第45話 シリーズ 2 「家」の論理

 一方のよつ葉園ですが、こちらはしっかりとした経営と運営がされていました。公務員並の給与規定も整備されていて、おかげさまで家も買えて家族を養っていけました。くすのき学園ではそうはいかなかったでしょう。施設によっては、職員の給与を低く抑えてその分経営者や気に入った職員らがお手盛りで余分な報酬や形を変えた利益を得たりする。そんな施設に限って、子どもに食べさせる食費さえもケチる。施設には金がないとか言いながら、陰でしっかり自分たちの利益だけは確保しているという塩梅ですよ。


 各養護施設に対しては、子どもたちを育てていくための「措置費」という名の費用が国から支給されます。

 ネーミングはともかく、例えばパン屋で言えば、パンを売って得られた売上に相当するものです。日々のパンの売上でパン屋は成り立っていますよね。

 そのパン屋のレジや金庫にあるお金を、たとえ経営者でも持ち出して私的なことに使ったとしたら、どうです?

 事業主貸という処理はできるでしょうが、ある意味横領と同じ構図じゃないですか。職員の給与は抑え、子どもたちの食費はケチる、その分経営者の利益はしっかり確保。

 そんなことをしている養護施設は、一見合法的に運営しているように見せかけていても、その内実は、パン屋の経営者が自分の店の金庫から金を出して分不相応でしかない高級車、例えばベンツを買ってみたり、毎晩のように飲み歩いてみたり、どうせ「経費で「オトセル」わ」といった調子で私的に使うのと同じ理屈です。

 そのお金が商売の売上であるか国から「措置費」と称して支給されたお金かの違いはあるが、後者のほうが国から支給されているお金や善意で成り立っている「寄付」で集まってきたお金に手を付けている分、ねぇ・・・。

 児童福祉の世界は教育の世界とも共通しておりまして、言うなら「性善説」で動いています。そこに付け込む者や、付け込むつもりはなくてもちょっとの出来心で何かをしてしまい、あるいは良かれと思って何かを始めたとしても、それが次第に大きな問題になっていくことがあります。前者はまだ、初めからそれなりの対応もできるでしょう。ですが後者はそう割り切って断罪できない。性善説は、そういう現実の前には無力です。

 私が勤務したよつ葉園の話で、ちょうどいい事例があります。


 かつてよつ葉園がO大近くにあった頃、確か昭和の30年代から40年代半ばにかけての話ですけど、自前の入浴施設を銭湯として地域の人たちにも開放していました。近隣の銭湯の相場よりも入浴料を安くしてはいましたが、きちんとお金をいただいて入浴してもらっていました。それを運営費の足しにしていたのです。

 もっとも、風呂炊きや風呂場の管理に職員だけでなく子どもたちも手伝ったりしていましたから、県から「児童」を用いて「事業」を運営するような真似はやめよと言われていましたが、それこそZ君のように「だったら、そんなことしなくてもいいだけの金を出してみろ」と言いたくもなったでしょう、当時のよつ葉園の園長や職員の皆さんにしてみれば。

 これだって動機は、「善意」です。

 しかしそこで行われていた行為は、子どもたちを「労役」に使うものとみられた。

 幸い近所の人たちにはそんな目で見ている人はいませんでしたが、事情を知らない第三者や行政関係者の目からすれば、そう見られても仕方のない面はあったでしょう。


 もっともこれはある意味、「先駆的な取組」の要素はありましたけどね。当時の障害者福祉などのことを考え合わせてみれば、その評価も間違いとは言えないでしょう。単に「保護」するだけでなく、自立に向けた取組みの一つだと言えば、悪くはない手法であると思いますよ。

 ただ、養護施設の子どもを福祉事業の一環において「労働」をさせるということは、問題ないとは言えない。そんな手法で本当に子どもたちに「社会性」が身につくのかというと、手放しで賛成できないところもあります。


 作州篤志園の水田徳修(のりはる)指導員。

 ほら、養護施設の児童を自分の経営する弁当屋で働かせたという事件があったでしょう、その事件を起こした中心人物です。岡山県は、何度も彼の作州篤志園の運営法人の社会福祉法人菜の花会に勧告しましたが、改善されないまま社会問題になって、ようやくやめたほどです。

 裁判で勝てたとはいえ、手放しで喜べる「勝ち」じゃなかった。賃金債権としては時効という調子の、臭い物に蓋をするような判決だが、虐待はなかったという趣旨のことは一切書かれていなかった。しかもですよ、3人の裁判官のうちの1人、女性の裁判官でしたけど、この判決文には差しさわりがあるので署名できないと書いたほどです。結局高裁で和解しましたけどね。

