第42話 おめでた? 後編

    4

 「実はですね、園長先生・・・」

 話を切り出したのは、伍賀保母だった。

 「子どもが、できてしまいまして・・・」

 やっぱり、そうだったのか・・・。


 11月下旬ということもあり、外はもう寒い。だが、石油ストーブと3人しかいない状況とは思えないほどの熱気に、園長室は包まれている。この狭い部屋の中に、もう一人やそこら、人がいてもおかしくないほどの熱気。あまりの息苦しさに、大槻園長は、窓を少しだけ開けて換気をした。ドアを開けて換気するわけには、いかない。

 いつどこでできたかなどと聞くのも野暮だが、とりあえず、そうとなった以上は、それに応じた対応をせねばと、大槻園長は思った。

 

 「それで、今、あなたのお腹の子は、何か月なのですか?」

 「1か月と少しです」

 ということは・・・、まあ、そこは問うだけ野暮というもの。

 というか、そんなことを問うてみたところで、仕方ない。

 よつ葉園としては、きちんと児童らへの対応ができるような体制を維持していくことを考えていかねばならない。婚前交渉を日本国の法令は別に禁じているわけでもない。中絶しろ、などと言おうものなら、下手すればマスコミどころか左翼団体からも厳しい突き上げを食らいかねない。

 現に中田指導員は、左翼系の団体が強い某福祉大学の出身者。本人がその手の団体の構成員でないどころか、仮に右翼顔負けの思想の持主であったとしても、左翼筋の人とのつながりがないわけでもなかろう。その気になれば、ああいう手合いはガンガンと押してくる。

 以前、よつ葉園が津島町にあった頃、勤務態度の悪い保母助手を解雇しようとしたところ、左翼系の団体と結託されて、「解雇騒動」が起きたことがあった。それはまだ大槻青年がよつ葉園に就職していない時期のものだったが、森川元園長の話によれば、かなり厳しい交渉が続いたという話を聞いている。そのときも、建設会社の法務部にいる大宮氏に相談して、何とか収まったと聞いているが、一歩間違えば、今回はそれを上回る騒動になることも覚悟しないといけない。


 「本来ならおめでとうと申し上げたいところだが・・・、手放しで言えないのが、私としても、辛いところです。よつ葉園の園長としては、そういう事態になるようなことは、避けて欲しかった。聞くだけ野暮かもしれんが、伍賀さん、あなたのお腹の子の父親は、どなたかな・・・?」


 換気中の園長室の中に、寒風が飛び込んでくる。大槻園長は、窓を閉めた。息苦しさが、少しは緩和されたようにも思える。しかし、会話はそれに反比例して、重苦しくなるばかりだ。せめて、換気でもしておいて、よかったのかもしれない。


 「はい・・・、こちらの、中田先生です」

 「中田君、それは、事実かね?」

 「はい。御迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 中田指導員が、しおらしく詫びる。

 「別に誰と誰がお付合いしようが、子どもができようが、そういうことは基本的に、よつ葉園の業務上、関知することではありません。しかしながらあなた方は、このような事態を引き起こされた。お世辞にも褒められたものではない。だが、こうなってしまったものは、仕方ありません。まず、あなた方にお尋ねする。お二人の子どもは、もちろん、産むおつもりだね?」

 「は、はい・・・」

 「中田君はともかくとして、伍賀さんは、そうなると、本園での業務が遂行しづらくなりますね。中田君との関係がどうこうではなく、今担当している小学生の男子児童らの担当保母としての仕事についての話ですがね。とりあえず、年内はどうにかなると思いますが、年明け後は、さすがに、業務に就いていただくわけにも行かないでしょう」

 「・・・・・・」

 伍賀保母も中田指導員も、黙って、大槻園長の話を聞いている。

 

    5

 「申し訳ありませんでした」

 伍賀保母が、園長に謝罪した。

 「それは、よろしい。直ちに休職を願いたいところではあるが、今日にすぐとか、そういうわけにもいかないですから、とりあえず年内いっぱいは、今の持ち場の仕事をしてください。今後どうするかは、年明けに、お話ししましょう」

