第36話 よつ葉園元栄養士 大松夫人の回想
この記事は、第35話の続きです。
夫の大松君とは、中学校の同級生でして、中1と中3の時に同じクラスでした。それほど仲がいいというわけでもなかったのですが、何度も話したことはあります。もちろん、彼がよつ葉園という施設にいたことは知っていましたし、幸い両親もよつ葉園のことはよく知っていましたから、のちに結婚するにあたっても、特段の反対はされませんでした。それはともかく、夫は当時から、クラスでも一種のまとめ役のようなところがありましたね。私にとっては上司だった大槻も、あんたの旦那はよつ葉園に居ることから、ボス的なところがあったとか、言っていましたけど、学校での彼を見ていた私からしてみれば、やっぱり、って感じです。
中学卒業後、彼は工業、私は商業高校に進みましたので、しばらく会っていませんでした。再会したのは成人式のときでした。たまたま私の友人が大松君を見かけて話しかけたのがきっかけで、近くの喫茶店に入って、何人かの男女含めた中学時代の友人らとしばらく話していました。彼はすでに社会人でしたが、私は短大の2年生で、まだ就職が決まっていませんでした。特にコネとかもありませんでしたしね。大松君と話していて、それならよつ葉園に行ってみたらどうかって。あの学区にあろうが、近く移転して郊外に移る予定だが、よかったら応募してみたらと言ってくれました。
そこで私は、履歴書を用意して、その次の週の土曜日の昼によつ葉園まで行きました。よつ葉園の子の知り合いは大松君ぐらいしかいませんでしたけど、せっかくなので行ってみました。当時副園長だった大槻にはその時初めて会いました。面接をしたのは、当時の東園長と大槻副園長でした。短大で栄養士の資格を取得していましたので、それなら、給食の仕事がちょうど移転で人手が足らなくなるところだからぜひ来てほしいと言われ、結局、その年の4月から3年間、栄養士としてよつ葉園に勤めました。幸い運転免許もとっていましたし、郊外に移転後は、親のクルマを譲り受けて通いました。大松君はすでに卒園生でしたけど、私がよつ葉園に勤めるようになる前から、しばしば来ては大槻ともよく会っていました。
私がいる間は、私と話すことが多くなったようですけど、まあそれはそれとして。
よつ葉園の子どもたち、それに職員は、私たち給食担当の職員が調理した食事を毎日3回なり2回なり、食べることになります。献立は以前から、何曜日の朝はなにで、昼はなに、夜はどうこうと、割にルーティンな組み立てがなされていました。
最初の数か月は移転前の津島町でして、そこは「大舎制」で運営されていましたから、一気に、70人近くの、2歳の幼児から大人までの料理を作ることになります。 移転して「中舎制」になってからもその基本的な形は変わりませんでした。
よつ葉園は食育に力を入れていることもあって、料理はいつもしっかりしたものを出していました。
私の家で母や祖母らが作ってくれていた食事などより、ひょっとしたらこちらのほうがはるかにいいんじゃないか、なんて思うこともしばしばありました。
それはもちろん、私の料理の腕自慢なんかじゃありません。そもそも、一人であれだけの料理、作りようがないです。
若いころの大松君は、私の母の作った食事、本当においしそうに食べていましたし、夫に限らず、子どもたちも、いまでも私の母の料理をおいしいと言って喜んでいますけど、それは私たちが夫婦もしくは親子や祖母と孫という関係が前提としてあるからでしょう。
客観的にはどうひいき目に見ても、この施設の食事のほうが、私の実家の食事よりもはるかにすごいな、と。それはなぜかということで、あるとき、よつ葉園祭りに来ていたZ君に尋ねたら、的確な答えを出してきましたね。
「それはですね、スケールメリットのおかげですよ」
などというものですから、夫が、わからんではないけど、もう少しわかりやすく説明してくれないかと言ったら、Z君はこんな解説をしてくれました。
大松さんのお宅は、御夫婦と子供さん3人ですよね、合計5人ですか。これに対して私は独身ですから、1人。
