第19話
心を殺す罵詈雑言を浴びせ続けてくれていた彼女はいまではすっかり大人しくなっていた。叫ぶ度に、逃げようともがく度に枝なりなんなりにぶつかっていたためだろう。
自分で走っていたさっきとは違って、抱えられているいま後頭部に思いっきり当たってしまえばそれだけで気絶してしまう可能性もあるからだろうか。
どれだけ走ったか定かではないけれど、全身から汗が噴き出し、呼吸が荒れ出した頃、ようやく。
――がさっ
「あそこよッ!!」
林の中を動けば音が鳴る。
俺達ではない何かが起こした音と揺れをしっかりと緑苑坂が見つけてくれた。このために彼女の顔が後ろ向きになる俵抱きしてて正解だった!
「逃が!!」
急ブレーキをかけて身体を旋回させる。
ここで逃してしまったらもう走る体力は残されてない。
「ごふッ!?」
「すかァァァ!!」
あと、緑苑坂もどうなるか分からない!
いまでも旋回した勢いに彼女の身体が少し俺から離れただけで顔を木にぶつけていた。……気絶はしていないようだけどあとが怖いので考えないようにしておこう。
「殺す殺す殺す」
考えないようにしておこう!!
これでただの鳥でした、というオチであればもう本当に身も心も折れそうではあるけれど、俺の運はそこまで悪くなかったようだ。
俺達に背を向けて走りだそうとしている濡羽の姿。俺だってそうだけど、向こうだってこの林の中をずっと俺達を追いかけて走っていたんだ。体力だって減っているはず!
「待てぇええ!!」
「ひぃ!? ど、どうしてまだ走れるんだよ!!」
どうしてかって?
肩に怨霊よりもおぞましい何かを抱えて走ってみろ! 体力の限界がどうとかどうでも良くなるほど身体が動くんだよ! 体力よりも明確な命の危機の方が怖いわ!!
林の中の鬼ごっこは、緑苑坂を置いてしまえば良いのだろうが放置しておくわけにもいかないのでこのまま開催される。
圧倒的不利な状況のなかで、それで俺を突き動かすのはただの恐怖。結局、恐怖って感情は人間の原動力としてかなり効率が良いってことか。
「はァ……!! はァ!」
「ぜェ! ぜぇ……!! も、もぉ逃がさねえぞ……!」
林の中をどれだけ走ったか分からない。
だけども俺達が濡羽を追い詰めたのは奇しくも最初に彼と相対した廃棄された温室のなか。
もう、これ以上濡羽に逃げ場はなかった。
「よくやったわ……」
下ろした緑苑坂がとても良い笑顔を浮かべている。やっべ、怒りが通り越して笑ってるんじゃね。
「あとは彼を殺すだけね」
「殺すなって」
拳を握りしめているだけなのに、彼女の手からは想像出来ないほど恐ろしい音が聞こえてくる。どこにそこまで鳴らす要素があるんだよ。その小さい手に。
「まだお前の不運はそのままなんだから俺に任せて後ろに居ろっての」
「気が済まないのよ」
俺はお前の不幸に巻き込まれて怪我したくないんだよ。
なんて言ったら、標的が俺にシフトチェンジしかねないので。
「さすがに心配になるから、ここは任せろって」
「……チッ」
どれだけキレていようとも、目的を見失わないこいつの精神力はどこから来ているんだろうか。
頼むからその精神力で、俺は何も悪くないという事実に気付いてくれないだろうか。どうして俺へその殺意の視線を向けてくるんだ。俺が何をしたって言うんだよ、こんちくしょう。
「さって、悪いけどもう一発殴らせてもらうぞ」
濡羽の能力が俺に効かないと分かっていれば、あとはこいつが仕込んでいる武器に気をつけるだけで良い。
けれど、念には念を入れて先に能力を使わさせてもらおうか。せっかくこいつが教えてくれたことだもんな。能力の発動は邪魔される前に、っと。
「こ」
「うん?」
「ここまでやるとはさすがだよ……! まさかオレの能力が効かないだけじゃなくてここまで心折れずに頑張るなんてそっちの女も想定外だ」
想定外。
想定外、か。
確かにあれだけ運が悪いことが続いてもまだ戦おうとするのは驚くことなのかもしれないけれど、能力が効かないことは想定に入れておけよな。他人の不幸を笑わない奴とかどこにでも居るだろうが。
「それに……、戦いの中でずっとイチャイチャしやがって……!」
緑苑坂とのやり取りをイチャイチャだと思うのであれば医者に行くことをお勧めしたい。そしてもしも羨ましいというのであれば今すぐにでも代わってやろうか!?
「『他人の不幸は蜜の味』!」
「え、いや、何をして……」
その能力は俺には効果が無いって分かっているだろうに。重ね掛けが出来る……? いや、それならもっと先に使っているはずだ。いったい、あいつは何を……。
「『他人の幸せヒ素の味』!!」
「違う能力!?」
え。うそ、能力って二つも持つこと出来るのかよ!!
それだったら俺ももっと格好いい能力が欲しいっての!!
「
後ろで驚く緑苑坂の声に、なんだよそれは。と言う間もなく、離れた場所に居たはずの濡羽が俺の目の前にまで、
「が……ッ!?」
防御することも出来ず、俺は殴り飛ばされた。
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