第43話 プール開き そのあと
よつ葉園の防火用水を兼ねたプールが完成し、プール開きが行われてから約1週間後、Z少年は津島町にある短期里親制度でお世話になっていた増本さん宅で5日間を過ごした。中学受験に向けて必死で勉強している米河少年が「里帰り」中の彼のもとを訪ねたとき、Z少年はあのプール開きのことを話した。その話を聞いた米河少年の叔父である佳治氏は、唖然として甥に向かってこう吐き捨てた。
なるほど、来賓者らと職員の間に子どもたちを並べて、いかにも子どもたちがこの地の主役なのですと言わんばかりの立ち位置に立たせてご託宣を並べて、とどのつまりに小雨とはいえ雨降る中に20分も水遊びかね。
まあ、そんなところにうちの親族を住まわせなくて、本当によかった、というか、何というか。開いた口も塞がらんわな。
今回のプール開きというのは、ある意味節目の行事だからな、そういう状況下でもせねばならんことかもしれん。だが、よつ葉園という名前のぼくのおうちにはプールがあるとか何とか、そんなこと自慢できるとするなら、よほどおめでたい話だな。それが水泳選手でも目指せる場所なら話は別だが、しょせんその場限りのお遊びだけか、くだらん。
いいかな、清治君、今日君がZ君から聞いたというよつ葉園のプールのような設備を何というか、教えてあげよう。ああいうのは、英語で言う『ギミック』というものである。英和辞典で私が引いたこの単語だ。まあ、日本語ならもう十分理解可能だろうから、そこで示された日本語の意味を、君はこれを機会に、しっかりと把握するとよろしい。
一応、そのプールとやらは防火用水としての役割を負った設備であるから、その点についてはあの敷地における建物群においては必要不可欠な施設であることは認めよう。幼児や小学生でも低学年であればまだ、プールとしての活用のしがいもあろうけど、君やZ君のような子らには、そんなもの、何の必要もない機能に過ぎん。
まあ、枠組みの関係で彼がプール開きに付合わされたことについては、ああいう場所だから仕方ないことではあろうが。
「ギミック」
仕掛け、種、トリック、工夫、手、新案品、引付け、目玉、策略、詐欺・・・
少年は、叔父によって使い込まれた英和辞典に書かれた日本語の単語をじっくりと追った。そして、これと思った単語を、彼は近くにあった大人向けの国語辞典でさらに引いて調べ、その言葉の意味をじっくり探った。彼の心中には、こんな思いがよぎった。
「あんな日に、プールなんかにぶち込まれなくてよかった。中学受験なんかより、そんな状況で幼児向けプールに入れられるほうが。よほどきついでぇ・・・」
翌日彼は、自宅に遊びに来た同じクラスの賀来博史少年にそのことを話した。
「おい賀来ちゃん、聞いてくれ。ご存知のよつ葉園、丘の上に移転して、なんと、プールなんか造ったらしいで」
「米ちゃん、そりゃすごいな。あの施設のことじゃ、家にプールができるのだとでも、よつ葉園の先生は子どもらに言っているのと違う?」
「そりゃあんた、そうでしょう(苦笑)。そうでも言えば、どこかの金持ちの家みたいじゃないか。それこそ、君みたような政治家の家とか・・・」
「アホか。知っての通りで、うちにはそんなものないぞ。父に聞いたら、それは確かにプールだが、防火用水の溜め置きが本来の目的で、ただそれだけでは、身もふたもないし殺風景で事故の危険もあるから、プールの機能を持たせているのだ、ってよ。学校にプールがあるでしょ、あれと一緒。よつ葉園も、こっちにあった時はそんな設備は必要なかっただろうけど、もし広い敷地が取れていたら造ったかもしれない。それこそ、昔のよつ葉園の銭湯みたいに、近所の子どもたちに開放してみたりしてね。でも今度は、移転先、山の中だろ。そりゃいるよ。消火のためとか、災害時の生活用水の貯えが」
「なるほど。叔父に聞いたところ、近所の公園だって、災害時の避難場所が本来の役目だと言っていた。ただの遊ばせ場じゃないのだってね」
「うん、それも父が言っていた。子どもにとっては楽しみの場所かもしれないが、大人の世界では、別の目的があって存在しているものだってことよ」
「そのとおりや。とはいえ、よつ葉園の職員ってのはぁ・・・」
「もうよせって。確かに米ちゃんには物足りないことしか言えない、それこそいつか、君も言っていた、子ども相手に子どもだましを先頭に立ってしているだけの大人かもしれん。いや、オレも、君から話を聞く限り、それは当たっているように思うけど。でも、運がいいな、君は。あんな場所から脱出できて」