さて、同じ食事を、それぞれの住んでいる場所で作るとします。そうすれば、1人よりも5人のほうが、一人当たりの食材にかかる費用と手間は、格段に減ります。
その逆に、外食やスーパーの惣菜などを買ってきて食べるとしましょう。私の典型的な食生活がまさにそうですけど、それを大松さんご一家が家族ぐるみで毎日されたら、食費が大きくかさむでしょう。逆に、私が大松さんと同じ食事を自分一人で作って食べてとなると、手間暇もさることながら、外食よりかえって費用が高くなるケースも出てきますし、そもそも、それだけの調理設備を自宅に置けるかを考えなければいけません。大松さん宅と同じような食事は、私自身のためだけでとしてはとてもじゃないができません。
その分外食やデパートの半額商品でうまいもの食っているだろうと言われれば否定はしませんけど、自炊よりもそのほうが、時間の節約だけでなく全体としてかえって安くつく可能性は高いです。まあ、酒も含めてそれが健康的な食生活かと言われれば、確かに、疑問符がいくつかはつくでしょうけどね。
ところでこのよつ葉園ですが、大松さんの奥さんが勤められていた当時で、最大90人近くの食事を作っていたでしょう。小学生以上の子どもたちが学校に行っている時でも、幼児と大人、おおむね30人近くの分を作らないといけませんでしたね。
そりゃあ、カレーライスの味付けのように、大人と子供である程度分けないといけない場合は、確かに2通りかそこらの味付けの料理を作らないといけませんが、それでも食材のほとんどは共通していますよね。どんなものでも、大量に買えば一つ当たりの単価は安くなります。ですから、5人暮らしの大松さん宅や、まして1人暮らしの私などより、はるかに安く手間もかけずして、平均して5人前後の一般家庭以上にいい料理が提供できます。
もちろん、よつ葉園の給食の仕事が楽だなどとは言えません。一度に90人分もの食事を作るわけですから、大変な重労働ですよ。いくら調理員が数人いると言いましてもね。それだけの量を作るとなれば、調理器具も大きくなりますし、家庭でちょこちょこ作るようにはいきませんよね。
1万円以上するようなレストランの料理に負けない料理を、とまで言わなければ、あのくらいの食事は十分出せるってことです。
逆にね、O大学の学食、昔は、安くてまずいことで定評がありましたけど、なんせそれほど金のない学生にとっては、少々まずくたって安いほうがいい。そういう需要は大きいですから、信じられないほどの安さで、1食を提供することができます。よつ葉園に限らず、養護施設も、これと同じことですよ。
夫はZ君の「解説」を聞いて、確かに、昔からよつ葉園は食事には力を入れていたな、って言っていました。先日、夫と私と山崎さんと一緒に食事をしましてね、その話になりましたけど、山崎さんが以前勤めていたくすのき学園からよつ葉園に移ってきて、何より食事の「すごさ」に目を引かれたと言っていました。
ちょっと口の悪い彼の元同僚に至っては、よつ葉園では調理室に豚肉や牛肉なんかを吊るしてあるのか、と言っていた人もいたそうです。もちろん、そんなことしていませんでしたよ。
今どき、昔の西洋の大金持ちの厨房や料理屋みたいに肉を調理室に吊るそうものなら、贅沢の象徴どころか、衛生上の問題にされてしまうのがオチだと思いますけどね。
山崎さんは退職されたときに体を壊して入院されたそうですが、どうしても主として子ども向けの味付けで食事を作っているから、40歳を超えた大の大人である自分が同じものを食べていては糖尿病などにかかって体を壊しかねないし、現に入院という形に追い込まれるところまで来た。
もちろん、それは他のストレスなどの要因のほうがはるかに大きいとはいえ、日々の食事にしても、我々にはあまり配慮されていなかったのかと思うと腹も立ったとおっしゃっていました。今思えばそれも、よつ葉園に限らず児童養護施設の職員の健康に対する課題の一つだとは思います。
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