第6話


 徒歩30分もかからない。だけど万が一を考慮して電車で行こうと思ったのがいけなかった。最寄りの駅前の本屋にも寄れるしなと考えていた過去の自分を殴りたい。


「痴漢に間違えられて今の今まで拘束されていたと」


 遅刻したこと、待たせてしまったことは悪いことかもしれないがそこまで言わなくても良いだろうと心が死にそうになるほどの罵詈雑言を受け続けたあとようやく言い訳をさせてもらえる状態になったのだが、改めてこの理由を話すこと自体に情けなくて泣きそうだ。


「馬鹿じゃないの?」


 さすがに反論が出来ない。


「貴方のその気持ちの悪い顔を考慮すれば電車なんて公共の空間に居るだけで周囲をどれだけ不快にさせるかなんて一目瞭然。それだというのにわざと電車に乗るなんてはっきり言って公害よ。考えるということが出来ないのかしら」


 少し、反論したくなってきた。

 だが言いたいことは分かる。俺の顔が悪いのだ。どれだけ良いことをしようが初対面の人が好意を受け取ってくれたことはほとんどない。


「まぁまぁ、愛殿。その辺にしておきましょう、今日は大事な話があるのでしょう?」


「うわッ!?」


「貴方のような顔面の持ち主に驚かれると少々苛立ちが隠せませんね。いやいや、聞いていたものより実に……酷い」


「ほっとけ!」


 気配もなしにいきなり後ろから声を掛けられて驚かない人間はそうそう居ないだろう。振り向けばそこには見知らぬ狐顔の男が一人。言葉の内容と初対面だと言うのに遠慮なくぶち込んでくる悪口から緑苑坂りょくえんざかの知り合いであることは間違いない。


「遅いじゃない」


「お二人が揃うのをお待ちしておりましたので。すぐに声を掛けても良かったのですが、貴女の出るわ出るわの罵詈雑言に臆病者の小生は震え上がる子ウサギのようでありましたとさ」


「あの……」


「はい、如何致しましたか。おっと、失礼。うえぇぇぇ!! ……ふぅ、聞きしに勝る気持ち悪さに吐き気を我慢出来なくなりました」


「さすがにそこまでされたのは生まれて初めてだぞ!」


「仕方ないわね、貴方の顔はそれほど酷いのだから」


「悪かったな!!」


 なんなんだこいつらは!? 人の気持ちってものが欠落しているんじゃないのか!?


「さてさてさてはて、このままじっとしていることほどつまらないこともありますまいて」


「貴方の意見に同意することは癪だけどその通りね。移動するわよ」


 心底いますぐに帰りたい気持ちをなんとか押し殺すことが出来たのは、間違いなくこの迷惑極まりない連中は俺が帰るなんてするのを許すはずがないだろうという予測と、もしも帰れたとしても俺の周囲に何かしらの悪影響を及ぼすことに躊躇いがないという確信からであった。


「それにしてもどこで手に入れたのよ、そのスーツ」


「おや! 愛殿もこのスーツの良さが理解出来ましたか! これは驚きで御座います! 貴女様に美的センスと呼ばれる高尚なものが備わっておいでとは小生は驚き桃の木山椒の木で御座います!」


「馬鹿丸出しの金色に紫とオレンジのストライプが入ったそれを良いという貴方の狂気を美的センスと呼ぶのであれば確かに私には備わっていないわね。生き物としてそんな格好を出来ることに恥ずかしさを感じないのは欠陥品以外の何者でもないわ」


「幼い貴女の経験だけで美を語るということをさも当然と思えている矮小な貴女にはお似合いの感想に小生の腹は捩れて千切れてしまわんばかりですな」


「そのまま千切れて死んでしまわないかしら」


 待ち合わせ場所から適当な喫茶店へ入るまでたったの5分ほどである。にも拘わらず、その間二人のなじり合いが収まることは決してなかった。なんなんだ本当にこいつらは……。


 普段徒歩通学のため学校の最寄り駅をそれほど利用しないとはいえ、一年も通っていて存在すら気付くことのなかった小さな喫茶店は、性格に難のある二人が連れてきたとは思えないほど落ち着いた雰囲気溢れる空間で、迎え入れてくれた初老オーナーがまた良い味を演出していてくれていた。

 聞かれることもなく狐男が勝手に注文を終わらせてしまう。別になにか食べたいものがあるわけでもないので別に構わないのだが。


「昨日の話の続きといきましょう。貴方は私のために言之葉遊戯に参加するのよ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。その前に、その言之葉遊戯ってのはいったい何なんだ? 一昨日のことも夢じゃないんだよな。じゃあどうして俺は生きているんだよ」