 「園長先生、申し訳ありませんが、紙とペンをお借りできますか?」

 彼女の申し出を、大槻園長は、黙って受入れた。園長室の執務デスクから、便箋とペンと封筒を取り、彼女に手渡した。

 「認め印は、お持ちかな?」

 「はい。今日出勤簿に押印しましたので・・・」

 伍賀保母は、黙って、退職願を書いた。来年1月末日付をもってよつ葉園を退職したいと、そこには書かれた。もはや、進退を伺うような段階でないことは、彼女はもとより、中田指導員も、大槻園長も、よくわかっていた。

 「そうですか。仕方ありません。伍賀さんには、せめて、年度末までは、何とかやって欲しかったが・・・、止むを得ませんね。あとの業務は、こちらで、何とかします」


 「あの・・・、私、思うところありまして、園長に、こちらを提出させていただきたいと、かねて思っておりまして・・・」

 中田指導員が、封筒入りの文書を大槻園長に提出した。

 

 「進退伺」

 封筒には、筆文字でそう書かれていた。


 「中田君、君も年度末を待たずに、辞めるつもりか? この際、辞めるのはいいとしても、そんなことでは、家族を養っていけないでしょうが。伍賀さんはやむを得ないとしても、君は、辞めなくともよい。少なくとも、この年度内は、辞めてもらっては、困る。ただ、来年度については、また、追って考える場を持とうではないですか」


 大槻園長の提案に、中田指導員は、黙って頷いた。


   6

 翌1984年1月末、伍賀保母は昭和58年度末を待たずして、よつ葉園を去っていった。彼女とともに、中田指導員は、岡山市郊外の一軒家を借りて、そこから通勤することになった。伍賀保母が退職するのと同時に、中田指導員は、昭和59年3月末日をもって退職する旨の「退職願」を、大槻園長に改めて提出した。

 大槻園長は、その「届出」を即座には受理しなかった。


 しかし、この「恋愛騒動」は、よつ葉園の職員らに少なからずの動揺を与えた。中田指導員の高校の先輩になる梶川弘光指導員も、後輩をかばいきれなかった。

 本音を言えば、彼には引続き勤務し、公立の難関進学校を経てO大学の現役合格を目指すZ少年の担当をしてもらいたかった。大槻園長も、その考えに賛同していた。

 だが、中田指導員の担当する寮の保母、大学出の女性指導員、それに既婚者の山上、吉村両保母らを除く、他の寮の若い保母らの中田指導員に対する態度が、この件を機会に、妙によそよそしくなった。

 その空気感は、よつ葉園という「職場」に、異様な雰囲気を醸し出した。

 彼女たちには中田指導員が、獲物を食い漁る狼のように見えたのかもしれない。それは意識してのものというより、女性の本能からくる感情から芽生えたものであることは明らかだった。


 彼女らに不安を与えるような職員がいるのは、いかがなものか。

 すでに成人しているとはいえ、若い女性を親御さんから預かっている身としては、これを放置できない。

 大槻園長は、決断を迫られた。

 

 1984年2月末、中田指導員は、改めて、大槻園長に退職を申し出た。

 「残念だが、仕方なかろう。とはいえ、君の担当している中高生男子の件もあるので、新年度しばらくの間、彼らの寮の担当として、引継ぎをかねて6月末まで業務に就いてもらいたい。そうすれば賞与も出せるし、退職金も少しは上乗せできる。それから、その間に次の仕事も探せるだろう。それで、どうかな?」


 中田指導員は、その提案を受入れた。


   エピローグ

 彼はその年の6月半ばまでよつ葉園に通勤し、その後、有給休暇を取得して、その月の月末、退職した。退職後、彼は福祉の仕事とは全く異なる業界に再就職した。

やがて、結婚して彼の姓を名乗ることとなった伍賀元保母の間に、男の子が生まれた。現在中田元指導員は、その会社の専務を務めている。

 だが、妻である伍賀元保母もともに、よつ葉園には「敷居が高いから」と言って、退職後、一度も訪れていないという。

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