「それは、わしもそう思っている。一時的に「孤児扱い」されかけたが、幸い、父方の叔父の米橋佳治は、しっかりした人だからね。ぼくがいなければ、もっといろいろなことができたかもしれないけど、この日のために、できる限り最大の手を打ってくれたからねぇ。おかげでさ、木曜の夜は遠慮なくベストテンも観られるし。だいたい小6になってまで、幼稚園児や低学年でもあるまいし、9時なんかから寝てられるかよ」
「そうそう、父からの伝言だ。君がその怒りを消す方法、2通りあるって。一つは、完全に忘れ去ること。これができれば、一番幸せだろうな。もう一つ、そこと徹底的に向き合って、その時のことを、その世界全体のことを広く深く問い詰めて、それを世に問い続けること。その二つのどちらかだろうって。そのおまけがあってね、並のアドバイスというか、例えば、いずれ結婚して家庭を持てば心も穏やかになるとか、資格を取って稼げばいいとか、そんな程度のものは、効果など間違いなくない。自分はもとより、下手すれば他者を不幸にするだけになるのがオチだ、と言っていたよ」
「なるほど。それにしても、危機一髪っていうのは、このことかもしれないな。確か、Z君が言っていたプール開きの日は8月8日で、前日の7日に完成だって。叔父が見せてくれた暦によると、旧暦で8月7日がちょうど立秋、8日はその翌日でね、暦の上では秋になるってことだよ。叔父がそれを見て呆れていたな。夏の盛りに工事を始めて、秋になって完成、その翌日にプール開きとか、季節外れとまではいわないけど、間抜けとまでは言わないにしても、どこかいささか、やることがずれているなぁ・・・、って」
「いくら暦で秋だって言っても、暑いことには変わりないからね、そこはつつくなよ。そうだ、あさがおの観察、やったでしょ、小1の夏休みに。あのあさがおって、季語、秋だって。ひまわりの観察も小2の夏休みにやったけど、あれはさすがに、夏だ」
「この前、どこかの入試問題でそれが出ていてね、びっくりした」
「N塾のテキストで読んだよ、その入試問題。まだ解いていないけど」
彼らはそのあと、米河少年宅にある塾の教室を使って夕方までひとしきり勉強した。目的はもちろん、来年年明けの中学受験の合格であった。賀来少年は普段はこの塾に通っていたのだが、講習などのある時には街中にある大阪資本のN塾にも通っていた。
2019年11月の第1日曜日。あの夏の日に叔父に教えられて辞書を引いていたあの小学生は、今年で50歳になった。その日は駅伝中継のため、例年プリキュアというアニメは放映されない。そのため彼は、朝から自宅を出て、バスとタクシーを乗継いでよつ葉園に来た。
毎年この日は、「よつ葉園祭り」が行われている。
「あのプール開きの後、増本さん宅でZ君に会いまして、そのときあの日のことを聞きました。叔父の米川佳治が申すには、このプールは、『ギミック』というものだとのことでして。今思うと、ちょっとそれはそれで言い過ぎだったのかもとは思いますけど、今こうして拝見して、現状をお聞きする限り、確かにギミックには違いないかもしれませんが、時を経て、良い意味でのギミックになっているような気がします」
米河氏は、大槻理事長と伊島園長に、当時のことを絡めて述べた。当時主任児童指導員であった大槻和男氏は翌1982年4月、園長に就任。しかし、去る2018年3月で退任しており、現在は理事長のみの役職となっている。現在のよつ葉園の園長は、米河氏よりも若い伊島吾一氏が務めている。
風は立ったか立たないか、されども時は確実に経ち、あれからもう40年近くの歳月が流れている。そして今や、秋もたけなわ。暦の上では冬も間近。よつ葉園祭りの日は、毎年、ニジマスを放流して釣り堀にしている。プールのそばでは、ボランティアの人が釣ったニジマスを焼いてくれている。ビールか日本酒でもあればいいが、この祭りでは模擬店で酒を出さなくなって久しい。伊島園長が、話をつないだ。
「私が園長就任後は、簡単にですけど、毎年プール開きもしておりますし、一応は小学生までとしておりますけど、中高生の子たちには、小さい子らと一緒に遊んでいる子もいます。ご覧の通り、今の時期は、さすがに泳ぐ子はいませんけどね」
伊島園長の言葉を、米河氏は、心穏やかに受入れた。周囲には、ニジマスの串焼きを食べている親子連れもいる。ここで酒を飲むわけにもいかないとはいえ、ニジマスにまぶされた塩の香りは、漁師町生まれにして今や酒飲みの彼には、実に心地よい。
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