はまだ戦える。
「行くわよ」
踵を返して教室を出て行く。
ついて行かなければならないのだろう。きっと。
付いてきなさい。
さきほど昼休みに突入した途端に別クラスのはずの彼女がわざわざ俺のクラスにまでやってきて、俺の机の目の前で、俺を見ながら言ったのだから。
誰とも絡むことのない氷の女王が、顔の崩れ切った気持ちの悪い不細工である俺に声を掛けたという事実は、俺が出て行ったあともしばらくクラスメートたちの時間を止め続けるのであった。
※※※
「それで?」
本来であれば施錠されているはずの校舎の屋上。正確に言えばしっかり施錠されていたにも拘らず何食わぬ顔で鍵を取り出した彼女によって開け放たれた屋上。
もう春とはいえまだ肌寒い風が時折吹く屋上にまで俺を連れてきた彼女が、話の前後もなにもなくいきなり疑問文を投げかける。
「……それで、とは?」
「え。なに、もしかして分からないの?」
「昨日、の、こと……とか、かな」
「この私がわざわざ貴方のような気持ちの悪い存在に声を掛けるなんてそれ以外になにかあるとでも? もしかして告白されるとでも思ったのかしら、やめてくれる吐き気がするわ。このまま死んでほしいくらいよ」
出るわ出るわの暴言の数。しかもその口の速さには目も当てられない。
今時関西の芸人でももう少しゆっくり話すぞと言いたくなるほど口が回る回る。それでいて活舌が良いせいで聞き取り易いのだから不思議なくらいだ。
「良いわ。察しの悪い貴方にこれ以上任せていたら日が暮れてしまいかねないもの。昨日、貴方の命を助けてあげたの。それについて言うことは? あるわね、ありがとうございますよね。そこで頭を垂れて感謝しなさい」
「ぁ」
「貴方に感謝の言葉を言われても何の価値もないの。むしろその音を聞くために私の体力が消費されることのほうが迷惑よ」
じゃあ、どうしろって言うんだ……。
せめて金で解決出来れば良いのだが、悲しいかな俺はあまり金を持ち合わせていない。バイトしようにも悉く面接で弾かれるんでな。
「もしかしてじゃあどうしろとか考えていないでしょうね。命を助けてもらっておいてこのまま何もせずにさようならなんていくら貴方が人としてふざけて居る顔面らしき何かを持っている生物だとしてもしないわよね。ええ、それを聞いて安心したわ」
俺は何も返事をしていない。
きっと反論しても無意味なのだろう。無意味で済めば良いが100倍以上の反撃を喰らってしま得かねないためにひとまず黙り続けていることにした。この話の流れでいけば何か目的があって接触しているはずだからだ。
「とはいえ、貴方如きが私の望んでいる返しを思いつくとは思わないし、かといって適当な返しをされても非常にはだはだ迷惑。そこでこの優しい私が恩返しの方法を考えてあげたわ。優しさに感謝しても良いのよ感謝しなさい」
「ぃ」
「言之葉遊戯に参加して私が勝つ手助けをするの。良いわね、はい決定」
ん? いまこいつなんて言った?
「参加方法については後日、……そうね。明日、昼の十二時に駅前の子猫広場に来なさい。私もそろそろ食事をとりたいの。それじゃあ」
「まっ」
てくれ。
伸ばした手はむなしく虚空を掴むだけ。まさしく文字通り言いたいことを言うだけ言った彼女はこちらを振り返ることなく屋上を後にした。
「ぇぇ…………」
「勇気……、大丈夫だったか……?」
漏れ出た言葉は誰にも届くことがなく、と思っていたのだがひょっこりと扉から顔を出すイケメンがそこに居た。
「悪い、もうちょっと頑張って助ければ良かったかな。変な事言われてないか?」
他の人間であれば出歯亀だと思ってしまうかもしれないが、勉は本当に俺を心配して来てくれていたのだろう。教室で助けようとしてくれただけでなくここまで来てくれるとは、本当に友達想いのやつだ。
「言われた……のかなぁ」
「僕に聞かれても。階段下からじゃ会話も聞こえなかったし。え? 大丈夫なのか?」
「ぁぁ、いや、うん……。大丈夫だ、とは思う、けど」
「先生に相談に行くか? ついて行くけど」
「…………いや、良いさ。ちょっと気になることもあるし」
仮に教師に相談するとしても何をどう話せば良いか分からないしな。間違いなく俺の頭が湧いていると判断される未来しか見えてこない。
変人とはいえ見目麗しい緑苑坂と気持ち悪いほど不細工な俺であればどちらの味方をするかなんて考えるまでもないことだ。
「お前がそういうなら。でも何かあれば言えよ? その時は……、もうちょっと頑張って助けるから」
「はは、期待しとくよ」
「それじゃあ飯にしようよ。もう腹ペコだ」
「教室の連中どんな様子だった?」
「しばらく固まってたけど僕が追いかける時にはみんな大騒ぎだったよ」
「戻りたくねぇ……」
少し露骨に落ち込む俺に、勉は白い歯を見せて明るく俺の背中をバシバシと叩いた。
※※※
「どこへ行く気なのお兄ちゃん今日は
「行ってきます」
――おにいぢゃぁぁぁぁぁ!!
閉じた扉の向こう側から聞こえてくる断末魔、そして閉める前の一切息継ぎを挟まずまばたきすらせずに長台詞を言い続けてきた何かのことはきっと幻聴か何かだと思うことにする。
あの手この手で俺に言い寄ってくる妹は時折ヤンデレとかどうかな! とあんな調子になるので心配しても仕方がない。すればするほどこれなら構ってもらえると長引くだけである。
……、本当に我が妹ながら悲しい。
緑苑坂との約束を律儀に守るのは危険だと思うんだが、破ってしまえばより恐ろしい目に、それも俺の周囲まで巻き込んで会いかねないため俺は
彼女との約束の時間は十二時。そして今は十時。遅刻は当然として万が一でも彼女よりあとに着いてしまおうものなら何を言われるか分かったものではないため徒歩30分もかからずに着くことは承知の上で俺は家を出た。
これだけ余裕があれば多少の問題が起こっても大丈夫だと信じて。
そして。
「この私を40分も待たせるとは良い度胸しているじゃない」
俺が彼女と無事に合流出来たのは、12時37分のことであった……。
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