「はァ……、貴方如きが私の意見を遮るだけでは飽き足らず質問までしようと言うの?」


「するに決まってんだろうがッ! 大体いきなり言われてはい分かりましたなんてなるわけが」


「そこまでで御座います」


「ッ」


「ちッ」


「双方思うところはあるのでしょう。良いですな、青少年のぶつかり合いと言うものはいつの世も滑稽で素晴らしい! とはいえ」


 優しげな微笑とともに初老のオーナーがカップを準備してくれる。立ち上がる湯気の香りが俺の心を落ち着けてくれるようだった。


「せっかくのお茶が冷めてしまう前に頂くことは礼儀でありましょう」


 狐男がオーナーとは打って変わってうさんくささしか存在しない笑みを浮かべていた。


「カモミールティーになります。お気持ちが、穏やかになりますよ」


「あ、ありがとうございます……」


「ふん」


 紅茶なんてオシャレなものをあまり飲まない俺でもこのお茶が美味しいことだけはよく分かる。口を開けば罵倒しか今のところ出てきていない緑苑坂でさえも、文句の一つも言わずに黙ってカップを傾けていた。


「落ち着かれましたかな。このまま愛殿に任せておけば太陽が消滅してしまっても話が完結しない様子。不祥この小生がご説明してあげましょう! 渋々!」


「は、はぁ……、えと、そもそも貴方はいったいどなたなんですか」


「おやっ! 名を尋ねる時はまず自分からと親御様に教わってこなかったのですかな!」


 うぐッ!

 確かに言う通りかもしれないが、それをこいつに言われるのは若干思うところがあるぞ。とはいえ、まあ、その通りか……。


「申し訳ない、俺は」


「小生は名をブランと申しまして、さきほど愛殿が仰られた言之葉遊戯に於いて愛殿の担当官を仕っておりまする。年齢は秘密でありますが趣味は盆栽と公園で遊ぶ子ども達のボールを遙か遠くまで蹴飛ばすことと実に平々凡々な身でありますな」


「殴って良いか、こいつ」


「止めておきなさい、無駄だから」


「それでは、言之葉遊戯についてご説明致しましょう。あれは、まだ日本が縄文時代と呼ばれていた昔のはなし」


 始まりから嘘くさいが説明を受けている身として茶々を入れるわけにも行かずに俺はブランと名乗る狐男の話を聞き続けた。

 まるで歴史の授業を受けているかの彼の話はどこまでも続いていく。


「そして彼の英雄織田信長公が今まさに腰の刀に手をかけたその時!!」


「なぁ」


「はて、如何致しましたかな」


 すっかり紅茶を飲み干して、気を利かせたオーナーが淹れてくれた二杯目も飲みきるそうになるほど時間が経過して俺は思わず声を挟んでしまった。


「その話は本当に言之葉遊戯に関係あるんだよな?」


「ありませんが?」


「殴って良いか、こいつ!!」


「勝手にすれば良いんじゃないかしら」


 無駄に歴史の復習になっちまったじゃねえか! 腹立つのが内容が面白い分確実にテストには出てこない範囲だってことだよ!!


「こほん、おふざけはここまでにしておきましょう」


「あんたがなッ」


「言之葉遊戯。それは、天界の娯楽なのですよ」


「てんかい?」


「天界。天の世界と書いて、天界。文字通り、貴方方人間が言うところの神の住まう土地で御座います」


 まずい、そういうことか。

 おかしな奴だとは思っていたが、つまりは緑苑坂の奴も含めて変な宗教に嵌まってしまっているということだろう。そしてこれは勧誘なのだ。


「宗教では御座いませんよ」


「ッ」


「よく勘違いされるのですがね。と、言いますか貴方自身に起こった事象を思い出してご覧なさい。あれが通常の常識で考えられることでしたか?」


 意識せずに俺は右手で腹をさすっていた。

 背中から腹にかけて貫かれたあの感触は今でも身体が覚えている。どれだけ夢だと思い込もうとしてもあの衝撃が嘘ではないと。じゃあ、どうして傷一つ残っていないのだと。


「ご納得頂けたようですので続けましょう。神と言うても貴方が思うようなものではない、ただ天界に住まう生き物というだけなのです。勿論、地上の人間如きでは想像も出来ないほどの能力を有してはおりますが」


「世界の伝説に残っている事象には彼らが多く関わっているとも言われているわ。彼らからすればただの遊びなのでしょうけれど」


「さてそうなりますと、生きている以上娯楽はとても大切なのです。そこで、天界は考えた。そうだ、地上の生き物たちを使って遊ぼうと」


「遊び?」


「そう、遊び。貴方方も自分たちより劣った生き物だとしている動物を使ってよく色んな遊びをしてきたでしょう? それと同じ事、つまりは!」


 立ち上がったブランが両手を掲げる。

 まるで神に祈る神官のように。


「人間を駒に! 地上を舞台に! 異能の力を与えられた愚者が織りなす悲壮滑稽奇妙奇天烈抱腹絶倒な人気の遊び! それが言之葉遊戯なのです!!」


 まだ宗教勧誘のほうがマシだった。

 本当にそう思えてしまった。

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