 水田君のことを、私たち職員仲間は、彼の名前の漢字の呼び方にちなんで「トクチャン」と呼んでいました。若い指導員やこの話を私から聞いたZ君や米河君も、まあ、彼も水田君よりは一回り以上若いですけど、彼らも、本人の知らないところで「トクチャン」と呼んでいます。親しみからとはお世辞にも言えませんがね。


 彼はその事件が世間に流れたことをきっかけに児童福祉の仕事からは手を引き、現在は同じ法人内で高齢者福祉の仕事をしています。彼は園長で理事長も務める水田林太郎さんの息子で、3人兄弟の末っ子で二男です。氏の長男は実に優秀な人物で、O大の医学部を出て作州市内で開業医をしています。

 一方の徳治氏は子どもの頃から学業はさほど優秀じゃなく、何とか進学校のT高校に進んだものの後ろから数えたほうが早いほどの成績で、大学も他県の私立大学の理学部を卒業して父親を継ぐ形になった。


 彼はやり手の要素があって、他の施設の先輩職員らの言動にも食って掛かるようなところが多かったですが、言うだけのことはあった。

 他の施設でどうにもならない子を「措置変更」させて引取ってきちんと更生させた。その子はサッカーのスポーツ推薦でS高校に行って全国大会にも出場して、さらにサッカーの強い大企業に就職できました。ある学業優秀な子を関西の有名私立大学に合格させ、そのために必要な費用も水田家で出してやったりしていました。彼もうちの大槻以上に、養護施設の職員が子どもたちに社会を生きていくための姿勢を全く示せていないことに怒りを持っていました。


 「人間としてよければ」とか何とか、そんなことばかり述べているのは仕事ができていない証拠だ、福祉人以前に大人としての責務が果たせていないじゃないか!


 そんな調子で、いつも、O県内の職員の会合で口角泡を飛ばして力説していましたけど、言うだけのことがあるだけに、誰も正面切って反論できない。

 ある時、あまりにも彼がしつこいものですから、私が厳しく注意しましてねぇ。彼、途端にシュンとなりました。

 存外、打たれ弱い要素も持ち合わせていましたね、今思うと。


 彼もまた、一見良心的な養護施設の職員同様、自分が実質的にトップに立って運営している篤志園を一つの「家」のようなものと思っていました。社会性という点についてはよつ葉園の卒園生のZ君とよく似た考えも持っていましたが、立場などの違いも考慮してみれば、その点はやはり、決定的に違うところでした。


 養護施設の運営費は恵まれているとは言えない。運営費をさらに確保するには、大人が自ら子どもたちに「働いている」姿を見せなきゃいけない。


 そこでトクチャンが言うには、自分自身が事業を興し、そこで子どもたちを雇って一緒に働くことで子どもたちの模範になって、そこで得られたお金を子どもたちのために使っていく。そんなことを考えて、弁当屋を始めた。立派な理念だとは思いますけどね。よつ葉園の大槻も、それは素晴らしい取組だと言って、もしできるなら取組んでみたいとかねて思っていた時期もありました。

 しかし、現実がそううまくいくとは限らない。どんな事業でもそうでしょうけど。トクチャンも、かなり無理したようです。県の職員や私ら他の施設の職員に対して言っていたこと、忘れもしません。

 彼の論理は、こうでした。


 篤志園は子どもたちの「家」ですよ。

 その「家」に今、お金がない。

 となれば、家族である指導員はもとより、子どもたちだってそれなりに危機感をもって生活していかないとだめでしょうが。

 場合によっては、みんなで何がしかの仕事をしていかないといけないこともある。

 そんなの、どの「家」でも当たり前のことじゃないですか。


とね。いくら職員仲間としてひいき目に見ても、それはないだろうと思いました。彼がそんな「理想」のもと子どもたちを「指導」していた実態は、どうであったか。

 子どもたちを無理やり働かせて賃金を払っていなかったとか、子どもたちへの暴力が常態化していたとか、そういう話ばかり。


 傑作なのは、何人かの卒園生に運転免許を取らせてやったそうで、聞こえはいいが何のことはなくて、自分が飲みに行くときなんかの足代わりに彼らを使いたかっただけというオチでした。

 彼の暴力によってけがをさせた子も何人といましたが、彼の息のかかった病院に担ぎ込み、何とかもみ消した、とかね。

 彼のお兄さんも開業医でしたが、そんなトクチャンの態度に嫌気がさして、弁当屋を始めたころから篤志園の嘱託医を辞退するなど、兄弟間でもいろいろ確執はあったようです。

 この事件は結局裁判に発展し、それがきっかけで児童福祉の世界から離れることになりましたが、それでも彼は同じ法人にとどまり、高齢者福祉の仕事をしています。

 彼の今の内心についてはわかりませんけれど、子どもたちの人生に深い傷を与えたことにどういう思いでいるのか、私も機会があったら、トクチャンにこう問いかけてみたい。


 「篤志」という言葉に恥じないことが、君はきちんとできたのか、とね。

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