第35話 元ボス格の少年・大松重昭氏の回想
この記事は、××ラジオ代表大宮太郎氏と妻たまき氏のインタビューを編集したものです。
私は、Z君より約10歳上でして、確か3歳ぐらいの頃から、よつ葉園にいたように思います。小さい頃のことは、あまり覚えていませんがね。
しかし、今思い出してみると、よく、あんな環境で横道にそれずに生きてこられたなと、つくづく思います。
別に私自身が、前向きに生きてきたとまで自信を持って言えるわけではないですが、今思えば、そういう道を歩めたのは、大槻先生やその前の園長の森川先生のおかげでして、感謝してもしきれません。
私がいたころのよつ葉園は、O大学の近くにありました。
そういえば、嫁の話では、太郎さんのお父さんの実家がその学区にある大宮病院だそうですね。
私も、小さいころ病気になって、何度かお世話になったことがあります。
太郎さんのお父さんも、子どものころ何度もよつ葉園の子と遊んでいたとか、大学時代には、ボランティアで来られたこともあるそうですね。
ちょうどその放送の時、仕事が休みでね、嫁と一緒にお聞きしましたよ。養護施設の中には、閉鎖的でよその子どもたちが遊びにも行けないようなところもあるもしれませんが、よつ葉園は、そういうところはありませんでしたね。
地域にものすごく開けていて、いい環境だったと思います。
そうは言っても養護施設ですから、それ故の問題点は、いくらもあったでしょうし、Z君なんかはいろいろ問題意識を持っていて、かなり厳しく職員に追及していた時期もありますけど、そういうことができる場所になっていく土台は、彼どころか私が入ってくる前から、すでにありました。
そういえば、私が工業高校を出て社会人に立って間もない独身時代は、よく飲みに出ていましてね、街中の居酒屋でも、よつ葉園のことを知っている年上の人に会うことが多かった。悪く言われたためしは一度もなかったです。
むしろ、あそこには友達の何とか君が住んでいてよく遊んでいたけど、彼は今どこにいて久しぶりに連絡があったとか何とか、そんな話が結構出ていました。
私の知っている人もそうでない人もいましたけど、皆さん、懐かしそうに話していましたね。特に、当時の園長の森川先生のことをご存じの人が多くて、当時から立派な取組みをされていたと、お聞きしました。
私自身は、正直、中学出たら職業訓練校にでも行ければよし、手に職をつけるべく寿司屋かどこかの飲食店系の店に修行に入って・・・というイメージしか持てていませんでした。
実際、当時のよつ葉園から高校に行かせることはかなり厳しく、中には定時制高校に通いながら卒業して公務員になったような先輩もいたようですけれど、そんなのさえも例外で、出世頭のような目で見られていました。
もっともそれはよつ葉園に限った話ではなく、当時の養護施設全体がそんな感じでしたけどね。
中学までよつ葉園にいて、卒業後すぐにO駅の東口にある商店街の近くのすし屋に修行に出て、ものすごく頑張っていた先輩がいました。
7歳ほど年上の馬場さんという人です。彼、若くして独立して寿司屋を営んでいますけど、その修行先の先輩には、よからぬことを教えるような人もいましてね、家賃なんか踏み倒してもいいとか税金なんか払わなくてもいいとか、いくらでも手はあるとかねぇ。でも馬場さんは、そういう話には基本的に耳を貸さずにまじめに取組んでいましたから、25歳の頃には独立してO駅の西側に自分の店を出して、今もそこで営業されています。よつ葉園には今も寄付を続けていますし、独立後は何人か養護施設出身の子どもを就職先として受け入れたりしています。
馬場さんの話では、自分自身にもいささかその傾向があったから人のことは言えないが、養護施設の子どもたちで自分が面倒を見た子らは、確かにまじめに取り組んで社会人として立派にやっていく人も多い。
だがその反面、どこか社会に対してすねたところがある子もいて、それには相当手を焼いたと言っていました。途中で遊びを覚え、あるいは自暴自棄になって、社会になじめずドロップアウトしてしまった子も・・・。現に私がよつ葉園にいたころの私より年下の子らでも、そういうのは何人かいました。残念な話ですけどね。
だけど、よつ葉園に限らず養護施設という環境は、Z君が言っていたという言葉じゃないが、子どもも職員も不幸にしてしまうシステムというのは、ある程度あたっていますよ。
その施設の中で職員の言うことを素直に聞いていて、いかにもその施設の「優等生」的な子は、特に危ない。それで横道にそれてしまった子もいました。
そうですね、Z君より2歳ほど上のM君なんか、その典型でしたよ。少し色白で賢そうな子で、実際しっかり勉強すればO大学ぐらい行けたはずです。でも道をそらしてしまった。よつ葉園がすべて悪いとは言いませんけれども、社会的にはもったいない話です。現に彼には2歳上の姉もいて、彼女は県立の普通科高校を出て、その後大学にこそ行きませんでしたが、看護学校に進んで看護師になったと聞いています。
それだけに、なぁ・・・。
私はというと、お恥ずかしながら、小さいころから結構やんちゃでして、中学生や高校生の頃はよつ葉園の子どもたちの「ボス」的な感じだったと大槻先生がおっしゃっていますが、まあ否定はしません。
一方のZ君ですが、彼はとことんマイペースというか、自分自身のために必死で日々勉強していて、いろいろと課題を作ってはそれに取り組んでいました。
私とZ君のどちらの姿勢が正しいとか間違っているとかいう問題じゃないが、私やZ君がそれぞれあの環境から高校や、まして大学まで行けたのは、そういう「自立性」なり「リーダーシップ」なりがあったからだと思っています。
もっとも、主体性なんか下手に持たなくてもああいう場所で過ごすのは可能です。
いや、実はそれがおそらく一番子どもにも職員にも楽な道だろうね。
ただしそんなことでは、ほぼ間違いなく社会に出て吹っ飛ばされてしまう。
職員は数年経って退職してしまえば後はどうでもいいことかもしれないが、子どもたちにはそれ以上にこれからの人生が待っている。Z君は今でも、よつ葉園にいたころ「そんなことでは社会に出て通用しない」などと言っていた元職員をかなり厳しく批判しています。彼は逆に、
「社会性のないのはアンタラだろうが」
とか、
「調査能力も分析能力も何もないで、よく「指導員」とか名乗れたな。騒ぐべくして騒ぐのが、あんたたちの仕事か!」
とか、元職員の山崎さんあたりに、こっぴどく罵倒していたこともあるようでね。
ちょっと君、言いすぎじゃないかと思うところもありますけれど、少なくとも彼は、言うだけのことはあります。言えるだけの勉強と経験を、彼はしています。
元保母の坂上さんという女性がおりまして、私もZ君も担当した経験のある人ですけど、以前電話でお話ししたとき、Z君は、自分に厳しく人生を送ってきたみたいね、って、言っていました。
養護施設が、もし、彼の言うように、子どもも職員も不幸にしてしまうシステムであるとしたら、その原因は何なのかということになりますな。
それは恐らく、淡々と施設の中で職員の言うことを聞いて大人しく過ごしていればいいという姿勢をどこかで押し付けているような・・・。
子どもたちの成長の邪魔をしている原因は、そんなところかな?
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